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Episode1 -5-

 ―木曜日―


 今の自分の位置は中途半端だ、と愁は思う。捜査の方に進展があったとしても、逐一報告がくる訳ではない。プロファイラーなのだから、それは不思議な事ではない。だが、なら何故一係にいる?

 朝のミーティング。田中と桜井、他の捜査員が4名、それぞれのデスクに居る。愁は何時もいない捜査員の椅子に座っていた。今日は丁度、田中と桜井の後ろ。愁が椅子に腰を下ろすと、2人は同時に椅子をくるりと回した。2人がペアを組んで1年というが、それ以上に見える。

「おはようございます」

「おはようございます」

 愁はにっこりと微笑んだ。「おはようございます。吉沢さんはまだですか?」

「遅刻ですねぇ」桜井がからかう様に言った。

 田中に視線を移した愁は少しだけ頬を緩めた。今日の田中はその容姿に見合った格好をしている。ノーブランドだが品の良い黒のスーツ、薄いブルーのシャツ、紫色のストライプのネクタイ。そして何時もより数段穏やかな表情をしている田中を見て、昨日はお楽しみだった様で、と心中で愁は思った。

 ポケットの中に両手を突っ込んだまま、田中は長い足を組み、つま先を小刻みに動かした。「浜野さん」口を開いた途端、彼の表情が険しくなる。「昨日、鑑識からの報告のおがくずを元にして大工や家具等のスギの木を扱う場所を回ってきました。とりあえず電話を貰ったのが世田谷だったので、まずはその周辺から・・・」

「目ぼしい人物は浮かんでこなかったんですね?」愁は眉一つ動かさない。

「えぇ、今日も皆で手分けして回るつもりでいますが」

 視線を感じて愁が田中の後ろを見ると、2人の捜査員が窺う様な目でこちらを見ていた。だが、愁には名前が思い出せない。一人は田中と同じくらいで30代くらいの女性、一人は40代後半くらいの男性だった。

「車のナンバーは世田谷だったのに・・・」桜井が眉を寄せた。

「車のナンバーとは何ですか?」愁が思わず聞き返した。

「世田谷の方の住人が怪しい車が居たと証言しています。中に居た人物は男性だった様ですが、年齢も顔も分からないそうです。例のカメラの写真も見せましたが、判断出来ないと言われました。その車のナンバーが世田谷だったそうですが、それ以外は覚えていないそうです」

 中途半端だ、とやはり思う。愁は唇に手を当て、気が付かれない様に小さく溜め息を付く。「それがもし犯人であるとしたら、恐らくレンタカーや盗難車であると思います」

「レンタカー?」と40代の男性が口を挟む。

「えぇ、この犯人が自分の車を使って目撃者を残すとは考えにくいと思います。それに車を持っているとも考えにくいですからね。レンタカーでは身元が割れてしまう確立が高いので、可能性は低いと思いますが、又貸し等なら有得ない話ではないかと思います」

「犯人は職を転々としている、又はフリーターでしたよね?」と田中。

「えぇ。一つの場所で働き続ける事は出来ないと思われます」

 田中がくるりと椅子を回す。「じゃ、池上と山下さんは一応世田谷のレンタカーをお願いします。レンタカーの方の捜査は今日の手ごたえを見てから判断しましょう。俺達は引き続きおがくずの方を当たります」

 2人が頷く。女性が池上、男性が山下、愁は頭の隅に刻む。山下はデスクの引き出しから地図を引っ張り出し、池上はパソコンを立ち上げながら、2人で話し始めた。

 田中が再び、愁の方へ椅子を回した。

「遅れてすまない」

 野太い声に、部屋にいる全員が声のする方に向いた。

 吉沢は小脇にファイルの束を抱え、自分のデスクに走り寄った。床が軋む音が聞こえてきそうだった。彼はデスクの上にファイルを置くと、椅子に腰を下ろす事はせず、淡々とした口調で言った。「人事異動だ」

