1593年 アウサカ
私は、1593年8月3日、「アウサカ(大坂)」という国に生まれた――いや、転生した。 どうやら、この国で一番の権力者の娘らしい。
赤ん坊が言うことではないが、何一つ不自由のない暮らしだった。 私には双子の兄・拾丸(後の秀頼)がおり、世継ぎは彼だという。それでも、余りある父の権力のおかげで、多くの人に囲まれ、大切にされていることは肌で感じていた。
それはそうと、私には奇妙な同居人がいた。 誰もいないのに聞こえてくる声があるのだ。 声の主は「カグラ」と名乗り、どうやら私の心の中に住み着いているらしい。
生まれてすぐはアウサカの言葉を理解できなかったが、カグラの影響か、凄まじい速度で言葉を習得し、一ヶ月で聞き取りができるようになった。そして年が明けるころには、自ら言葉を発することができるようになっていた。
ある日、侍女たちの会話が耳に飛び込んできた。
「カステラ……」
カステラ!? あの、卵と砂糖と小麦粉などを混ぜて焼き上げた菓子のこと!? 私は、ようやく発声できるようになったばかりの口で何度も叫んだ。
「カステラ! カステラ! カステラ!」
すると、周囲は大騒ぎになった。 「姫様が御言葉を発せられた!」 「カステラとはなんじゃ?」 「宣教師が伝えたという、南蛮の菓子にございます」 「姫様がカステラをご所望じゃ!」 「殿! 姫様がカステラを……!」
そして翌日には、おびただしい量のカステラが部屋に届けられたのだった。
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甘い! 香ばしい! うまい! 心の中でカグラも歓声を上げた。
(これが作れるのなら、ケーキも作れるじゃない!)
この国に存在するかどうかはわからないが、ケーキだって作れそうね。 そもそもケーキとは、以下の条件が揃えば作れるはずだ。
小麦粉等の穀物の粉末
卵や小麦粉のグルテンによる結着剤
植物油、バターなどの油脂
酵母などの膨張剤
これらに牛乳や水分(ものによっては果実等)を配合して焼き上げるのが基本だ。カステラがあのレベルで作れるなら、この新たな人生でもケーキを食べられると確信できた。
早速、ケーキを作れる環境を整備したい。だがいかんせん、1歳の私にはまだ周囲の情勢を把握しきれず、父や母、仕える者たちに「食べたい」という欲求を伝えるのが精一杯だった。
私の周りの大人たちは、いつも同じカステラにならないよう、カステラ職人たちに工夫を求め、いろいろなバリエーションを作り出していった。 何人もの菓子職人が城に呼び出されたが、彼らは、まだ言葉をしゃべるのがやっとの私を相手に、要望を聞き取らされる羽目になる。
職人たちは私の舌足らずな言葉を理解できないながらも、一生懸命に考え、新たな菓子を作成しては献上してくれた。
たとえば今日のお題は「ぷるん」の菓子。 皆、頭をひねって考えた品を献上してくるが、自分の希望とは違うものが出てくると、私はぷーっと頬を膨らませて不服を表現する。しかし、結局は菓子の美味さに負けて笑顔になってしまうという、毎度の繰り返しだった。
幼児の言葉ともなんともつかない、理解不能な謎解きのようなやり取りに、職人たちには本当に苦労を掛けている。 私にも、申し訳ないという気持ちは一応あるのだ。
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舞台は変わり――。 ある日、城に出入りする菓子屋の一つ、甘味屋の主人である雨宮喜三郎が店に帰ってきた。
「今日も姫様の望むものが作れなかった……」 喜三郎は、一日の出来事を家の者たちにこぼした。 職人頭の源助も首をかしげる。 「『ぷるん』って寒天ではなかったんですか……。さっぱりわかりませんね」 今日呼ばれた職人たちのほとんどが「ぷるん=寒天」だと思って準備していたため、見事に総外れの結果となったのだ。
