58.消えた神童
自室に戻る。
ルーシオは懐に入れていたタリスマンの存在を再度確認し、スマートフォンを取り出した。
アドレス帳からひとりの男の名前を選び、コールボタンを押す。
プルルル、プルルル、と数回の呼び出し音が響き、相手の声が返ってきた。
『やあ、オスカーだよぉ』
「……る、ルーシオです」
電話相手——オスカーからとんでもなく緩い声が返ってきてしまい、ルーシオは困惑する。
そんなことは知らんと言わんばかりに、オスカーは話し出した。
『あのさぁ、俺はホテルでのんびり寛いでるとこなんだけど、そっちは今頃ど深夜じゃない? 大丈夫?』
「はは、流石に眠くはありますが、俺にとってはよくあることっすよ」
そんなことより、とルーシオは話を切り出す。
「お礼を言うのが遅れて申し訳ありません。諸々、届きました。ありがとうございます」
要件を伝えれば、オスカーは電話の向こうにいても分かるくらいに、ヘラヘラと笑っていた。
『あ、無事届いた? 良かった~。お礼のことは気にしなくていいよ、フェリシアくんの様子を見てから連絡してって書いてたしねぇ……ってことは、大丈夫そ?』
「そうっすね。今日の昼頃には全力で木刀振り回してましたよ」
『あっははは! それなら良かった、送った甲斐があったよ……あ、一応伝えとくねぇ』
そう言って、オスカーは少しだけ声のトーンを下げた。
『あれ、しばらくは痛かったり違和感あったりするかもなんだけど、極力外させないで。
解体しないと見えないとこに入れてもらったんだけど、『真聴』対策のタリスマン仕込んでるから』
「え、真聴!? アンジェリアが四六時中暴走させてる奴ですよね?」
『そ。相手の声から真意を見抜く奴ね』
「あなた、あれ……使え、るんですか……」
『微妙なレベルだけどねぇ。魔力量で上を取れるのは必須条件だけど、それでも半径1mくらいにいる子にしか使えないし、数分しか持たない。
だから……誘導して、相手がボロ出しそうになった瞬間にだけ使うようにしてる』
ふふ、とオスカーは軽く笑う。
軽く笑う、が……その裏にある感情は、決して軽いものではない。
『だから、ラザラスくんがドラグゼンと戦ってるのは君らに会う前から気づいてた。
さらに言えば、君らに会ったタイミングでフェリシアくんの深層心理って言えば良いかな? その情報も抜けちゃったんだよねぇ』
「……」
オスカーはラザラス用に真聴対策のタリスマンをしれっと送ってくれていた。
それで、ルーシオは自分が言おうが言わまいがオスカーはラザラスがステフィリオンに関わっていることに気づいていたことを理解し、強く反省した。
暴走状態のアンジェリアはどうしようもないとしても——早めに対策を取っておけば、少なくともオスカーには情報を抜かれずに済んだのに、と。
そして幸いにも今までは何もなかったが、今後ラザラスを危険に晒す可能性を放置していたことに気づき、恐れも抱いた。
(でもって……クロウ、なぁ……)
オスカーに一方的に叩きのめされ、恐怖心を完全には隠しきれていなかった弟分の顔を思い出す。
あの時の悔しさを思い出し、ルーシオは自身の髪をくしゃりと掴んだ。
『まー、フェリシアくんの上を取れる人間がそうそう居ないのは分かってるんだけどさ。あの子、必死に色々隠してるっしょ?
その辺、おじさまに気づかれたってバレたら絶対嫌がる……というか、傷つく、の方だろうな。だから、内緒だよ』
「……。ありがとうございます」
『ほんと、産まれた場所が違えばなぁ……それこそスピネルに産まれてたら、随分楽に生きられたろうにね。
なんというか……戦局というか、諸々のタイミングが悪かったね。ご両親もスピネルに戻りたかっただろうに』
(あー……これ、多分クロウの親がステフィリオン関係者って情報、知ってんな……)
オスカーがまたしても出所どころ不明の謎発言をしているが、どうせ理由を聞いても答えてはくれないだろう。
(信じてくれないから言いたくないってことは、ドレイク家とかフェンネル家絡みじゃないんだろうしなぁ……魔術系か……?)
