31.ALIAの幻影-1
『はー……良かった。無事に終わったわね……』
社員食堂にて、アンジェリアは紅茶を飲んでほっと一息つく。
7年のキャリアで何とか乗り切ったものの、今日の収録は色々と危うかった。
……目の前でカフェオレの入ったカップを握りしめて落ち込み倒している男、ラザラスのせいで。
「ごめん……」
『仕方ないわよ。でも……やっぱり、コメントが見えないのは辛いわね。
えーと……ロゼッタ、何とかできない……?』
アンジェリアに話しかけられ、ロゼッタは影の中でゆるゆると首を横に振るう。
『無理なんです、わたしが音読できれば良かったんですけど、わたし、そもそも文字が読めなくて……。
だから『識読』使わないと、何も分からないんです。魔術使ってからの音読じゃ、どうしても間に合わなくて……ごめんなさい……』
『……今のは、私が悪かったわ。謝らないで。私こそ、ごめんなさい』
今日の放送もリアルタイムで視聴者コメントが流れるタイプのものだった。
しかし現状、ラザラス自身が画面上の文字を追うことは不可能で——結果、彼は失言を恐れてしまい、今日はほとんど言葉を発することができなかったのだ。
そして彼がろくに喋らなかったため、アンジェリアはひとりで色々と語り続ける羽目になってしまった。
だが彼女、本来は喋ることをあまり得意としていない。
今日は乗り切れても、これが続けばどこかでボロが出てしまう。この場にいる全員が、そう判断していた。
『……すみません』
アンジェリアには謝らないでと言われたが、ロゼッタとしては力になれなかった、何もできなかったという申し訳なさが、あまりにも強かった。
(わたしが、文字を読めれば……)
ロゼッタが落ち込んでいることに、気づいたのだろう。
ラザラスは軽く微笑んでから、口を開く。
「そういやロゼッタは文字が読めないんだっけ……それならいつか、俺が教えるよ。君が良ければね」
『ラズさん……』
ラザラスが、文字を教えてくれる。
この場を誤魔化すための嘘かもしれないが、その言葉だけで本当に嬉しかった。
ロゼッタが内心喜んでいると、ラザラスは「そもそもさ」と苦笑しながら話を続けた。
「俺がボコ……じゃなくて、雑巾掛け中に床転げ回ったのが全ての原因だし、君は気にしないで欲しいかな」
『ラズさん!?!?』
また“怪我をした理由の設定”が違う!!
しかも今回は理由があまりにも酷すぎる!!
(ど、どうしよう、この人……)
衝撃のあまり、嬉しさが全部跳ね飛んでしまった。
そして案の定、アンジェリアは呆れ返ってしまっている。彼女も設定がおかしいことに気づいたのだ。
彼女はラザラスとロゼッタ、2人を対象に『精神感応』を飛ばしてきた。
『アンタ、2週間前には『自転車で壁にぶち当たった』って言ってたわよ。
せめてもうちょっと上手に嘘吐いて。設定はちゃんと考えてきて』
「うぅ……」
真聴暴走問題がある以上、ラザラスが怪我をした本当の原因を彼女は知っているに違いない。しかし、彼女はわざと、そこに触れないでいる——諸々の真相を知っているのに、一切触れない。強い人だな、とロゼッタは思った。
とりあえず彼女の胃を溶かさないためにも、これ以上謎のシリーズが増える前に、設定をちゃんと固めてしまうべきだろう。
『そうですね……ラズさんの怪我設定シリーズだと『階段から落ちた』が一番妥当かなって思いますよ。
社長さんに対しては、そう説明してましたし。別のところで別の理由も出てはいましたけど』
『なんでシリーズ化してんのよ……でも、そうね。少なくとも雑巾掛け顔ダイブよりはそっちね』
「うぐ……っ」
いくらなんでも、雑巾掛け顔ダイブは酷すぎる。
それを実質2人がかりで指摘され、ラザラスはガックリと肩を落とす。
『なんか聞かれたら、もうそれで通すのよ。設定変えないで』
「頑張る……はぁ、とりあえず、直近は明日の放送か……それまでに回復……は、しないだろな。いくらなんでも近すぎる……」
もう一度、番組調整とやらが入ってはくれないだろうか。
そう願うほどに、収録が連続している。
ラザラスは逡巡し、口を開いた。
「いっそ……階段から落ちて目が見えてないって、言ってしまおうか? それなら視聴者コメントからズレた話してても、納得してもらえるんじゃないかな」
『それ、放送直後にパパラッチ襲撃からのアンタの身バレが避けられない気がするんだけど。身バレしたら困るでしょ?』
「身バレに関しては最初から覚悟決めてるよ。そんなことより、よりによって俺が足引っ張る方が嫌なんだよ。
身バレしたとしても、俺はジュリー帰ってきたら引退するつもりだし……何なら君らに迷惑掛ける前に、国外逃亡でもなんでもするさ」
『アンタねぇ……』
「……時間稼ぎの手段に俺が使えるなら、それで十分だ」
ラザラスの価値観は、あくまでもALIAを守ることに偏っている。
自分自身はどうでも良いと言わんばかりの振る舞いに、アンジェリアは深く息を吐いた。ロゼッタは、思わず目を細める。
(正直、『痛々しい』のレベルなんだよね、本当に……)
地雷原でしかない放送局に出入りし、その裏では屍の山を生み出している。
彼の気が休まるような時間は、一切、存在していない気がする。
だからこそ、ロゼッタの中では次第に「この人を放っておけない」という気持ちが膨れ上がっていた。




