15.境界線-1
「ラズ!」
エスメライが駆け寄ってくるなり、ラザラスの診察を開始する。少しすると、クロウが何やら大きなバッグを手に現れた。
先程までは掛けていなかった眼鏡も少し気になったが、それ以上にクロウがエスメライに手渡したバッグに書かれた文字が気になった。すかさず『識読』で解読すると、『ルミナ医療財団』と書かれている。
「……っ、すみません……」
「良いんだよ、気にすんな。むしろ、早めに気づけなくて悪かった……」
「ロゼッタとクロウさんの話を聞いてた感じだとこれ、水竜種の『蝕毒』ですからね……こればかりは仕方ないかと」
ラザラスが、起きている。
意識を、飛ばしていない。
そのことにロゼッタは動揺を隠せなかった。
(多少は寝れてたから、体力が戻ってたのかも……でも……)
ロゼッタは、エスメライが広げていく医療器具をちらりと一瞥する。
正直なところ、転移の負担で再びラザラスが気絶してくれることを期待していた。既に薬品の匂いが充満し始めた部屋の中で、ロゼッタは目を細める。
そして、恐らくはエスメライも同じことを考えていたのだろう。注射器を準備しながら、彼女はおもむろに口を開いた。
「毒系ならルミナの専売特許ってことで、あの財団が出してる中でも強めの解毒薬を使う。これなら蝕毒相手でも注射数発で終わるはずだ。
腕に駆血したり、アルコール消毒したり、まあ、色々やるけど、怖くないから……別に暴れはしないとは思うが、じっとしててくれよ」
こくり、と頷くラザラスだが、毒が回っているとはいえ、顔色が悪い。
しかも彼は今、両目が見えない状態だ。
エスメライの説明で「何をされるか」は分かっているだろうが、それでも恐怖心を払拭できる筈がない。
溢れそうになる感情を、彼は手元のシーツを強く握りしめることで誤魔化しているように感じられた。
少し、呼吸が乱れているようにも見える。
(……辛い、だろうな)
ラザラスのこれは明らかに病的な、恐怖症の類だとは思う。
つまり本人の意思でどうにかできるものではなく、仕方のないことだ。
しかし、本人はある種のコンプレックスのように感じている節がある。情けない、とでも考えているのかもしれない。仕方のないこと、なのに。
(だとすれば……あまり、見られたくはないよね)
せめて自分くらいは席を外すべきだろうか。
だが、上手い言い訳が浮かばない。
なんと言って外に出ようか。
下手なことを言えば、ラザラスを余計に傷つけてしまうかもしれない。
(……ん?)
視線を感じる——顔を上げると、クロウが眼鏡のガラス越しにこちらを見ていた。
一体どうしたのかと口を開こうとしたが、話し始めたのは彼が先だった。
「ロゼッタ、着いてこい。暖かい飲み物くらい出してやる」
「! 分かった、ありがとう」
エスメライに軽く頭を下げ、先に部屋を出たクロウの後を追ってロゼッタは部屋を出る。
廊下の少し先を歩くクロウに近寄れば、彼は決まりが悪そうに口を開いた。
「さっきは悪かったな、怒鳴っちまって。ラザラスがあんな状態じゃ、訳分かんねぇこと言い出すのも無理はねぇよ」
まさか、彼の方から謝ってくるとは思わなかった。
だが、先程の件に関しては、自分にも明らかに非がある。
「いや、わたしも悪かったって思ってるんだよ? 変な時間なのは分かってたし……」
「お前の判断は正しいよ、電話する相手以外はな。普通は初手でエスメライさんだろ。なんでオレをクッションにした」
「それは……つ、つい……ごめん……」
「別に怒っちゃいねぇけど……お前、オレに対してだけ妙に馴れ馴れしいよな……」
ほぼほぼ初対面で罵ってきたクロウが悪い、と言い返したかったが、何故か、彼に対して苛立ちを覚えた理由はそれだけではないような気がしていた。