失言に触れない代わりに脳内で仮説を立てつつ、ルーシオは相槌を打つ。
「……そうっすね。相当楽に生きられたと思いますよ」
スピネル王国では、アルビノは神の使いとして昔から神聖視されてきたという。それこそ、そう言った価値観は今から半世紀ほど前まで続いていたそうだ。
現在では宗教的価値観はかなり薄れているそうだが、それでも“名残”というものはある。アルビノというだけで相当に大切に扱ってもらえただろう。
それに対し、オブシディアン共和国ではカラス種というだけでハードモードになる上に、彼はアルビノであるがゆえにカラス種からも受け入れてもらえなかった。
(ドラグゼンに派手に押され負けてたせいで、当時はステフィリオン関係者全員が『オブシディアンからの脱出不可』だったってのが原因なわけだが……酷い話だよな)
オスカーが言うように、ウィレット夫妻も望んでオブシディアン共和国に住み着いていたわけではない。そうせざるを得なかったというだけだ。
ゆえにクロウの産まれた場所が違えば、という件については全面的に同意見だ。
……それにしても。
(自覚があるのかどうかは知らんが、この人、やけにクロウに情があるんだよな)
オスカーは元々情に厚いタイプなのは何をどう考えたとて確定なのだが、自分たちに対するそれと、クロウとでは微妙に方向性が違う。
だが、方向性が違うことを理解した上でも『現状問題ない』と判断できる程度には——その背後事情は、透けて見えている。
(間違いなく、全部の事情は把握できてない。それでもオスカーさんからすれば、クロウを放置することは絶対にできねぇよな……って、思う)
ルーシオ目線、オスカーがクロウに対する感情が強くなってしまう原因は、“父性”に限りなく近い感情を向けてしまう理由は、安易に察することができていた。
『26年前に起きた、元アイドルの自殺事件。それが、おじさまの動機だよ』
初めてオスカーと出会った、あの日。
彼が残した言葉は、暗に「調べろ」と言っているように感じた。
ゆえに、調べた。
まだパズルのピースを揃えただけで、予想で補っている部分も多い。
だが、これで間違いないだろうと、ルーシオは確信している。
オスカーを復讐に駆り立てるだけの事実が、残酷な真実が、そこにはあったからだ。
「……」
束の間の、沈黙。
それを破ったのは、オスカーだった。
『ルーシオくん、ちょっと時間ある? 眠い? 大丈夫?』
「あ、いや、大丈夫です。どうしました?」
『とりあえず敬語、外して欲しいな。お互い、腹割って話そうよ』
「え? あ、あぁ……」
まさかの申し出に、ルーシオは驚く。
元々、敬語は得意ではない。
だからこそ、助かりはするのだが。
電話の向こうで、オスカーが「ふふん」と鼻で笑った。
『さて、君の方から腹割ってもらおうかな』
「俺の、方から……?」
『君だけだよ、あの場で言わなかったの。
……心当たり、あるよね?』
「!」
厳密には違う。
違う、が……心当たり、しかなかった。
『ねえ、ルシアンくん?』
ぴくり、とスマートフォンを持つ手が震える——ルーシオは深く息を吐き出し、重い口を開いた。
「残念ながら、俺の“本名”はルーシオ・キャンベルで合ってる」
そう返せば、電話の向こうにいるオスカーが動揺したのが分かった。
『……。ごめん、戸籍までは調べてなかった』
「そりゃそうだろ。大層な名前だけ広めておいて、その裏じゃ出生届も何も出さずに無戸籍で放置される人間がそんなにポンポンいてたまるかよ。
名前を公にせずに、とか名前すら付けずに、なら充分にあり得るけどな……いくらなんでも“ルシアン”が無戸籍って考える奴は居ないと思うぜ?」
『うーん……嫌な話だけど、当主が嫁の妊娠を言いまわってたパターンだろうなぁ……』
「だろうな。ふた開けてみたら、これだ。有角人以外が出ることはねぇ一族のはずなんだが……母親が浮気してたか、俺の両親より前の世代がどっかのタイミングで遊んでたか。
どっちだか知らねぇけど、俺に出ちまったんだよな。今にして思えば、『よくやってくれた』って思うけどな」
ルーシオは、自分の実家が嫌いだ。
心の底から、憎んでいる。
そして、もはや塵も残さないほどに、跡形なく潰してやりたいとすら思っている。
ゆえに、今となっては「無戸籍で放置してくれてありがとう」と思っている。
だが、当たり前だが……当時は、相当に傷ついた。
