48.弱き者の懺悔-1
ロゼッタと出会って数ヶ月——たったの、数ヶ月。
それなのに、彼女には散々なものを見せ続けてきた。
しかし、ラザラスがどんな話をしても、到底理解できないような状況に追いやっても、とんでもなく情けない姿を見せても。彼女はそのすべて受け入れた。
そして遂に彼女を泣かせてしまった瞬間……嗚呼、これ以上はダメだな、と。
ラザラスは、嫌というほどに気づかされた。
すべてを受け入れようとする。受け止めてしまう。
それは彼女が育った、残酷な環境由来のものかもしれない。
だからこそ、もう「あえて嫌われに行くべきだ」と判断した。
(露骨に、嫌な話をしてしまおう)
なによりも自分自分がロゼッタに依存しつつあることは、流石に自覚していた。
ゆえに、傷が浅いうちに、これ以上、彼女に依存してしまう前に。早く、今すぐに、自分から離れて欲しいと、ラザラスは願ってしまった。
「……そろそろ、君に嫌われそうな話でもしようかな」
自身の感情を覆い隠し、冷徹な人間を演じてみせる。
これで怯えて、引いてくれれば良い。
逃げてくれて、構わない。
……そう考えるべきなのに、「逃げないで欲しい」という思いが、頭の中の大多数を占めていた。
(……。情けないな)
まるで幼子が、母親に試し行動をしているかのようだ。わざと困らせるような態度を取って、それでも受け入れてもらえるか、確認しているようかのような振る舞いだ。
無意識的にそんな行動をしてしまう自分の弱さに、みっともなさに……心の底から、嫌気がさす。
だが残念ながら、これが自分だった。大嫌いな、自分自身の姿だった。
「ラズさん……?」
氷のように冷え切った瞳を、ロゼッタに向けているつもりだ。
「……」
事実、彼女は驚き、一瞬だけ肩を震わせた。大なり小なり、怯えさせることには成功したはずだ。
それなのに今、彼女は丸く、愛らしい瞳を真っ直ぐにこちらに向けている。
「わたし、何を聞かされても離れませんよ? ストーカーですし」
「本当か? ……俺が、人を殺すことを全く躊躇わなかったって話をし始めてもか?」
嘘では、ない。これは事実だ。
ステフィリオンの面々も、これには心底驚いている様子だった。
特にクロウは、かなり露骨な反応を見せた。表向きは小馬鹿にするように悪態を吐いていたが——あの時彼が抱いたのは、限りなく“恐怖”に近い感情だった。
無理もない。
彼は恐らく、自分とは“対極にいる存在”だからだ。
それに気づいた時は、まるで自分の異常性を示されているようで、吐き気が止まらなかった。
もう、どうしようもないほどに自分は壊れているのだと、突きつけられた気分だった。
ラザラスは、顔に笑顔を貼りつける。
「おかしいだろ。俺は軍人でもなんでもない。なんなら、暴力行為に恐怖心すらあった。だから普通なら、普通の人間なら。
手を下す前に踏み止まるんだよ……だから今のステフィリオンには戦闘員がいないんだ。みんな、踏みとどまってしまうから。恐れて、しまうから」
ステフィリオンの慢性的な戦闘員不足を解決するために、エスメライたちは救出した被害者の中から有志を募り、訓練を行った上で軽い現場に送り込んだことがあるらしい。
しかし、それは失敗に終わった。
彼らは、恐れてしまったのだ。人を殺めることを、あの異常な現場を。
そしてパニックに陥った彼らを庇ったことで、同行していたクロウとレヴィが大怪我を負う最悪の事態が発生したのだという。
ゆえに、彼らは戦闘員を増やすことを諦めた。
ラザラスが、自ら望んで足を踏み入れてくるまでは。
「俺はさ……きっと、どうでも良かったんだ」
「どうでも、良かった……?」
「自分と関わる人間以外、自分が大切にしている存在以外。それ以外は、どうでも良かった。だから、簡単に手を下せた。下せてしまった。
はは……自分でも、驚いたよ。いくら復讐を誓って乗り込んだとはいえ……流石にもっと、躊躇うもんだと思ってた」
初めて人を殺めた時に、何の感情も抱かなかった。
……抱けなかった。
ただ、心に真っ黒な穴が空いているような感覚だった。
どこまでも“無”だった。
「そうじゃなきゃ、3年でここまで戦えてない。3ヶ月前に派手にやらかした人間ではあるけど……少なくとも、殺すことを恐れて失敗したことは、一度もない」
結局、ラザラスが恐れたのは人を殺めることではなく、自らの異常性だった。
すべては自分自身の中で、完結していた。
「俺は、そんな冷たい人間だよ。簡単に人を殺せて、それを一切引きずらなくて。平然と人前に顔を出せる……そんな奴なんだよ」
そこまで話し終わってから、ロゼッタの顔色を伺う。
目の前にいるのは、どこまでも異常な男。
傍にいてはいけない、危険な存在。
「……」
いくらなんでも何かしらの負の感情は出ていると思っていたのだが、そんなことはないらしい。
彼女はキョトンと、不思議そうにこちらを見ていた。
「んー……ラズさん、ストーカー舐めてません? ストーカーをバカにしちゃダメですよ?」
「えっ!?」
思っていたのと、真逆の反応が返ってきた。
目の前で、ロゼッタはくすくすと笑っている。
「ふふ、やっぱり演じてたんですね? なんとなく、そうかなって思ったんです。
ラズさん優しいから、わたしにそんな目、向けないというか……向けられないはずですもん」