 愁以外の誰もが「は?」「え?」と言った声を漏らす。

「田中」

「え?」田中の顔色が、一瞬青くなった。「はい」

「お前は来週から浜野と組め」

「は?」田中と桜井が同時に素っ頓狂な声を上げる。

 愁は眉をぐっと吊り上げた。

「お、俺は?」桜井が立ち上がり、自分をしきりに指差す。

「桜井は俺と、だ」

「えー」心底嫌な顔をして、桜井が叫ぶ様に言った。

 睨む様に桜井を一瞥した後、吉沢は愁と田中を交互に見た。「とりあえず浜野が面会を行っている間は今までのコンビ及び単独、俺と桜井に合流の方向で考えている。それはその時の状況で判断しよう」

 3人が同時に頷く。桜井は渋々だったが。

 田中が体の前で小さくガッツポーズしたのを、吉沢は見逃さなかった。彼は口元に微かな笑みを浮かべた。アメリカへの研修生に選ばれなかった―というよりは上層部が拒否した―田中にとって、向こうの捜査を学べるのは浜野とマッドと居る時だ。コンビを組めば、より一層話しが聞ける、間近で見れる。何処までも向上心のある男だ、と吉沢は思う。「それと悪いがあの部屋はあのまま使用してくれ。こっちにも空いているデスクはあるから、それを使用してくれても構わない。どちらにしろ、プロファイルはしてもらう」吉沢はデスクの上に置いたファイルを差し出した。

 愁は立ち上がり、吉沢の前に行くと、ファイルの束を受け取った。「総監命令ですね」吉沢にだけ聞こえる声で言う。

「ご名答。知っていたのか?」

「いいえ」愁はそう言うと、元居た場所へと戻った。昨日、藤沢冷子が『あの部屋にあるファイルは終わったの?』と彼に聞いた。愁は『えぇ、殆ど』と答えた。その結果が今日、というだけの事。今日は木曜日、残りのプロファイルは来週までに。今日増えたファイルは6冊。

 吉沢が各コンビに今日の予定を聞いていた。愁は部屋に篭もっています、と答えた。

「解散」吉沢の声が終わりを告げる。

「じゃ、浜野さん、来週から宜しくお願いします」田中はにこやかに微笑むと、手を差し出した。

 愁はその手を軽く取った。「こちらこそ、お願いします」キラキラと輝く田中の目を見て、愁は思わず笑った。彼は新しい玩具を手にした子供みたいだ。なら、自分はどうなのだろう。自分はこの状況を喜んでいるのだろうか。

 一方、桜井はがっくりと肩を落としていた。「ずるいですよ」

「そうか?」きょとんとした顔で田中が言う。「何でだ?」

 田中の冷めた反応を、見かねた愁が口を挟む。「桜井さんもよろしくお願いします。吉沢さんはやり手の刑事さんだとお聞きしました」

「そう・・・なんですけど」桜井はそう言うと、ぐるりと部屋を見回す。彼が探している男は何処かへと消えていた。「新人の頃、3ヵ月だけ組んだ事があって、その時聞き込みに行くと皆、係長の顔を見て逃げちゃうんですよ!」必死な顔で、桜井は訴えた。

 田中はゲラゲラと笑い出した。

「笑い事じゃないんですよ、田中さん。大変なんですから」

 桜井が嫌がっている理由が解り、愁はホッと胸を撫で下ろした。出来る事なら、恨みを買うのは本意ではない。捜査をしなければならなくなるのであれば、尚更だと思う。愁はクスクスと笑った。「大変ですね、桜井さん」

「もぉー、浜野さんまで」

 腕時計に視線を落とし、愁は笑顔のまま言った。「じゃ、私はこれで」

 笑っていた田中が部屋のシンプルな時計を見て、ふっと何時もの表情に戻った。「俺達もそろそろ行かなきゃな」

「はい」

 もう一度「じゃぁ」と言って、愁はファイルを片手に部屋を後にする。廊下はひどくひんやりとしていて、静かだった。自分の部屋の前で立ち止まり、愁は振り返った。「何でしょうか?」

 ヒールの音を響かせて、池上は彼の前に止まった。長く美しい茶色の髪が、彼女の背で踊る。黒いパンツスーツを着ている彼女は、刑事という職を生業にしているだけあって雄雄しい。髪と同じ色の、切れ長の茶色い目が愁を捕らえる。「あんた、捜査なんて出来るの?」普段の池上を知らないとしても解る、刺々しい口調。

