5.変態無法地帯
「眠……」
脱衣所から、頭にタオルを被ったラザラスが出てきた。
髪が短いとはいえ、どうやら彼に“ドライヤー”という文化は無いらしい。レヴィとやらがこの場にいたら、盛大に怒られるのではないかと少し心配になった。
(よ、良かった。全裸で出てきたらどうしようかと……)
ロゼッタは彼がパンツ1枚で出てきたり、全裸で出てきたりしないか気が気ではなかった。絶賛不法侵入中とはいえ、流石に気まずすぎる。
幸い、ラザラスはTシャツに少し丈の短いジャージ姿で出てきてくれた。助かる。
(なんかスポーツ万能そう……!)
完全オフモードだろうが、頭にタオルを被っていようが、彼は魅力的だった。
罪深い顔面をしているし、今は薄着だからこそ分かる。ほどよく筋肉のついた体躯からは、隠しきれない、“男の色気”とでも表現できそうな何かが滲み出ている——要するに、どう足掻いても彼は格好良いのだ。
……ベッド下でソワソワしている彼女の存在に誰かしらが気づいてくれれば、即通報案件だというのに。
困ったことに、この場には『人の目を誰よりも気にしていそうなのに、変質者の視線には一切気づいていない』という謎矛盾を起こしている不憫すぎる男しかいない。
エスメライかルーシオがいれば話は変わっていたのかもしれないが、残念ながら彼らはいない。もはや変態無法地帯であった。
「ふー……」
まさか自分が変態の餌食になっているとは夢にも思わないラザラスは、息を吐き出しつつ、ベッドにごろりと横になった。
それを見計らい、ロゼッタはベッド下から壁にできた影にしれっと移る。結果、彼女は後ろからラザラスを覗き込むような形になった。
(はあ……お風呂上がり良いなぁ、シャンプーの良い匂い……)
——完全に通報案件である。
しかし、通報者が誰もいないのだからどうしようもない。
無防備に脱力しつつ、ラザラスはスマートフォンを手に取った。
(確かアレ、顔認証とか暗証番号とかがあるんだよね……ここから見えるかなぁ)
ロゼッタは背後から小さな画面を覗き込もうと目を凝らす。
どうやら暗証番号を入力するタイプの端末だったようだ。
彼が慣れた手つきで入力した暗証番号は、1・2・2・5だ。
形が分かりやすい数字は何となく分かる。とりあえず覚えた。
(もしかして12月25日? 誕生日かな? ……ってことは、ラズさんクリスマス生まれなの?)
彼女は暗証番号のついでにラザラスの誕生日まで把握してしまった。
ここまで接近されていればラザラスも気づきそうなものなのだが、ロゼッタの魔力は万能過ぎるし、ラザラス視点だと『散々探し回った少女が自分の家にいる』とは流石に思わないだろう。疲労困憊気味なのもあるだろうが、全く気づく気配がない。
ラザラスはスマートフォンを操作しつつベッド横のチェストの引き出しを開け、中に眼鏡があるのを確認する。
「うん、あった。よし……【解除】」
スマートフォンを弄って遊ぶのかと思いきや、どうやら相当に眠かったらしい。最後の操作は、恐らくアラームをセットしただけだ。まるで弄る気はなかったらしい。
彼は電気を消し、そのまま布団に沈んでしまった。
(寝る前に最後に残ってた、視力の強化術解除したね……結構強めに掛けてあったし、ラズさん、目が良くないんだろうな……)
解除時に微かに残る魔力の乱れを読み取り、ロゼッタは眉をひそめる。
他の強化術に使っていた魔力のすべてを足しても、視力の強化に使っていた魔力には到底及ばない。詳しくは分からないが、これは些細な調整どころの問題ではないような気がする。
(……もしかして、“目が良くない”ってレベルじゃないのかな?)
ストーカー(不法侵入済み)の存在に気づいていないラザラスは、既に爆睡している。
それを確認し、ちょっと強気に出たロゼッタはエスメライの真似をして『透識』を使用した。
(あー……総魔力自体が物凄く少ないなぁ。全属性持ちって話だったけど……うーん……)
これは冗談抜きで身体強化系統しか使えないのではないだろうか? ……全属性持ちなのに。
属性と素養、そして魔力量があまりにもチグハグ過ぎる。
身体的な特徴を見た限りだとラザラスはヒト族だと思うのだが、もしかすると他の種族の血が色濃く入っているのかもしれない。そしてきっと、“悪いとこ取り”状態だ。
(んー……補助するっていうより、根本的な話? わたしの魔力を分けるとか、そういうこともできたら良いのかなぁ……?)
しれっとロゼッタは影から抜け出し、平然と部屋の中を浮遊し始めた——足音を立てないためだけに、彼女は無意識のうちに何かしらの魔術を発動させてしまったようだ。
流石にこの状態だとセンサーに引っかかってしまいそうだが、既に部屋に入り込んでいるせいでセンサーは反応しないし、ラザラスが起きる気配はない。
(ちょっと失礼しますね)
ロゼッタは物音を立てないように細心の注意を払いつつ、ラザラスの顔を覗き込む。
辺りは真っ暗だが、根本的に闇に強いロゼッタからしてみれば日中と大差ない程度に目が見えている。
だからこそ、彼女はあることに気がつき——声を上げそうになったのを、必死に抑えた。
(ッ、酷い傷……!)
