4.不法侵入-2
辿り着いたのは、一般的に住宅街と呼ばれるエリアだった。一軒家、というよりはアパートやマンションが多い印象だ。
その中でもかなり警備に力が入った、高そうなマンション。そこがラザラスの家らしい。
ガラス張りの正面玄関にはカード式のセンサーがついていて、ラザラスがポケットからカードを取り出し、当てる。
ピッという電子音と、鍵が開く音がした。科学技術、というものがふんだんに使われているようだ。
とはいえ、影に隠れたロゼッタの存在は、センサーは全く感知できていないようである——どんなに優れた科学技術であっても、ロゼッタの圧倒的魔力を相手にしては敗北するしかないようだ。
「……」
ラザラスは1階の角部屋に向かう。どうやら彼の住む場所はここらしい。再びセンサーにカードをかざした後、扉を周囲を少し——否、かなり確認してからドアを開き、さっと玄関に足を踏み入れる。
後ろ手に施錠し、電気を点け、彼は微かに口を動かした。
「【解除】」
魔力の流れを感知し、ロゼッタの耳がピクリと動く。どうやらラザラスは何らかの魔術を使っていたようだ。
一体何を使っていたのだろうかと考えていると、微かに残る魔力の痕跡が辿れることに気づいた。
名前は分からないが、何らかの魔術が発動してくれたようだ。
(んー、名前は分かんないけど……ルーシオさんが言ってた身体強化系統の術みたいだね、何故か1つだけ掛けっぱなしみたいだけど……これは、視力を強化したままなのかな?)
ルーシオはラザラスのことを身体能力チート野郎と言っていたが、それは恐らく元々備わっている運動神経に、身体強化系統の魔術で“若干”補正を加えたようなものなのだろう。
何故なら、あまり強く掛かっていなかったことが今この瞬間に判明してしまったからだ。つまり、身体能力に関しては『ほぼほぼ彼自身の能力』だ。そりゃチートと呼ばれるだろう。
しかし、それでも唯一残された視力強化の術だけはやや強めに掛かっている。
あまり目が良くないのかもしれないとロゼッタが考えている間に、ラザラスは脱衣所へと移動した。
(! お風呂!? さ、流石にお風呂覗くのは犯罪行為だよね!!)
咄嗟にベッド下の影に移り、ロゼッタは風呂に向かうラザラスを見送ることにした。
彼女はストーカーを通り越して不法侵入をしている時点で既に絶賛犯罪行為中なのだが、その辺りのことは全く考えていないらしい。
(さて、と)
風呂場からシャワーの音が聞こえてくるのを見計らい、ロゼッタはこっそりとベッド下から抜け出した。
「……寂しいお部屋、だなぁ」
ワンルームだが、かなり広めの一室である。物を置こうと思えば、たくさん置けるだろう。
しかし、ラザラスの部屋は本当に最低限必要そうな物くらいしかなかった。
ベッドとベッド横のチェスト、ローテーブル、勉経机、本棚、無難な家電製品。
だが、一般的な家庭には置いてありそうな、テレビという家電は、この家には存在しなかった。
変わっている部分と言えば、大きめの本棚にたくさんの本が詰まっていること、チェストの上に伏せられた写真立てがあるくらいだろうか。あとは、本当に何も無かった。
(そういえば……ちょっとだけ、ラズさんの振る舞いが気になったんだよね)
ラザラスは人に自分の姿を見られまいとしているのか、ロゼッタを探す時ですらなるべく隠れて行動する傾向があった。
帰ってくる時も電車に乗ろうとしていたのに、若干乗客の多い車内を見て引き返し、路地裏や民家の屋根を走って帰ることを選んでいた。
先程もそうだ。家に入るだけだというのに、ずいぶんと警戒した様子であった。
ロゼッタは存在に気づかれたのかと焦ったが、それはすぐに違うと判断できた。恐らく、これはラザラス自身の気質なのだろうと。
(……もしかして、人が怖いのかな?)
単純に忙しくて物を揃える時間が無いだけ、もしくは物をあまり集めたがらないタイプなのかもしれないが——精神的に不安定だからこそ、部屋が殺風景になっている可能性がある。
かつて『ご主人様を喜ばせるため』という理由で心理学的な知識も色々叩き込まれたのだが、うろ覚えすぎる。あまり活かせそうにはないな、とロゼッタは苦笑した。
(でも物が少ないなら、その分だけ少ない時間で色々見れそう!)
あまり物事を暗く考えても仕方がない。目の前の状況は彼が好きなものをいち早く知るチャンスだと判断し、ベッド下を抜け出す。
彼女、ラザラスにバレない範囲で部屋を漁るつもりだった——普通に犯罪だが、誰も気づいていないのだから、止めようがない。
(本は難しそうだから放置。机と、チェストくらいは……!)
本棚以外に狙いを絞り、ロゼッタは物音を立てないように気を付けながら机の上のノートを手に取った。
(わあ、文字綺麗だなぁ……何書いてるのか読めないなぁ……)
ただ、読めないなりにラザラスの文字が綺麗だということは理解できた。彼が書く文字は書物の印刷された文字によく似ているのだ。
魔術を使えば読める気がするが、時間が無さそうなので一旦放置する。ノートを元の位置に戻し、卓上棚に並べられていたメモ帳に手を伸ばす。地図と表が描かれた走り書きがたくさんあった……何かの研究資料だろうか。全く分からない。
(うーん、分からないもの見つけても仕方ないんだけどなぁ)
メモ帳と一緒に並んでいた難しそうな書物には古美術やら遺跡やらの写真が載っている。
ラザラスは歴史学者か何かなのだろうか?
