46.静穏の墓前で
ラザラスが大きめのカバンに荷物をまとめている。
衣服の類が混じっていることを考えると、泊まりがけでどこかに行くのだろうか?
そんなことを考えていると、彼の方から話しかけてきた。
「その、着いてくる、つもり……だよな?」
『もちろんです!』
ストーカーとして正規雇用されているので!
謎の根拠を元に即答してみせると、ラザラスは困ったように笑ってた。
「……。いつも以上に情けない姿、晒すと思う。できたら笑わないでくれたら、嬉しいな」
『笑いませんよ。あなたが頑張ってることは、知っているつもりなので』
彼の欠けた視界は、常に過去を彷彿とさせるものだろう。
そして鏡を見るだけで、目立つ容姿に嫌気がさすことだろう。
それでも、彼は頑張っている。必死にもがき続けている。どれだけ苦しくても「生きよう」と、前に進もうとしている。
その姿を見るだけでロゼッタは安堵し、同時に強く惹かれるものを感じていた——それはロゼッタ自身が、“生”に固着していたためだろうか。
(あれだけ「終わってしまえ」って思ってたのに、いざ自分が死んだかもって思ったら……嫌、だったんだもん。
わたしは生きたかったんだろうなって、死にたくなかったんだろうなって、今なら分かるんだよね)
ロゼッタは少しずつではあるが、自分のことが分かるようになってきた。
だからこそ、彼のことを笑うはずがないという自信もある。
(笑うわけ、ないじゃん……むしろ、尊敬するよ)
黙り込んでいると、ラザラスは静かに口を開いた。
「俺の出身地って、フェンネル州じゃないんだ。ここから離れた、ロウリエ州ってとこで……
その、母親の墓参りに行きたくてさ。しばらく、行けてなかったんだ」
母親の、墓参り。
何となくそんな気はしていたが、彼の身内はもういないらしい。
もしかすると父親や兄弟はいるのかもしれないが、まったくいる気配がしないため「どちらもいない」と判断すべきだろう。
そこには触れずに、ロゼッタは言葉を返す。
『あー……ラズさん、忙しいですもんねぇ。明後日からはステフィリオン復帰ですし、ここが狙い目ってことですね』
「そういうこと。電車で5時間の距離だし、便も少なくてさ。日帰りは厳しいから、実家に泊まって帰るつもり。ロゼも用意するものあったら、鞄に一緒に入れといて良いよ」
ありがたいな、と思いつつ、ロゼッタは気づく。
物によっては流石に、ちょっと……。
『み、見られちゃうと恥ずかしいものもあるんで、わたしは『空間収納』に色々放り込んどきます……』
「そうか、そうだよな! わ、悪いな……」
……少し、気まずくなってしまった。
いっそフルオープンで行けたら良かったのだが、羞恥心はどうすることもできない。
どうしようか、と思っていると、ラザラスが咳払いして話を変えてきた。
「適当に弁当とか買って行くつもりだから、好き嫌いとかあれば教えて欲しいかな」
『わたしの分も買ってくれるんですか? ありがとうございます』
「そりゃ、まぁ……」
『好き嫌いは特にないですよ。お任せしても良いですか?』
「分かった。なら、なんかそれっぽいの選ぶようにするよ」
厳密に言えば「好き嫌いができる環境で育っていない」が正解なのだが、ラザラスもそれは察しているのだろう。特に追及はしてこなかった。
『そうだ、買い物行くなら『幻貌』やっときますね』
「助かるよ。それと……ちょっと、甘えてもいいか?」
『? どうぞ?』
ラザラスから要望が出るのは珍しい。
一体どうしたのかと思えば、彼はかなり言いにくそうに話し始めた。
「ロウリエ州に着いたら、強めに『感影』を掛けて欲しい。いっそ、体調崩すレベルで……」
感影はラザラスの目が見えていないタイミングで使っていたもので、目が治ってからも外出時には軽く使っている。とはいえ「体調を崩すレベルで」というオーダーが入るのは初めてだ。
理由を聞きたかったが、この要望を言うだけでそこそこ勇気を出しているように見える。とてもではないが、聞けなかった。
『流石に体調崩すレベルはアレですが……ギリギリを、攻めます。耐えきれなくなったら、言ってください』
「……ありがとう」
話している間に準備は終わり、あとは軽く買い物をしてから電車に乗るだけだ。
それなのに、ラザラスは随分と沈んだ様子だった。
◯
(こ、困った、眠い……)
買い物を終え、電車に乗る。
1時間もしないうちに電車の揺れの心地よさを感じ、ロゼッタは眠気に支配され始めた。
ここで眠ってはいけないと頭を振るうと、何となくそれが分かったのだろうか。ラザラスが小声で話し掛けてきた。
「……寝てて良いよ。着いたら、合図するから」
相手は彼女じゃなくて、ストーカーだ。
普通、置いていくだろう。
流石のロゼッタもそう思ったのだが、ラザラスの感性がおかしいのは今に始まったことではないし、ロゼッタ本人もそんな気はさらさら無い。
しかし、眠いのは確かである。
そしてこの男は、ストーカー相手だろうと本当に合図を送ってくるだろう。
『ありがとうございます。おやすみなさい……』
ラザラスの変な感性を信頼しきっているロゼッタは、そのまま眠気に身を委ねる……が、3時間後には目を覚ましてしまった。
(あれ……?)
