表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

1 ご主人様


 私の母は、冒険家だった。大陸さえ渡り、怪異を殺し、神秘を探求する。けれど、そんな母も、やはり、女だったのだ。


 母はとある貴族と恋に落ちて、私を産んだ。

 そして、捨てられた。


 父を恨むことはしない。ああ。私はむしろ、同情さえしている。

 私は知っている。男の弱さを。女の強さを。だから。同情している。

 時に女よりも、男は酷く縛られているから。そして女は、それを利用することを厭わないものだから。 


 だから。私は同情している。お父様。貴方はきっと酷い人だけれど。それでも。可哀想な人であるのは、確かだから。


 男が女を抱くことよりも。女が男に抱かれることの方が容易いのだと。私は知っている。


 母の嘲笑を良く聞いていたから。それが強がりであっても。虚飾ではないことを知っていたから。



 母は死んだ。奴隷市の薄汚い牢の中で。

 私は生きている。奴隷市の薄汚い牢の中で。

 

 私、アリス・パーパスは。未だ、生きている。


 *


 その日は、暑い日だった。

 蒼穹を支配する天の火が。煌煌と燃え盛っていた。

 私は太陽の神を信仰しているわけではなかったけれど。それでも、その威容を称えざるを得ない時もある。

 太陽が厳しく大地を熱している時は。客足が少ない。だから、私は暑い日が好き。

 このまま売れなければ、殺処分だと奴隷商の女は脅すけれど。

 そんなこと、出来る筈がない。王国法では、奴隷の命を奪うことは禁じられている。徒に傷を付けることも。


 星の女神様。全ての人間の創造主。優しい神様。彼女は、全ての罪人、弱き人の守護者なのだという。王国法は、そんな彼女がもたらした教義を元に作られた。らしい。だから。かなり、ちぐはぐなところがある。あるときは、弱者に妙に優しい法があり。あるときは、支配者に都合の良い冷徹な法がある。


 それは、きっと。女神に仕えた人と。社会に仕えた人との。争いの跡なのだろう。


 なんであれ。私は思う。今のこの境遇を。それほど、悪くない今を。

 ああ。だって、そうだ。もし、奴隷になっていなかったら。私はこの薄い、子供の身体で、娼婦でもやる羽目になっていた。ご飯も、きっと毎日は食べられなかった。この檻の中でなら。少なくとも、ご飯は毎日、食べられる。


 だから、私は、あまり真面目に、お客さんにアピールしたりはしないし、他の奴隷がしているところを邪魔しようとも思わない。興味もないから、あんまり気にもしない。だけど。だけど、その日は。他の日とは、どこか様子が違っていた。



 ばたん、と。大きな音がする。ああ、と。私は思わず嘆息した。

 いつもの、ドジな奴隷が、いつものようにドジをしたのだろう。

 女店主の金切り声が響き渡る。ああ。うるさい。お客さんだって、困るだろうに。

 けれど。誰もそれを指摘しない。買い物に来ている貴族でさえ。だって、彼女は。この奴隷市の主人たる女は。それなりに有名な女なのだ。女の身でありながら。奴隷商として一財産を築いた女。仄暗い裏の人間とさえ繋がっているとされる女。彼女に物申した貴族が何人も消されていると噂される女。そんな噂が流れて尚、健在な女。


 誰も、楯突くことが出来ない。そんな、そんな女性なのだ。少なくとも、奴隷市のテントの下では。誰も。……その筈だった。


「……うるさい女だ」


 その声は、冷ややかに。けれど、確かな熱を持って。辺りに響いた。

 不思議な、声だった。大きな声ではないのに。周囲の騒音を切り裂くように。

 光線が闇を断つように。

 辺りに、伝播していく。


「此処は、猿の見世物小屋だったのか? であれば、失礼した。訪れる店を間違えたようだ。いや。しかし。それにしてはおかしいな。檻の中と外が逆ではないか?」


 あまりにも。あまりにも無礼な。そして、不遜な言葉を口にしながら。テントに入って来る。褐色の肌に。白い髪。そして、赤い。炎のように燃える瞳の男。背の高い、男。筋肉質で。それでいて。武骨、というよりは、流麗な。そんな印象を受ける男の人。腰に佩いた剣を見るに、かなり高貴な人なんだと分かる。


「あ……あ、あんた! 私にそんな口を利いて、ただで済むと────」


「ほう……。言語を解すか。失礼した。あまりにも知性を感じない叫びだったのでな。なるほど。見世物小屋というよりは、サーカスだったか。それにしても。良く躾られている。どんな調教をすれば、猿が言語を解するようになるのか。私には見当も付かん」


