2【嵐を呼ぶ掃除少年】
そんな慌てふためく男の背後に、すうっと影が現れる。
「ん? なんかキモい感触だったけど……もしかしてそれ、髪の毛だった?」
なんてセリフとともに現れたのは、学生服の上にエプロンを羽織った、一人の青年だった。
花柄の黒いバンダナが、彼の頭をすっぽりと覆い、その手には火バサミとゴミ袋が握られている。
「悪ぃ悪ぃ、地毛だったのか。オレはてっきり使用済みのティッシュがくっついてるのかと……」
『…………』
──沈黙。
全員が、脳内でその発言を反芻した。
地毛。使用済みティッシュ。頭に。くっついてる。
──数秒後。
「って、そんなわけあるかぁぁぁ!!」
「誰が使用済みティッシュだゴラァァァ!!」
「てめぇ、ケンカ売ってんのか!!」
怒声三連発。空気が一気に殺気立つなか、青年は火バサミを構えたまま、どこまでも涼しい顔で言い返す。
「いやいや、そんなつもりねぇよ。オレは今、この辺のゴミを拾うっていう重大ミッションの最中で、ザコ共の相手してる暇ねぇんだ」
ザコ共。
言葉の選び方に容赦がない。
「ザコ共……!? やっぱりケンカ売ってんだろお前!」
「違ぇって。オレはただの一般市民よ。ここでポイ捨てされると困るだけでさ。続きはよそでやってくんねーか?」
そう言うと、足元のゴミを火バサミでつまみ、ゴミ袋へと放り込んでいく青年。
一手一手が、なぜかイラッとする。カリフラワー男の怒りは、静かに沸騰しはじめていた。
「オウオウ……正義の味方気取りか知らねーが、すっこんでろやボケが。それともてめぇからボコにすっか?」
ズカズカと歩み寄り、肩を尖らせて睨みつける。だが青年はまったく動じず、むしろ小首を傾げて言った。
「……ん? どゆこと? オレとケンカしたいってこと?」
「ケンカだぁ!? バーカ! 一方的なリンチに決まってんだろ!!」
カリフラワー男の言葉に、背後のグラサンと緑シャツもニヤつきながら肩を揺らす。
「ククク、バカだなコイツ」
「やっちまえよモブ兄」
だが青年は、全く別の事に目を奪われていた。
「……つーか、お前……ほんとにそれ地毛なのか? 使用済みティッシュってより、カリフラワーだな」
「なッ……!」
「てめぇ、モブ兄になんつったぁッ!?」
グラサンが前に出ようとするも、すかさず青年のターゲットは切り替わる。
「で、お前はなんで頭にエビフライ乗せてんだ? 非常食か?」
──エビフライ。
おそらくは筆のようなモヒカンが、そう見えたのだろう。
「んなぁッ!?」
その言葉に思わず、隣の緑髪が「グフッ」と笑いを漏らす。
「いや、おいカゲ! テメェ今笑っただろ!?」
「す、すまん……でも言われてみれば確かにそう見えなくもないなって……」
が、青年の口撃は止まらない。
「お前も人のこと笑えた頭じゃねぇだろ? 立派なズッキーニ装着しやがって」
「ズ……ズッキーニだとぉッ!!?」
「なるほど、三人揃って“カリフラワーとズッキーニを添えたエビフライ定食”ってとこか。お前ら床屋に料理本でも持ってったんか?」
「い、いい加減にしろよコラァ……!」
ワナワナと体を震わせるカリフラワー男。
怒りのゲージは限界突破寸前だった。
「テメェ……余程死にてぇらしいなコラァァァ!!!」
怒号と共に、口から煙草をプッと吐き捨て、青年の胸ぐらを強く引き寄せる。
だが、青年の視線はまっすぐ、落ちた吸い殻を見ていた。
さっきまでの軽薄さは消え、空気がひとつ、静かに張りつめる。
「ゴミ拾いが趣味なんだろ? 拾えよ、真面目っ子ちゃんがよ」
挑発めいた言葉にも、青年は何も返さない。ただ、黙って吸殻を見つめているだけ。
「あァ? なんだよ、いきなり黙って。ビビったのか?」
「…………」
「おいコラ、こっち見ろっつってんだよ」
その瞬間、青年がボソリと呟いた。
「言ったそばから……」
「ア?」
「言ったそばからポイ捨てしてんじゃねええぇぇぇーーーーっ!!!!」
叫びと共に、右脚が跳ね上がる。
凄まじく早く、そして鋭く。
気づいた時には、カリフラワー男のあごが、音を立てて天を向いていた。
「おげえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
空気を裂く音とともに、男の身体が宙を舞い、向かいの自販機へ盛大に突っ込む。
──ドガァァァン!!
