第八章 図書室での会合 2
「どうぞ卿。こちらでございます」
フェイトンはまず恭しくエドガーを入室させてから、きっと眉を吊り上げて大柄な義理の甥を睨み上げた。「アルフレッド、どういう事情か知らんが、こちらのお嬢さんに何かあったらミリセントに密告するからな? 何があろうと必ず守ってさしあげるんだぞ?」
「ミスター・フェイトン、ご心配なく」と、エレンは慌てて囁いた。「スタンレー卿は依頼人ですの。純粋に魔術的な調べ物のためにおいでで、わたくしとミスター・デールは指南役です」
「そうですか。それならいいのですが――」
「おい二人とも、何をしているんだ?」
部屋の中からエドガーが焦れた声で呼ぶ。
フェイトンは渋々ながら二人を開放してくれた。
図書室に三人きりになると、まずエドガーが口を切った。
「さてミスター・デール、単刀直入に訊きたいんだが」
「……何でしょう?」
「見たところ絶対にないという気がしてきたが、君が私の父親である可能性は?」
訊ねられるなり、デールは全身をびくりとさせ、口を開き、また閉じてから、ものすごい勢いで首を横に振った。
「ありえません。完全にゼロです。彼女が聖母でないかぎりは」
「処女受胎だったら父親は君じゃなく天なる何かだろ?」と、エドガーが失笑する。「分かった。それを聞いて安心したよ。私の用件はこれで終わりだ」
「え、御血筋を証立てる証拠となる何かは必要ありませんの?」
「この男と母とのあいだに何もなかった証拠――か? 逆ならともかく、そんなもの誰にも証立てようがないだろ」と、エドガーは肩を竦めた。「私は真実が知りたかったんだ。知れればそれでいい。血筋に由来する権利を間違いなく自分が持っているなら、アーノルドが何を画策しようと正面から戦ってやる。七歳年下の小さい弟が相手だからって手加減なんかしてやらない。だってあいつが悪いんだから。そうだろ?」
エドガーは後半分を家庭教師に言い返す若い少年みたいな口ぶりで言い、晴やかに笑ってデールへと右手を差し出した。
「ありがとうミスター・デール。君のおかげで安心できたよ。いつか私がコーダー伯爵となったら、老いたる母を中心とした一族の肖像をお願いしよう」
そう告げて笑うエドガーの姿は堂々としていた。
デールはぽかんと見つめっていたが、じきに背筋を正して、恭しい仕草で握手に応じた。
「ええ卿。楽しみにしております。――ところで、わたくしも聞きたいのですが」
「なんだね?」
「卿はそもそもわたくしとお母君との関係をどうしてお知りに?」
「それはミス・ディグビーが説明するのがよさそうだな」
「ではわたくしから」
エレンが申し出ると、デールが青いあおい目をまっすぐに向けてきた。
その目には不安と怯えがあった。
エレンは違和感を覚えた。
――まだ何も告げていないのに、この人は何を怯えているのだろう?
もしかしたら、デール自身も三月二十五日に、鏡のなかに自らの死に顔を見ていたのだろうか?
それとも何か別の事情が?
あの鏡の制作者は目の前のデール自身なのだ。
一見全く善良で単純そうな男に見えるが、人は見た目にはよらない。
こちらの知らない複雑な事情を秘しているとも限らない。
諸々を考え合わせてから、エレンはまず、こちらの手札はすべて伏せたまま相手の状況を訊ねることにした。
「ミスター・デール、あなたは今年の三月二十五日には、約束通り〈合わせ鏡〉をご覧になりました?」
切り出した途端、デールは目に見えて安堵したようだった。
「いいえ、実は見ていません」
「見ていない?」エレンは愕いた。「それはまたなぜ?」
「実は、その――」と、デールは口ごもりぎみに応えた。「私は去年の夏頃にミリセントと――今の妻と結婚したのです」
「え、去年?」と、エドガーが愕く。「ずいぶん遅い結婚だな。何か事情があったのか?」
「ええまあ、いろいろと」と、デールは言葉を濁した。
エレンは混乱していた。
--ミスター・デールが今年は鏡を見ていなかったとしたら、レディ・アメリアが見たものは一体何だったの……?
「――あの、ミス・ディグビー?」
デールが怯えた声で訊ねる。「アメリアは何を見たのですか?」
「え?」
エレンは思わず問い返した。
エドガーが眉をあげ、ちらりとエレンを見やる。
話してもいいか――と、目だけで訊いているようだ。
エレンはわずかに首を振ると、職業的な笑顔を取り繕ってデールの顔をみあげた。
青いあおい眸が怯えている。
エレンは確信した。
――彼は何かを隠している。おそらくはあの〈鏡〉の本当の機能について。
そんな直観が脳裏をかすめた。
不安そうデールを見上げたまま、エレンは笑顔で首を横に振ってみせた。
「いいえミスター・デール。レディ・アメリアは何も見てはいません。あなたのお顔が映らないから、何かあったのかご案じになって、わたくしに確認をご依頼なさったのです」
「ああ、そうですか!」と、デールはありありと安堵した顔で笑った。「それなら彼女に伝えてください。私は幸福に生きていると。だから、あなたも幸福に生きて欲しいと」
そう告げるデールの表情はいかにも真摯にみえた。
「承りましたわ」
頷きながらも、エレンはどこか釈然としない思いを感じていた。
――三十年間あの方の心を縛り付けておいて、この男は今更何を言っているのかしら……?
そこまで考えたところでエレンははっとした。
――もしかしたら、ミスター・デールは何らかの必要があって、毎年必ずレディ・アメリアの顔を見ていたのでは? そして、その必要が今年からなくなったのでは?
そうと思い至ったとき、頭の中にひとつの仮定が閃いた。
レディ・アメリアの見たという鏡のなかの死に顔――あれが現在のデールでないなら、当然未来の彼だと思っていた。
しかし未来でもなかったとしたら?
「――なあミス・デシグビー」
ファサードでデールと別れたあと、ロビーで椅子駕籠を待つエレンに、エドガーが心配そうに訊ねてきた。
「あの男に何も警告しなくていいのか? つまり、未来に起こりうるかもしれない何かについてさ」
「外れない予知を警告する意味はありませんわ」と、エレンは笑ってはぐらかした。「もしも予知だとしたらね。それより卿、あなたにお願いしたいことが」
「なんだい?」
「あなたの荘園の五月祭にレディ・アメリアを招待してくださいません? わたくしはあの方の付添女性として伺いますから」
「おや、腕利きの諮問魔術どのが皆を集めて謎解きかい?」と、エドガーは面白そうに笑った。「いいよ。引き受けよう。君が来てくれるなら何だって大歓迎だ」




