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LINE  作者: 時演
8/27

Episode1 -8-

 ―日曜日―


 街の片隅でひっそり佇む様に建つ小さな花屋。ショーウィンドウにはクリスマスのスプレーペイント、色とりどりの花束が飾ってあった。バラ、カサブランカ、胡蝶蘭、比較的派手な色合いの花が多いのは、街のせいだろうか。鉢植えは殆どなく、店の中は美しく、華やかな切り花ばかりだ。

 季節感がない、と愁は思った。花の知識がある訳ではないが、彼の母親は庭によく花を植えていた。チューリップが11月に咲かない事くらいなら、愁にでも解る。他の花だってこんなに寒いのに、美しく咲くのだろうか。美しいが、どこか偽りだと思える。

 にこやかな笑みを浮かべた店員が、愁に近付いてくる。「どう言ったものをお探しですか?」

 ガラスケースの中を見回しながら、愁は呟く様に言った。「小さな花束を・・・」花屋で花束を買う事なんて大学生以来だな、とぼんやりと考えていた。大学最後の夏、バイト代を叩いて大きな花束を買った。両手では抱え切れない程のひまわりとカスミソウの花束。家に帰り渡したら、母は破顔した。あの時の彼女の嬉しそうな顔を、愁は忘れないと思う。

「お相手の方の年齢はどのくらいですか?」店員がガラスケースを開けると、冷たい空気が2人の間を流れた。

 愁は目に留めた小さな淡紅色の花を指差す。「あれを花束に出来ますか?」

「アザミですか?」店員はアザミの花に手を伸ばす。「他には何を入れますか?」

「いいえ、アザミだけで」

 ちらりと視線を愁に投げ、店員はアザミの花を手に取った。「分かりました」

 愁に手渡された、小さなアザミの花束はとても可愛らしかった。オーガンジーの白い布が二重に巻かれ、アザミの花と同色のリボンがしてあった。店員のセンスの良さが窺えた。愁は思わずにこやかな笑みを浮かべる。「ありがとうございます」

 代金を払って外に出ると、身を切る様な冷たい風が吹いていた。雪が降り出してもおかしくないほど、今日は冷える。

 寒さを紛らわすかの様に、道行く恋人達は肩を寄せ合い、指を絡めている。アメリカ程ではないが、道で唇を重ねる2人もいた。太陽が沈めば、家族連れは家へと急ぐ。

 小さな花束を片手に、愁は急ぐこともなくゆっくりと歩いた。

 多分、この花を彼女は喜ばないだろう、愁はぼんやりとそう考えていた。きっとあの店で目立っていた赤いバラの方が喜ぶ。華やかな物の方へと引き寄せられていく様な女だから。

 途中、コンビニに寄って、ホットコーヒーとビールを買った。

 ネオン街を抜け、ひどく寂しい道を歩く。裏道、小さな街灯だけがぼんやりと輝いていた。アスファルトには紙くずや煙草が転がっていた。スナックの名前の書いてあるゴミ箱や古い自転車が並び、奥は薄汚れた壁。

 細い電信柱の下、愁は花束を置いた。花束の横に缶ビールを置いた。そしてその横に腰を下ろす。アスファルトはひどく冷たい。愁は缶コーヒーを開けた。

 ビルの隙間から見える空は、星一つ見えない。まるでこの世には星等存在しないかの様だ。日が落ちて暗くなっているというのに、何故か濁っている様にすら思える。人は何を求めて、空を見上げるのだろう。

 缶を合わせると、鈍い音がした。

「遅くなった・・・」声には出さず、口の中で呟いた。「すまない」

 木村美香、享年25歳。彼女はその早すぎる生涯を、ここで終えた。警察のパソコンのデータベースに残っていた記録。事件性はゼロだったが、美香が血を吐いていた事から警察が呼ばれた。スカートにも血の跡があり、事件性を疑った警察が監察医に解剖を依頼したものの、解剖する事もなく病死だと判明した。美香が何故病院でもなく、自宅でもなく、この場所で息を引き取ったのかは謎のままだ。力尽きて倒れたのではないかと警察は推測している。美香の命を奪ったのはエイズだった。

