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道の向こう  作者: 高田昇
第二部 大東亜戦争
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第十四章 日ソ開戦

 大東亜戦争の中で最大の戦いとなる日本とソ連の戦争は、後に始まるヨーロッパでの戦争に少なくない影響を与え、第二次世界大戦の戦いの参列に加えられる事もある。




1939年10月

 大本営で満州進攻の議論とは裏腹に、韓国に待機している日本軍と韓国軍の連合軍と39度線以北の中立地帯を境に対峙する満州軍との間で緊張は限界に達し、戦闘を交わしていた。


 当初は双方が航空機を飛ばし合って偵察活動を行っていた。次第に両方の偵察飛行の回数が増えて行き、ついには互いが撃墜し合う空中戦を繰り広げるようになる。果ては、日韓連合軍と満州軍の地上部隊が中立地帯を越えて互いの領地を直接侵入して偵察をするようになった。この偵察部隊を撃退するための両軍の戦闘が連日発生するようになる。そして偵察を行う部隊も戦力を充実されて行き、斥候任務から威力偵察へと任務が変わっていき、最終的には中立地帯を巡る戦いへとなった。この時点でポーツマス条約で交わされた満韓中立地帯の項目は既に形骸化していた。


 日韓連合軍は、自衛戦闘を名目に39度線以北の中立地帯の制圧に乗り出した。満州軍は形勢が不利となると、何も抵抗をしないで本国へと撤退して国内から日韓連合軍に砲撃を加えた。日韓連合軍も反撃をして、韓満国境地帯で砲撃戦が連日行われた。


 同じ頃、旅順とウラジオストクのソ連海軍の艦艇が、黄海と朝鮮半島東岸に現れ日韓連合軍の動向を窺うようになる。また、ソ連国内の飛行場から偵察機が北部朝鮮に現れ偵察活動を行うようにもなっていた。


 前線で戦う日韓の兵士たちの間では、ソ連との戦争は間近に迫っているとの噂が流れた。


 10月31日の夜間、北部朝鮮西部の西朝鮮湾沖を巡回していた2隻の韓国海軍の駆逐艦が旅順から来たソ連海軍の駆逐艦4隻と遭遇する。


 韓国海軍は、日本製の軍艦を主要装備とする沿岸部防衛型の海軍である。北緯39度線以南中立地帯は既に戦場と化し、韓国海軍の艦艇が周辺海域の警戒に当たっていた。


 双方の駆逐艦は、距離を保ち互い動向を伺いながらすれ違おうとした時だった。突然、最後尾にいたソ連海軍の駆逐艦が爆発し、船体が真っ二つに割れて轟沈した。一瞬の出来事であった。その途端に、前列にいたソ連海軍の駆逐艦が韓国海軍の駆逐艦に砲撃と魚雷を撃ち込んだ。あっけに取られていた韓国側も応戦するが、数十分の戦闘で数発の砲撃を受け負傷者と艦の損傷を被った。


 この西朝鮮湾で起きた事件は、ソ連の自作自演の偽旗作戦だったにしても、日ソ間の開戦に王手をかけた事は間違い。


 翌11月1日にソ連は、日本の満州への戦争行為とポーツマス条約の違反、西朝鮮湾でのソ連海軍駆逐艦沈没事件の原因を全て日本の帝国主義拡大の陰謀と位置付け、宣戦布告をする。




 ソ連の正規軍の常備兵力は160万に達している。その内の三分の一の兵力に当たる約50万の兵力が極東に配置されている。日本軍には兵力で勝り、歩兵を主力とする韓国軍には装備する兵器の規模で勝っていた。そして、満州軍を加えた連合軍は、三つの方面から朝鮮半島に侵攻を開始した。


 一つは、韓国と満州の国境を流れる鴨緑江の河口にある満州の丹東から韓国の新義州へ。この方面は、在満ソ連軍の軍団が当たる。


 次に、満州の通化から韓国のアムノク川を渡り江界を攻める。この方面は、韓国の狼林ランリム山脈が連なる山岳地帯であり、侵攻の主力を担うのが満州軍の歩兵から成る軍団である。


