第四章 風見鶏荘 2
「ミスター・デールですか?」
念のため訊ねてみる。
「ええ」
男が頷く。
「お名前はアルフレッド?」
「ええ」
エレンが戸惑っているのと同じほど、目の前の絵描きも戸惑っているようだった。
「ええと――あなたが、アメリアの?」
「ええ」
エレンは頷き、さっと背後を見回してから、絹外套の下にかけた小銭入から、身分の証である銀の印章指輪をつまみ出して示した。
「わたくし、セルカークのエレン・ディグビーと申します。タメシス警視庁任命の諮問魔術師です」
「諮問魔術師? あなたが?」
画家はまさしく深い海のように青いあおい瞳を見開いてから、ハッと口元を抑え、怯えたような小声で訊ねてきた。
「まさか、彼女の身になにか?」
その声からは心底からの懸念が感じられた。
エレンは感動した。
彼は今もって彼女を愛しているのだ。
たとえ太鼓腹の森のくまさんと厚化粧の狆であっても、ここには間違いなく永遠の純愛があるのだ――……!
エレンは若い娘らしい無自覚に失礼な感動に駆られつつ、指輪を仕舞いながら力強く首を横に振った。「ご心配いりません。レディ・アメリアはご無事です。わたくしは彼女の依頼であなたの安否を確かめにきたのです。よろしければお上がりしても?」
「あ、ああ、もちろんです!」と、デールが慌てて手を差し出してくる。「どうぞミス・ディグビー、お入りください」
通されたのは玄関ホールの右手の小さな居間だった。
床には白地に青で蔓草模様を織り出した薄手の絨毯が敷かれ、桃花心木の低いセンターテーブルと、紺色の馬毛織の長椅子と肘掛椅子がきちんと並んでいる。燦燦と春の陽の射しこむ窓辺には碧いガラスのボールが据えられ、真っ白なスノーボールの花と青々とした羊歯とが形よく盛り上げられている。
簡素ながらも実に趣味がよい居間だが、少々女性好みという気がする。
「どうぞおかけください。すぐにお茶の支度をさせますから」
デールに勧められるまま窓側の肘掛椅子に腰かけたとき、
「アル、お客様なの?」
玄関ホールのほうから高く澄んだ女性の声が響いた。
途端、デールがびくりと肩を竦める。
「あ、ああミリー、この方はミス・ディグビーと言ってね、僕の古い友人のお友達なんだ! タメシスからたまたまこっちに来たから、僕が元気にしているかって様子を見に来てくれたんだよ!」
デールが慌てふためいた声で説明する。
エレンも慌てて立ち上がった。
玄関ホールを背にして不機嫌そうに立っていたのは、すらりとした細身の黒髪の女性だった。
膚は滑らかな小麦色で眸は明るい灰色。
しなやかな体を部屋着みたいな白いドレスに包んでいる。
年頃はよく分からないが、デールよりはかなり年下に見える。
「初めまして。ミセス・デールーーで、よろしいかしら?」
「ええ。ミセス・ミリセント・デールよ」と、女性は無愛想に告げると、一転して剣呑な表情でデールを睨みつけた。「ずいぶん可愛らしいお友達ね?」
「いや、僕の友達じゃなくてだね!」と、デールが慌てきった様子で弁明する。
エレンは絶望的な気持ちになった。
永遠の愛は地上には滅多に存在しないものらしい。
この居間にミセス・デールが登場してしまった以上、彼女のアルと若き日のレディ・アメリアの純愛の仔細をこの場で説明するのは賢いやり方とは言えないだろう。
「ミセス・デール、どうぞご心配なく」と、エレンは職業的な愛想の良さでミリセントに笑いかけた。「ミスター・デールのお友達は、わたくしの知り合いのとある紳士です。古い友人が元気にしているか様子を見て欲しいと頼まれただけですから、今日はもうこれでお暇いたしますわ。わたくしはもうしばらくターブに滞在いたしますから、もし市街地にいらっしゃることがあったら、どうかお声がけくださいな。宿は新カナル通りの金雀枝館です」
と、かねて支度のカードを渡して早々に帰り支度にかかる。
「あらそう、もうお帰りなの」と、ミリセントが冷ややかな口調で言いながら玄関まで送ってくれた。
エレンはつくづく思った。
完全に服装選択を間違えたようだ。