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1.竜の少女と王子様-1

——ろくでもない人生だ。

 

 小柄な身体を伸ばすことさえできない狭い檻の中で、亜人の少女は苦痛に喘ぐ。本来は猛獣用だろう無機質な檻が、少女の体温を奪っていく。長い赤毛が、冷や汗で身体に張りついていた。


「ッ、い、たぃ……」


 亜人は亜人でも、角と翼、尾を持つ“竜人族”ばかりを集めた男の家から、隙を見て逃げ出した。特異な容姿をしている『自分の価値が高い』ことは、男や、家にやってくる男の知人達の反応を見れば明らかだった。

 そのため、なのだろうか。()()()()が、明確に毒だと分かる異物を打たれていた。


(なんで……わたし、だけ……)


 少女は、本来であれば二対の角と赤い鱗を持つ火竜種(サラマンダー)の“異端”だった。

 額には角ではなく赤い宝玉が輝き、長く尖っているはずの耳は黒い毛に覆われ、まるで犬のようだ。尾も鱗には覆われておらず、犬の尾を思わせる風貌である。

 本来なら背に生える筈の翼は腰にあり、黒い羽毛に覆われた小さなそれでは飛ぶことさえできなかった。


 せめて飛ぶことができれば、こんな目には遭わずに済んだのだろうか。何とか逃げだしたのは良いが、また人間に捕まってしまった。

 後ろから羽交い絞めにされ、注射を首筋に打たれたあと——全身に広がった痺れと痛みが、いつまで経っても引かない。

 

 ここには他にも檻が並べられていて、その中には火竜と思しき人々がたくさん詰め込まれている。他の者達は暴れ、泣き叫び、檻を壊そうと躍起になっているようだが、少女にはそんな気力はない。

 周囲を見ているだけの気力も尽きてしまった。もう、重力に身を委ね、頭を冷たい鉄の上に落とすことしかできない。

 

(わたしが、変、だから……?)


 売り物として“繁殖”させられていた火竜の中に生まれた少女は、火竜らしからぬ容姿ゆえに、人目につかないようにと適当に扱われ、繁殖場のすみに放り捨てられていた。

 そうして安値で叩き売られた先では、何故か敬語や魔力制御等の教育を施されながら見せ物にされ、事あるごとに値踏みされ続けた。

 どうやら繫殖場の外と中で、自分の価値は違うらしい。だからこそ、『付加価値を付ける』目的で酷い目に遭いそうになり、必死に逃げ出した——その結果が、これだ。

 

「……っ、うぅ……」


 視界が霞む。苦しい。——息が、上手くできない。このまま、死んでしまうのだろうか。

 けれど、仮に生き残ったとしても、この様子では自分はまた売られるのだ。

 ここを管理している人間が人身売買の類を生業にしている者だということくらいは、流石に分かっている。


(もう……どうでも、良いや)

 

——嗚呼、本当に。本当に、ろくでもない人生だ。

 

(それが、普通だったんだもん……考えるだけ、無駄だ)


 失意の闇に溺れていく少女の耳に届いたのは、固く閉ざされた部屋の扉が弾け飛ぶ爆音だった。

 

「ッ、見つけた! ここだ!!」

 

 聞こえてきたのは、まだ年若い青年の声。

 頭を上げて様子を見たいと思った。だが、痛くて、身体が痺れて、それどころではない。こんな非常事態だというのに、意識が朦朧としている。

 

「おい、焦るな。落ち着け」

「あ、すみません……」

「まあ、気持ちは分かるけどよ。

 はー……間に合って良かったわ。今回は普通にヤバかったからなぁ……」


 大きく声を上げた青年と、あともう1人。落ち着いたテノールの声が聴こえてきた。どうやら男性の2人組らしい。

 発言からして“奴ら”の仲間では無さそうな彼らは、どうやら自分達が放り込まれた檻の山に近づいてきているらしい。


「事前にルーシオさんから聞いた通りだな。火竜ばっかだ」


 声を聴いて、どうにか薄目を開く。2人の男性の姿が見えた。

 周囲を警戒しているリーダー格と思しき青年。こちらはやけに白い肌をしているのが印象的だった。

 短い白髪に、血のように赤い瞳が暗闇で光っている——それと同時、何故か青年の左半身に違和感を覚える。だが、霞んだ視界では、それを上手く認識できない。


「……ですね。えーと……」


 もうひとりの青年は周囲を見渡し、少し安堵したような声を溢した。


「良かった。割と皆さん、元気そうですね」


 短い金髪に薄く月明かりが差し、まるで影絵のような輪郭を描いている。月明かりを映して輝く彼の瞳は、少女にとっては随分と見慣れた青色だ。

 あの青は恐らく竜人族特有の色なのだが、青年は同族には見えない。ただ、慣れた色彩ゆえに、荒れた気持ちが落ち着いていくのを感じる。


「だな。……本当に、無事で良かった」


 ガシャン、と無機質な音が響く。床に何か、硬いものが落ちていく。それが、次々と連鎖する。

 床に落ちているのは、恐らく南京錠だろう——要は、助けにきてくれたらしい。

 自分も、一緒に助けてもらえるだろうか。今度こそ、自由の身にしてもらえるだろうか。


 沈みかけた意識を保ちながら、少女は2人の様子をうかがう。遠くで、白髪の青年が火竜達を誘導している姿が見えた。


「全員、動けそうか? 動けない奴はいないか?」


 どうやら、二手に分かれて檻の鍵を破壊し、強引にこじ開けているようだ。


「あなた達は命の恩人だ!! ああ、何とお礼をすれば……っ」

「はいはい、元気そうで何より。とりあえずあっち行ってくれ。変なとこで止まんな」

「あ……はい! ありがとうございます!」


 彼らの正体はよく分からないが、地獄のような場所から開放された火竜たちの歓喜の声で、少なくとも自分達に害を為す存在ではないと理解できる。


「見た感じだと全員飛べそうだな? 悪いんだが、自力でそこの窓から飛び降りてくれ。

 外に俺らの仲間が待機してっから、後はそいつらの指示に従ってくれれば良い」

「あ、ああ……分かった」

「ありがとう……本当に、ありがとう……!」

「礼は良いから急いでくれ。あと30分でここは炎上するぞ」

「えっ!?」


 色々と物騒な話が聞こえてきた。どうやら、ここにいては危ないらしい。


(わたし、も……動かないと……逃げなきゃ……)


……無理だ。もう、指の一本すら動かせないのに。

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