「さぁ、どうでしょうか?」愁はにこやかに微笑む。

「馬鹿にしてんの?」

「していません」しれっとした顔で答える。

 池上はあからさまに眉を寄せた。彼女にとって、目の前にいる男は未知数だった。日々、一癖も二癖もある同僚の男達と対等に渡り合っているが、浜野愁は何処か癇に障る。女、30歳、生きてりゃそんな奴もいるわ、と思っていたのだが、こいつの何が癇に障るのか単純に知りたい。これから仲間になるのだったら。「護は・・・」

「護?」愁は呟く様に繰り返す。「田中さんですか?」

「同期なのよ」池上は少しだけ頬を染めた。田中を入社当時呼び合っていた下の名前で呼んだ事が、恥ずかしかった訳ではない。この男の前で何かミスをした様で恥ずかしかった。「田中や桜井はあんたを信用しているみたいだけど、私は無理だわ」

「構いませんよ」愁はにっこりと笑う。「ただ、私のプロファイルは信用して下さいね。これでも色々と勉強したんですよ」

 私はあんたに喧嘩を売ったのよ、男なら買いなさいよ、池上は眉尻をぐっと上げ、睨むように愁を見た。気の強い、負けず嫌いの自分には男と張り合う事なんて、日常茶飯事だ。売った喧嘩も、買った喧嘩も、プライベートだろうが仕事だろうが、両手では足りない。

「それにチームが信じているプロファイルを邪険にして輪を乱すなんて池上さんも本意ではないでしょう?」

 これだ、と池上は思う。ひどく落ち着いている様に思える物腰、これが落ち着かない。確か自分と同い年のはずだ。周りの友人は、同僚はこんな反応はしない。もっと激しい、感情が、表情が、態度が。だが、浜野愁は常に一定だ。どんなに悲惨な現場を見ても、誰に何を言われても、何時も、この3ヵ月。だから、嫌なのだ。その大人びた物腰が、自分を子供だと馬鹿にしている様で。「プロファイルは信じてるわよ」

 愁はにこやかに微笑んだ。「ありがとうございます」

 やっぱり嫌いだ、と池上は心中でごちて、何も言わず踵を返した。長い髪が、彼女の動きに合わせてサラサラと揺れていた。

 愁は彼女が自分に背を向けると、部屋の中へと入った。後ろ手にドアを閉め、デスクの上にファイルをドサッと落とす。デスクの上に置いてある煙草に手を伸ばすと、丁度コーヒーメーカーが音を立てて鳴った。1本を口に咥え、火を点ける。立ち上る白い煙を引き連れて、椅子に腰を下ろした。

 早速1人嫌われたな、と自虐気味に笑った。池上は藤沢冷子とは違うタイプの刑事だ。藤沢はどちらかと言えば小賢しい手を使っても目的を達する。だが、池上は直情型、思い込んだら頭から突っ込みそうなタイプだ。どちらにしろ、現場へ出れば、池上とも接する機会も多くなるだろう。ストレートに感情をぶつけてくる分だけ、藤沢よりは楽だろうか。否、どちらにしろ、己の仕事をするだけだ。池上の事は大した問題ではない。

 ネクタイを緩めて、愁はファイルを捲った。





                         *





 PM7:00。

 車の量も、行き交う人の量も恐ろしく多い。交差点、横断歩道に入ったまま進めなくなったバンを、特に何も感じていない様子で人々は歩いていく。愁もその流れに沿って、横断歩道を渡っていた。

 電車の音、車のクラクション、店の中から漏れる音楽、人の笑い声、怒鳴り声。

 線路の高架下、漏斗に吸い込まれるように人が入っていく。愁はスーツの上に羽織ったコートのポケットに両手を突っ込み、高架下に飾られている素人の絵を一瞥する。壁がくり貫かれ、ガラスの入った簡易展示場には絵や彫刻、手芸品まで、様々な物が飾ってあった。