見事なまでの放物線。教科書に載せたい物理の軌道。
その突然すぎる一撃に、取り残されたエビフライとズッキーニは、男が地面に伏して初めて事態を理解した。
「って、えええええええ!?」
「モ……モブ兄ぃーーっ!?」
傍で見ていた眼鏡少年も、ただ口をポカンと開けて立ち尽くしている。
「あの野郎……やりやがった!! この上なくスタイリッシュに決めやがったぞ! 大丈夫かモブ兄!?」
しかしカリフラワー男は、ピクピクと痙攣しながら既に気絶しており、口元からはクリーミーな泡がふんわり。
「うわぁぁぁぁ!! モブ兄のヤツ白目むいてんぞ!?」
「てめぇ……やってくれたな……! オレらが誰か分かってんのか!? 天萌神地方最大の暴走族、悪牡蠣の湧屋久三兄弟とはオレたちの……」
そんな長ったらしい自己紹介を遮るように、青年はくるりと身体をひねり──
「知るかボケがああああああああ!!」
放たれた後ろ回し蹴りが風を裂き、二人は見事なまでのシンクロで吹き飛んでいった。
『うぎゃぁぁぁぁああああ!!』
──ドガァァァァァン ×2
吹き飛んだ二人は、カリフラワー男の隣に綺麗に並ぶ。
これにて、“カリフラワーとズッキーニを添えたエビフライ定食”の一丁上がりである。
だが、彼の怒りは、まだおさまっていない様子だった。
「お前らこそ、分かってんのか?」
その言葉とともに、先ほど捨てられた吸殻を拾い上げ、ギュッと握りしめる。
「テメェらがここで騒いだり、ポイ捨てしたりすっと……オレが“あのジジイ”に呪い殺されんだよ!!!」
『ひぃいいいいいいっ!?』
何を言っているのかはさっぱり分からない。だが、確実に彼の顔は“修羅”そのものだった。
「オレだってなァ、好きでこんなボランティアやってんじゃねぇんだよ……!」
青年は、まるで業火のように怒りを爆発させていて、
「ま、待って! アンタさっきから何の話を……」と、ズッキーニが問いかけた瞬間──
「うるせぇええ!! 今オレが話してんだろうがぁあ!!!!」
蹴る。
『ぎゃあぁぁぁぁぁあ!???』
「大体どいつもこいつも図々しいんだよ!!」
蹴る。
『おげぇえええぇぇぇっ!!』
「オレはなァ、アイツらの便利屋じゃねぇってんだよこの野郎ォ!!」
蹴る。
『あびゃしゃぁぁあああっ!!』
「それなのにお前らときたら……オレの仕事増やしてんじゃねぇよ!!!!」
蹴る。
『ぎゃひぃいいいいいぃぃぃっ!!!』
三兄弟は全員ボッコボコにされながら、心の底からこう思っていた。
──意味わかんねぇよ! なんなんだよコイツ!!
『よ、よく分かりませんけど、もう勘弁してくださいぃぃいい!!』
エビフライとズッキーニは半泣きで命乞いしていた。騒動に巻き込まれたはずの眼鏡少年も、どちらに感情移入すればいいのか分からず、ただ震える始末。
だがその中でただ一人だけ。
「よく分かんねーけど、あの三兄弟をあっさり倒しちまうとは……マジ惚れそうだし。てか、よく見たらあいつ……割とイケメンじゃね?」
グリズリー娘だけが、鼻息荒く興奮しながら、じっと彼の背中を見つめていたのだった。
──ピピーーーー!
そんな騒動の最中、甲高い警笛音が鳴り響く。
「こらーー! なにをやってるんだキミたちーー!!」
二人の警官が慌ただしく走り寄ってきた。
どうやら通報されたらしい。
青年が振り返ると、周囲にはいつの間にか十数人の人だかりが出来ていて、野次馬たちのスマホが、キラキラとレンズを光らせていた。