日中は全く気付かなかったのだが、ラザラスの右頬にかなり目立つ傷跡が複数ある。
シャワーを浴びた後に顕になったということは、上から何かを塗って隠していたのだろうか。
鋭い刃物で深く斬り付けられたようなその傷は、そもそもラザラスの顔が整っていることもあって非常に痛々しく感じられる。
傷自体は既に完治しているようで、傷を負ってからそれなりに月日が流れていそうだ。つまり、これ以上は薄くならないのだろう。
(これがあるから、人前に出たくないのかな。消してあげたい、けど……)
偏った教育を受けてきたロゼッタでも、これは知っている——この世界には、都合よく昔の傷跡を消したり、失った四肢を生やしたり、死者を蘇らせるような術は。
そんな御伽話のようなものは、一切存在しない。奇跡は、起こり得ない。
つまり、この件に関しては……何も、できない。
「……」
先ほど判明した視力強化術の件も含めて、ロゼッタはラザラスの身体を診つつ、考察する。
(顔に怪我をして視力が落ちたか、病気で悪くなったか、生まれつき悪いか、かな。この感じだと、多分、ただの近眼じゃ無いんだよね……視力強化だけじゃ不十分だから、他の強化術も一緒に使ってるんだろうし)
他には何か無いかと、ロゼッタはラザラスが眠っているのを良いことに、彼の身体をまじまじと見つめる。
(う、腕とか胸元辺りの傷も気になるな……)
顔だけではない。特に腕には深い傷がいくつもある。
そういえば彼は、薄手の長袖を着ていたな、傷を隠していたのだろうかとロゼッタは眉を顰める。
(これは、咄嗟に顔というか、頭を庇おうとしたんだろうな……酷い……)
頭や顔に向かって、何かを振り下ろされた時。
人は咄嗟に目を閉じると共に、腕を前に出す。腕の傷の原因は、きっとそれだ。
数も深さも、相当だ。何らかの後遺症があってもおかしくないレベルに見える。
だが、記憶に残る彼の動作を考えると、それだけは免れたのだろう。
……これを、簡単に『不幸中の幸い』と言っていいのかは、怪しいが。
少し悲しくなってしまったロゼッタは、再びラザラスの顔に視線を向ける。
(なんだろ、整形とかじゃなくて、生まれつき整ってるんだろうなぁ……)
ものすごく近くで顔を見られているが、ラザラスが起きる気配は一切ない。完全に熟睡してしまっている。
ロゼッタは街を歩いていた人々の容姿を思い出し、ひとり首を傾げた。
(よくよく考えたら、この国の人にしては色素が薄い気がするし、顔立ちもちょっと変わってるような気がする。ルーシオさんの容姿が一般的な気がするんだよね……となると違う国の出身か、ハーフ、とかなのかなぁ……?)
ますます、ラザラスが謎めいてきた。
擬態している気配がないため、ヒト族なのは間違いないが“純粋な”ヒト族ではないのは確定で、異国の血も入っていそうだ。
最も『他種族の血が一切混ざっていない、純粋な種族』というものは極々少数派であることはロゼッタも知っているのだが。
(ていうか、ラズさん大人びてるけど、いくつなんだろう?)
詳しく聞いてみたいが、ストーカー中という残念な身分ゆえに何も聞けそうにない。
しかも逃走してしまったせいで姿を現して話をすることも叶わない。自業自得だが、悲しい。
せめて年齢だけでも、ある程度は特定してみたかったロゼッタはラザラスから離れ、冷蔵庫の前に移動した。
(エスラさんの話を聞くに、酷そうなんだよね)
ガチャリと冷蔵庫を開ければ、部屋以上に寂しい中身が顕になった。
入っていたのは、水が入ったペットボトルと、度数の低い酒が数本。
「……」
なんだこれ、あまりにも酷い。
自炊しないどころの騒ぎではない冷蔵庫である。
エスメライが「食べて帰れ」というわけだ。
(まあ、お酒が入ってるってことは、20歳以上なんだろうけど……って、わたしって何歳なんだろ?)
絶対に年下だということは分かっていたが、ロゼッタは自分自身に『透識』を使ってみた。
——17歳らしい。
(おかしい、17歳って、もっと、こう……ほら、何か、ほら……)
とりあえずもう一度試してみた。
17歳、らしい……。
(……。わたし、エスラさんみたいに、背の高い綺麗な人にはなれないんだろなぁ)
育った環境も悪いのだろうが、こればかりは体質の問題だ。
ロゼッタはひとり寂しく、しょんぼりしてしまった。
(エスラさんとルーシオさんはラズさんより歳上だよね? なら、あの人たちは20代後半とか、30代前半くらい? 聞いてみたいけど……聞けないんだよなぁ……)
何故なら絶賛ストーカー中だから。
これでもかと飛び交っていた謎の単語といい、プロフィール的なものといい、ストーカーを始める前に色々聞いておくべきだったとロゼッタは頭を抱える。あまりにも情報が無さすぎる!
「……? あれ、冷蔵庫が……」
「!?」
人の家の冷蔵庫を開けたまま色々と考えていると、寝ぼけた声が聞こえてきた。
漏れていた光に気づいたらしい。当たり前だが、こちらに近づいてきそうだ。
(やばい!!)
いくらなんでも探索開始が早すぎたようである。
ロゼッタは再び、大慌てでベッド下の影に飛び込むことになってしまった。




