Episode3 -1-
―日曜日―
ネイビーのツーピース、同色のピンヒール、シンプルなダイヤのピアス、同じデザインのダイヤのネックレス、細く形の良い脚を組み、妖艶に笑っている。その姿は警視総監というよりは、モデルの様だった。その写真の横には警視総監、藤沢冷子の文字。
二枚目の写真の冷子は警視総監室のエグゼクティブチェアに座っている。その後ろには朗らかな笑みを浮かべるマッドと、何時もの穏やかな笑みを浮かべる愁の姿があった。2人の手は冷子が座る椅子に掛けられ、3人共カメラの方を見ていた。
珍しくスーツを着たマッドは、その上に鑑識のジャンパーを羽織っている。だが、小さく切りぬかれた写真は、マッドの人の良い笑みだけが映っていた。
愁も小さく切りぬかれた写真が一枚あった。が、特記事項の様に、その写真の下には『彼の目は左右で色が違い、不思議な魅力がある』と書かれていた。
記事は2ページにわたる。白黒だが、見出しにもなっていた。
『FBIとの交換留学。警視庁総監・新たな挑戦』
記事の1ページは冷子の様々な写真と、彼女のインタビューが載っていた。
もう1ページは愁とマッドへのインタビュー。
喜んでいる人物が1人。
「プロファイラ―になったきっかけはサム・ウォールの事件に興味を持ったから?」雑誌を手に、ニヤニヤと笑いながら、井上が愁を見る。
「えぇ」半分は真実ですね、と愁は心中で付け足す。尤も、その時点で警察もFBIも、犯人がサムであるとは突き止めてはいなかった。ただ次々と起こる、殺人事件に世間は戦々恐々としていた。単純に興味を持った、と言うよりは強く惹かれた。もう半分はロバートのスカウトだ。
「何処までも執りつかれてるからね」マッドが朗らかな笑みを浮かべて言う。無論、嫌味。
「ふーん」井上はマッドの記事へと視線を走らせる。「科学捜査に興味を持ったのは科学が元々好きで、FBIに父親が居たから?」
「まんま、なんだけどね」マッドは苦笑した。それ以上の理由もそれ以下の理由も、存在しない。
「ふーん。で」井上は雑誌を2人の目の前に差し出す。「何で、ライアーな訳?」
「何でだろう?」マッドはほんの少し首をかしげる。
「他にもあるでしょ?冷子さんを取材したい雑誌なんて、それこそ山の様にあるでしょう?何で、これ」井上はデスクの上に雑誌を投げた。「何でこの低俗雑誌なの」
「何ででしょう?」と愁。
「ふざけてるの?」
愁は肩をすくめた。
「で?」井上の眉が上がる。
愁は軽く溜め息をついた。「低俗だから良いのですよ。低俗であればある程、ある一定の人間が好みますからね」
「殺人鬼とか?」
その言い様に愁は優しげな笑みを浮かべる。「えぇ、まぁ、そんなところですね。彼らにとっては事件を明細に報道する雑誌等はポルノに値しますから」
井上は雑誌をペラペラと捲った。確かにどの雑誌、新聞よりも明細に、事件の事が書かれている。だから、井上は低俗で嫌いなのだが、殺人鬼達はそれが良いらしい。ふと頭に浮かんだ事を、そのまま口にする。「自分達を宣伝している訳?」
「宣伝?」マッドはニヤッと笑う。「それ、面白いかも」
「そうですね」愁も穏やかに笑った。「ある意味、当たっているかもしれませんね」
「かかってこいや~」井上はファイティングポーズを取って、2人を睨みつける。「ってな訳?」
「抑止力の方だけどね」
「まぁ、確かになる人にはなるかもね」
「ならない人には絶対ならないけどね」とマッドは肩をすくめる。これくらいの事で殺人を犯さなくなるのは、元々殺人への欲望が強くない事を示す。欲望や妄想が膨らみ押さえられなかった者は、これくらいでは止めないだろう。否、止められない。死刑ですら抑止力にならない殺人への願望を、自分達がいる事を知らせただけで抑制出来る、等と考えた訳ではなかった。
「じゃ、取材された意味あんの?」井上が怪訝な表情を浮かべた。
