第三章 画家組合の阿呆鳥 2
椅子駕籠は保養地特有の二人担ぎの箱型の輿だ。
本来ならば一人で歩くのも難しい病人を運ぶための輿だが、およそ多少の財産のある女性保養客は、市内でのちょっとした移動には必ずこの駕籠を使う。使わなければまともな身分の婦人とはみなされないため、どうしたって使わざるを得ないのだ。
マディソンの手配で宿へと呼ばれてきた椅子駕籠は、正確には一人担ぎだった。前方は人間が担いでいるが、後方を担ぐのは古びた鉄製の自動機械人形だったのだ。
「あら、ターブ名物鉄人駕籠ね! いつ見ても二〇〇年前の設計とは思えないわ」
エレンがうっかり職業的な感嘆を漏らすと、前方の駕籠かきが吃驚した顔をした。
「お嬢さんよく知っていなさるねえ!」
「ちょっと本で読んだのよ」
エレンは慌ててごまかした。
ターブ名物鉄人駕籠――
アルビオン南部の魔術師のあいだではわりと有名なこの駕籠かきの自動機械人形は、二世紀前、星の処女王エスター陛下治世の末期に、往時のターブの社交会館の儀式長を務めていた通称「祭典魔術師」サー・チャールズ・スキナーが、新興の保養地に女王陛下を迎えるにあたって作成した一体に始まる。
祭典魔術師はターブ市内の主要な辻に、焔の息吹の精粋である焔玉髄を埋め込み、それぞれの間を息吹が通うようにして、その見えない息吹の線上を歩むように設計した初代の駕籠かき人形を作り上げたのだ。スキナーはこの技術によって女王に認められて騎士爵位を賜った。
焔玉髄は永遠に使えるものではないから、ときどき交換はされているのだろうが、今の自動機械人形が歩むのも、基本的には二世紀前に祭典魔術師が張り巡らした息吹の動線上である。
この技術が後に応用されて首都タメシスに縦横無尽に張り巡らされた四種混合息吹を動力にした自動辻馬車網に発展していくのだが――それはまた別の話。
エレン自身も生来が火の性の魔術師であるため、「ターブの祭典魔術師」には、大先輩として大いなる敬意を払っている。
さて、その大いなる敬意の対象である鉄人駕籠の乗り心地は、お世辞にも最高とはいえなかった。
エレンは上下にガタガタ揺れる狭い縦長の箱の中にギュッと詰まって、ターブ市域の中心部である鉱泉館広場へと運ばれていった。
この保養地の中核のひとつである鉱泉館の前に広がる方形の広場で、中央の台座の上に初代の武骨な「鉄人」と肩を組んだ祭典魔術師の銅像があり、四方にはびっしりと淡い黄色の石造りの三階屋が並んでいる。(ターブ中心部の家屋は景観保持のために厳密な統一規格に従って立てられているのだ)。
一辺三〇フィート〈*約90m〉くらいの石畳の広場は――この保養地ではいつものことだが――老若男女の保養客でお祭りみたいに賑やかだった。
エレンとよく似た水玉模様の薄綿織と麦わらボンネットで装った巻き毛の娘たちがそこにもここにもいる。半分は野心的な御令嬢で半分は高級娼婦だろう。
ヴァイオリンを弾く大道芸人。
アイスクリームのカフェ。
プリムローズやヒヤシンスを売る古風な田舎風のドレスの花売り娘たち。
そんな賑やかな広場のなかを、鉄人駕籠が決まった線に従ってガタピシ動いている――自動機械人形を使っていない駕籠は好きに動けばいいのだが、みな基本的に同じ動線上を移動するのは長年の習慣の賜物だろう。
広場に群れた保養客たちも、駕籠の移動するラインは心持よけている。
エレンは鉱泉館の向かい側の一軒の前で椅子駕籠から降りた。
途端、背後からヒュッと口笛を吹かれる。
「見ろよあのブロンド!」
「ゴージャスだねお嬢さん! 今日はまだ一人なの?」
若い男たちの冷やかしの声が架かるのはこの身なりでは致し方ない。エレンは気にせず目の前の建物と向き合った。
他のすべての三階屋と同じく、間口が狭く縦長の淡黄色の建物である。
黒い玄関扉の上にも門柱から突き出す一対の看板にも「画家組合」の文字が金色で書かれている。
左手の看板の下に黒い鳥籠が釣り下がって、真っ青に彩色された鳥型の自動機械人形が入っている。
エレンが門柱の間に立つと、一拍おいて機械鳥の双眸がピカっと白っぽい閃光を放ち、ガラガラとひび割れた声で、
「よういらしたの客人よ! 御名を伺おう!」
と、古風な口調で告げてきた。
なかなかよくできた自動機械人形だ。
さすがにターブの画家組合だとエレンは感心した。もしかしたら今でも結構有力な魔術師が所属しているのかもしれない。
「タメシスから来たディグビーよ。昔この町に住んでいた肖像画家を捜しているの」
エレンが率直に要件を告げても、機械鳥はもう言葉を発さなかった。
両目も全く閃かないままだ。
一体どうなっているのだろう?
エレンが所在なく立ち尽くしていると、
「お嬢さん、勝手に入るんだよ!」
と、背後から誰かが大声で教えてくれた。「その阿呆鳥は喋るだけなんだ! とにかくただ喋るだけ!」
「あらそうなの。ありがとう」
エレンは少々意気消沈しながら勝手に扉を押した。
機械鳥はもちろん沈黙したままだ。