 煙草を咥え、火を点ける。ぼっと上がった火が、まるでマッチ売りの少女の一場面を思い出させるかの様だった。幻影が見えそうだ。愁は思いっきり吸い込んだ煙を少しずつ身体の外へと放つ。ぼんやりと只、その煙を目で追っていた。

 随分と長い時間そこに居て、愁はふと気が付いた。この場所は街の喧騒や人の気配を感じられるが、人は全く通らなかった。

「お前らしい、人がいない場所で、人の気配を感じながら逝くなんて」愁はそう呟く。この場所で彼女が永遠の眠りに付いた理由が、愁には理解出来た気がした。

 背中と尻が冷たく、痛くなってきていた。指先が寒さで痛い。缶コーヒーは冷蔵庫で冷やしたかの様に冷え切っていた。それでも愁は立ち上がらず、ただぼんやりと宙を見つめていた。

「いい加減にしないと風邪引くんだからね」

 声の主の方へ、ゆっくりと愁は視線を送る。その声色だけで誰だか分る。

「ここに何時から居るの?」カサブランカの美しい花束を抱え、マッドがにこやかに微笑んだ。薄暗い道なのに、何故か彼の周りだけ明るくさえ見える。マッドはゆっくりと歩いて、愁が置いたアザミの花束の横に、カサブランカの花束を置いた。しゃがみこみ、目を閉じ、胸の前で十字を切る。

「ありがとう」

「シュウの友達は僕の友達だよ」マッドはそう言って、にっこりと笑う。

「何時の時代の台詞だ?」愁はからかう様な口調で言ったが、マッドがそう心から思っている事は解っていた。

 マッドは口元に笑みを浮かべた。視線を花束へと移す。「アザミの花言葉、知ってる?」

「いや・・・」

「独立、安心、触れないで」マッドは花束から愁へと視線を移した。彼と視線を絡め、淡々とした口調で言った。「復讐」

 愁はふっと自虐的な笑みを浮かべる。「復讐か・・・」

「何でアザミなの?」

「どことなく・・・」愁はアザミの花束に視線を落とした。「この花が美香に見えたから」高価なバラより、華やかな花の中でゆらゆらと揺れているその様が。存在を主張するくせに、何処か頼りなく見えた。「触れないで、か」その真逆を生きた女だった。

 マッドは美香の現場写真を思い出していた。事件性はなかったので、数は少なかったが、彼女がどう死んでいったのかを知るには十分だった。美人ではないが、彼女は俗に言う男好きをする顔立ちをしていた。目元に、薄いピンクの口紅を引いた唇に、白い肌に、色香が漂っていた。身に付けている服もアクセサリーも、美香の容姿をうまく引き立たせていた。病気の為か頬がこけ、体も至極細かった。きっと病が体を蝕む前は男を惹きつけてやまない女性だったのだろうと思わせた。

 愁がふと顔を上げ、マッドを凝視した。「何でここが分った?」

 マッドは肩をすくめ、にこやかに微笑んで見せる。「GPS」

「あぁ、そう」愁は眉を吊り上げて見せる、効果がないと分っても。冷子から2人に渡された携帯にはGPS機能が付いていたが、緊急時にしか使用出来ない用になっているらしかった。愁にはその仕組みが理解出来ないが、マッドの事だ、どうにかしていじくったのだろう、と言う事だけは解る。

「ちょっといじくって。僕のも愁の携帯でわかるよ」マッドはニコニコと笑う。「何かあったら助けに来てね」

 行かない理由が見付からない、と愁は思う。「あぁ」

「僕が何で日本に来たのか知ってる?」笑みを消し、マッドは視線を伏せた。

「知ってる。俺を監視する為だ」立てた膝の上で組んだ両手に視線を落とし、愁は淡々とした口調で言った。マッドがこっちに来る事は痛手だ。鑑識チームの主任が随分反対をし、行く直前まで散々もめたと言う話を愁も耳にしていた。それでも来る事になったのはマッドが行くと言って譲らなかった事と、ロバートの後押しがあったからだ。彼等がどんな話し合いをしたのか愁は知らない。だがそこに自分が絡んでいる事だけは知っていた。

