第九話
見透かされたことが情けなかった。
あの人はいつも俺を惨めにさせる。
いつも、俺を苦しめる…
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浴室__
(俺って結構流されやすいタイプだったんだな…)
浴室で自分自身を見つめ直していた。
何かを見つめ直す時は、湯船に浸かるのが一番だ。
”チャプン”
(湯船が揺れる音)
俺は夏目にキスをした。
一度目は、哀れみから。
じゃあ、二度目は?
朔「……素直って怖ぇ」
俺の積み上げて来た壁が、あいつによって崩れる予感がしていた。
心臓が少し速くなる。
あいつの熱を帯びた手の感触がまだ残っていた。
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会社__
夏目「朔先輩、お、おはようございます」
朔「…うす」
夏目「ほ、本日はご機嫌麗しく…」
朔「……(真顔)」
こいつは本物のバカだと思う。
朔「動揺がベタすぎ」
夏目「だ、だって昨日…///」
出社するなり、周囲が騒ついていた。
最初は昨日トラブルを起こした俺達に対してかと思ったが、その対象はどうやら俺達ではないようだ。
夏目「…あっ、柏木さん!!」
柏木「やぁ!おはよう!」
朔「……ぁあ、なるほど。原因はあんたか」
絵に描いたような好青年、柏木陽介。
こいつは昨日の騒動で自ら同性愛者であることを堂々と公表した。
夏目「昨日はすいません。そして、ありがとうございました!」
柏木「全然気にしないで。悪いのは向こうなんだし」
夏目「でも…」
柏木「まぁ、ちょっと”時の人”にはなっちゃったけど;」
朔「柏木さんも案外不器用すね」
夏目「朔先輩、そんな言い方…」
柏木「そうだね。でも、僕は今の婚約者を愛してることを恥じていないから」
夏目「わぁ///」
朔「…お熱いことで」
柏木「あはは。それに、変に女性に誘われなくなって楽になるよ」
夏目「そ、それならいいんですけど…でも、本当にありがとうございました!」
柏木「どういたしまして」
柏木はそう告げると好青年スマイルで去っていった。
夏目「よっぽど愛してるんですね、相手の人を」
朔「興味ねぇ」
夏目「あ、そんな風に言ったら駄目ですよ」
朔「なんで?」
夏目「だって、俺も先輩のことそんな風に言われたら傷つきます…」
頬を赤らめながら夏目が言う。
(…こいつ、実は魔性なんじゃねぇの?)
朔「はぁ…んじゃ、今後は言葉に気をつけるわ」
夏目「は、はい!///」
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定時後__
夏目「朔先輩、今日なにかご予定ありますか?」
朔「予定?無いけど」
夏目「じゃあ、ご飯でも…その…どうですか?」
朔「飯ねぇ…」
夏目「あ、飲みでもいいですよ」
朔「酔わせて何する気?」
夏目「!!!な、な、何もしませんよ///」
朔「ぶはっ、お前、赤っ!笑」
茹でたように赤くなる夏目の顔が面白くて、笑いが止まらない。
ありさ「ふぇぇー、石川君が声出して笑うなんて珍しい〜!」
朔「だって、こいつの顔。笑」
夏目「そ、そんなに笑わないでくださいよ///」
ありさ「なんか、いい感じの主従関係になってきたんじゃなーい?♡」
課長「良いコンビになってきたねー!」
朔「そういう絡みはウザいので帰ります」
ありさ「えー!もっとイジリたかったのにー!」
朔「だから帰るんだよ」
課長「朔君、お疲れ様」
夏目「あ、先輩お疲れ様でした…」
シュンとする夏目の頭を軽く叩く。
”コツン”
(夏目の頭をこづく音)
朔「おい。飯、行くんだろ?」
夏目「えっ?!あっ!は、はいっ!!」
朔「先、下行っとくわ」
夏目「す、すぐ行きます!!」
瞳をキラキラさせて慌てて帰り支度をする夏目を置き、俺は先にエレベーターへと向かった。
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玄関ホール__
”ポーン”
(エレベーターが到着した音)
柏木「あれ?石川さん、上がりですか?」
エレベーターの扉が開くと好青年が立っていた。
朔「そちらはプライベートな電話ですか?」
もじもじとスマホを隠す素振りを見せたのでバレバレだった。
柏木「よくわかりましたね。あはは」
朔「別に分かりたくは無いんですけどね」
柏木「あはは。石川さんはストレートな人ですよね」
朔「それは褒め言葉と捉えても?」
柏木「勿論です。だから、夏目君もあなたに懐いてるんじゃないですかね?」
朔「あいつはバカなだけですよ」
柏木「……夏目君の気持ち、気づいてるんでしょ?」
この人のこういうお節介な善意が俺は好きじゃない。
朔「…それが、あんたに何か関係あんの?」
柏木「いや、無いけどね。でも、夏目君の気持ちが分かるから、本気じゃないなら弄ぶのだけはやめてあげてほしいなとは個人的に願っているよ」
朔「俺、やっぱり柏木さんのこと好きじゃねーわ」
柏木「うん、知ってる。僕も同じだから」
朔「……」
好青年スマイルを崩す事なく、柏木は俺にそう言いきった。
(案外言うじゃん)
俺達の間にピリッとした空気が流れる。
夏目「朔先輩!待っててくれたんですか?