 高架下を抜けると、若い女性が愁の前にすっとポケットティッシュを差し出した。彼はその手を避け、先へと進む。明るく、華やかな街へ。

 きらびやかなのは、常に変わらない。街は何時も変化しているが、そこにあるのは何一つ変化しない。

「ねぇ、お兄さん、良い娘いるよ」金髪に染めた、怪しげな男が声を掛ける。

 立て看板を抱えた、若い男が叫んでいる。「居酒屋、港でーす。割引券あります」

 スーツ姿の男、OL風の女、茶髪で化粧の濃い女、若いカップル達。愁は逆らわぬ様に、人の間を縫っていく。

 アーチを潜り抜け、路地裏を覗き込む。その姿を見ていた若い女性2人が、あからさまにコソコソと話しだす。華やかな場所で、愁は薄暗い場所を覗き込む。何かを探して。探してみつからない、何か。日本に来て3か月間、ずっと探していたモノ。

『この街は眠る事がない。常に人の魂を食らって生きているのさ』そう、微笑んで、自分に教えてくれたのは・・・。

「あなたでしたね」

 縁石に座りこんでいた、初老の男性が顔を上げる。その汚れた、人の良い顔がひどく歪む。「おい、何だ、兄ちゃん。失礼だろ」意気込むが迫力はない。何十年も使い穴だらけの大きなリュック、毛羽立っているスラックス、白が黄色に変わっているセーターに、汚れたブルゾン。無精鬚を生やしていたが、髪は薄かった。男は立ち上がったが、愁の肩ほどの身長しかなかった。

「随分探しましたよ」

「お前、さっきから何なんだよ。年寄りからかって何が楽しいんだ?それとも何か?お前、ホームレス狩りか!」

 男が怒鳴る様に言ったので、行き交う人が2人の方を振り向く。だが、誰もが通り過ぎていく。

 ちっ、嫌な世の中だ、と男は思った。今年ホームレス狩りとやらで、仲間が1人逝った。犯人は10代の子供だった。一時期は何人もの仲間が標的になった。数は少し減少したのだろうか。何がホームレス狩りだ。俺達は動物じゃない。お前等と同じ人間だ。なのに何故“狩り”なんて言葉が出てくる。そしてそれが何故、ニュースでさも当然の事の様に使われるんだ。まるでゲームの様に、仲間の命が意図も簡単に消えていく。

 この目の前にいる男は、さっきから何を微笑んでいやがる。見ればスーツを着て、サラリーマン風だ。サラリーマンでも有得ない事をする人間は幾らでもいるが、特にこの男から恐怖を感じはしないのだが。

「シゲさん、お久しぶりです」

「お前、誰だ?」

 愁はにっこりと笑った。「ちょっと待っていて下さいね」穏やかな口調で言いながら、シゲの横を通り過ぎる。シゲの座っていた斜め後ろにある自販機で、ホットコーヒーを二つ買い、一つを彼に差し出した。

 一連の動きを、記憶を辿りながら、シゲは目で追っていた。俺の名前を知っている。誰だ、こいつは。こんな男、何処で会った。ハローワークか?シェルターか?炊き出しの奴か?品の良いスーツを着た若い男なんぞ、最近は話した事がない。だが、手はコーヒーに伸びた。「悪いな」