「この────」 


 暴力。ああ。見慣れた光景ではあったけれど。この女主人が、王国法を破って手を上げているところを見るのは見慣れてはいたけれど。それでも。お客さんに手を上げているところは、流石になかった。


「手が早いな。普段から、人を殴り慣れていると見える」


 冷ややかな声と共に。男の人が軽く、身体を逸らす。そして、私は見た。さっと鋭い身のこなしで、女主人に足を掛けるのを。無様に転がる女主人。見下ろす男。


「哀れなものだ。普段、抵抗しないものを殴っているのだろう。だから、そんなに簡単に暴力を手段として選択する。相手に、反抗、反撃されるとは夢にも思っていない。ああ。尤も。それはお前が女であるからかもしれないが」


 吐き捨てる、というよりは、ただ冷たく指摘して。男の人は悠々と、檻を見回り始めた。

 誰かを、買うつもりなのだろうか。そういう人には、見えないけれど。

 

「ふざけ……っ 誰はアンタなんかに売るか!」


「職務放棄か? ならばいよいよ、お前は猿だな。……ほら、これで満足か」


 男の人はそう言って、懐から取り出した袋を床に投げ捨てた。

 じゃらっと。音を立てて、中身が零れ落ちる。

 黄金の輝き。偽装防止に用いられている、女神の紋章。正三角形と逆三角。湾曲し交わる二本の曲線。そして、中央に坐する二重円。星の瞳の紋章。


 ああ。それは、きっと。此処にいる全員を買い上げることが出来るほどの大金だ。

 神の奇跡によって聖別された金貨は、決して偽造することが出来ない。だから、その価値も通常の金貨より高いという。


 その黄金の輝きを見て、女主人は黙り込んだ。

 歓喜と憎悪と憤怒が混ざり合った顔。それを男の人は冷ややかに一瞥すると背を向けた。

 先程まで沈黙していた奴隷たちが一斉に、男の人に買われようとアピールを始める。

 みっともない、とは思わない。みんな、必死なのだ。けれど。ああけれど。少し。

 少し、気持ち悪い。

 きっと、男の人もそう思ったんだろう。なんだか、眉を顰めて。煩わしそうに、首を振る。


 ────目が、あった。


「……ふむ。お前。名前は?」


 声。静かな声。夜、燭台に灯される火のような。静かで、けれど、少し揺らいでいて。そして、少しだけ。明るい。


「アリス」


「そうか。良い名だ。ではアリス。お前に選ばせてやろう。星の女神が語るには、自主的な選択だけが正義と責任を生むらしいからな。選べ。私と共に来るか。それとも。あの哀れな女に飼われ続けるかを」


 選ぶ。私は……。選ぶのが苦手だ。

 この場所は、居心地が良いとは言えないけれど。

 男の人が言う通り。この場所に居続ける限り、私は何の責任も負わなくていい。

 何も選ばなければ。弱者のままで。何も望まなければ。

 気楽なままで。いられる。そして、いつか、捨てられるときに。不幸ぶっていられる。


「私は……何も、出来ないけれど」


「構わん」


「あんまり、美人でもないけれど」


「子供が何を。笑わせる」


「……頭もあんまりよくないけれど」


「私と比べれば、全てがそうだ」


 男の人は、静かに私を見ている。何を考えているのか。分からない。


「貴方は……どうして、奴隷を買うの?」


「……薪だ。火が燃えるには、薪が必要だからな。お前は、それに相応しい。エーテルの娘。静止していながらも、澱むことのない清浄なる空気。天上に在って澄み渡るもの」

 

 分からない。男の人が何を言っているか。分からないけれど。私を必要としているということは、分かる。それなら。何故私に選ばせるのだろう。この人は、私を買うと決めたのなら。私に選ばせる意味なんか、ないのに。


「私が嫌だと、言ったら……?」


「残念だ」


 男の人は、肩を竦める。残念。それだけ。


「考えてみれば。なんでも手っ取り早く済ませようとするのは、私の悪い癖だ。奴隷など。ろくな薪にはなるまいに。お前くらいだ。この場で、私の要求を満たせそうなものは。だから。お前が嫌だというのならば。残念だ、と言うしかない。さあ。選べ。アリス────」


 笑った。とても。優しい。笑い方。

 私は思わず、その笑顔に見惚れてしまって────


よければ、感想、評価、リアクションのほどよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