だが、“分からない”がゆえに放置することにする。
「……。敬語、使ってないのクロウに対してだけかも」
「オレの扱いだけアレなことだけは分かったよ、そんな細かいこと気にする気はねぇけどよ」
別に言葉遣いを正してもいいが、今更すぎる気がする。
ならこのままで良いか、と思いながら、ロゼッタはクロウに着いていく。
(あ……)
彼は有翼人族だ。背を向けられると、どうしても翼に目が行く。
後ろから見ると、彼の左翼の状態がよく分かる。あるには、ある。根本だけだが。
(左翼は根本部分がちょっと残ってるんだな。途中から、ばっさり切り落とされた感じ……)
生まれつき小さいとか、その類ではない。人為的な行為で、欠けている。切られている。
切り落とされてからかなり時間が経っているようで、断面は完全に塞がっていた。
(う……他にも気になることがあり過ぎるんだよな……)
ラザラス以上に気になる見た目をしているが、彼の場合はあまりにも痛々しすぎて聞くに聞けない。
そんなことを考えていると、1階の喫茶店エリアに辿り着いた。
「適当に座ってろ。さて……」
雑に指示だけして、クロウはキッチンへと向かう。
棚を開けたり、冷蔵庫の中を見たり。
何があるか、確認しているらしい。
「カフェイン入ってるもんはやめとくとして……ココアかホットレモンの二択だな。どっちが良い?」
「えっと……」
困ったことに、どちらも分からない。
……つまり、何と答えたら良いか、分からない。
ロゼッタが逡巡している様子を見て、クロウは眉間にシワを寄せている。
「自分が子ども舌かどうか……なんて、分からんわな」
「……ごめん」
「気にすんな、こっちで適当に作るぞ。お前より年下の奴ら基準で悪いが、“アイツら”の大多数はこっちのが好きだったから……まあ、ココア作っときゃ間違いねぇだろ」
そう言って、クロウは何かを操作し始める。
片腕で器用にあれこれやっているなと思ったが、どちらかというと、残りのメンバー達が片腕“でも”作業がしやすいように調整しているのだろう。
本人が器用なのも間違いではないだろうが、それが分かっていようとあの人たちなら間違いなくやる。
そう、ロゼッタは結論を出す。
「……」
ロゼッタは椅子に座ったまま、黙って彼の様子を眺めていた。
分かってはいたが、彼は寝起きだ。パジャマ姿ゆえに、色々と露出している。
(あ……タトゥー、左の首にあるね。確かに、分かりやすいかも)
ハイネックの服を着てギリギリ隠せるか隠せないか、くらいの位置にステフィリオンのタトゥーが入っている。そのまま流れで、彼が首に掛けているものに視線が行った。
(紐に指輪が通してある、2個……どう見ても男用と女用って感じ……あ、ああ~、そういうことかぁ……)
少なくとも、片方は確実に“遺品”だ。
触れてはならない、とロゼッタは視線を逸らす。
それはそれで、今度は彼の左腕に目が行ってしまった。
(目のやり場に困るなぁ、もう!)
先程とは服装が違うせいで、腕の欠損が分かりやすい。
袖の膨らみ方を見るに、肘の少しくらい上まではあるようだ。
しかし、そこから下が存在しない。
中身のない袖が、彼の動きに合わせてひらひらと靡いている。
頑張って失礼では無さそうな位置に視線を向けようとしていると、ちょうどココアを作り終わったのか、クロウとしっかり目線が合ってしまった。
「うわっ!?」
「『うわっ』てなんだ。人を化け物か何かだと思ってんのか?」
「そんなことは、無いけど……」
そういえばこの人、故郷では“骸”って呼ばれていたんだっけ、とロゼッタは考える。
薄暗い中で浮かび上がる純白は、確かにそう見えなくはない、が——間違っても『そう』だとは思いたくなかった。考えたく、なかった。