ある、と愁は声に出さずに即答した。正直、ライアーの記者にプライベートを含む事まで根掘り葉掘り質問されるのは、冷子もマッドも愁も反吐がでる程嫌だった。だが、それだけの価値はある、と三人は考えていた。『FBI』のブランド―嫌われている組織というイメージもあるが―、アメリカで学んだという『プロファイル』『科学捜査』は映画やドラマの影響もあり日本のそれとは比べ物にはならないはずだ。それに加え、冷子の犯罪に対しての講釈は素晴らしかったと言える。幸い、ライアーの記者もそれを掲載している。ただし、マッドの言う通り、抑止力にならない人間は絶対にならない。それでも一部の人間には効果を発する事が出来るはずだ。『捕まる可能性が高い』という抑止力。
「多分ね」マッドはにこやかに微笑んだ。
「ふーん」井上は再び雑誌に載った愁とマッドの笑みを探す。デスクの上で頬杖を付き、左手の人差指でマッドの写真をトントンと叩いた。「御嫁さん募集中?」
マッドはニッと笑う。「うん」
「これが抑止力になる訳?」
「だってさ、記者さんが根掘り葉掘り、彼女居るのか、居ないのかって聞くからさ。リップサービスだよ」その他に何を聞かれたのか、マッドは思い出したくもなかった。
「愁は」井上はちらっと愁を見上げる。その目は爛々と輝きを放っていた。「冷子さんと出来てるの?」
思わず、愁はくくっと笑った。「そんな訳ないでしょう?」
「うん、まぁ、そう思うけど」さすがにこの記事が全て真実だ、と井上も思ってはいない。「でも、そう取れる様に書いてある」
「えぇ。何故でしょうね」その理由はライアーの記者にしか分からないだろう、と愁は思う。記事に書いてある様な『2人は視線を絡めた』『見つめあって微笑む』は何時したのだろう。
陽気なメロディが流れて、愁とマッドは視線を絡めた。
「何これ?」マッドがクスクスと笑いだした。
「レインボー戦隊、ナナレンジャーの歌よ」ジーンズのポケットから携帯を引っ張り出して、井上は不思議そうな表情を浮かべる。「知らないの?BSでやってるの。結構人気があるのよ」井上は捲し立てるように行った後で、携帯に出た。「もしもし?」
「知ってる?」マッドが愁に囁いた。
愁は肩をすくめただけだった。
「だよね」
井上は携帯をパチンと閉じ、軽い溜め息を付いた。「お仕事になっちゃった」
「いってらしゃい」マッドはにこやかに笑い、小さく手を振る。
「行って来ます~」井上は立ち上がると、歌いながら出て行った。「虹、虹~、虹が出てると奴らがやってくる~、レインボー戦隊、ナナレンジャー」
深夜の警視庁に、ひどく場違いな陽気な歌が響いている。ドアを閉めていても聞こえる、彼女の大きな歌声が徐々に遠ざかっていく。
「頭に残りそう」マッドはげんなりした表情で呟いた。
愁は軽く溜め息を付いた後で、ノートパソコンを開いた。
マッドもノートパソコンを開く。「それでさぁ、サムは元気だったの?」
「あぁ」パソコンに映し出された京都の未解決事件の画像を見ながら、愁は答える。「元気だった」
「ふーん」マッドはちらりと愁を見た。彼は視線を上げもせず、表情も変えない。「何か新しい事、しゃべった?」
「あぁ。被害者がもう一人いるらしい。だが、それだけだ」
それだけね、とマッドは思った。あと、何回の面接を行えばサムはその被害者の名前を言うのだろうか。「その新たに分かった被害者は女性?男性?」
「さぁな」愁は淡々とした口調で答える。「サムのご機嫌が麗しくなかったからな。そこまで教えてくれなかった」
「ご機嫌ね」マッドがうんざりした口調で言った。「まぁ、そうだよね。デートのお誘いが12月なのに、実際行ったのが、1月半ばじゃぁ、普通は振られるよね」君は特別ではない、と言うメッセージをサムに向けてるのは、マッドも知っている。問題なのはサムに主導権を握らせる事だ。
「なぁ、マッド」
「何?」
「幾つ、怪しいのがみつかった?」
日本を東京で分けて北と南、マッドは北を担当、愁は南を担当している。野口恵の犯人のプロファイルに該当する人物が過去に犯したと思われる事件。全国の警察から送られてきたファイルは膨大だったが、プロファイルをする訳ではないからそう時間を取られる事はなかった。
「僕は9つ。そっちは?」
「3つ。東京近辺を合わせれば6つってところだな」15、ここから絞り込むのは愁の仕事だ。
「計15、残るのは幾つかな」マッドは大袈裟な程、大きな溜め息を落とした。
*
スチール机をコンコンと連続で叩く音。その音は一定で、ずっと鳴っている。