そんな素振りは全く見られなかったが、“かつては”熱意を持って色々調べていたのだろう。
(多分これ、しばらく触ってないんだろうな……)
指先についた埃を見て、ロゼッタは息を吐く。メモ帳も難しそうな書物も、最近は手に取っていないのだろう。
最初に触ったノートだけは最近触った痕跡があったが、何となく、歴史に関する内容ではない気がする。
ということは、今現在の彼が送っている生活について書かれているのだろうか?
(これ読んだら、何の活動してるのかとか分かりそうだけど……たぶん、今は読んでる時間ないよね)
基本的に文字が読めない以上、ここを漁ってももう情報は手に入らない。
そう思い、ロゼッタはベッドへ視線を向ける。布団と枕だけのシンプルなベッドだが、ロゼッタには非常に魅力的に見えていた。
「……っ」
もふり。
飛び込んだベッドのスプリングが軋み、ふかふかの布団がロゼッタを包み込んだ。爽やかな柑橘系の良い香りが鼻腔を擽る。
ラザラスに抱きしめられている気分になって、大変に幸せだった——しかし、唐突に虚しさを覚えた。
「……」
ベッドから降りて、静かに布団を整え、ロゼッタは両手で顔を覆う。
(これは流石に、やっちゃダメな気がする……)
……色んな意味で。
遅れてやってきた羞恥心および罪悪感と戦いながら、ロゼッタはどうにかこうにかチェストへと意識を逸らした。
チェストの上には、名前は知らないが音楽を流す機械と円盤が入ったケースが並んでいる。確か、この円盤は音楽か映像を記録したものだ。
音楽を流す機械が横にあるということは、何らかの音源が記録されていると見て間違いないだろう。操作方法は分からないが、何度か見たことがある。
円盤が入ったケースに記された文字そのものは相変わらず読めないが、文字列が全く同じ並びをしている。
つまり数種の決まったグループ、もしくは人物の円盤を集めているらしかった。ファンなのだろうか?
そしてチェストには、ひとつだけ写真立てが置かれていた。
(……倒れてる)
モノクロカラーのお洒落な写真立ては、倒れてしまったのか写真が見えない形で伏せられている。
ロゼッタは写真立てを手に取り、飾られている写真を確認した。
(綺麗な人しか写ってないや……)
ラザラスの髪が、今より若干長い。数年前の写真だろうか?
彼の横には恥ずかしそうにはにかむ、緑掛かった銀色のロングヘアが美しい有翼人族の少女が写っている。一緒に写っているラザラスより少し歳下、10代後半程度の年齢に見える。
ラザラスと少女に挟まれる位置に立っているのは、少女と同じくらいの年頃の、澄んだ青空のような髪をした人物だった。
「え……」
ラザラスでも少女でもなく、見知らぬその人物からロゼッタは目が離せなくなってしまった。
「この人……もしかしなくても、わたしと、同じ……?」
男性にしては華奢、女性にしては直線的で性別が分からないタイプだが、とりあえず少年か少女のどちらかだ。例に漏れず、綺麗な顔をしている。
だが注目すべきは顔ではなく、その種族だ。
額には赤い宝石があり、髪から覗いている耳は白い毛で覆われている。そして、腰には白い、小さな翼があった——写真には映っていないが、きっと白い尾もあるに違いない。
瞳は青ではなく金色であることを含めて色合いは異なるが、あまりにもロゼッタと類似点が多い。
きっと、自分と同じような存在なのだろうと、ロゼッタは胸が高鳴るのを感じた。
(この人、ラズさんのお友達かな、会えないかな……?)
会ってみたい。会って、話をしてみたい。
どんな生活をしているのか、どんな能力を持っているのか、家族はいるのか……色んなことを、聞いてみたい。
「あ……」
そういえば、ラザラスとクロウに助けられた時。
ラザラスが自分の容姿を見て異様に慌てていたこと、そして彼が“ジュリー”と口走っていたことも思い出した。
(この子、たぶんジュリーっていうんだ……じゃあ、女の子?
わたしと同じ毒、使われたんだよね……? 大丈夫だったのかな……?)
自分達は、間違いなく希少な存在である。
あの日のラザラスからしてみれば、火竜種の救出に行ったはずが知り合いと同じ希少種が混じっていて……しかも毒を投与され、意思疎通も怪しいレベルで弱っていたわけだ。
(そっか、わたしとこの子、似てるから……)
恐らく、ラザラスはこの“少女”とロゼッタを重ねてしまったのだろう。
だからこそ彼は「少女が死んでしまうかもしれない」と、あんなにも怯えていたのだ。
——それだけ、ラザラスにとって、彼女は大切な存在なのだろう。
「……」
なんとも言えない感情が込み上げてきて、ロゼッタはひとり奥歯を噛み締める。風呂場のドアが開いたのは、そんな時だった。
(早く隠れなきゃ!)
詳細をラザラスに聞けば良いのだろうが、残念ながら状況ゆえに何も聞けない。
モヤモヤした思いを押し殺し、ロゼッタは写真立てをチェストに戻して再びベッドの下に潜り込んだ。