 マッドは愁の左肩を指先で突いた。「シュウには前科があるからね。しっかり見てないと暴走しちゃうからさ」

「あれは暴走じゃない」愁は眉をひそめる。「勝算はあったし、別に命に係わる様な事じゃなかっただろう?」

 よく言うよ、とマッドは思った。こっちの気もしらないで。確かに勝算はあったのだろう。犯人は1人だけだったし、持っていたのはひどい改造銃だった。逮捕の後、試し撃ちをしたら、どんなに狙っても右に反れて飛ぶ事が分った。ジェイも愁もその事には気付いていたらしいが、そんな事は問題ではなかった。問題なのは、愁が撃たれたという事実。弾は左肩を貫いた。命の別状があった訳ではない。でも、この上ない程、動揺した。聞いた瞬間、自分の血の気が引いていくのが分った。指先が小刻みに震え、心臓が早鐘の様に鳴っていた。こんな職業を生業に選んだくせに、世界が歪んで見えた。もうあんな思いは二度と御免だ。

「でも、反省してる」愁は呟く様に言った。無謀な事をしたつもりも、命を粗末にしたつもりも、愁にはなかった。だが、怪我の程度よりも、ひどかったのが周りの反応だった。母は泣いた、マッドは怒った、ジェイは呆れた、ロバートは命の尊さを説教する神父を連れて来た。中でも愁の心が一番痛かったのは、父の姿だった。父親は病室に入って来て、笑いながら泣いた。『愁が生きていて嬉しい』と。愁は普段穏やかで、強い、父親の涙を始めて目にした。驚いた、というよりはひどくショックを受けた。だが、そのショックが何なのか未だに理解出来ない。己の心なのに。

「なら、良いけど」マッドはそう言うと、穏やかな微笑を浮かべた。愁が心底反省しているのは、マッドにも分りきっている事だった。余りにも長い時間、マッドと愁は同じ時間を共有してきている。愁がアメリカに越してきてから始まった2人の友情。2人の両親が共働きという事と、近所に住んでいた事もあって、殆ど家族同様に過ごしてきていた。人は2人を正反対のタイプの人間だと言う。でもそれでバランスが取れているのだ、とマッドは思う。「それに僕のお嫁さんみつけなきゃ」

 愁は柔らかな笑みを浮かべる。「そうだな」

 マッドは立ち上がると、ジーンズの膝に付いた小さな砂利をぽんぽんとはたいた。「ねぇ、彼女のお墓は何処にあるの?」穏やかな口調でそう言い、ちらりと花束へ視線を落とす。

「あぁ、どっかの寺の無縁墓地だと」

「そっちには行かないの?日本人は命日には仏花持って、線香立てて、手合わせて墓参りするんだよ」

 ゆっくりと立て上がり、愁はコートに付いた砂利や埃を払う。「別にそんな決まりはないさ。それにマッドだって仏花じゃないだろう」

「まぁ、そうだけど」マッドはそう言うと、花束を見下ろし、もう一度胸の前で十字を切った。既に歩き始めている愁の後を追う。マッドはすぐに追いつき、彼の隣を歩き始めた。「愁は彼女の事好きだった?」

 ちらっとマッドを見て、愁は眉根を寄せる。「何でそう思うんだ?」

「可愛かったから」

「そうか?」

 ダウンジャケットの襟をぐっと合わせて、マッドは頷いた。「うん」

「むしろ・・・」愁の口から溜め息が漏れ、それは白い煙に変わった。「嫌いだった」

「何で?」

「コバンザメみたいで。強い奴に媚びていて、その姿が堪らなく嫌だった」愁は淡々とした口調で言った。「でも今はそれも仕方のない事だったと解る。美香はそういう生き方を選んだのではなく、そういう生き方しか出来なかったんだと思う」