愁はとても穏やかな夢を見ていた。だが、内容が思いだせない。自分も友人達も大事な人達も、サムまでも、全ての人間が微笑んでいた。そんな事等有り得ないはずなのに。
ゆっくりと目を開けると、汚れたデスクの裏が見えた。コーヒーの香りの中に、微かな香水の匂い。愁はもそもそと、デスクの下から這い出た。それに伴って、音が止んだ。
「おはよう」
「おはようございます、池上さん」
「帰国して、直ぐにここに泊まった訳?」池上は椅子を弾き飛ばすように立ち上がり、呆れた様な口調で言った。「おかしいんじゃないの?」
愁は寝袋から這い出ながら、思わず苦笑する。「そうかもしれません」
池上がコーヒーを注ぐ音がし、それを追いかけてコーヒーの香りが部屋中に溢れた。
寝袋をデスクの下に蹴飛ばし入れ、愁は脇に避けておいた椅子を戻した。乱れていたワイシャツを直しながら、窺う様な視線を池上に向ける。「煙草を宜しいですか?」
「あなたのオフィスでしょ?」彼女は背中越しに言った。その声は穏やかだった。
「そうですね」愁は椅子に腰を下ろし、デスクの上の煙草に手を伸ばした。何時の間にやら綺麗になっている灰皿の上に、煙草とライターが乗っていた。一瞬だけその理由を考えたが、直ぐにその思考は追い払われた。
「はい」池上が愁の前にコーヒーを置き、何かを思って眉を上げた。「まさか、空港から警視庁に戻ってきたって言わないわよね?」
「まさか、言いませんよ」無論、スーツケースをアパートの玄関に投げてきた。「ありがとうございます」
池上は少し肩をすくめ、椅子に腰を下ろした。「なら、良いけど。あなたがアメリカでサムとデートしている間、特に変わった事も、捜査に進展もないわ。だいたい、私、殆どデスクワークだったのよ。あなたとコンビを組まされた事を恨みそうになったわよ」池上のその口調は、何処か刺のある言い方だ。
「すみません」反射的に謝る自分が少しおかしかった。
「ねぇ、硝煙の匂いがする。射撃場に行ったの?」
「えぇ」愁は思わずワイシャツを摘まんで、匂いを嗅いだ。確かに、微かに匂いが残っている。「腕が落ちてしまいそうで」帰っている間は最低一日一回、その時に近くにある射撃場へ行く様にしていた。元々愁はアカデミーでの銃の成績が悪く、射撃の腕を上げるのに随分苦労した。折角上がった腕を落とす理由はない。いずれ帰るのだから。日本での射撃場は手続きが面倒臭く、行く暇もない。帰り際に行った射撃場で、ぎりぎりの時間まで居たのがまずかったらしい。飛行機の隣の席の体格の良いアメリカ人が、嫌そうな表情でジロジロと見ていたのは、この匂いのせいだろうか、と愁は思い出した。
「ふーん」コーヒーに口を付けながら、池上が呟く様に言った。「とりあえずシャワー浴びて、着替えた方がよさそうよ」
「そうします」とりあえず一服してから、と愁は煙草に火を付けた。
「まずは、一服してからね」
「えぇ」愁は柔らかな笑みを浮かべた。
デスクの上のファイルを手に取り、池上はパラパラと捲った。ファイルは事件発生時の日付、場所、被害者の名前、重要だと思われる証言や証拠が簡単に書いてあるだけだった。「ギャルママ事件の?」
「えぇ。犯人のプロファイルに該当する事件が全国で15件ありました。そこから絞り込みをかけます」
「そう」池上はちらりと愁を見上げる。「どのくらいありそうなの?」
愁は肩をすくめた。「どうでしょうね。詳しく見ていかないと今のところ判りかねますが。ファイル自体が悪魔でも明確にまとめたもの、を送られてきていますから、絞り込んでから明細な事件の記録を請求しなければなりません。それと証拠を」
「また証拠を取り寄せる訳?あっちこっちの警察に喧嘩売ってるみたいよ」
愁は苦笑すると、小さく頷いた。「そうですね。ですが、池上さんも思うでしょう?自分の所の鑑識が一番だ、と。向こうも同じなら、こちらも同じですから」
池上はふっと笑った。「そうね」恐らくそれは鑑識の人間もそう思っているのだろう、と池上は思う。加藤も井上も、マッドも。そしてそれは愁の言う通り、何処の警察でも同じ事。自分の所の鑑識が一番だ。
「その辺りを悩むのは総監にお任せしましょう」愁はにっこりと微笑み、煙草を深く吸った。
「そうね」池上はコーヒーを一口飲み、そしてニッと笑った。「おかえり、相棒」