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23/27

Episode3 -5-

 ―火曜日―


 AM6:00

 冬のせいか、まだ朝日は昇ったばかりで、空は薄暗い。昨晩振った雪は積もる事なく止み、ただ寒さだけを空気中に残していった。

 珍しく自分で入れたコーヒーは濃過ぎてほろ苦く、お世辞にも美味いとは言えなかった。出勤する途中で寄ったコンビニでおにぎりと菓子パンを買い、コーヒーで無理やり胃に流し入れた。

 愁は短くなった煙草を、灰だらけの灰皿に突っ込み、揉み消した。椅子の背もたれに体を投げるように寄り掛かかると、椅子がギシッと音を立てた。デスクの上に積み上げたファイルを手にする。何度も何度も目を通したファイル、15冊。

 聞きなれたヒールの音が、静まり返った廊下に響く。カツンッと言う音が、一定のリズムを刻んで、愁のオフィスに近づいてくる。背筋を伸ばし、髪を背中で躍らせながら、颯爽と歩く、その姿が容易に愁の脳裏に浮かんだ。ヒールの音がドアの前で止み、ノックの音に変わった。

「どうぞ、池上さん」ドアがゆっくりと開き、愁の目に映った池上の眉は上がっていた。彼は小さく笑った。

「何で分かったの?」

「足音ですかね」池上はローヒール、他の女性―愁のオフィスに向かう女性に限り―はピンヒールかハイヒールだ。ヒールの高さの違いだけでなく、足音は驚く程違う。その足音は性格を表している様に愁は思う。「おはようございます。今日はまた一段と早いのですね」穏やかな笑みを浮かべて見せる。

 池上は肩をすくめた。「相棒だもの。一応ね」彼女の後でバタンッとドアが閉まった。「どうせ、お泊りして未解決事件のファイルを漁っているんじゃないかと思って」その口調は全く嫌味がない。池上はニッと笑った後で、コーヒーメーカーに視線を向けた。「誰が淹れたやつ?」

「私です」

「自信は?」

「驚く程ありません」

 池上はクスクスと笑った。「淹れなおしても良い?」

「えぇ、不味いと吐かれるよりは、そうして頂いた方が良いかと思います」

「そんなに不味い訳?」池上はコーヒーメーカーから、コーヒーが沢山入ったガラスのサーバーを取り出した。思わず中を覗きこみ、匂いを嗅いだ。「濃そうね」そう呟く様に言って、部屋を出て行った。

 同じコーヒーメーカーで淹れたとは思えない程、池上が淹れたコーヒーは美味しかった。

 彼女の淹れたコーヒーを堪能した後で、愁は5冊のファイルをデスクの上に置いた。「絞り込みました。ですが、もう少し詳しい資料を取り寄せてからでないと確定しない事件もあります」

「確実だと思うのはどれ?」コーヒーに口を付け、池上は足を組んだ。コツッとヒールの先がデスクに当たった。

「埼玉の事件ですね」青いファイルを池上に差し出した。「資料も揃っていますし、ほぼ確実だと私は思っています」

 池上はカップをデスクの端に置き、ファイルを受け取った。ファイルを捲ると、事件番号と被害者の氏名、年齢、住所等が書いてあった。今から丁度2年前。被害者は2人。夫と妻。夫、31歳、一流企業に勤める会社員。妻、27歳、専業主婦。マンションの一室で殺害されているのを、妻の両親が発見。夫妻には子供―当時、2歳―が居たが、その日は妻の両親の家に泊まっていた。翌日の夕方、連絡も付かず、子供を迎えに来ないのを不審に思った両親がマンションを訪ねてみると、夫がリビング、妻は寝室のベットの上で死亡していた。鍵は掛っており、両親は以前から預かっていた合鍵で入った。

「今度は夫婦?」池上はファイルから顔を上げると、思わず口にした。

 愁は次のページを捲る様に促した。

 池上はページを捲り、そこにある写真を指差す。「野口恵さんとはタイプがま逆ね。黒い髪、ノーメーク、何処からどう見ても真面目そうな女性。夫の方も真面目そうだし、優しそうに見える。ま、悪魔で外見上だけど」

 写真は家族3人のものだった。夫と妻、産まれて間もない赤ん坊は妻が抱き、夫婦は満面の笑みを浮かべている。授かった小さな命を囲む幸せな夫婦。

「えぇ。ですが違いはそれだけはではありません。凶器は不明ですが、鈍器の様なものによる殴打、となっています。殺害方法も違いますし、部屋には争った様な跡もあります。通帳や印鑑、その他に現金、宝石類が盗まれている事から地元警察は強盗殺人の線で追っている様です」

