第42話:謀略の女王と親王の微笑
水戸学園の正門前。登校時間にはまだ少し早い朝。霧雨がうっすらと漂い、校舎の白い壁に水滴が伝う。
そんな静寂の中、エンジンの低い唸りとともに、一台の黒塗りリムジンが正門前に停車した。
扉がゆっくりと開く。先に降り立ったのは、スーツ姿の屈強な男たち。そして、その奥から――
「はじめまして、日本の高校生活というものを学びに参りましたわ」
紅玉のような瞳、薔薇のように巻かれた金髪。絹のように滑らかな白いドレスに身を包んだ美少女が、優雅な足取りで地に降り立った。
イザベラ・アーデン・フォン・ルクセンブルグ。
中欧の小国・ルクセンブルグ王家の第一王女にして、次代の王位継承者。
そして彼女は、主権国家の名の下に、ある“密命”を帯びてこの地へとやってきた――。
「本日から水戸学園に転入してくるイザベラ嬢だ。諸君、くれぐれも無礼のないように!」
朝のHRで、担任教師が紹介を終えるよりも早く、教室はざわめきに包まれた。息を呑むような美貌、淑やかな所作、そして何よりも――
「……なんで、ウチの学校に姫様……?」
「おい、あれ皇室の人より格上じゃね……?」
「海外の王族が日本の高校に……てか、隣、弘彌の席じゃねぇか?」
最前列の窓際、弘彌の横の席に、イザベラが座る。
「おはようございます、殿下。あらためまして、ご一緒できて光栄ですわ」
「……なぜ俺の身分を?」
弘彌は低く問うたが、イザベラはふふっと微笑んだ。
「母国の情報機関は、殿下のことを当然、把握しております。私は……あなたと“婚姻外交”を結ぶためにここへ来たのです」
昼休み――
「おいおいおい……婚姻外交って、なんだよ」
弘彌は屋上で朧と並んでベンチに座りながら、溜め息交じりに呟いた。
「婚姻によって両国の関係を安定させたい……王族の常套手段ですね」
「まさか令和の日本でそれを持ちかけられるとは思わなかったよ……」
「殿下、あのイザベラという娘、只者ではありませんよ」
朧は屋上から校舎を見下ろしながら続ける。
「彼女の周囲に動く人間、明らかに軍出身者です。しかも、某国の特殊部隊経験者と見られる人物も含まれています」
「つまり、ただの“婚姻外交”じゃない……と」
「ええ。彼女の目的はもっと別の……あるいは、我が国における“何か”を探っている可能性も」
そのとき、校舎の影から、イザベラが姿を現した。
「殿下、よろしければ、ご一緒に昼食を」
「……ああ。いいよ」
弘彌は立ち上がる。朧が一歩、半歩、彼に並んで歩き出そうとする。
「朧」
「……はい」
「今日のお昼は、彼女と二人にしてくれ」
朧は数秒、沈黙してから頷いた。
「……ご武運を」
学園の裏庭。ベンチの上にクロスが敷かれ、銀のカトラリーが並べられていた。
「……用意が良すぎないか?」
「こう見えて、わたくし、ピクニックがお好きですのよ」
イザベラは微笑む。
弘彌は、その瞳の奥に一瞬、冷たい光が走ったように感じた。
「……で、本題は?」
イザベラは紅茶を口に含んでから言った。
「日本の未来を、殿下とともに歩めるのであれば――それは、王家にとっても至高の栄誉です」
「王家……君の“家”のためか?」
「……もちろん。それともう一つ」
イザベラは視線を下ろし、膝の上の手をぎゅっと握る。
「これは、わたし自身の――願いでもあります」
弘彌はその様子を黙って見つめた。
風が、二人の間を通り抜ける。
やがて彼は静かに言った。
「まだ、俺は君のことを何も知らない」
「ならば、知ってください」
彼女の声は、真摯だった。
「あなたのことを、知りたいのと同じくらいに」
その夜。ホテルの一室で、朧が再び報告をする。
「殿下。イザベラ姫の背後に、某国の軍産複合体がついています」
「狙いは……なんだ?」
「おそらく、“あなた”そのものか、あるいは……」
朧が一枚の書類を差し出す。
それは、“龍ケ崎宮家”が所有するある特殊研究施設に関する資料だった。
「……動き出したか」
弘彌は唇を引き結ぶ。
「ゲームの舞台が、国際規模に変わってきたな――」