「それはそうと、次の姫様のご要望はなんですか?」 源助が不安そうに尋ねる。 「次は『まろん』だそうだ。皆、さっぱりわからんと言うておった……」
「おーい、みんな聞いてくれ!」 大きな声で、源助が奉公人たちに呼びかけた。 「『まろん』という食材を知っている者はいるか? 小さな子供が使う言葉だから、身内や近所に子供がいる者は、耳にしたことはないか?」
知っている者を探すところまでは盛り上がったが、結局皆目見当がつかず、場は静まり返ってしまった。 そこに、一人の外国人の男が籠を持って現れた。
男の名はエメリー。 外国人だが、宣教師ではなさそうだ。街道で店の荷車が立ち往生しているところを助けてもらい、そのまま店まで荷を押してくれた縁がある。日本語がほとんど話せず意思疎通には苦労するが、身体が大きく力仕事に役立つため、なし崩し的に店で面倒を見ていた。
エメリーは持ってきた籠を差し出し、言った。 「マロン」 籠の中には、栗が入っていた。 それを見た源助は呆れて言う。 「これは『栗』だ。く・り……。誰かこいつに日本語を教えてやってくれ!」
しかし、エメリーは意味を理解していないのか「マロン」と言い続ける。 周りにいる奉公人たちも口々に言った。 「エメリー、日本語ほとんどわからへんで」 「この前、小豆とキナコ間違えたしなぁ」 「きなことキノコも間違えとったで」
矢継ぎ早に言われるが、エメリーは何のことだかさっぱり理解できていない様子だった。 見かねた源助が場を収める。 「せっかくエメリーが考えてくれたんだ。来週まで考えて、誰も『まろん』の正体を見つけることができなかったら、栗を検討しよう」 先延ばしにし、条件を付け、さらに検討する……どれだけエメリーを信用していないのか。
だが、そんな状況ゆえに、エメリーの考えを明確に否定してまで新たな案を出し抜く者はおらず、あっという間に一週間が過ぎた。
喜三郎と源助のもとに、店の職人とエメリーが呼び出された。 喜三郎が真剣な面持ちで語り始める。 「次の登城の際、我が雨宮からは『栗』の菓子を献上することにした。とはいえ、まだ素材が決まっただけだ。どういう菓子にするかが大切になる。たとえ解釈が間違っていても、美味さで姫様の機嫌を損ねることは避けねばならん。みんな、栗ならどういう菓子がいい?」
最初に源助が口を開いた。 「姫様は、もうすぐ二歳になられます。硬いものや刺激の強いものは、まだ無理でしょう」 周りの職人たちも口々にアイデアを出す。 「栗羊羹とかどうでしょう」 「渋皮煮を極限まで柔らかくするとか」 「栗をすりつぶしてから蒸して、ぎゅっと固めるとか」 「栗とブドウと柿と……とにかくいろいろ入れたら、どれか『まろん』に当たりませんかねぇ」 「それは消極的すぎるだろ……」
ふと、源助は職人たちの一番後ろで、何か言いたそうにしているエメリーを見つけた。 「おい、エメリー。何かいいアイデアがあるのか?」 「くり、蒸す、糸、おいしい」 皆、首を傾げたあと、どっと大笑いした。 「なんだそれ、わけわかんねえ」 笑われても、エメリーはただ「おいしい」と繰り返すだけだった。
そして、姫様に菓子を献上する日がやってきた。 聚楽第へ登城する喜三郎と源助を、店の皆が見送る。
「みなさん、行ってきますね」
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聚楽第の一室。 真理の前には、大勢の菓子屋の主人と職人頭が平伏して並んでいる。 菓子屋たちは順番に、自分たちが考えた「まろん」の菓子を披露していく。 いつものことだが、誰も「マロン=栗」であることを理解していない。何か勘違いしたものが次々と出されてきて、私はひたすら残念な気持ちになっていた。 とはいえ、見た目で判断して味を見ないのは失礼だと思い、一口(美味しければ数口)食べては次の店へ、という流れを繰り返す。
