8.異変の気配
「またなの? 困ったわねぇ……」
拠点2階の会議室。
帰ってきたラザラスとレヴィの報告を聞き、ヴェルは「本当に困ったわ」と手で口元を覆い隠す。
様々な書類や写真、電子機器。
1つでもうっかり触れば大変なことになりそうな部屋の中を影から眺めつつ、ロゼッタはラザラス達の言葉に耳を傾ける。
「今回はレヴィの魔術に助けられました。なので、単独じゃ対処しきれなかったと思います」
ラザラスから報告資料を預かりつつ、大きなモニターの前に立っていたルーシオは深くため息を吐き出す。
「マジでこの問題には困ってんだよな……これのせいでクロウの帰還が滅茶苦茶遅れてるし……」
「俺がまともに魔術使えないばかりに、申し訳ない……って、クロウさん何かあったんですか?」
どうやら魔術が無くては対処しきれないような、そんな大問題が現場で発生しているらしい。
着いて行かずに勉強に励んだ判断自体は間違っていなかったと思いつつ、ロゼッタは苛立ちを隠せない様子のルーシオへと視線を向けた。
「クロウが救出した直後は大丈夫だったみたいなんだが……回収班と拠点まで移動している最中に、保護した商品達がパニック状態になったみたいでな。
よりにもよってかなり目立つ場所で大暴れしたんだよ」
「え、クロウさんの行き先ってティスルでしたよね? それ、国の軍人が来たらヤバいんじゃ……」
「ティスルの郊外だ。そもそも知っての通り、ブライア州ってだけでセーフだよ。大丈夫、今回もどうせ奴らは『管轄外の出来事なので~』で全部済ませるさ」
「あー……」
どうやらブライア州に位置するティスル、という街で大騒動があったらしい。
やはりこの奴隷解放団体、大なり小なり非合法なことをしている部分があるようで、国に所属している軍人が絡んでくると厄介なことになるようだ。
心底嫌そうにルーシオは吐き捨て、言葉を続ける。
「でなぁ、商品達に襲われた回収班が相当数負傷するわ、パニックになって自傷に走る奴が出てきて、それを止めるのでまた人手が割かれるわ、そうこうしてるうちに、騒ぎを聞きつけたドラグゼンの人間が再捕獲のために乗り込んでくるわで……詳しくはヴェルさんがまとめてくれてんだけどさ」
そう言ってルーシオは一歩引き、ヴェルに説明を引き継いだ。
ヴェルはクロウから届いたと思しき資料をモニターに映し出し、おもむろに話し始める。
「今回はルーシオちゃんに変わって、アタシがクロウちゃんの案件まとめてるの。
作戦には直接関係ないから、電子データで表示するわ。というわけで、ちょっと見てもらえる?」
何やら難しそうな文字列が並んでいたため、ロゼッタは『識読』を使用し、モニターに映し出された資料を読んでいく。
よく分からないが、現場報告および支援部隊の負傷者リストや救出した人物の数、そこに加えて再捕獲に乗り込んできたドラグゼンとやらの人数を書いているようだ。
「新規の連絡はまだ来てないんだけど、クロウちゃんだから、上手いことやってくれてると思う。
たぶん、絶賛後処理中ね……とりあえず、無事なら良いんだけど」
ラザラスやレヴィが困惑の声を漏らしている様子を見るに、現場はかなり悲惨なことになっているのだろう。これはむしろ「よく後処理の段階まで行けたな」と、思う。
ロゼッタが未だによく知らないままの白い人に心底同情していると、ヴェルはさらに話を続けた。
「問題はねぇ、回収班の子たち。襲われた子も全員軽傷では済んだみたいなんだけど、怖がって派手に泣き出しちゃったらしいのよ。