「うん」マッドは愁の顔を盗み見る。その顔は哀れみに歪んでいた。

 2人はそれっきり口を噤んだ。薄暗い道をゆっくりと歩き、それぞれ別の事を考える。しばらく歩くとネオン街へと出た。広場の中央で2人の若い男がギターをケースから出していた。どうやらこれから歌うらしい。その2人の前には数人の若者が始まるのを待っていた。一方、その横では数人の中年男性が眉をひそめて通り過ぎている。

 歌が始まる。歌っているのは白い髪の小柄な男性。その横で長身の男がギターを弾いていた。歌声もギターも圧巻だった。心地良い声とギターの音色。

 愁とマッドはその横を通り過ぎる。

「アライブだって」マッドが看板の様なものに貼ってある手書きのポスターを見て、呟いた。

「うっせぇなぁ、こんなところで演奏しやがってよ」通り過ぎる男が言った。

 愁は思わずその男を見た。2人に喧嘩を吹っかけそうなタイプには見えなかった。男はブツブツ文句を言いながら、歩いていた。

「うまいのにね」

「文句を言いたいだけの人間もいる。うまかろうが、下手だろうが、そんなものは大した問題じゃないんだ」

「まぁね」人ごみに消えていく男を振り返り、マッドは頷く。どうぞ彼と二度と会う事がありません様に、とマッドは心の中で祈る。ほんの些細な事、他人にしてみれば理解し難い事で、事件を起こす人間は山のように居る。口論、暴力沙汰から始まり、それは殺人までに至る。そしてその後、自分のした事に愕然とするのだ。道を踏み外すのは、ほんの少しのきっかけに過ぎない事もある。

「マッド」

 マッドが横を見ると愁の姿はなく、彼は少し前で立ち止まっていた。ぼんやりと先程の男の事を考えていたせいで、随分と遅れていた様だ。マッドは慌てて駆け寄った。「ごめん」

「夕飯、食ったか?」

「ううん、まだだよ」

 愁は少し前を指差す。「あれでどう?」

「良いね」

 肉を抜いてくれ、と言っても怪訝な顔をされないサンドウィッチ屋。看板を何処かで見つけると、嬉しくなると言っても御幣がない程だ。

 2人はそれぞれ注文し、会計を済ませると、窓際の席に座った。窓際はカウンターで他に座っている人間はいなかった。そもそも店はそれ程混んでおらず、テーブル席に学生らしい男女4人と女性の2人組がいるだけだった。

「なぁ、あれ、どうなった?」ホットコーヒーを啜りながら、愁は少し声を落として言った。他の客に聞かれない様にとの配慮からだったが、店内には音楽が掛かり、2人の座っている場所は彼等とはかなりの距離があった。

サンドウィッチにかぶりつき、口の中をいっぱいにしたまま、マッドがもごもごと言った。「あれ?昨日の?」

「竹内のやつ」窓の外に視線を向け、愁は小さく呟く。

「DNAが取れそうなやつは何個かあったよ」マッドは昨日の夜、竹内学の部屋の鑑識を行っていた。マッドが呼び出されて部屋に付いた時には、愁や田中の姿はなかった。2人は人伝にお互いが同じ現場に絡んでいるのを聞いていた。「ブラシに毛根付きの毛髪、ハブラシとか。凶器類は出て来てないね。包丁はあったけどルミノール反応はなし。他にナイフ類は見付かっていない。白いタオルとか包帯とかはあったけど量販されている物だろうし、口の中から出てきたやつと合ったとしても証拠として使えるかは微妙なところだよね。後、事件と関連付けれそうな物は見付かってない」

