第一部年表
第一部主人公の飛田源七郎の経歴をまとめました。
嘉永三年-1850年
長門国阿武郡萩町の萩城下平安古に住む長州藩士の中級武士の家で飛田源七郎が生まれる。
元治元年-1864年
7月19日
禁門の変で、長州藩兵に加わった源七郎の三番目の兄が戦死する。
元治2年/慶応元年-1865年
高杉晋作の創設した奇兵隊に入り、6月の四境戦争(第二次長州征討)で初陣する。
慶応4年/明治元年-1868年
戊辰戦争会津戦争の際、軍旗を乱した部下数名を兵斬殺する。
明治10年-1877年
西南戦争に出征する。戦争中に源七郎の正妻が亡くなる。
明治27年-1894年
陸軍中将に昇進し、第3師団長に就任する。同年、日清戦争勃発により出征する。10月の旅順の戦いで源七郎の嫡男が戦死し、精神的打撃を受け帰国する。
明治28年-1895年
日清戦争後、軍務に復帰する。
明治37年-1904年
日露戦争が勃発する。第3軍司令官に就任して出征する。
7月15日
旅順郊外の丘陵『203高地』を制圧して、観測砲撃によって旅順艦隊を撃破する。
7月18日
第3軍は遼陽に向け移動する。
8月24日
遼陽会戦、日本軍の攻勢の前にロシア軍は奉天まで後退する。
10月9日
沙河会戦、ロシア軍の攻勢を日本軍が退ける。
明治38年-1905年
1月25日
黒溝台会戦、ロシア軍の一大攻勢の前に日本軍は窮地に陥るがロシア軍司令部内の対立により失敗する。
2月21日
奉天会戦、日本軍の攻勢の前にロシア軍は公主嶺まで後退する。
5月27日
日本海海戦、日本艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破する。
6月下旬
四平街の戦い、ロシア軍の攻勢に日本軍は戦線の維持が不可能になり撤退する。
7月6日
鉄嶺会戦、日本軍の殿軍の第3軍がロシア軍の攻勢を退ける。
7月30日
第3軍、遼陽に入り主力部隊と合流する。
8月15日
桜子山の戦い、ロシア軍の総攻撃を日本軍が防ぎ抜く。
11月15日
ポーツマス条約締結により日露戦争は終結する。
明治39年-1906年
陸軍教育総監となる。
明治41年-1908年
元帥となる。
明治42年-1909年
参謀総長に就く。
明治44年-1911年
再婚する。再婚以前に長女と次女の隠し子がいた事が発覚する。
明治45年-1912年
次男誕生の後に死去。享年62。
次回から第二部『大東亜戦争』を始めます。
感想があったら遠慮なく送ってください。