ようこそ、泡沫の魔女の家へ
朝食は家族全員で取る。
それが我がユースウェル公爵家の決まり。
食後のお茶を飲む間に、家令がその日の家族の予定を伝える。
その日も予定を聞き終わり、そろそろ皆が席を立とうとした頃だった。
父がそういえばと
「フェリス、ハロルド第二王子との婚約は解消となった。隣国の王女との婚約が持ち上がったんだ。今日からはもう王宮へは行かなくていいぞ」
とすっかり伝え忘れていたと言った。
瞬間唖然とする。
それでも目の前の家族は日常と変わらない。
「お父様、ヒューイお兄様、視察はどちらへ行くんですか?今回もお土産持って帰ってきてくださるんでしょ?」
妹のマリエルが楽しみだと父に話しかける。
「今回の視察はラージニア地方でしょ。あそこは海が近くて珍しい貝があるから、わたくしもお土産期待してますわね、旦那様」
お母様まで。
しょうがないなという表情したお父様とお兄様は、「もちろんだよ」と和かに返事をし出かけてしまった。
母も妹も特に私のことを気にすることもなく、観劇のための準備をしましょうと二人で部屋を出る。
なぜ?私は婚約解消されたのよね?
なぜ誰も気にしていないの?
呆然と立ちつくす。
一人残されてしまったフェリスに「お嬢様、本日はいかがされますか」と家令が尋ねてくる。
「・・・そうね、しばらく領地に行くわ。侍女には王宮で与えられた部屋の荷物を整理してもらいたいから、同行しなくていいと伝えて。必要なものも向こうで揃えるから、できるだけ早く出発できるようにしてちょうだい」
「承知いたしました」
公爵領までは馬車で半日程で行くことができる。
王都を出るときに必ず石橋を渡る。
ガタンガタン
渡り終えると途端に田舎道になる。
いつもなら広がる草原の草花を見て楽しんでいたが、流石に今日はそんな気分にはならなかった。
「それもそうよね。婚約解消なのに家族は皆、些事のように扱い、何年も婚約していた相手である第二王子や王家からは手紙の一つも私には届かないんだもの」
つい口にしてしまう。
今までずっと家族との関係は良好だと思っていた。
婚約者もそうだ。3年だがそれなりに上手くやっていたと思っていたのに。
あまりの出来事に心にポッカリ穴が空いても、なぜだか涙は出なかった。
ただただ景色が流れていくのをぼんやりと眺める。
いつも途中休憩に使う店がある。
馬車から降りたくはなかったが、私が降りなければ護衛が休めないと考え直し降りる。
店の端、大きなパラソルのあるテラス席に案内してもらった。
紅茶とクッキーが目の前にあるが手つかずのまま、ぼんやりと過ごす。
キュイ〜ン
「あら?犬が近くにいるのかしら?」
テラスの周囲を見回すとすぐ先に黒い子犬が蹲まっている。
近づいても大丈夫かなと思い、ハンカチにクッキーを載せ子犬の前に置く。
「お前、お腹が空いているの?私は食べたくないから代わりに食べてくれる?」
子犬は警戒していたがそのうちゆっくり食べ始める。
可愛いと眺めていると出発の時間だと呼ばれた。
「バイバイ」と頭を撫でて離れる。
あの子犬は帰る場所があるのかしら?
毛並みは綺麗だったからきっと飼い主がいるわよね。
「お嬢様どうぞ」
「ありがとう」
差し出された御者の手を取り馬車に乗る。
・・・帰る場所か。
私の帰る場所ってどこなのかしら。
朝の光景を思い出す。
「私がいなくなっても誰も心配しないわね」
領地に着いてからはゆっくりと読書をして過ごした。
今まで忙しく中々好きな本が読めなかったのだ。
3日目、その日は大きな木の下で読書をしていた。
領地の使用人には必要な時以外は一人になるようにしてもらっていたので、木の下で読書をしていても咎めるものはいない。
ふと、思い出した。
「そういえば、屋敷裏の森にガゼボがあったわね。行ってみようかしら」
その時は本当に軽い気持ちで呟いた。
木の下に本を置いたまま、ふらっと森に入る。
森の小径は整備されており、木漏れ日が差し込み草花が所々輝いている。
しばらく歩くがガゼボが見つからない。
「おかしいわね。こんなに離れていないはずだけど」
そう呟きながらもう少しと歩みを進める。
急に視界が広がる。
「え?どういうこと?森を抜けた先にこんなに大きな湖はなかったはずだけど」
そう。今、私の目の前には大きな湖が広がっている。
そして、中央には2階建ての可愛らしい木の家があり、橋が続いている。
ここはどこなの?