「本名は?」

 マッドは眉を寄せた。「教えてもらってないの?」

 愁は肩をすくめた。

「松本淳、25歳。本籍は埼玉だって」

「住所は?」

「実家にビンゴ。免許書の住所変更していなかったみたいだよ」

 愁がゆっくりとマッドを見た。

「行って来たよ」最後のサンドウィッチを口の中に放り込んで、マッドはにっこりと笑った。「怪しい物がわんさと出てきた。ビデオに雑誌にパソコンからも大量に」

 マッドが言わんとしていることはこの場にはふさわしくない事。暴力的なポルノが出て来たのだろう―無論、松本の場合は同姓のものだ―、と愁は思った。世の中にはそんな物が五万と存在する。マッドも愁もこの手のビデオを仕事で何度も目にしている。偽者と分っていても、気分が悪くなる代物。この手のビデオや雑誌を持っているからと言って、必ず犯罪者になる訳ではない。この手のビデオや雑誌を持っていないからと言って、必ずしも犯罪者にならないとは限らない。そこのボーダーラインは曖昧かもしれない。

「親はひどかったよ」アイスコーヒーをごくりと飲んで、マッドは視線を窓の外へと投げた。「母親はヒステリックに泣き叫んでいて、父親は無関心だった」

 テーブルに頬杖を付いて、愁も窓の外へと視線を移した。遠くで歌っていた、あの2人の姿が集まってきた人で見えなくなっていた。「そんなもんさ」

「うん」ストローでグルグルとコーヒーを混ぜ、マッドは小さく頷く。「今朝一番でモンタージュと氏名、年齢、公開したんだよ。テレビ見てないの?」

「テレビはない。知ってるだろう?」冷子が用意してくれたアパートは隣同士だった。

「ネットは?新聞だって朝刊は時間的にアウトだったけど夕刊には載ったみたいだよ」

「家に帰ってないんだ」

「ふーん」ちらっと愁を見てから、マッドは続けた。「公開した反応はそこそこあったみたいだよ。一番有力なのは関西方面に逃げたっていう情報みたい。今、その情報を元に山下さんと泉ちゃんがあっちに行ってるよ」

 愁は眉をひそめた。「泉ちゃん?」

「そ、池上泉ちゃん」目に掛かった褐色の髪をふぅと吹き上げる。

「ふーん」今度は愁がちらっとマッドに視線を送る。「で、その池上さんはどこに行ってるって?」

「大阪。一番情報が集まった。他にも京都の駅で見たとか、神戸とか、色々な場所で目撃情報があったんだけど、新大阪であの写真の男とぶつかったって言う人がいて、それが一番有力だったみたいだよ」

「大阪・・・」またか、と愁は思う。

「また、大阪」マッドはずっと音を立て、最後のコーヒーを飲み干した。「拘っているのかな?それともただの偶然?」

 温くなったコーヒーを飲み干し、愁は淡々とした口調で言った。「偶然だとしたら無意識だろうな」

「そう言えば実家の本棚にはライアーがいっぱいあったよ。愛読していたみたいだね。まぁ、中でも大阪の事件が載った号は机の引き出しの中にあったり、パソコンに取り込んでいたりと寵愛していたみたいね」

「なぁ、大阪の事件の犯人を発表した後、ライアーは発売されていないのか?」

「されてないよ。ライアーは週刊誌だし、月曜日発売だからね」

 愁はマッドに視線を向けた。日本に来て3ヵ月、マッドの日本の知識はどこまで増えたのだろうと片隅で思う。彼の知識に幾度なく助けられ、この先何度助けられるのだろうか。科学から一般的な事まで、その内容は実に様々だ。「明日か」

「大阪の事件の犯人が発表されたのは木曜日だね。三日前・・・」マッドは愁の顔を見る。「気が付いてた?」

「何処までも絡んでくるな、大阪と」

「警察が動き回っている事に気が付いて逃げたのかと思ったよ」

「否、それは正しい。実際、田中さん達は良い線まで迫っていた様だし、その話が松本の耳に入っても可笑しくはない。人の噂が回るのは早いからな」

 淡々と話す愁の横顔をマッドは見つめた。一瞬、大阪の事件が解決した事で松本が動き出したのかと考えた。きっかけにしていた事件が解決されてしまい、怒りを抱いたのかと。だが、大阪の事件の犯人は既に亡くなっていて、怒りをぶつけようにも会いに行こうにも、行く場所がない。それに警察が発表した情報には情愛が絡む怨恨であり、自分との動機の違いは明確だと解ったはずだ。だが、歪んだ思考の持ち主にそれが当てはまるとは思えない。「あっちに行って、犯人の家族とかに接触したりしないよね?」

