Episode3 -4-
「僕のお嫁さん探し、一体どうしてくれる訳?」連日連夜の超過勤務でデートらしいデートもしてないよ、とマッドは文句を口にする。「大体、冷子さんは人使いが荒過ぎるよ」
「それを言うならFBIの時も大差はないだろう」と愁は呆れた表情で言った。
「全然違うよ。だってここ、日本だもん。お嫁さん候補がいっぱいいるんだって」マッドは無邪気な笑顔を浮かべて見せる。
「あぁ、そう」愁は心底呆れた口調でそう言ってから、後ろを振り向いた。「何処まで付いてくる気だ?」
マッドはふふん、と笑った。「何処までも」
大きな溜め息を落とし、愁は少しだけ歩く速度を落として、マッドが横に並ぶのを待った。「ところで、遺体の傷跡はどうだった?」
「あ、うん。形や幅から推測すると日本刀だと思うよ」
「日本刀?」
「そう」マッドは時代劇役者が悪人を切り倒して行く様に、空想の刀を振り回した。「種類はまだ不明。さすがにそこまで調べる時間なかったんだよね。今日は2件たて続けに起こったし」
その横を通り過ぎる人達がクスクスと笑いながら2人を見つめる。
「そうか」
マッドは愁を見て苦笑する。友人は目頭を揉み出していた。「凶器のチョイスが珍しいものだね。何か意味があるのかな?」
「さぁな。だが、辻家は純和風の造りで、美術品も沢山置いてあった」日本刀は目にみえる場所になかったが、と愁は目頭を揉んでいた手を離した。
「うん、日本刀もあるらしいしね」
愁は目を細めてマッドを見た。「誰から聞いた?」
「品の良いお手伝いさん。辻豊は家康が大好きなんだってさ。村正が何本かあるらしいけど、彼が所有していて、大事にケースにしまっているらしいよ」見てみたいよね、と喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
「そう」
「裕也さんの自殺は目撃者の証言と手すりに付いていた指紋から間違いはないだろうけど、遺書は見つかっていない。純也さんの殺害現場に裕也さんの指紋は残ってないし、今のところ裕也さんと現場を結び付ける物は何も出ていない」
辻裕也は医師達の懸命の措置も虚しく死亡した。病院の屋上に続くドアノブ、飛び越えたとされる手すり部分には彼の指紋が付着。屋上には遺書も靴も残されてはいなかった。裕也は実家に住み、その豪華な造りの部屋も捜索したが、彼が思い悩んでいた証拠となる様なものは一切発見されていない。遺書も日記もゼロ。又、父親である辻豊も同僚の医師達も、裕也が自殺する理由が見当たらないと言う。ただ一つ、今日の午後行われるはずだった、彼の担当の手術を午前中にした理由だけが曖昧で説明が付かないと言う。
「だが、限りなく黒だな」愁は呟く様に言った。
「そうかもね」前から歩いて来る黒い髪の小柄な女性を目で追いかけながら、マッドは上の空で答えた。
小柄な女性は自分を見つめるマッドに不思議そうな表情を浮かべていたが、彼がにっこり笑うと、小さく微笑み返した。女性は30代前半、着物を着ていたが、派手さはなく、品の良さが窺えた。襟元をすっと直す手の動きがとても美しく、優雅だった。
女性が通り過ぎるのを待って、マッドが言った。「シュウ、和服美人」
その声に返事はなかった。
マッドが隣を見ると愁の姿はなく、ふっと視界に入った人影を見つけて前を見ると、彼は10メートル程先を猛然と走っていた。「シュウ!待ってよ」マッドは慌てて追いかける。
愁の後ろ姿は看板のライトがキラキラと輝く、ラブホテルの中に吸い込まれていった。
「嘘でしょ」マッドは日頃の運動不足を祟りながら走り、我が目を疑う。そんな場所2人では入れないよ、と1人冗談を言ってみたが、自分ですら笑えなかった。
やっと追い付いたマッドはラブホテルの塀から、おそるおそる中を窺った。息が上がって、眩暈すらした。もしかしてデートだったから巻かれただけ、マッドは小さく声を掛けた。「シュウ?」
「何するんだ!」大きな声ではないが、怒鳴り声がマッドに答えた。
「それはこちらの台詞でしょうね」落ち着いた、呆れた様な愁の声。
マッドは迷わず塀の中へ飛び込んだ。