私(真理)も前世の記憶でマロンが栗であることは理解しているが、まだ「栗」を日本語で何と呼ぶのかを知らなかった。 (菓子屋にもう少しわかりやすく伝えるために、まずは食材の日本語での呼び方を調べてからじゃないとダメね……) そう反省していた、ちょうどその時。
甘味屋の主人、雨宮喜三郎の順番が来た。 「真理様、こちらが当店のマロンの菓子、『栗の波絞りと栗のやわらか渋皮煮』でございます」 重箱を覗き込むと、糸状のものが波模様に美しく並び、その上に渋皮煮が乗っている。
(なんと、こやつら、マロンを当てることができたのか!) 真理がパッと笑顔になったことで、周囲の大人たちは驚き、どよめいた。 私はさっそく一口食べてみる。
素晴らしい! 渋皮煮は柔らかく、蜜の甘さが染み渡りながらも、栗本来の味をしっかり引き立てている。いろんなものを混ぜて何か引っかかればいいという、味がボヤけた菓子が多い中、栗一点で勝負してきている潔さに感銘を受けた。
そして、下の「栗の波絞り」も一口食べた瞬間――。
(なにこれ!? モンブランじゃない!) 久しぶりに、頭の中にカグラの叫び声が響いた。 (この時代のアウサカにモンブランがあるわけないのに、なんで!?) カグラは混乱し、動揺し、そして歓喜しているようだった。
当然、真理も大きな口を開け、次々と平らげていく。 牛乳系のクリームこそ使われていないが、アウサカで手に入る素材を工夫して、極めて口当たり良く作られている。 むしろ、モンブランの「完成形」を知っている人間が、意図的にモンブランに近づけようとしていることは明白だった。
「甘味屋! この波を作ったのは、そこの職人か?」 真理の問いに、雨宮は激しく困惑した。 よりによって、本命である源助の渋皮煮ではなく、その台座としてエメリーが作った波絞りの方に強い関心を持たれるとは思いもしなかったのだ。
しかも、エメリーは日本語での会話がままならないため、店で留守番をさせている。ましてや、今は「バテレン追放令」が出ているご時世。外国人のエメリーをホイホイと城に連れてくるわけにもいかない。
(どうしよう……ここは、言葉を濁して乗り切ろう!) 喜三郎は恐る恐る答えた。 「こ、この菓子を作ったのは、手前どもの職人の一人でございます。本日は店で留守番をさせておりますゆえ……」
(残念! 会いたい、すぐに会いたい!) 私とカグラの気持ちは完全に一致していた。 しかし、まだ他の菓子屋の試食が残っている。
すると突然、カグラが「私の声」を使って、傍らの従者に何かを命じた。 従者は「ハッ」と短く応え、急いでその場を離れていく。
真理が再び前を向くと、そこには栗以外の見当違いな菓子を用意した職人たちが、青ざめた顔で雁首を揃えていた。一同、「マロンとは栗だったのか」と悟り、非常に気まずそうにしている。
その後の試食は、ひたすら淡々と進んでいった。 そして最後の試食が終わった時、真理はぽつりと呟いた。
「世界がどうなっているかを、学ぶ年齢になったのかもしれん」
二歳の女児の口から出た威厳たっぷりの言葉に、周囲の大人たちは一同、カチンと硬直した。
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その頃、甘味屋では。 エメリーが他の職人たちと一緒に、荷車から店へと荷を運び込んでいた。
ドドドドドッ! 突然、激しい足音とともに、大勢の武装した侍たちが駆け込んできた。 先頭に立つ侍が、大音声で叫ぶ。
「今より、この店の出入りを禁ずる! 刃物等、武器になるものを持っている者は、すぐに差し出すように! 所持したまま黙っている者は切り捨てる! 武装を解除した職人は、店の前に一列に並べ!」
甘味屋の空気が、一瞬にして凍り付いた。 エメリーをはじめ、残された職人たちは、ただ青ざめた顔を見合わせるばかりだった――。