 愁は僅かに肩をすくめた。「解らん。奴にとって襲う対象ではないと思うが、墓や家を見に行く事はするかもしれない」

 マッドは眉根を寄せた。

 携帯のバイブ音がして、愁はコートのポケットから電話を引っ張り出した。その横でマッドもダウンジャケットから携帯を取り出す。

「誰?」とマッドが言った。「僕は信さん」

「田中さん」

「お仕事だねぇ」苦笑を浮かべ、マッドは席を立つ。

「俺はまだ非番だよ」

「甘いよ、シュウ。冷子さんはそんなに甘くない」





                            *





 寂しく、薄暗い道。一枚のレシートがひらひらと風に吹かれている。ジュースの空き缶が道の隅で、落ち葉に埋もれていた。

 溜め息を付けば、それは白い煙に変わる。道行く人、誰もが身を縮ませて歩いていた。夜が深まる毎に寒さが募る。

「今日は冷えるなぁ」一升瓶を胸に大事そうに抱え、シゲがブルッと身体を震わせた。

「異常気象ってやつかね?去年はこんなに寒くなかったよなぁ」と源が言う。

「温暖化っていうけどよぉ」つまみが入った袋を抱え、棟梁が呟いた。「俺は毎年寒みぃよ」

 3人が角を曲がると、知った顔が見えた。

「そろそろ来る頃だと思ったのよ」

「美子ママ~」と3人は同時に言った。

 スナックの裏口のドアを開け放ち、後ろから後光の様に淡い赤色の光を浴びた美子ママは綺麗だった。少なくとも3人にとっては。長年の飲酒でハスキーになった声、片手に煙草、片手には大好きなビール、50代前半で独身。子供は居るが、随分前に出て行ってしまった。それ以来、子供は家にも店にも寄り付かず、たまに誕生日やクリスマスにプレゼントを送ってくる。美子ママは煙草を口に咥えると、店の中に手を突っ込み、レジャーシートを引っ張り出した。「今日は冷えるからね」とシゲに差し出す。

「有難いね」

 美子ママはニッと笑った。その目元に深い皺が刻まれたが、その顔はたまらなくチャーミングだった。「今日は先客がいたよ」

「先客?」源がきょとんとした表情を見せる。

 彼女は煙草を挟んだ指を指した。「ほら、花束」

 3人は美子ママのネイルアートが施された爪先が指差す方向を見た。

「どんな奴?」と棟梁が言ったが、その答えは3人共分っている。が、分らないのは、花束が二つある事。

「1人はスーツ姿のサラリーマン。もう1人は外国人だったわ。良い男だったわよぉ。背が高くてさ、顔も優しげで。日本人の方はいかにもサラリーマンだったけど、悪くも良くもないわねぇ」

「シュウだ」シゲは花束に視線を落とした。

「外人は誰だろうな?」

「2人はお友達だったみたいよ。仲良く話してたから」グラスの中の酒を呷って、美子ママは言った。

「ずっと見てたのかぁ?」棟梁がからかう様に言った。

「やぁねぇ」彼女はにこやかな笑みを浮かべる。「だって良い男なんですもの。それに気になるじゃない?」

「まぁ、確かに」

 美子ママはふぅと煙を吐き出し、二つの花束に視線を落とした。その目は哀しげだった。「恋人かなんかだったの?そのシュウって人。少しは彼女の事、愛していたのかしら?」

 シゲは花束からゆっくりと空を見上げた。「さぁ、どうだろうな・・・」








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