「でも、あなたのプロファイルでは強盗じゃない訳?」

 愁は彼女の手からファイルを取り、目当てのページまで捲り、再びデスクの上に広げた。「通帳と印鑑を盗んでいますが、2年経つ今でさえ引き出された形跡はありません。当時の刑事達が質屋に宝石の写真を持って聞き込みをしていますし、都内の質屋に写真を配っていますが、売った形跡はありません」

「怪しまれる、捕まる、と思って引き出さなかったのかも」現金は10万程度しかマンションにはなかった、預金通帳には全て合わせて800万近くの金、確かに強盗であれば引き出さないのは不自然な程の金額だ。

「えぇ、その可能性もあります」最近の強盗殺人事件はATM等で引き出そうとして防犯カメラに映り、逮捕されるケースもある。もしもその時、別の事件の防犯カメラの映像がテレビのニュースで繰り返し流れているのを見たら、犯人は引き出す事をやめる可能性がある。「ですが」と愁は解剖の結果と写真が貼ってあるページを捲った。

 解剖の写真、妻の華奢な首に残る傷跡を見て、池上は顔を上げた。その顔は戸惑いに満ちていた。「何これ?刃物の傷があるの?」

「えぇ、犯人は刃物で妻を脅していた様です。ですが、殺害したのは刃物ではなく、鈍器なようなもの。そのどちらも現場からは発見出来ていません。恐らく刃物も凶器になった鈍器も犯人が持ち込んだと推測出来ます」刃物は被害者宅から無くなったと思われるものはなく、鈍器も持ち去られた様なものはなかった。被害者の両親がこれを証言している。

 妻の手首には拘束された跡もあった。妻の手首に巻かれていたのは、ビニール紐。地元警察は持ち込まれた物と推測している。首の傷はひどくはなく、血が滲む程度。夫にはない、手首に拘束された跡も、ナイフで傷つけられた跡も。

 愁は解剖報告書の一文を指で叩いた。「死亡推定時刻にもずれがあります」

「夫は深夜1時から3時。妻は3時から5時?」

「地元警察は銀行の暗証番号や現金などの置き場所を聞いていたのではないかと推測しています。夫を先に殺害し、その後ゆっくりと」

 コーヒーの湯気越しに池上が愁を見る。「で、あなたはこの間、犯人は何をしていたと思うの?」

「脅していたと思っています。死をちらつかせて、恐怖を煽り、堪能していたのでしょう」夫を目の前で殺害されているのだから、その効果は絶大だ。

 彼女の目が何かを思って吊り上がる。

「野口恵さんの事件との関連付けはこの段階では出来ません。証拠から何か共通したものが出てくれば別ですが」

「後の事件は?」

「5年前、北海道で女性が白骨死体で見つかっています。行方不明時は7年前で被害者は当時24歳、職業はホステス、独身。骨にナイフの跡が残っていた事から凶器はナイフかと思われます」愁は黄色のファイルを指差した。

 だが、池上はファイルを手に取る事はしなかった。「他は?」

「11年前、京都で一軒家に何者かが侵入。夫45歳はナイフで滅多刺しにされ死亡。妻42歳はレイプされ、殴られて重傷。子供、当時21歳、15歳は寝ていた為無傷。翌朝起きて来た21歳の息子が発見」

「変な事件」池上はボソッと呟いて、愁が指差した赤いファイルを手に取った。ペラペラと捲り、現場写真で手を止める。「21歳の息子と15歳の娘は寝ていた為、無傷?」それくらいの年の子供なら、物音で起きてきても不思議はない。2人の人間を殺害するのに、無音は不可能だ。

「睡眠薬を盛られていた様ですね」

「誰が?」

 愁は苦笑を浮かべた。「解らない、と被害者も家族も証言しています。その日は家で夕食を取ったそうですし、誰かから頂いたものもなかった、と書いてあります。2人だけが食べたり、飲んだりしたものはない様ですよ」

「薬を盛られていたのは息子と娘だけ?」検査で少量の睡眠薬が検出、夫の解剖報告書の近くに子供2人の検査の結果が添えられてあった。池上は眉を寄せた。「外部からその状況で薬を仕込む事が出来るとしたら水道とか?でも、子供2人だけなんて無理よね」

 愁は小さく頷いた。「えぇ、まず無理でしょうね。鑑識が水道や冷蔵庫の食品を検査した様ですが、何も出なかった様です。ただし、家の中から同じ種類であると思われる睡眠薬が発見されています」

