第七章 記憶の鳥 2
社交会館の図書室の魔術関係資料は半日では到底読み切れなかった。
エレンは陽が傾いで会館がダンスパーティーという本来の業務で忙しくなる前に、儀式長のフェイトンに礼を告げ、鉄人駕籠で宿へと戻った。
すると入日を浴びた窓辺に赤く小さく輝かしい契約魔が待機していた。
「サラ!」
エレンは慌てて窓辺へ走り寄ると、黒く重い窓枠を押し上げて火蜥蜴を招き入れた。
小さい焔の塊が戻ってくると、室内の温度が一、二度一気に上昇するのが分かった。
「随分早かったのね! ごめんなさい、待たせちゃって」
「うむ。大事ない」と、火蜥蜴は重々しく応え、キラキラ光るエメラルド色の眸でキロっとエレンをみあげた。「そなたは遅かったの! まさかあの軽薄そうな貴族と過ごしていたのではあるまいな?」
「スタンレー卿はまだ荘園よ。私は社交会館の図書館で半日調べ物をしていたの。そちらの首尾はどうだった? ミスター・ニーダムは何と?」
「即急に、できるかぎりの調査をするそうじゃ。結果は速達郵便で送ると。今の時点でわかっていることについはじかに言付かってきた」
「あら、アーノルド・キャルスメインについて、今の時点でわかっていることが何かあるの?」
「うむ」と、火蜥蜴は頷いた。「キャルスメイン家の次男は陸軍卿のハリントン子爵に心酔して、しばしばその町屋敷の秘密集会に顔を出しているそうじゃ。そなたにとっては重要なことであろうと言っておったぞ」
「――そうね。確かに重要なことだわ」
エレンは不意に湧き上がってきた激しい動悸を堪えて答えた。
陸軍卿のハリントン子爵――
その名は今のアルビオンの魔術師にとっては独特の不吉さを帯びている。
新興貴族のハリントン子爵は、大陸ルテチアの「皇帝僭称者」コルレオンに対する戦争のために、相手方がやっているように国内の魔術師に従軍義務を課す「魔術師動員法案」の起草者なのだ。
幸いアルビオンは伝統的に海軍国で、海軍卿がその案に猛反対しているうえに、ハリントン子爵自身が新興貴族で上院議員から嫌われているため、「魔術師動員法」が議会で可決される可能性は極めて低いと思われているが――一部の若い貴族たちのあいだでは、また別の論調があるらしい。
もしスタンレー卿に何かあり、アーノルド・キャルスメインが爵位を継ぐことになったら、国内でも指折りに富裕かつ格式もあるコーダー伯爵家が「動員法」賛成派に回るのだ。
――最悪だわ。
エレンは自分の想像のあまりのおぞましさに身震いをした。
アルビオンに限らず、エレンたち古典四大元素派に属する魔術師はみな、師について術を学び始める前に必ず同じ誓いを立てている。
古代帝政時代の大魔術師アルクメネスが「のちの世のすべての弟子たちに」と言い残した簡潔で短い誓いだ。
――汝、殺すことなかれ
エレンは両手を左胸の上に重ねて誓いの言葉を思い起こした。
★
火蜥蜴が戻ってきた翌日から三日間、エレンはひたすら社交会館の図書室に通って魔術関係の資料を読み漁ったが、〈合わせ鏡〉に関する目新しい情報は見つからなかった。
唯一、多少興味をひかれたのは、「祭典魔術師晩年の傑作」と同時代人数人の回想録に記されていた〈記憶の鳥たち〉という自動機械人形についての記述だ。
断片的な記述から推し量るに、その〈記憶の鳥たち〉はスキナー一族の邸宅である風見鶏館の玄関広間に置かれていて、「来客たちに慕わしい記憶を見せてくれた」のだという。
「……――この鳥たちって、もしかしてあの鳥かしら?」
エレンは記述を見つめながら呟いた。
画家会館の入り口の鳥かごに収められたあの古色蒼然たる鳥形の自動機械人形。
あれがもし祭典魔術師の作った〈記憶の鳥たち〉だったとしたら、同じような自動機械人形が他にもあったことになる。
――あの鳥はもしかしたら一体では完全には機能しないのかもしれない。
気になり始めたエレンは、今度は〈記憶の鳥たち〉についての記述を中心に丹念な読み直しを進めた。
その結果、ひとつ分かったことがあった。
〈鳥たち〉の眸には燦水晶が使われていたらしい。