当然よね、あの子たちはみんな“戦わなくて良い”って条件付きで残ってくれてるんだもの。だから、この子達は解放してあげなきゃダメかも。
クロウちゃんの報告聞いた感じだと……ちょっと、どうにもならなさそう」
そう言って、ヴェルは先程のものとは違う資料を提示する。元が何人いるのかは知らないが、並んでいる名前は30人弱、といったところだろうか。
全員の反応を見るに、かなりの痛手らしい。エスメライは「またかぁ」と呟き、天を仰いだ。
「そんなだから、結果的にクロウとレヴィとラズの負担がヤバいんだけどさ……ホント、申し訳ないよ……」
資料を消しつつ、ヴェルはゆるゆると首を横に振るった。
「本来、3人で現場回すなんて、正気じゃないのよね。この状況でよく回ってると思うわ、今更だけどね」
その言葉に、ルーシオもエスメライも何も返さなかった。否、返せなかったのだ。
重い沈黙だけが落ちる——つまり、本当にそういうことなのだ。
クロウ、レヴィ、ラザラス。
この組織で戦える人間は、この3人に限られている。
(相手の規模は分かんないけど、流石に少なすぎる……よね……)
ロゼッタは、よく分からないなりに情報を整理してみる。
彼らの敵である相手は、奴隷を売り捌いている存在。資金も潤沢で、かなりの力を持った“団体”であることが想定される……だが、
(戦いに耐えられる人間なんて、限られてる。回収班って人たちみたいに、ラズさんたちを応援してる人は少なからずいるんだろうけど、戦場に立ってくれるかというと、話が変わる……そりゃ、そうだよね……)
まだ断定ではないが、復讐を目的と思しきラザラスのように、何らかの理由があって動いているならまだ分かる。
しかし、奴隷という見ず知らずの“他人”を助けたいという善意だけで、己の命を投げ出せる人間。
そんな存在が、簡単に見つかるはずがない——悲しいが、これが現実だ。
すかさず、当事者であるレヴィとラザラスが沈黙を破った。
「ボクはまだ大丈夫ですから! まだ行けます、回してください!」
「そうですね、俺も大丈夫ですよ。今日が例外だっただけで、今までは大丈夫でしたし」
これはこれで、残りの3人は少々不満げだ。心配なのだろう。
エスメライは沈んだ瞳をラザラスへと向け、話し始める。
「まー……確かにあたし、ラズから問題報告聞いたの、直近のだと今回が初めてだもんねぇ。
単独任務の時は怪我すらしてなかったみたいだし。だいぶ心配ではあったんだけどね……」
「はは、こればかりは采配のおかげですよ」
ラザラスはひらひらと両手を振り、無事をアピールしながら口を開いた。
「俺は軽めの案件で、しかも竜人族が被害者のパターンだけ回してもらってましたからね。
……活動始めてからは、自分の瞳の色に助けられてます。相手を宥められるんで」
「まあ、確かに軽めのばっか選んじゃいたけどさぁ……もうそろそろ、“相手が竜人族だから大丈夫”が通用しないような気がするんだよな、案件も重めになってきたし……。
今回のクロウの案件だって被害者は有翼人族だったし。数がアホみたいに多かったとはいえ、同族案件でもカオスになってるわけで……一応、回収班も有翼人で組んでたのに……」
確かに、ラザラスの竜人族を想起させる瞳の色には強く惹かれた。
レヴィも竜人族を助けに行く時はわざとラザラスの術を弱くすると言っていたし、同族が彼の目を見れば、大体同じような感覚になるのだろう。
ひたすら話を聞いていたロゼッタは、ここで一つの結論を出した。
(これもしかして、商品たちが助けにきた戦闘員さんに襲いかかってるの!?)