呆然としていると、足元から鳴き声がする。
「あ、この前の黒い子犬?」
キュイ〜ンと鳴く子犬は付いてこいという素振りを見せる。
あの家に飼い主がいるのかしら?
不思議と子犬に付いて行ってしまった。
コンコンコン
「開いているわよ」
私が話す前に中から女性の声がした。
「お邪魔します」
ゆっくり扉を開け中に入ると目の前には、銀髪に赤い眼をした若い女性がいた。
「いらっしゃい。ようこそ、泡沫の魔女の家へ」
「泡沫の・・・魔女?」
魔女?魔女には中々会えないのはこの世界の常識。
魔女が会ってもいいと思わなければ会うことは叶わない。
人はそれを「魔女の気まぐれ」と呼ぶ。
「・・・なぜ、私をここに」
「うちの子がお世話になったみたいだから」
そう言いながら子犬を撫でている。
「私には視る力があるの。あなた、しばらくここで過ごしなさい」
まぁ、私が返さないと帰れないんだけどね。そう魔女は笑う。
「あ、私のことはメリルと読んでちょうだい。フェリス」
教えていない名を呼ばれるが、きっとそれは視る力と関係しているのだろうと気にも留めなかった。
「私は、ここで何をすれば」
「何もしなくていいわ。ここにも本は沢山あるからゆっくりしていればいいのよ」
不思議と納得していた。
メリルの家の中は表から見たよりもかなり広かった。
空間魔法というもので広げてあるらしい。凄い。
中庭もあり散歩を楽しんだり読書をしたりして、ゆっくりと過ごしていた。
慣れてくるとメリルの手伝いもするようになった。
初めのうちは薬草の採取。そのうち薬も一緒に作るようになった。筋が良いと褒められたのが嬉しくて、作業に没頭し過ぎてたまにメリルに怒られてしまうのが最近の日常だ。
そういえば、あの子犬はただの子犬ではなく『レオン』という使い魔だった。たまに人間の姿になっているのを見かける。
レオンは長い黒髪を緩くまとめていて、金色の眼でよく私の顔を覗き込む。
ニッと悪そうな顔で笑うので心臓がドキドキする。
メリルの家に来てからどれくらい過ぎたのだろう。
楽しくてすっかり家族のことも婚約者だった人のこともを忘れていた。
それなのに目の前には今なぜか、元婚約者のハロルド第二王子殿下がいる。
「フェリス! やっと! やっと見つけた!」
触れられそうになる前にレオンが引き寄せ抱きしめる。
「フェリスが怯えている」
レオンの言動に戸惑い動けずにいる殿下にメリルが話しかける。
「いらっしゃい。ハロルド王子殿下」
「あなたが泡沫の魔女殿か」
真剣な表情でメリルを見る。
「その通りよ。立ち話もなんだから家に入ってちょうだい」
和やかに対応するメリルを見てハッとする。
そうだ。ここは泡沫の魔女の家。
『魔女の気まぐれ』がない限り入ってはこれない。
ならば、メリルが殿下を呼び寄せたことになる。
お茶を出し、皆がテーブルを囲む。
「メリルが殿下を呼んだの?」
「そうよ。フェリスに会うために頑張っていたから。そして、フェリスの今後を決めようと思って」
今後・・・ってなに?