あれ?柏木さんだ。お疲れ様です」
柏木「やぁ、夏目君。これから石川さんとデートなの?」
夏目「デ、デートじゃないですよ///ご飯です!ご飯!」
柏木「そっか…じゃあ、僕の心配は必要無かったみたいだね」
再び向けられた好青年スマイルとほのかに香る甘い匂いがどうしても俺の癪に触った。
朔「チッ、行くぞ…」
夏目「え、あ、はい!それじゃ、柏木さん、お疲れ様です!先輩、待って下さいよ〜!」
柏木「お疲れ様ー!」
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道中__
夏目「先輩、歩くの早いですよ!」
俺はイラついていた。
朔「お前が遅いんだよ」
俺はイラつくと歩くのが速くなる。
***
(過去の回想中)
???『朔、速いよ…』
俺の手をそっと握る手。
???『一緒に歩こう』
朔「……うん」
***
(くそ、また出てきやがって…)
心の中で悪態をつく。
夏目「ところで、どこに向かってるんですか?」
朔「スーパー」
夏目「え?スーパー?」
朔「何か適当に材料買って、お前の家で食えばいーだろ?」
夏目「ぅえっ?!俺の家?!」
朔「なに?見られたらマズイものでもあった?」
夏目「いや、全然無いですけど!でも、嫌かと思って…家とか…」
朔「アキが独りで待ってるんだろ?留守番が長くなったら可哀想じゃん」
夏目「…はいっ。ありがとうございます。先輩って本当に優しいです」
朔「お前、泣くなよ?」
夏目「な、泣きませんよ。ただ、嬉しくて…」
朔「泣くなって」
夏目「泣いてませんよ…ひく…」
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夏目の家__
夏目「アキ、ただいまー」
”にゃおん”
少しメタボ寄りのモフモフした猫が玄関で出迎える。
朔「久しぶりだな、おデブちゃん」
夏目「アキはおデブじゃないです!グラマラスなんです!」
朔「いや、絶対グラマラスの領域じゃない」
適当に食材と酒をテーブルに広げた。
夏目「乾杯しましょうか?朔先輩、お疲れ様でした」
朔「…うす」
夏目「先輩ってお酒強いんですか?」
朔「弱くは無いくらい」
夏目「そうなんだ…。俺は全然駄目です」
朔「でしょうな」
オレンジジュースで乾杯する22歳(男)を、俺は人生で初めて見た。
夏目「先輩の飲んでるのは美味しいんですか?」
朔「ただのレモンサワー。飲むか?」
夏目「え…でも、先輩の飲みかけですよ…///」
朔「…お前童貞だろ?」
夏目「ふぇ?!急に何ですか?!///」
朔「今時、間接キスで赤面する男なんて童貞以外いねぇわ」
夏目「ち、違いますよ!」
朔「へぇ?違うのか?」
俺はそっと顔を夏目に近づける。
夏目「せ、せんぱい?///」
夏目は赤面したまま目を閉じた。
(キスされると思ってるな…笑)
俺は夏目の口にレモンサワーを軽く流し込む。
夏目「わぁ?!」
朔「あ、溢すなよ」
夏目「び、びっくりして」
朔「キスされると思った?」
夏目「ち、違いますよ!」
朔「笑」
こいつといると面白い。特に顔が。
朔「案外美味いだろ?」
夏目「は、はい」
朔「それやるよ。俺は違うの開けるわ」
夏目「ありがとうございます」
”にゃおん…ゴロゴロ”