そして、ラザラスは化けの皮を一瞬で剥がされてしまったことに気づく。
(なんで……)
自分は冷たい人間だと言っているのに、事実として、そう思っているのに。
彼女は一体、何を根拠にそんなことを言うのだろう。
そんなことを考えていると、ロゼッタは困ったように微笑みながら、口を開いた。
「ラズさん、ちょっと真面目な話します。大前提として、“簡単に人を殺せたから壊れてる”なんて、わたしは思いません」
適当に慰めにきたのかと思ったが、違う。
彼女の顔は、真剣そのものだった。
その目には、一切の迷いが無かった。
「そもそも本当に壊れてる人は、自分の異常性になんて気づけないはずですよ。
確かにラズさんはかなり、相当にギリギリのラインだったかもしれませんが……あなたの悩みは、踏み止まれてる人にしか出ない悩みだと思います」
「なんで、そう思えるんだよ……」
声が、震える。
これでは駄目だと、頭を振るう。
懸命に、冷静な思考回路を取り戻そうと、足掻く。
彼女が、ロゼッタが、怖いと思った。
踏み込ませてはいけない部分に、踏み込まれてしまいそうだった。
「そうですね、ちょっと……待ちますね」
恐怖心が伝わってしまったのか、ロゼッタは軽く首を傾げてこちらの様子を伺ってくる。
その類の“教育”を受けていた可能性はあるが、彼女は時折、これでもかと相手の顔色を伺ってくることがある。
だが、それは本来の彼女の気質でもあるのだろう。
仮に彼女がそう演じているのであれば、的確に見抜く自信がラザラスにはあった。
だからこそ、ロゼッタの言葉は強く、ラザラスの心に響くのだ。
「わたし自身が証拠ですよ。わたしはジュリーさんと同じ種族だったので証拠にならないって言うなら……わたしと同じ、被害者たちが証拠です」
つい、目を逸らしてしまう。
どうにも、居た堪れなくなってしまった。逃げ出したいとすら、思ってしまった。
「……。それは、ステフィリオン自体が、そういう方針だから」
「あなたが本当に壊れているのなら、大切な人以外はどうでも良いと言うのなら!」
ラザラスが“逃げ”の発言をしたことを見抜いたのか、ロゼッタは軽く声を上げてラザラスの言葉を遮り、どこか悲しげに笑ってみせる。
「たとえ組織の方針とはいえ、あんなにも必死に怪我をしてまで、見知らぬ誰かを助けるのは……それができるのは、おかしいですよ」
それは彼女が、純粋な被害者だからこそ出る言葉だった。純粋な被害者だからこそ、説得力のある言葉だった——だからこそ、ラザラスはロゼッタに抗う。
「俺に限った話じゃないけどさ……復讐目的なんだよ、組織自体が。たまたま、被害者救助もやってるだけで」
現ステフィリオンは、人権保護団体ではない。
ドラグゼンに誰かを害されたことに対する復讐、もしくは現ステフィリオンに対する恩返しのために動いている。
復讐目的での、戦い。
それは決して、好ましいことではない。
これはラザラスだけでなく、主力メンバー全員に共通する考えだった。
「……」
そう言えば、ロゼッタはコテンと首を傾げてみせる。
「これはラズさんに限らず、ステフィリオンの皆さんに対して思ってることなんですけど。復讐目的って、そんなに悪いことなんですかね?
ていうか、あなたたちは“それだけ”を目的にしているようには見えないというか」
「え……」
真っ当とは言えない動機のついでに助けているだけだ、とは流石に言えなかった。
だが、ロゼッタはラザラスが何を考えているのか察していたようだ。
「さっきも言いましたけど、本当に復讐だけが目的なら被害者救助なんて面倒なこと、しなくて良いんですよ。
さっさと取るもの取って、あとは適当に建物燃やすなり、潰すなりしちゃえば良いんです。被害者を檻から出さなければ、勝手に巻き込まれて死にますし?」
彼女は、軽く息を吐き出す。
「正直、一番理解できないのは被害者の国外亡命まで手伝ってることです。100歩譲って助け出すまではやるにしても、後は頑張って生きろーって、放置で良くないですか? そんなの、復讐の邪魔にしかならないでしょう?」
「ッ、それは……!」
確かに、手っ取り早いのは「最初から被害者の存在から目を背けること」なのだろう。
彼女に指摘されるまで、気づかなかった。助け出すことが、当たり前だと思っていた。
そしてロゼッタは、くすくすと笑う。
「ほら、できないでしょう? 本来はしなくて良いことをしている時点で、あなたたちの活動は……もう、純粋な復讐目的では無いんです」
どこまでも芯の強い、少女の青い瞳に射抜かれているような気分だった。
何を言っても、言い返されてしまう。ただの反論ではない。それは彼女の、心からの叫びだった。
「君は、強いな」
彼女がこれまでどんな環境に置かれていたのか、想像もできない。
だが、即座に状況を判断する能力では彼女に勝てる気がしない。
嫌われようとすればするだけ、何かを汲み取ってしまった彼女は近くに寄ってきそうだ。
(俺は間違いなく、それを望んでしまっているのに……同じくらい、申し訳ないと思ってしまう。
俺は、いざって時に……この子を、守りきれる自信がない)
近づかれるほど怖くなるのに、離れられるのは、もっと怖い。
ラザラスは醜い矛盾を抱える自分自身が、とにかく許せなかった。