「家の中の睡眠薬を使ったって事?」ますます意味が分からない、と池上の表情が曇る。「それともたまたま同じ種類だったってだけ?」

「どちらでしょうね」

 池上はファイルをパタンっと閉じた。「後の事件は?」

「6年前、兵庫で、当時32歳の女性が失踪。彼女は忽然と姿を消し、家族が失踪届けを警察に提出。それから3年後、山の中で白骨化した頭蓋骨が発見され、歯の治療痕が彼女と一致。周辺の捜査をしたが、頭蓋骨以外は発見されず仕舞いに終わっています」

「もう一つは?」

「10年前、仙台の海で腐敗した死体が発見されました。被害者は当時20歳の独身男性。男性は数か月前から行方不明になっており、1人暮らしをしていたアパートは争った様な跡があったそうです。死因はロープ等による絞殺」

 池上は大きな溜め息を付いた。「この5件、全て犯人を示す証拠がない訳?」

「えぇ。指紋、DNA、犯人に結び付く証拠の類は見つかっていませんね」

「証拠は取り寄せたの?」

「埼玉の事件の証拠は今日か明日、鑑識に届く予定です」

「他の証拠とか詳しい資料は?」

「これから総監に報告し、取り寄せる事になると思いますが」愁は腕時計にちらっと視線を向ける。冷子はまだ出勤していないだろう。「いずれにせよ、時間は掛るでしょう」

「鑑識は誰がやる訳?」

「マッドか加藤さん、井上さんではないでしょうか」愁は鑑識を指定出来る立場ではない、冷子がチョイスするとしたらあの3人を選ぶだろう、と愁は予測していた。野口恵の事件を迷宮入りさせない為に。

 池上は「そう」と小さな声で言って、幾分冷めたコーヒーを胃の中に流し入れた。「もしもこの5件と野口恵さんとの事件が全て同一人物だとしたら、最初の殺人が11年前の京都の事件よね?」

「いいえ」

「いいえ、って何よ」池上の眉が上がった。

「11年前の事件以前にも恐らく何らかの形で殺人を犯していると思います。野口恵さんの事件の犯人は20代後半から30代前半、11年前の事件では10代後半か20代前半。ですが、事件のプロファイルをすると20代である可能性が高いと思われます。この事件が人生初の殺人だとは思えませんね。手慣れていますし、計画性もありますから」ひどく淡々とした口調で愁は言った。

「何らかの形ってどういう意味?」

「例えば、殺害したのは犯人だが、事故として処理された等ですかね」事によっては冤罪も可能性がある。「10代の頃から様々な形で犯罪に手を染めていると思います。連続殺人犯の多くは幼いころに小動物を殺害している傾向がありますから、この犯人もやっているかもしれません」

「何にしても、一切ばれずに今までやってきた訳よね。賢くて、その上運まで持ってる訳よね」その運はここでお終いにしなければ、池上はカップを包んでいる両手に知らずに力を込める。また次の被害者が出る前に。彼女は自分を落ち着かせる為に、長く息を吐いた。「でも、どうして全国各地で殺人を犯しているのかしら?捕まらない為?」

「解りません。犯人が少しの間、その土地に住んでいたのかもしれませんし、旅行に行った先で見かけたり、こちらで見かけ追いかけたのかもしれません」どの可能性も捨てられない、池上の言う捕まらない為に、も。

「殺人を犯す為に全国に旅行?」はぁっと大きな溜め息を付き、池上がうんざりした口調で言う。

「意外に多いんですよ。バックパックに地図さえ持っていれば観光地ではウロウロ歩いていても余り怪しまれませんからね」愁は京都の事件のファイルを手に取り、パラパラと捲る。「すみません、道を教えて下さい、から始まって被害者に近付く事も可能ですし、被害者も警戒心より親切心の方を大きくしますから」

「その上、差ほど記憶にも残らないわね。そんなのは観光地であれば年中だろうし」

「えぇ」

 狭いオフィスに沈黙が流れた。愁は京都の事件のファイルを再び真剣に読み出していた。池上はその他のファイルにざっと目を通す。

池上はふっと顔を上げると、淡々とした口調で言った。「昨日は家に帰ったの?」

愁は手にしていたファイルから顔を上げた。「帰りましたよ」

「そう?じゃ、しっかり寝た?」

「えぇ、もう、ぐっすり」2時間、デスクの下でぐっすり。

「目の下にクマ、出来てるわよ」







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