(猫の甘える声)
朔「おい、なんだよ。おデブちゃん」
ゆっくりと膝の上に乗ってくる猫。
朔「おっも…」
夏目「先輩、動物好きですか?」
朔「わりとな。なんで?」
夏目「ほら、動物って好きな人が分かるっていうから、もしかして?と思って。犬と猫ならどっち派ですか?」
朔「強いて言うなら猫だな。俺、昔から犬には好かれるんだけど、猫にはいつも逃げられるんだよな。構ってやりたいのにさ」
夏目「そうなんですね」
朔「ああ、だから、こいつは逃げなくて可愛いわ」
夏目「嫉妬するんですけど…」
朔「は?」
夏目「俺なんて一度も可愛いなんて言われたことないのに!!」
朔「自分の飼い猫にジェラってんなよ」
夏目「だってぇ…」
朔「酔ってるだろ?」
夏目「酔ってませんよ〜だ!」
(絶対酔ってやがる)
夏目「アキ!俺は先輩とキスしたんだぞ!恐らく2回だ!だから、俺の方が偉いんだぞ!」
朔「しょーもない張り合いすんな」
夏目「本当はもっとしたいけど我慢してるんだぞ!」
朔「……」
夏目「先輩が男でも全然抱けるって言ってくれたんだ。だから、俺は自分磨き頑張るんだ」
朔「お前、抱かれる側でいいの?」
夏目「俺は…先輩になら抱かれたい…です」
***
(回想中)
静まり返った部屋__
朔『俺…あんたが欲しいよ…』
???『…いーよ…抱いて…』
***
朔「俺には、まだお前を抱く資格はない」
(こんな時でさえ、あの人を思い出してんじゃねぇよ)
夏目の手が俺の顔に触れる。
包み込むように。
夏目「…先輩、好き」
重なる唇。
夏目「好きです……せんぱ…ぃ…」
朔「あんまり誘惑すんなよ…」
物足りなさを感じ、舌を絡めた。
夏目「…んぁ…ハァ…好き…す…き…です…」
欲望に呑まれる。
このまま、こいつを抱いてしまおうか…
”柏木「夏目君の気持ちが分かるから。本気じゃないなら、弄ぶのだけはやめてあげてほしいなとは個人的に願っているよ」”
”ピタッ”
(朔の手が止まる音)
好青年の挑発的な笑みが脳裏を過って手が止まった。
(危ねぇ…アイツに救われるとはな…)
朔「悪い酔いした…帰るわ」
夏目「っ、帰らないで下さい!」
背を向けた俺に抱きつく夏目。
朔「酒に飲まれて初体験捨てる気か?」
夏目「それでもいいです!それに、先輩に忘れられない人がいても構いません!」
心臓が止まった。
朔「は?」
夏目「いるんですよね?忘れられない人?先輩を見てたら分かります。俺はその人の身代わりでもいいんです。
だから…」
朔「ガン萎えだわ…」
夏目「…え?」
朔「…萎えた。今のお前じゃ勃たねぇ」
夏目「先輩…」
俺は抱きつく夏目を振り払い、家を出た。
”バタン”
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自宅でひとり、あの言葉を反芻する。
”夏目「いるんですよね?忘れられない人?先輩を見てたら分かります。俺はその人の身代わりでもいいんです。
だから…」”
俺の高く積み上げた心の壁。
でも、どこかであいつに飛び越えてきて欲しいと思う自分もいる。
もし、あいつが飛び越えてきたら…
朔「身代わりでもなんて言わせてんじゃねぇよ…クズ男…」
あの人を、忘れられ気がするから…
そう、きっと…