急な話に戸惑いを隠せない。
「まぁ、まずは王子の話を聞いてからにしましょう」
殿下はゆっくりと、これまでのことを語り始めた。
「使節団の一員として僕が隣国を訪れたのを覚えているか?」
そういえば、婚約解消を告げられる一月程前、殿下は隣国に滞在されていた。
コクリと頷く。
「歓迎会の席で隣国の王女に気に入られ、滞在中はずっと追いかけ回された。婚約者がいると告げたんだが、意に介することなく、終いには自分が婚約者だと言い始めたところで抗議をし、王女に接近禁止令を出してもらった。そのまま会わずに帰国できたんだが、帰国したときにはフェリスとの婚約は解消されていた」
殿下は悔しそうにしながら話を続ける。
「両陛下に問いただしたが、王女と婚約しなさいとそればかりで、兄上や公爵に相談しても王女と婚約したほうがいいと言われ、そのうち自分でも王女と婚約しようと思うようになっていた」
言葉に詰まったのか間が空く。
「・・・・・あれから3年の月日が流れているんだ」
殿下は声を震わせながら絞り出していた。
「2年程前、急に目の前の霧が晴れたかのような感覚になり愕然とした。それは、王家も公爵家の者も同じだった。同時にフェリスがいないと気づいた。自分達はなんて酷いことをフェリスにしてしまったのかと誰もが後悔した」
私がいなくなったことは領地より報告が上がっていたのに、気にも留めていなかったため困難を極めたそうだ。
「王家の力を使っても『魔女の気まぐれ』なら見つかるわけないな」とポツリと殿下は漏らす。
そして殿下はどこにいるかわからない私を探しながら、原因を探っていたと声を震わせながら顔を上げた。
「隣国の王女が君に呪いをかけていたんだ。僕が婚約者だと思い込むよう周囲も対象とし、君には・・・君には関心が向かないよう呪ったらしい」
なんとも曖昧な。殺されなくて良かったと思うべきだろうか。
「それは国と国との正式な婚約だったのですか?」
「呪いの対象者が我が国の者達だけだったから正式ではなかった。だが、隣国の王宛に結婚式の日取りなどを相談する旨の手紙を出したことで、隣国の知るところとなった。すぐに調査すると王女が呪いをかけたことが判明、慌てた隣国は内々に王女を処刑し、事の経緯を伝えてきた。王女が処刑されたことで僕達は解呪に至ったそうだ」
流石に表沙汰には出来ないわね。隣国が乗っ取ろうとしているように見えるもの。王女にそんな意図はなかったとしても、隣国は賠償が大変だったでしょうね。
王女はどうやって呪いの力を手に入れたのかしら。
優秀な魔術師か魔女の手助けがないと難しそうだけど、でも今となっては私には関係のないことね。
もう、なんとも思わないわ。
殿下は必死にこれまでのことを謝ってきた。
自分達の本心ではないと、私を愛しているんだと。
代表して自分が来た、皆、私の帰りを待っていると、必死に繰り返す殿下をメリルは手を掲げ止める。
「フェリスはどうしたい? 戻りたい? あなたが決めていいのよ」
メリルは微笑む。
「・・・私は、戻りません」
「フェリス!!!」
殿下が悲痛な声を上げながら立ち上がる。
「私はあの日、心をどこかに置き忘れてしまったみたいなんです。そして、ここに来てぽっかり空いた穴に新しい心が入ったんです。私はここにいるのが好きです。もう戻りません」
殿下は顔を青白くしたまま、口をはくはくとさせている。
「フェリスはそれでいいのね?」
「えぇ。ここが私の家よ」
「では、王子にはお帰りいただきましょう」
パチン
メリルが指を鳴らした瞬間、殿下が消えた。
「ようこそ、フェリス。『泡沫の魔女の弟子』としてあなたを迎え入れるわ」
その瞬間私の体に光が纏い弾ける。
「フェリス、僕と同じだね」
満足げなレオンに鏡の前へと連れて行かれる。
そこに映っていたのは、ハニーブロンドに碧眼の私ではなく
「黒髪に、金の眼?私・・・なの?」
「私の弟子になると変化するのよ」とメリルが言う。
「それに、これは魔力なの?」
今まで感じたことのない力を感じるようになった。
「魔女になると色々と変化するのよ。それはこれから追々と知っていきましよう」
さぁ、新しい魔女の誕生よ。
あなたの魔名は何になるのかしら?
とっても楽しみね。
妖艶な笑みを浮かべ泡沫の魔女は呟く。
「ようこそ、泡沫の魔女の家へ」