軽く床を鳴らされ、合図かと思って起きてみる。
「……ッ」
——違う。
純粋に、ラザラスの様子がおかしい。
(ラズさん……?)
どうやら震えているようで、床が鳴ったのはそのせいだろう。少し、呼吸が荒れている。
しかし周囲にそれを悟られないよう、必死に息を潜めている感じがする。
幻貌を使っているというのに、フードを目深に被って顔を隠そうとしているようだ。
不幸中の幸い、あまり乗客はいない。
彼の異変に気づく者は、いない。
(声、かけたいけど……)
ここで話しかけてしまうと、口頭での返事しかできないラザラスには相当な負担となるのが目に見えている。
出かける準備をしていた時に「笑わないで欲しい」と言っていた理由は、これだろうか。
そうだとすれば、今は寝ているフリをしておくべきだろう。
何なら、本当に眠っていた方が良いかもしれない。
ロゼッタは目を閉じ、電車の揺れに身を委ねる。
しかし、とてもではないが眠ることはできなかった。
○
しばらくして、ラザラスがトントントン、と床を3回鳴らした。
目を開けると、彼が電車を降りるために席を立っていた。ロウリエ州に着いたのだろう。
頼まれていた術を掛ければ、ラザラスは改札を通り過ぎ、そそくさと物陰に移動してしまった。
(うーん、街というか……村って奴に、近いかも。田舎だなぁ……)
眼前に広がるのは大きな建物の一切無い、のどかな場所。そのため、ロゼッタが真っ先に抱いた感想は“田舎”だった。
彼女の比較対象になっているフェンネルは大都市で、ラザラスが済むセージも大きな住宅街であるため、まるで風景が違う——ただ、それ以上に気になるのは、ラザラスの様子だった。
(明らかに、人目を避けてる感じがするんだよね……)
彼が「感影を使って欲しい」と頼んできた理由が、分かったような気がする。しかも彼は自分でも聴力強化をかなり強く掛けている様子だ。
ゆえに、物音がすれば肩を揺らしてしまうし、人の気配を感じれば隠れる場所を探している。
……徹底的に、何かから逃げようとしている。
(そっか、ここは田舎だから……いつも以上に、目立っちゃうんだ)
そもそもネット上でラザラスについて虚偽混じりで記載したのは、彼が元々住んでいたロウリエ州の人間だろう。人と会うことに怯えてしまうのも、無理はない。
『その、田舎……ですね。フェンネルとは結構違うというか……』
とりあえず当たり障りのない話題を振ってみる。
周囲に誰もいないことは、もちろん確認済みだ。
「……。これでも、中の下くらいだよ。電車でこれる場所だから」
『電車で行けない場所もあるんですね……』
時刻は夕方。
少しずつ、日が沈みかけている。
ラザラスの影が、舗装されていない黄土色の地面に伸びる。
『静かで良いですね。わたし、こういう場所の方が好きかもです』
「奇遇だね、俺も」
そんな気はした。ラザラスは静穏を好みそうなタイプだ。
むしろ、フェンネルの騒々しさが苦手なタイプだろう。
では何故フェンネル州に、と聞くまでもなく、ロゼッタはその答えを把握していた。
それは恐らく、彼がかつて追いかけていた“俳優”という夢のためだ。
(……でも、駄目になっちゃったんだよ、ね)
そして夢破れた後、ラザラスがここに戻らなかった、戻れなかったのは事件の影響だ。
その証拠に、ラザラスは人がいないというのにフードを目深に被ったままだ。
今、彼が誰かと会っても、幻貌の効果でその“誰か”は絶対に彼を彼だとは認識できない。
「……はは」
しかし、長年の癖はそう簡単に抜けないようだ。
ラザラスは、自嘲的に笑う。
「……。笑うしかないだろ。幻貌、掛けてもらってんのにさ」
それに同意する気は、一切無い。
そのためロゼッタは、咄嗟に違う話題を返してみせた。
『あ、すみません……ラズさんのご実家、どんなとこかなって考えてました』