「外に出られないほどの病弱って設定で家の中に閉じ込めて、これでもかと、ありとあらゆる意味で搾取してた癖に……笑っちまうよな、ちょっと調べれば簡単に分かるところを工作もせずに放置してんのは。
一応は高位貴族にも関わらず、8年間も息子を無戸籍で放置して、よくもまぁ……ボロ出さなかったもんだよ」
自嘲的に、吐き捨てるように語ってみせる。
この手の話をすると、自身の尾をどうしても意識してしまう。
幼い頃に神経を傷つけられ、今でもろくに動かなくないそれを。
(耳をやられなかっただけマシだって、今は思ってるが……)
暴力で支配され、ひたすらに人格を否定され、人より優秀であったがゆえに、ただひたすらに搾取され続けた幼少期。
——腹立たしい記憶が、頭の中を侵食していく。
それに気づいたのか、オスカーはもう一度「ごめんよ」と呟き、話し始めた。
『地方豪族、ブライア家がかつて誇っていた天才。ルシアン・アラリック・ブライア。
……貴族社会だと、こんな感じで伝わってる』
「ん? ルシアンも天才扱いはされてんのか。長男に全部吸い上げられてた記憶しかないが」
『その長男がヤバかったからねぇ。ああ、本当の天才は次男の方だったんだろうなって結論が出たんだよ』
「はは、ルシアンが死んだ後が大変だったのか。長男には神童設定があったのによ」
『え? 神童設定? 早々に終わったよ。今となっちゃ『あーあ、神童も大人になればただの人かぁ』って扱いされてるし、
特にフェンネルとかドレイクみたいな“反対派閥”からは、レミングスの変態と似たような評価だよね、あれはダメだって。関わったらいけない人間だって』
「ま、マジかー……」
かつて自分の功績をこれでもかと横取りし、社交界で輝いていた兄の評価が、地に落ちている。
そうなれば、ブライア家自体も似たようなものだろう。ドラグゼン案件を含めて考えずとも、彼らは底辺に成り下がっているようだ。
「……。それ聞けてちょっと落ち着いた。ありがとな」
あえて実家のことは積極的に調べずにいたルーシオだが、オスカーの話を聞いて少し安堵した。
ブライア家には個人的な憎しみも相当にあるが、今となってはそれ以前の問題がある。
ルーシオの声音を聞いてから、オスカーは再び口を開いた。
『俺の実家がもろに反対派閥だから当然知ってんだけどさ。ブライアって言えば、ドラグゼンとズブズブな家だよね?
まー、君が完全に縁切って、今となっちゃ実家付近で大暴れしてんのも分かってんだけどさ』
「……内通、疑わねぇのか?」
『俺の返事、分かってて聞いてんね? むしろ逆だろ、やらかしてんのが実家だからこそ、余計に憎いし、許せないんだろ、君は』
オスカーは「はい」とも「いいえ」とも言わなかったが、事実だけを突きつけてきた。
相手が相手ゆえに全く心配していなかったが、ろくな面識もないのに信用されているらしい。
(ま、10年前までの俺に関する身辺調査くらいはされてるんだろうけどな)
ステフィリオンとして活動するようになってからは誰のことも追えないように情報操作を行っているが、ルーシオは特に“それ以前”の情報が取りやすい状況だとは思う。
オスカーの場合は実家が貴族の中でもドラグゼンの台頭を拒む反対派閥に属しているため、フェンネル家の支援で『ルーシオ・キャンベル』という戸籍を取る前の情報を得ることができたのだろう。
(でも、これ……また誘導された疑惑あるな……)
今更ながら、オスカーの中でルーシオ=ルシアン、という方程式が完全に完成していたかどうかは怪しいことに気づいてしまった。
このタイミングで鎌をかけにきたのだとすれば、ルーシオへの疑念を完全に断ち切ることが目的だろう。
(……話さずに疑われるくらいなら、初手で明かした方が良いしな)
ルーシオはステフィリオンの全員に自分がブライア家の次男という立場を明かしている。
その上で誰も、内通を疑わないでくれた。オスカーも、そうだった。
「そうだな、私怨の類もあるが……それ以上に、“諸悪の根源と繋がってる愚か”って目で見てる。家族云々を抜きにしてもな」
自分の境遇ゆえに、信じてもらえることのありがたみは、誰よりも理解しているつもりだ。
だからこそルーシオは、オスカーの中で自分自身の方程式が完成していなかったとしても。鎌をかけられていたのだとしても——それはもはや、どうでも良いことだと思えた。