 最後に、ソ連領内のプリモルスキー地方のハサンから-かつて中国の領土で、沿海州と呼ばれていた-韓国の清津をソ連軍が攻め込んだ。


 迎え撃つ日韓連合軍には作戦は無いことは無かった。戦場は朝鮮半島であり、広大な中国本土と違い狭い半島であるため敵の動きを想定し易く地の利があった。そして、朝鮮半島は日本同様に、国土の大半が山岳地帯であり、機械化されたソ連軍の侵攻を撃退できる公算があった。また、韓国に攻めるソ連と満州の連合軍の全力は、日韓連合軍の兵力の三倍に達していなかった。つまり、攻める側が守る側に勝つためには攻める側が守る側よりも兵力を三倍にして当たる『攻撃三倍の法則』を満たしていなかった。最後に、日本軍は唯一数で勝るソ連軍と満州軍に航空兵力で勝っていた。




11月17日

 新義州から南の定州で日ソ両軍の最初の戦闘が起きた。双方の戦力が軍団規模で戦火を交える会戦である。


 BT-5戦車の部隊を先頭にして迫り来るソ連軍に対し、迎え撃つ日本陸軍の戦力は韓国に駐留する4個師団全力である。その内、3個師団は日本本土から派遣され、残り1個師団は在韓日本軍の部隊を増強させて師団に改編させた部隊である。そして、4個の師団全てが歩兵師団であった。


 日本軍は機械化された部隊の実力を、中国の戦線に投入しており知っていた。


 小銃や機関銃の弾を弾き返し、機動力に優れて機関銃や砲を装備する装甲車は戦う側から見て目障りな存在である。だが、機械化部隊の実力を認知した日本軍は、戦果と同時に弱点を把握していた。そして、将来の戦争に備えて対機械化部隊の対策の研究をしていた。




 前哨戦は、日本陸軍航空隊の制空権確保から始まった。数日間、定州の上空で日ソの戦闘機のプロペラのエンジン音と機関銃の発射音が常に鳴り響いた。空中で交える機体は九七式戦闘機とl-16であり、性能差と戦術、戦力が相まって制空権は日に日に日本側に傾いて行った。


 日本軍が制空権を確保した後、爆撃機をもってソ連軍地上部隊を空襲した。爆撃の目標は主に砲兵部隊である。しかし、爆撃によっての砲兵部隊殲滅は出来なかった。空襲の度にソ連軍砲兵部隊は、大砲に偽装を施したためである。それでも、ソ連軍砲兵部隊の被害は少なくない。損害は勿論、部隊の移動に支障をきたした。日本軍の狙いはむしろそこにあった。


 砲兵部隊の移動を妨害して、砲撃支援の無い侵攻部隊と対決するのが作戦であった。また、日本軍は対決に備え部隊の編成に手を加えた。陸軍の師団は、三個から四個の歩兵連隊を基幹部隊として、砲兵、工兵、騎兵、輜重兵の独立した兵科部隊を揃えた連合部隊である。歩兵連隊以外の部隊を解体して三、四個の歩兵連隊の指揮下に加えた。歩兵連隊を軸とする諸兵科連合を駆使して、戦術単位で敵を撃退するのである。


 日露戦争で騎兵第1旅団を指揮した秋山好古少将は、騎兵の弱点である防御の貧弱を補うため、騎兵旅団に歩兵、砲兵、工兵の諸兵科を加えた混成旅団にさせて世界最強のコサック騎兵と互角以上の戦いを繰り広げた。


 騎兵第1旅団を参考に、歩兵の打撃力の不足を砲兵が補い、築城能力を工兵で補い、高い偵察を騎兵で補い、部隊の兵站を輜重兵が補う事によって欠点を抑えて利点を活かした戦いを出来るようにした。




 定州会戦は、日本軍がソ連軍の攻撃を防ぎ撃退した。航空隊の空襲によりソ連軍は部隊間の連携が取れないまま日本軍の陣地に攻め、日本軍の砲撃による逆襲を受けた。部隊が壊乱する中、夜間に日本軍の御家芸である夜襲を受けて、多くの車両に火炎瓶を投げつけられた。各方面でも似たような戦法によって士気を挫かれた。


 ソ連軍は、日本軍の逆襲を警戒して20日に新義州まで撤退する。

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