11.希うもの-2
(ど、どうなんだろ……見てない場所っていうか、見ていい場所って、あったかな……って、なんか変態さんみたい……他に考え方ってないのかなぁ、うぅ……)
ロゼッタは勝手に変なことを考え、勝手に恥ずかしくなっていた。
(あー、もう! よく分かんないこと考えるくらいなら、聞いちゃえば良いか!)
意を決し、ロゼッタはレヴィに視線を向ける。
彼女は身体を洗い終えたらしく、苦笑しながら浴槽に近づいてきた。
「ロゼッタさん。絶対に変なこと考えてましたよね?」
「き、き、気のせい! 気のせいです!!」
「まあ、あの流れだと気になりますよねぇ……」
レヴィは一方的に『ロゼッタはラザラスのタトゥーの位置を考えていた』と決め打ちしてきたようだが、残念ながら何も間違っていない。
彼女はロゼッタから少し距離を取った状態で浴槽に入る。ざぶり、という音が響き、湯が溢れ出した。
「……ラズさんはどこにも入れてないんですよ」
「あっ、そうなんですね!?」
そもそも“答えがない”が正解だったようだ。
見たことがなくて当然だ、とロゼッタはゆるゆると頭を振るう。そんな彼女を見て、レヴィはくすくすと笑った。
「全力で阻止したんですよ。ラズさんには、入れさせちゃダメかなって」
「えっと……」
「何となくの雰囲気で話しますけど、エスラさんから聞きましたか?
ラズさんがボクらと一緒に戦い始めたのって、2年前の話なんです。
それまで、ちょっとだけ怪しくはありますが……ラズさんは普通に一般人やってたんですよ」
「そう、ですね……ちょっとだけ怪しく、の部分は気になりますが、2年前からだって話は聞きました」
ちょっとだけ怪しい、の部分は気になる……が、それが示すものに心当たりはある。
まず“病院を想起させるものがすべてダメ”というとんでもないトラウマを抱えた状態で、普通に暮らせるとは思えないからだ。
そして『ラザラスは人が怖いのではないか』というロゼッタの読みはきっと、間違っていない。
(何がどうなったらそうなるのか、は気になるけどね……)
考え込むロゼッタの姿を見て、レヴィは浴槽の中で身体を伸ばしながら口を開く。
「んー……ちょっと、話しときましょうかね。ラズさんもステフィリオン関係者なら、必要に応じて色々話してもらっても構わないってスタンスですし」
「……?」
「タトゥーを入れさせなかった理由、なんですけど……僕ら全員、ラズさんが追ってた夢のことを知ってたんです。その夢を追うなら、タトゥーって絶対に邪魔になっちゃうんで」
「将来の夢って奴、ですか?」
将来の夢。
単語としてはよく聞くが、ロゼッタ自身にとっては無縁なものだ。
だが、一般人であったラザラスに“それ”があるのは当たり前なのかもしれない。
問えば、ぱちゃり、とレヴィの翼が水面に顔を出す。
浴槽の縁にもたれ掛かりながら、彼女はどこか寂しそうに話し始めた。
「あの人、元は俳優志望なんです。まあ、本人の中では、完全に“過去形”になっちゃってるんですけどね」
「は、俳優!?」
それは、架空の物語の登場人物を演じる仕事——キラキラとした、芸能界の花形。
ロゼッタの中では、“俳優”とはそんなイメージだ。
改めて、ラザラスの姿を思い浮かべる。
顔もそうだが、長身で引き締まった体躯の持ち主だ。彼は“花形”に相応しい見た目をしているように思う。
とんでもない職業が出てはきたが、何も不思議ではない、むしろ当たり前だとすら思えてしまう。
「ふふ、すごくイメージできますよね。何せ、あの見た目ですからねぇ」
プカプカと湯に浮きながら、レヴィは深く息を吐き出す。
当たり前だが、疲れているのだろう。
「しかも見た目だけじゃなくて、演技の才能もあったみたいですよ?
