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第三章 画家組合の阿呆鳥 3

 黒い重い扉を押して入ると、カランカランと鐘が鳴った。

 機械鳥は本当に単なる飾りだったらしい。


 玄関ホールに入るなり、右手のドアが開いて、白いシャツの上に派手な緑のウェストコートを着たまだまだ若そうな男が現れた。


 若者はエレンを見るなりまじまじと目を見張り、何となく怯えたような声で訊ねてきた。


「マ、マダム、本日はどのようなご用件で?」

「その前にあなたはどなた? この会館の従業員(スタッフ)なの?」

「あ、はい。書記(クリーク)のソープといいます」

「そう。わたくしはミス・ディグビー。タメシスから来ました。昔この町で修行をしていたある肖像画家を捜しています」

「昔とは、いつ頃ですか?」

「三十年以上前でしょうね。アルフレッド・デールといいます。彼についての記録が何かあれば教えていただけますか? 今どこに住んでいるかを知りたいのです」

 エレンが落ち着いた口調で頼むと、書記も落ち着きを取り戻した。

「分かりました。確認して参りますね。どうぞ、そちらの客間(パーラー)でお待ちください。すぐお茶を運ばせますから」

「ありがとうございます」



 客間は玄関ホールの左手だった。

 ごくごく小さな部屋ながら、画家組合会館の客間らしく、広場に面した窓の壁を除いた三方が大小さまざまな肖像画で埋め尽くされている。

 すぐにメイドが運んできた熱い紅茶を飲みながら、エレンはそれらの絵画を順に眺めていった。

 作者名とモデル名。

 描かれた場所と年代。

 どこかにアルフレッド・デールの名前があるかもしれない。


 しかし、三方すべての壁を確かめても、デールという名前は見つからなかった。若きレディ・アメリアに見える肖像ももちろんない。


 諦めて椅子に座り直して最後の茶を啜ってからすぐに、若い書記が紙片を手にして戻ってきた。

「ミス・ディグビー、お捜しの人物が見つかりましたよ!」と、得意そうに言う。「ミスター・デールは今でもこのターブの郊外に住んでいましたよ。川向うのウッドサイド村です。風見鶏荘という邸に住んでいるそうです」

「あらそうなの」

 エレンはどうにか動揺を隠して答えた。

 少なくともターブの画家組合は、ミスター・デールが死んでいるとは思っていないらしい。



 ――今日は四月の十七日よね……?



 レディ・アメリアが〈合わせ鏡〉のなかにかつての恋人の死に顔らしきものを見たのは受胎告知の祝日たる三月二十五日。


 もし気の毒なミスター・デールが本当に死んでいた場合、春の陽気の中で二十三日間放置されていた死体と対面することになる……のだろうか?


 そう思うと胃のあたりがキューっと痛んだ。


 エレンは決意した。

 そのウッドサイド村へ向かう日の朝は何も食べないでおこう。




「ありがとうございます。ミスター・ソープ。本当に助かりました」

「お安い御用ですよ。お帰りに椅子駕籠(セダンチェア)をお呼びしましょうか?」

「ええ、よろしくお願いします」

 書記がカラカラ鐘を鳴らして外へ出てからすぐ、またしてもドアの鐘が鳴った。


 もう駕籠が来たのかと慌てて玄関ホールへ出ると、今まさに閉じたドアの前で、やたら身なりのいい長身の男が忌々しげに舌打ちをしていた。


「何なんだあの阿呆鳥は! 奴は一体何のために存在しているんだ?」


 どうやら――先ほどのエレンと同じく――喋るだけの自動機械人形(オートマタ)に足止めを食らった口らしい。

 エレンは思わず忍び笑いを漏らした。


 と、長身の男がハッとしたように顔を向けてきた。


 どうやら今しがたまでエレンの存在に全く気付いていなかったらしい。


「失礼お嬢さん。愕かせてしまいましたね」

 響きの良いバリトンで詫びながら帽子を外してくる。


 エレンも慌てて詫びた。

「いえ、こちらこそ。不躾に笑ってしまって」

「あなたの笑い声ならいくらだって聞きますよ。たとえ私への嘲笑であれね!」と、男は快活に笑いながら、率直な賛美を滲ませた目でエレンの姿を眺めた。

 エレンも同じくほれぼれと相手の姿を見上げた。


 目の前の男はまさしく完璧な貴公子(プリンス)だった。

 年頃はエレンより五つ、六つ上だろうか? 艶のある黒い巻き毛を洒落た形に調え、シンプルだが一目で最上級と分かる乗馬服に身を包んでいる。


「もしかしたらあなたもあの鳥に悩まされた手合いですか?」と、男が面白そうに訊ねてくる。エレンは笑って頷いた。

「ええ。てっきりあの自動機械人形(オートマタ)が取り次いでくれると思ったのに!」

「あれは全くひどい。親切な大道芸人が声をかけてくれなかったら、私は木偶の棒みたいにずっとドアの前に立ち尽くしているところだった。――ところでこの会館には誰も従業員がいないのかな? あなたは違いますよね?」

「ええ。わたくしも客ですわ。もう帰るところですけれど」

「それは残念だ。よろしければ――」

 男がそこまで口にしたとき、残念なことにカランカランとドアの鐘が鳴って、若い書記が意気揚々と戻ってきてしまった。

「ミス・ディグビー、椅子駕籠(セダンチェア)が参りましたよ!」

「あ、あらありがとう! それではまた!」

 エレンはいきなり襲ってきた激しい動悸に追い立てられるようにしてドアの外へと駆けだした。



 エレンの姿が外へ消えるのを待って、貴公子が顎に手を当てて訝しそうに首をかしげた。

「――ミス・ディグビー?」


「あ、あの、旦那様」と、書記がびくびくと訊ねる。「お待たせして申し訳ありません。本日はどのようなご用件で?」

「その前に君は誰だい?」

「あ、すみません! この会館の書記のソープと言います」

「そうかソープ君。私はスタンレー卿だ。以前この町に住んでいたかもしれないある肖像画家を捜しているんだ――」



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