30代前半くらいの男性の腕を、愁が捻り上げていた。男性は彼を恐ろしいまでの形相で睨みつけている。その横には若い女性が不安げに2人を見つめていた。彼女はミニスカートにピンヒール、ウールのジャケットを着ていて、ブランド物の鞄を胸に抱いていた。
「離せよ」男性はジーンズに白のダウンジャケット、スニーカーと言うラフな格好をしていたが、恐らく会社員だろう。睨みつけ、精一杯ドスの効いた声で言ってみせるが、2人には彼が極普通のサラリーマンだと解る。「お前、何なんだよ」
愁はスーツの胸ポケットからバッチを取り出し、広げて見せた。「警視庁捜査1課の浜野です」
男性も女性も目を丸くした。「警察?」男性が先ほどまでの怒鳴り声とは程遠い声で言った。
「あっ」女性は両手を口で押さえ、走り出した。だが、愁の足に躓いて、派手に転ぶ。マッドの足元に女性の鞄の中身がぶち撒かれた。
マッドは足元に転がってきたペンや口紅を無視して、慌てて起き上がる女性を凝視した。「あら、ま。高校生かな?」その目にも、顔にも、声にも何の感情も込められていなかった。「ここがアメリカじゃなくて残念だね、シュウ。ネバダ州では未成年とのセックスは20年の懲役だったかな?」日本は5年以下の懲役だそうだよ、という言葉をマッドは呑み込む。
「刑期は少ないでしょうが、あなたがそれ以上に失うものは何でしょうね?」愁は何時もの穏やかな口調で続ける。まるで世間話をしている様な口調だ。愁は男の手を後ろ手に回し、少しだけ力を込めた。「左手の薬指に結婚指輪の跡がありますね。あなたが失うものは奥さんと子供でしょうか?それとも社会的信用でしょうか?」ポケットから手錠を取り出し、男の背中で、両手にかけた。カシャンっと言う音が、辺りに空しく響く。
男の顔色がみるみるうちに青くなっていく。それは己の将来を思ってなのか、己のした行動を悔いているのか、彼自身にもまだ解らない事なのかもしれない。
騒ぎを聞き付けた野次馬達が続々と集まりだしてきていた。ラブホテルの塀の外から覗くカップルやサラリーマン風の若い男性、派手な化粧をした女性。ホテルの中から従業員と思われる中年の男性が、自動ドア越しに覗いていた。
刑期や罰金より、世間はそれ程彼にも彼女にも甘くはない。マッドは転んだまま地べたに座り込む、16、7歳くらいの綺麗に化粧をした女の子を見ていた。その彼の目に感情は込められていない。マッドは女の子に背を向け、ジーンズのポケットの中から携帯を出し、警官を呼ぶためにダイヤルを押した。
愁は女の子の側にしゃがみ込み、落ちている口紅やペンを一つ一つ拾っていく。埃や砂利を丁寧に手で払い落し、彼女が拾わないブランド物のバックの中に入れていく。「私は職業柄、沢山の売春に係わる女性達を見てきました。その中で幸せになった人がどのくらいいると思いますか?」愁は顔を上げた彼女に微笑を向けた。「1人は連続殺人犯に殺されました」
彼女の顔には何の感情も見えない。連続殺人等、ひどく他人事なのかもしれない。遠い国でしか起こらない話。自分の身には降りかからない話。
「1人は結婚した男にDVを受け、シェルターに避難、連れ戻され暴行を受け入院。1人は何度も刑務所を出入りしながら、挙句の果てに薬物中毒。もう1人は売春と風俗を繰り返し、エイズに感染し、亡くなりました」愁の顔が誰かを思って、悲しみに歪んだ。「もう1人は・・・」
サイレンを鳴らしていないパトカーがラブホテルの前に停まった。制服警官が2人、パトカーの中から出て来た。2人はマッドと愁の姿を見ると、不思議そうな表情を浮かべたが、直ぐに何かを思い出し敬礼をした。「お疲れ様です」
愁は女の子の鞄の中身を全て拾い中にしまうと、彼女の座っている前に置いた。「ご自分の未来を大事にして下さい。一時の感情に等流されずに」愁は静かに立ち上がった。
彼女は座り込んだまま、愁を見上げる。その目は無感情だった。
愁は彼女に背を向け、警官2人にバッチを見せた。「警視庁捜査1課1係の浜野です。彼は鑑識のカーペンターです」
「存じています」年配の方の警官が頷く。