「思い出してくれましたか?」愁はコーヒーを開け、一口飲んだ。

「否、誰だ?」悪びれた様子もなく、シゲは言った。コーヒーの缶を両手に挟んで、冷えた手を温める。

 愁は苦笑すると、縁石に腰を下ろした。

「おい、汚れちまうぞ」何故かシゲが慌てる。

「構いませんよ。それより1本、どうです?」愁は煙草を差し出した。

「おう、貰うよ」シゲも彼の隣に腰を下ろし、貰った煙草を口に咥えた。愁がライターに火を点け、差し出す。深々と煙草を吸い込み、シゲが言う。「すまねぇな」

「良いんですよ。それよりも本当に思い出せませんか?」

 シゲは煙草を咥えたまま、頷く。

「少しショックですね。じゃ、これなら分かりますかね」愁はそう言うと、睨む様な目でシゲを見て、囁く様な声で言った。「うるせんだよ、クソジジィ」

 シゲは目をまん丸にして、愁を凝視した。が、あっ、言って、彼を指差した。「お前、あん時の坊主か!そうだ、その目。何だ、随分立派になったな、坊主」

「坊主はやめて下さい。もう30になりましたよ」

 シゲがバンバンと愁の背を叩く。「30か!おっそろしいな。俺もジジィになる訳だな」

 変わらない、シゲの笑顔を見て、愁はそう感じた。彼と居ると、自然顔が優しげになる。「シゲさんは一体幾つになられたんです?」

「俺か?俺は70に近くなったなぁ」美味そうに煙草をすいながら、シゲは答えた。

「今年の冬は寒いそうですよ」愁は心配そうな眼差しを向ける。

 シゲは空を見上げた。「そっか、今年は外じゃ厳しいのかねぇ。年は取りたくねぇなぁ」

「何故、シェルターに入らないんです?」携帯灰皿をシゲに差し出し、愁は自分も煙草を咥えた。2人の吸う、煙はゆらゆらと揺れながら、風に乗って消えていく。縁石に座りこむ二人を、物珍しそうに通り過ぎる人達が視線を送る。だが、2人はそれを気にしていない。

 シゲはフッと笑った。「何でだろうねぇ」哀しげな目をして。

 2人の間に沈黙が流れていた。だが、それはけして嫌なものではなかった。

「なぁ、坊主。お前、名前何て言ったっけか?」愁が差し出した2本目の煙草を吸いながら、シゲは穏やかな口調で言った。

「浜野愁ですよ」

「あ?そんな名前だったっけか?」

「そんな名前です」愁はにっこりと笑う。

 行き交う人の流れを見ながら、シゲは呟く様に言った。「なぁ、シュウ、あの時俺等、結構探したんだぜ」

 嬉しそうに、愁は顔を綻ばせる。「ありがとうございます」

「ま、良いけどよ」彼の表情に、シゲはそれ以上言うのはやめた。誰だって何かしら抱えているもんがあるのさ、それがシゲの人生の教訓の一つだった。特にこの街で出会う人間には、野暮な事はしない方が良い。それにこいつは俺等が探したのが嬉しかった様だ。なら、この笑顔を見られただけで、あの時の苦労はチャラだろう。「しかし、シュウ、何でここに戻って来たんだ?」

「情報屋を探しに来ました」しれっとした顔で言った。

「は?何だってお前、情報屋なんぞ探してんだ?お前、まさか・・・」まくし立てる様に言った後で、シゲは眉を寄せ、怒鳴る様に言った。「殺し屋になったんじゃないだろうな!」

 その声と、発言に、行き交う人々が2人に注目する。

 愁は一瞬を目を瞬き、ゲラゲラと笑い出した。「どうしたらそんな発想になるんです?」

「あぁ、違うのか・・・」心底ホッとした表情でシゲが言った。

 愁はまだクスクスと笑っていた。やがて少し落ち付くと、スーツの胸ポケットからバッチを取り出し、シゲに開いて見せた。「殺し屋とは真逆の位置にいます」

 シゲはまた目をまん丸にしていた。「ケーシチョー?はぁ、こりゃ、またすごい所に居るんだなぁ、シュウ」

「えぇ、おかげ様で」バッチをスーツの胸ポケットに押し込んだ。

 シゲはニッと唇の端を上げる。今日の煙草はイヤに美味いじゃねぇか、シゲは心中で独りごちた。目の前を通る、やけに派手な女性が、シゲには少しだけ霞んで見えた。

「やってくれますか?」

「あ?」愁の言葉に、シゲは素っ頓狂な声を上げる。「何だ、俺にやれって言ってんのか?俺がお前の情報屋?」面白くなさそうにシゲは笑う。

 愁は思わず苦笑した。その為に3ヵ月もの間、彼を探したのだ。無論、シゲに会いたいという気持ちがあったのは事実。だが、それ以上に彼の持っている情報が必要だった。本人はソレにどうやら気が付いていない様だが、シゲには至る所に色々な知り合いが居る。その知り合いからもたらされる情報がすごいのだ。坊主、であった時ですら、そう感じていた。多分シゲはあの頃より、更に多くの知り合いを作っているはずだ。老若男女、多種多様の職業の人間と。欲しいのは警察が掴める情報じゃない。

「俺は情報屋なんてタマじゃねぇよ」

「シゲさんじゃないと駄目なんですよ」愁は微笑を浮かべた。だが、その目はひどく真剣だった。

 シゲはうーんとだけ唸った。彼の口の端に咥えてある煙草から、灰がぼとりと路上に落ちた。嘘偽りなく、シュウの力になってやりたい、とシゲは思っていた。己を頼る誰かがいる、それがあの時の坊主であるなら尚更だ。手を差し伸べてやりたい。「なぁ、シュウ。お前、結婚してるのか?」