「えっと……一軒家だけど、そんなに大きな家じゃないよ。
でも実家はギリギリ隣の町で、ここは教会と墓地の町だから……先に墓行くよ」
『お墓……』
「うん、墓」
明らかにメイン通りではない通りに逸れながら、町外れの墓地を目指す。墓地は、すぐ近くにあった。
ラザラスは数多の墓石を通り過ぎ、立ち止まる。
微かに汚れた墓石が、目の前にあった。
ラザラスは周囲を何度も、何度も確認した後、墓前に屈み、花を飾って祈りを捧げている。
その間に、ロゼッタは墓石に刻まれた名前を『識読』で読み取った。
——ユーフェミア・マクファーレン。
苗字は違うが、ラザラスの母親の名前らしい。
(色々と、気になることは多いけど……何よりこれ、汚れされてるよね)
消されているが、油性ペンの落書きがあった痕跡が残っている。カッターか何かで傷つけられた痕跡も残っている。
風化していて分かりにくいが、読もうと思えば、読めそうだ。流石に気になる。
この墓石には一体、何が書いてあったのだろうか……そしてロゼッタは、軽率に魔術を使ったことを後悔した。
【私は最低な息子を送り出しました】
【死んだところで許されると思うな】
【地獄に堕ちろ】
【あの世で被害者に詫びろ、土下座して謝れ】
【人殺し育てて恥ずかしくねぇのか】
この墓に眠る人物を愚弄するような、糾弾するような言葉が、至る所に書かれていた……刻まれて、いた。
(ひ、ひど、い……なに、これ……)
途中で、読むことができなくなってしまった。
こんなの、死者への冒涜だ。
それ以前に、ラザラスが何をしたというのか。
彼が、ここまでされるような罪を——犯したとでもいうのか。
(なん、で……っ、なんで、なんで……!!)
息が、詰まる。
胸の奥に、軋むような痛みを感じる。
その痛みに耐え切れず、ロゼッタは影から飛び出してラザラスの背に抱きついた。
「えっ!? ……ああ、見ちゃった、か」
ラザラスが努めて明るく、声を発する。
「実を言うとさ、この人は“育ての母親”って奴なんだ。だから、俺と血は一切繋がってなくて……良い人、だったよ」
本当は無関係だったのに、自分のせいで巻き込んでしまった、申し訳ない。
そんな“声”が、聞こえてくるようで、泣き叫びたいのを、懸命にこらえているようで。
「……大丈夫。もう、大丈夫だよ。ロゼ」
「ッ、何が大丈夫だって言うんですか!!」
思わず、叫んでしまった。
ロゼッタの叫びが、静かな墓地に響く。
「す、すみません……」
叫んでおきながら、自分の声で人が寄ってこないか不安になったロゼッタは慌てて立ち上がり、ラザラスから距離を取る。
対するラザラスは逃げ出したり身を隠したりするようなことはなく、ロゼッタの方に向き直ってくれた。
「君が……泣くこと、ないだろ……」
そう言われて、頬に触れる。
そこで初めて、自分が泣いていることに気がついた。
「……っ、うぅ……」
自覚してしまうと、あとはもうどうにもならなくて。
何か言いたいのに、「あなたは悪くない」と伝えたいのに、上手く言葉が出てこない。口を開けば、漏れるのは嗚咽ばかりだ。
「ロゼ……」
膝立ちの状態でラザラスはロゼッタの腕を引き、小さな身体を抱きしめた。
「ごめん……いや、ここは……『ありがとう』、かな」
聞こえてきたのは、どこまでも優しく、どこまでも寂しそうなラザラスの声。
そんな声を掛けられたものだから、ロゼッタの両の目からはさらに涙が溢れてしまう。
大泣きするロゼッタの顔を見て苦笑し、ラザラスは彼女の背に左手を回し、子どもをあやすようにトントンと軽く叩いた。右手は後頭部を優しく撫でている。
「……。優しいな、君は」
本来ならば彼は、こんな目立つ場所で長居したくはなかっただろうに。
それでもラザラスは急かすことなく、ロゼッタが泣き止むまで静かに待ってくれていた。




