3 牛さんのシチュー
*
ご主人様は、市場でも大人気だった。
沢山お金を使うし、商品にいちゃもんを付けたりもしない。そもそも高貴な人が、市場に降りてくること自体が滅多にないのだろうけど。ご主人様は本当に沢山のものを買う。流石に食材は食べられる量しか買わないけれど。それ以外のものは、殆ど無頓着に見えるくらいに。
そんなに買って。どうするのだろう。とは思ったけれど。
変な置物とか。アクセサリーとか。
「なんだ、物言いたげだが」
「あ……いえ。その……」
「無駄遣いをしている、か?」
頷く。
「無能な貴族どもの尻拭いだ。澱んだ水は直ぐに濁るからな」
「え……と?」
「貴族どもから巻き上げた金を民草に還元しているだけだ。あいつらは、高名な一部の職人や商人にしか、大して金を払わん。そうして一部の人間だけが肥えていく。だからこうして、あの馬鹿どもが私に貢いだ金を、市で使い込んでやるのだ」
私は経済については、何も知らないけれど。ご主人様がお金を沢山使うことで、お店の人が喜んでいるということは分かる。貴族の人たちは、一部のお店しか使わないけれど。ご主人様は色々なお店で買い物をするから、その分、多くの人が喜ぶ、ということだろうか。
「だから、アリス。お前も好きなものを買うといい」
ご主人様の大きな手が。私の髪を撫でる。
私は、ご主人様に撫でられるのが、嫌いじゃない。大きな手。優しい手付き。
とはいえ。好きなものといきなり言われても、何も思い付かない。
ああ。でも、そうだ。折角買ってもらえるなら、身に着けられるものがいいな。
*
「そんなもので、本当に良かったのか?」
「はい!」
ペンダント。太陽を象った紋章が刻まれた銅板が細い鎖に繋がれている。小さな赤い石が嵌め込まれているけれど。きっと高価な石ではないんだろう。でも、私は満足だった。
「大切にしますね」
「……まあ。お前が気に入っているのなら、私に文句はない」
ご主人様からすれば、きっと安っぽいペンダントなのかもしれないけれど。ご主人様も、もっと大きな宝石が付いているものを提案してくれたけど。私にはこれが丁度いい。それに、宝石の大きさは、どうでもいいのだ。ご主人様から貰ったということが、重要なのであって。
今日の晩御飯は、牛さんのシチュー。ご主人様が鍋に魔法をかけてくれたから、お肉がとても柔らかく出来た。味付けは、葡萄酒と香草とお野菜、それと鳥さんのスープ。贅沢なシチューだ。奴隷になる前にだって、こんなものは食べたことはないけれど。ご主人様がどこからかレシピを持ってきてくれたから、一緒に作ってみた。
「ふむ」
「美味しいですね! ご主人様!」
「ああ。初めてのレシピで良く作った。アリスは器用だな」
ご主人様が褒めてくれる。まあ、ご主人様はいつだって、私のことを褒めてくださるけれど。褒めてくれるだけじゃない。食事も、一緒のテーブルで食べてくれる。それが、普通なら在り得ないことくらいは、私にも分かる。
ご主人様。
私の太陽。
眩しくて、目を逸らしてしまいそうになるけれど。
出来ることなら。ずっと視線を向けていたい。
「……そんなに見られると、食べにくいのだが」
「あ……あ、ごめんなさい……」
ご主人様に言われて、慌てて視線を外す。ばれた。恥ずかしい。顔が熱い。どうしよう。
「構わないが……。何か話があるのか? だが、まあ。話をするのはシチューを食べてからにしよう。折角の料理だからな」
*
「それで? 何か言いたそうにしていたが……」
「ええっと……」
食事が終わり、仲良く並んで食器を洗った後、ご主人様は律儀にもさっきの会話を続けてきた。忘れてくれると思ったのに。素直にご主人様に見惚れてましたと言えば納得してくれるだろうか。うう。でも、それはちょっと、恥ずかしい。
「そ、その。ご主人様、料理の時に、その。お鍋に魔法をかけてくれましたよね?」
「うん? ……ああ。あれか。そうだな。鍋の内部の圧力を……いや、そんなことはどうでもいいか」
「よ、良く分からないですけれど。それで、魔法って凄いな、って思って……その」
「ああ。なるほど。分かったとも」
ご、誤魔化せた。
「魔法が使いたいのか?」
「え? ええ……まあ、使えるなら、それは。でも、駄目なんです。私、魔力、ないから……」
魔力。魔法の源。その力。一部の人間、生き物だけが持つ、神秘の力。
奴隷になったときに、当然、私も魔力の有無を診断された。
残念なことに、私には魔力がない。だから、魔法を使えない。そもそも魔法を使えるのなら、売れ残ることもなかっただろうけど。
「……は。ははは。魔力、だと? 馬鹿馬鹿しい」
「ご主人様……?」
ご主人様は。なんだか私の言葉に怒っているようだった。何か、変なことを言ってしまったのだろうか。分からない。どうしよう。取り敢えず、謝らないと。でも。
「人は、本当に。愚かだな。だが賢しくもある。欺瞞で大衆を制御するのは、人の業か」
違う。怒って、ない。怒っているというよりは。……呆れている?
「アリス。魔法なら、私が教えてやろう」
「え? で、でも……」
「魔力など。そんなものは誰も持ち合わせていない。そんなものは、そもそも、この世に存在しないのだからな」
*
次の日。私はご主人様に連れられて、早朝から中庭に立っていた。
お空には、雲一つない。綺麗な青空。
ご主人様と一緒に居られるのは嬉しいけれど。
「あの……ご主人様? 魔法って……」
そう。魔法。魔法を、教えてくれると。ご主人様は言っていた。
でも、私に魔力はない。ううん。ご主人様は、魔力なんて、此の世には存在しない、と言っていたけれど。どういう意味なのだろう。
魔法。月の女神が、地上にもたらした、魔の法。
魔力によって世界を書き換え、望んだままに奇跡を起こす技術。
「いいか。世界とは。各々が抱くイメージに過ぎん。分かるか、アリス」
「イメージ……?」
「そうだ。アリス。各々が。各々に。望んだ世界を見ている。かくあれかしと。そう望む世界。そして同時に。それは、望みを諦めた世界でもある」
ご主人様の言ってることは難しくて、良く分からない。首を傾げる私に、ご主人様は少し考えるように。目を閉じる。
「人は皆。何かを諦めて生きている。現実というものを受け入れることによって。理想を諦める。それは分かるか?」
分かる。悲しい話だけれど。きっと、それは普通のことなんだろうと、思う。
私も。諦めていた。あの檻の中で。
「世界とは。人々の諦観が折り重なって出来ている」
それは、とても、悲しい言葉だった。けれど、きっと正しい言葉なんだろうと。納得してしまったから。私は何も言えなくなってしまう。
「いいか、アリス。世界を変えるのに、魔力など必要ない。必要なのは、意志の力だけだ。諦観を否定しろ。打ち破れ。輝き、燃えろ。現実を。全ての苦痛と苦悩を破壊しろ。ただ己だけが世界であると思い込め」
ご主人様の手が、私の頬に触れる。あったかい。大きな、手。
私を檻の中から、連れ出した手。
私の現実を破壊した手。
「忘れるな。お前は私が選んだ、薪だ。お前は私の炎を宿すに値する、最後の器。だから。胸を張れ、アリス。お前は、輝く。お前がそれを望むのならば。空に輝く光輝が如く」
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