「いいえ、していません」

「30だろう?しないのか?」

 愁は小さく笑った。「しないんじゃなくて出来ないんですよ。モテませんから」

「そうか?」シゲは不思議そうな表情を浮かべた。確かにシュウはハンサムな男ではない。だが、ひどい訳でもない。だからモテないと言うのは言い訳にはならない気がした。古い感覚だとは分かっているが、30歳独身は遅いのではないかと思ってしまう。否、きっと今の時代は俺等の時とは違うのだ、様々な事が。「なぁ、シュウ」シゲは呟く様に言った。彼の足元で落ちた灰がくるくると踊っていた。

「何でしょう?」愁の口から白い息が漏れる。それは肺に残った煙なのか、それとも寒さが増してきたせいなのか、愁にはよく解らなかった。

「もし、お前が結婚して、何時か子供が出来たら俺に抱かせてくれるか?」

「えぇ、勿論です」

 シゲの顔が綻んだ。携帯灰皿で煙草を揉み消し、シゲは小さな声で言った。「なぁ、シュウの欲しい情報ってのは何なんだ?やっぱり事件の事か?」

「えぇ、事件の事もですが・・・」愁は少しだけ言い淀んだ。「あの時、私が一緒にいた連中を探しています」

 あぁ、そういう事か、だからシュウはこの街に戻って来たんだな、シゲは納得した様に頷く。「あいつ等は散り散りになったって聞いた」

 愁はコーヒーを飲み干し、封を開けていない煙草とライターをシゲに渡した。「えぇ、私もそれは聞いています」

 シゲは煙草の封を開け、フィルムをポケットの中へ突っ込んだ。「俺が知っているのは一人だけだ」その結末を。

「美香ですか?」

「あぁ、そんな名前だったっけか」唇の端に煙草を咥えると、シゲは哀しげな顔をした。「あの娘はこの街で生まれて、この街で逝ったよ。何の因果かねぇ。俺より先にあんな若い娘が逝っちまうなんて」ライターを点けると、シゲの顔が赤く染まった。

「見たんですか?」何処か宙を見つめて、愁は呟く様に言った。

「あぁ・・・」そうだ、警察だもんな、お前は。シゲは愁の顔をちらりと見た。その目は何処かを見ていたが、何処も見ておらず、哀しい色をしていた。「見たよ」その最後の、彼女の姿が今も瞼から離れない。

 2人の前を、その沈黙を打ち破る様に、若い男女のグループが騒ぎながら通り過ぎる。踊るように歩き、心底楽しげに笑う。そして、何を思う。

 死は命ある全てのものに訪れる。不老不死の薬は出来ていないのだから、仕方がない。何時かもし、不老不死の薬が出来たとしても、そんな物は口にしない、とシゲは思う。俺にも何時か死が訪れるだろう。だが、俺より先に若い奴が逝くのは悲し過ぎる。

 路地裏、汚れた壁に寄りかかって死んでいたあの娘は、ひどく青白い顔をしていた。頬がこけ、スカートには血が付いていた。ただ、哀しかった。たった一粒の涙も零れない程、ひどく哀しかった。

「シゲさん」

 ふとシゲが隣を見ると、愁は立ち上がっていた。シゲは彼を見上げた。

 コートのポケットから名刺を取り出し、愁はシゲの手に捻じ込んだ。「宜しくお願いします」一礼し、にっこり笑うと、愁はシゲに背を向けた。

 その背を追う様にシゲが立ち上がると、誰かがポンッと肩を叩いた。

「シゲさん、何してるんすか?」

 シゲが振り返ると、金髪の髪を逆立てたスーツ姿の男2人が、にこにこと笑いながら立っていた。

「お前等こそ」

「俺等はこれからご出勤っすよ」

「そりゃ、ご苦労なこった」シゲはそう言うと、人ごみに呑み込まれるようにして去っていく愁の後姿を追った。もうその殆どが見えなかった。シゲは手を広げ、捻じ込まれた物を見た。一枚の名刺。勿論、愁のもの。手書きの携帯番号。裏を見ると、綺麗に畳まれた万札があった。







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