表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
道の向こう  作者: 高田昇
第一部 黎明
11/21

第一部年表

 第一部主人公の飛田源七郎の経歴をまとめました。

嘉永三年-1850年

長門国阿武郡萩町の萩城下平安古に住む長州藩士の中級武士の家で飛田源七郎が生まれる。


元治元年-1864年

7月19日

禁門の変で、長州藩兵に加わった源七郎の三番目の兄が戦死する。


元治2年/慶応元年-1865年

高杉晋作の創設した奇兵隊に入り、6月の四境戦争(第二次長州征討)で初陣する。


慶応4年/明治元年-1868年

戊辰戦争会津戦争の際、軍旗を乱した部下数名を兵斬殺する。


明治10年-1877年

西南戦争に出征する。戦争中に源七郎の正妻が亡くなる。


明治27年-1894年

陸軍中将に昇進し、第3師団長に就任する。同年、日清戦争勃発により出征する。10月の旅順の戦いで源七郎の嫡男が戦死し、精神的打撃を受け帰国する。


明治28年-1895年

日清戦争後、軍務に復帰する。


明治37年-1904年

日露戦争が勃発する。第3軍司令官に就任して出征する。

7月15日

旅順郊外の丘陵『203高地』を制圧して、観測砲撃によって旅順艦隊を撃破する。

7月18日

第3軍は遼陽に向け移動する。

8月24日

遼陽会戦、日本軍の攻勢の前にロシア軍は奉天まで後退する。

10月9日

沙河会戦、ロシア軍の攻勢を日本軍が退ける。


明治38年-1905年

1月25日

黒溝台会戦、ロシア軍の一大攻勢の前に日本軍は窮地に陥るがロシア軍司令部内の対立により失敗する。

2月21日

奉天会戦、日本軍の攻勢の前にロシア軍は公主嶺まで後退する。

5月27日

日本海海戦、日本艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破する。

6月下旬

四平街の戦い、ロシア軍の攻勢に日本軍は戦線の維持が不可能になり撤退する。

7月6日

鉄嶺会戦、日本軍の殿軍の第3軍がロシア軍の攻勢を退ける。

7月30日

第3軍、遼陽に入り主力部隊と合流する。

8月15日

桜子山の戦い、ロシア軍の総攻撃を日本軍が防ぎ抜く。

11月15日

ポーツマス条約締結により日露戦争は終結する。


明治39年-1906年

陸軍教育総監となる。


明治41年-1908年

元帥となる。


明治42年-1909年

参謀総長に就く。


明治44年-1911年

再婚する。再婚以前に長女と次女の隠し子がいた事が発覚する。


明治45年-1912年

次男誕生の後に死去。享年62。


 次回から第二部『大東亜戦争』を始めます。

 感想があったら遠慮なく送ってください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