ライアーの威力、とマッドは苦笑する。恐らくこの警官がライアーを手に取ったのは、明細な事件記事の為ではなく、自分達の事実上のトップ藤沢冷子の記事を見る為だろう。
若い方の警官が、がっくりと項垂れたままの男に駆け寄る。警官は2人に小さく会釈し、男をパトカーへ連れて行った。パトカーの周りにはより一層増えた野次馬達が集まっていた。口々に疑問の声が上がっていたが、警官も愁もマッドもそれには答えなかった。
パトカーの中から覗く、女の子の目は何も語っていなかった。自分のした事に対しての後悔も、捕まった事に対しての不安も。ただ、その無表情な目は、じっと愁とマッドを見ている。
「彼女に渡したのは何だ?」愁は走り出したパトカーを見ながら、マッドに囁く。
「彼女には話し相手が必要でしょ?」マッドは散っていく野次馬を見ながら、歩き出す。「愁も僕も根気よく説得していくタイプじゃないから」
小さくなっていくパトカーに背を向け、愁はマッドの背中を追いかける。「彼女を根気良く説得出来そうな人の名刺?」
マッドは肩越しに振り返り、ニッと笑った。「そう」
「池上さん、か」池上なら全身全霊をかけて、彼女を説得し続けるだろう。例え何年掛っても、何十年掛っても。
「ところで、もう1人はどうなったの?」
愁は深く息を吐いた。吐息が白い煙に変わり、風に吹かれて目の前で消えていく。「もう1人は慈悲深い神父様とシスターたちによって3年説得されて足を洗い、普通の生活を手に入れた」その彼女の笑顔を幾度となく見て思う、当たり前の生活の大事さを。
「何だ、幸せになった人もいるんじゃない」マッドは呆れた様に笑った。
*
ハラハラと降り出した粉雪が地面に落ちては直ぐに消えていく。空はネオンライトに消されて星さえ見えず、暗闇の中、粉雪だけが浮きだって見えた。
「雪だ」マッドは両手に、はぁと息を吹きかける。「寒い訳だよね」
愁は立ち止まる事なく歩き、小さく頷いた。「あぁ」
半裸の女性が魅惑的に微笑む、大きなポスターが貼ってある店。愁はその店に引き込まれる様に入って行った。
マッドも愁の後をのんびりと追う。
重厚なドアを開けると、茶髪を逆立てた黒い服の若い男が深々と頭を下げた。「いらっしゃいませ」顔を上げ、にこやかに微笑む。その笑顔には野心が見えた。「2名様で宜しいですか?」
「こんばんは。村上さんはいらっしゃいますか?」若い男よりも穏やかな言い方だった。
「店長?お知り合いですか?」
「はい」
遅れて中に入ったマッドは興味深そうに中を見渡す。キラキラと輝くシャンデリア、酒と煙草と香水の入り混じった匂い、怪しげな色の照明、怪しげな会話。NO1から10までの数字と共に並ぶ若い女性の笑顔。
若い男が何も言わずに店の奥へ消えていく。
マッドと愁は広いロビーと取り残された。ロビーからはほんの少し店内の様子が窺えた。店は満員御礼の様だ。賑わいと熱気がロビーにまで流れ込んできている。
愁は腕時計に視線を落とした。約束の時間は大幅に過ぎていた。
「おう」
愁は視線を声の主に移した。「すみません、遅れてしまって」
「いや、構わないさ」大介は淡々とした口調で言った。「こないだ一緒に居た奴だよな?」
「えぇ、マッドです」
マッドは大介に向かって小さく手を上げた。「ハ~イ」
大介はそれに眉を上げて答えただけだった。彼は愁のスーツとは桁違いの、黒いスーツの胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。「石井章介の最後に勤めていた工場の上司だった奴の名刺だ」
愁は差し出された名刺を受け取った。
「章介は中学卒業後、そこに就職したらしい。3年、真面目に勤めて円満退職。退職理由は他の職種に興味を持ったからだそうだけど、俺が話を聞いた上司はその職種を覚えていないそうだ。それ以降、ここ辺りでは姿を見ない。死んではいないんだろう?」
「えぇ」無論、調べられる所までは全て調べた。
「全員の居所を調べる気か?」
愁は名刺を胸のポケットに入れ、大介を見上げた。「勿論です」
「何の為に?」
「終止符を打つために」
*ネバダ州の法律は確認出来ませんでした。日本のは確認済みです。