それこそ、俳優育成ドキュメンタリー番組の出演者として抜擢されたり、大手事務所が揃いも揃って名刺渡してきたりするくらいには」
「えぇっ!? それ、凄いことなんじゃ……!」
「らしいですね。ボクがちゃんと理解できてるかどうかは怪しいんですけど……もう、ほんの一握り。100年に1度出てくるかどうかレベルの逸材だったっぽいです」
言葉が、少し途切れた。
湯気の向こうで、レヴィは微かに目を伏せている。
「だから、とんでもなく嫉妬されて……襲われちゃったんですよ。
夜の公園に呼び出されて、いきなりナイフで斬りつけられたあげく、タコ殴りにされたそうです」
「え……」
酷い話ですよね、とレヴィは静かに呟いた。
「今日、あの黄金眼の竜人さんがラズさんの上に跨ってるのを見た時は、正直かなり焦りましたね。それはダメだろう、耐えられないだろうって、察していたので」
レヴィの予想通り、案の定ラザラスは動けなくなってしまったのだ。
ラザラスが病院を想起するものは一律でダメだという話も、この出来事に関連しているのだろう。
もしかすると、暴行を受け、病院送りになり……そこで、何かあったのかもしれない。
「……。正直に言うとあの時、ロゼッタさんが出てきてくれなかったら。ボクは、竜人さんを射殺する気でした」
「それは……」
当然だ、と言い掛けて、ロゼッタは口を閉ざす。
(この人達の前で、“命の選択”の話は、したくない)
復讐のついでなのかもしれないが、それでも彼女達、ステフィリオンの活動は、紛れもなく命を救う活動だ。
そんな人達の前で——酷い話題は、出したくない。
「ふふ、ボクは本当に、あなたに感謝してるんです。
射殺とか、そういうのは……かなり昔からやってるんで慣れてはいますが、一応、好き好んでやっているわけではないので」
「レヴィさん……」
「せめて、奪わなくて良い命は奪いたくはないですし、救える命は、救いたいんです」
あの黄金眼の男は、話せば分かってくれた。最後は泣きながら謝ってもいた。
明らかに彼は、“奪わなくて良い”命だった。
彼の姿を思い出しているのか、レヴィはもう一度深く、息を吐き出す。
「ボクはせめて、理不尽に命が奪われないように、傷つけられないように、守りたいなーって思って、戦っています」
そして彼女はロゼッタの方に向き直り、どこか悲し気に笑った。
「まあ、やってることは人殺しですし、褒められたことじゃないんですけどね?」
——人を殺してはならない、と誰かが言う。
——復讐は何も生まない、と誰かが言う。
その人達はきっと「殺されていく人」や「理不尽に何かを奪われた誰か」のことを考えていない。
そういう存在がいることを、知らないとは言わせない。
なのに、知らないフリをして、上から目線でそんな偉そうなことを言っている……それはあまりにも、無責任ではないだろうか?
(わたしだって……)
ロゼッタは、過去を思い返す。だが、何故か靄がかかったように、思い出しきれない。
切り捨てられる同胞や、不必要だと繁殖場の隅に転がされた自身のことはおぼろげに思い出せるのに……ただ、それだけだった。感情が、乗らない。
「……」
考えても分からないものに縋りついても仕方がないと判断し、ロゼッタは口を開く。
「話聞いてる感じだと……レヴィさんは、復讐が目的じゃないんですね」
「あれ? そういう話も聞いてたんですね? エスラさんでしょうか?」
「……ですね」
ふふ、とレヴィが笑った。
「そう、ボクは違います。ステフィリオンの人達に助けてもらったので、その恩返しです。
あとはそれこそ、理不尽に傷つけられた人達の存在を知ってしまうと、動かずにはいられなかったんです」
復讐を、希うほどの絶望。
彼女の傍にいる存在は、絶望を経て、ここに集っている。
だからこそ、彼女は戦うことを選んだのだろう。
「ただ、力になりたかった。それだけです。
ちょうどボクは戦えましたし、他にすることも無いですしね……でも、強いて言えば、」
そこで、レヴィは言葉を止める。
続きを待っていると、彼女は手から勢いよくお湯を飛ばしてきた。
「わっ!?」
飛ばされたのは、間違いなくお湯だった。
それなのに、その中に何故かひんやりとした感覚があった。行為そのものもそうだが、その違和感に心の底から驚いてしまった。
ドクドクと、心臓が跳ねている。本当にびっくりした。
「いきなり何するんですか!?」
「手遊び水鉄砲って奴です。こうやるんですよ」
そう言ってレヴィはやり方を教えてくれたが、上手くできない……というか、レヴィ“が”上手すぎる!
「レヴィさん……こんなのも得意なんですね……」
「まあ、銃撃戦に関しては鍛えてもいますが、魔術も使ってますし?」
「えぇ!?」
全く気がつかなかった。もしかして、今も使っていたのだろうか?
「無属性魔術の『魔装弾』っていいます。弾道に軽く補正を入れてくれる術なんです」
そう言って、レヴィはロゼッタがいない方向に向けて、再びお湯を飛ばす。
確かに、真っ直ぐ綺麗に飛んでいるように見えた……とはいえ、彼女の技量に左右されている部分も大きそうだ。あくまでも“補正”を入れる魔術なのだから、当然である。
「へぇ……! 便利ですね……!」
「それがそうでもないんですよ。魔力持ちが弾を撃つと、何故か絶対に術が乗っちゃうんです。
詠唱するしないの問題じゃないし、こういう“遊び”ですら術が乗っちゃうんです……だから、痕跡を消す方法も一緒に学ぶ必要があるんです」
先程の『お湯なのにひんやりとした感覚』がまさにそれなのだろうか。
そうだとすれば、少々危うい気がする。
「ほら、弾に残った魔力で狙撃手判明! とか笑えないですし?」
「ですよねぇ……」
魔力持ちが弾を撃つと、勝手に術が乗ってしまう——一体、どんな理論でそうなるのかは不明だ。
魔術を研究している人々の間でも解き明かされていない、“謎”の一つでもあるらしい。
(銃ってすごく集中しないと当たらないだろうから、その時に、無意識に魔術を発動しちゃうのかなぁ?)
解き明かされていない時点で、何をどうやっても“無理”なのだろう。
思っていた以上に、魔術というものは奥が深いんだな、とロゼッタは思った。