ラザラスは相手が竜人族であればどうにかなるという意図で発言しているようだし、大惨事と化したクロウの件を考えれば、それで間違いないだろう。
困惑するロゼッタには気づかないまま、ラザラスはレヴィへと視線を移す。
「なあ、レヴィの方は大丈夫だったのか? 君は移動の都合でナイトシェードばっか行ってたみたいだけど」
「あー……州自体の治安が悪すぎるせいで、ぶっちゃけそういう意味でも大丈夫ではなかったです。でも知っての通り、ボクはヤバかったら『拘束』で沈めれますし、途中からはボクの魔力の質でびっくりさせるのも覚悟の上で、『念動』で鍵を開けるようにしてました……近づくと、余計に刺激しちゃいますからね」
話を聞きながら、ロゼッタは頭を回転させる。
(拘束と念動——地属性の魔術。制御が難しいって書いてあったな)
レヴィが言っていた『拘束』と『念動』は地属性の中級魔術だ。
拘束は文字通り対象を魔力で拘束する効果、念動は遠く離れたものを自分の意のままに操る効果を持つ。魔術が使えるとやっぱり便利だな、とロゼッタは思った。
「……実は、なんだが」
ルーシオはレヴィの報告を受け、躊躇いがちに口を開いた。
「俺はクロウからも、レヴィと全く同じ術使ったって報告受けてる。
ついでに『この先はラザラスをひとりで任務に行かせないでください、最悪死にます』って警告もきた……だから、今日は2人編成だったんだ。タイミングが良かったのもあるが」
「配慮、ありがとうございます……」
そう呟いたラザラスはルーシオから視線を逸らし、横にいたレヴィを見た。
視線で謝罪しているのだろう。どうやら、相当に危うかったようだ。
とりあえず今日、彼らがルーシオ達に具体的に“何を”報告したのかがよく分かった。
間違いなく「助けた商品たちに襲われた」が答えだろう。
(でも、分からなくはないかもしれない。わたしだって、ラズさんたちが助けにきてくれたって理解したの、そんなには早くなかったから……)
誤解が解ける前に、目の前の鍵が開いたら。抵抗するだけの力が、残っていたら——それでも「自分なら大丈夫、やらない」だなんて、自信を持っては言えない。
「んー……そうねぇ」
ヴェルは机の上に並べてあった報告書を手に取り、パラパラと捲りながら口を開く。
「商品さんたちが痛めつけられてるのは過去にも何度かあったけど、ここまで酷いことになるのは前例が無いのよねぇ。一体、どうしちゃったのかしら」
(痛めつけられる、痛め、つけ……なんか、あったような……)
ロゼッタが何とか思い出そうと思考を巡らせている最中、エスメライは何もない虚空を見つめ始めた。
(あれ? どうしたんだろう?)
「ロゼッタ! どっかにはいるような気がするから伝えとく。あたしの話聞けよー!」
(!?!?)
レヴィに続き、エスメライまでもが存在何かに向かって話し始めてしまった。
慌ててロゼッタは自分がきちんと姿を隠せているかどうかを確認し、そのままエスメライの話に耳を傾ける。
「次なんだけど、対象は竜人族だ。まあ、今回は水竜種を売買してるクソ馬鹿どもをしばきに行くんだけどさ」
(もう当たり前のように話しかけてくるんだけど!)
「今回行かなかったことは褒めてやる。だけど、次回は特攻する気満々な気しかしない。だから警告だ!」
(確かに行く気満々でしたけど!)
エスメライは相変わらず、ちょっと怒っているような気がする。しかし、それと同時に『本気で自分を心配してくれている』ことは理解できる。
「だから……」
エスメライは少し言葉に詰まっていた。どう言うか、悩んでいるのだろう。
「……頼むから、さ」
彼女は躊躇しつつも、近くにいると信じてロゼッタに声を掛けた。
「絶対に無理して着いて行こうとすんなよ。興味本位で行っていい場所じゃないんだからな!
あんたが自分からわざわざ傷つきに行く必要は、どこにも無いんだ!」
……正直、今回ばかりは。
罪悪感で、心が揺れ動いた。
エスメライの不器用な優しさが、辛い。
例えどこかに飛ばされようが、今すぐに影から飛び出て、謝った方が良いのではないかと思ってしまうほどに。
(……それでも、わたしは)
——彼女らが戦う目的は、未だに分からないままだ。
ラザラスと同じように、全員が復讐を誓っているのかもしれない。
こんな、圧倒的に不利で、誰もが逃げ出したくなるような状況で戦い続ける彼女達のことを、もっと知りたいと……純粋に「力になりたい」と願った。
(わたしは、魔術でなら……力に、なれるかもしれないから)
作戦は、3日後。
皆が去っていく背を影越しに見つめながら、ロゼッタは静かに息を吐いた。




