第一章 鏡に映る死者 1
「――あらぁ、あなたが噂のミス・エレン・ディドリーなの?」
あらゆる点で不謹慎な最新流行ファッションである象牙色の下着みたいな〈帝政様式〉のハイウェストのドレスに身を包んだ小柄な貴婦人は、白い駝鳥の羽を飾った帽子を外して事務所の秘書兼家政婦のマディソン夫人に渡しながら、事務所の主であるエレン・ディグビーの名前を堂々と間違えた。
「大層お若いと聞いていたけれど、噂ほどでもないのねえ。噂じゃ、あの有名なグリムズロックの護符事件を鮮やかに解決した諮問魔術師はストロベリーブロンドの輝くばかりの天才美少女だって話だったのに――」と、貴婦人は厚化粧の小さい狆みたいな顔に底意地の悪い笑みを浮かべて、女性としては長身のエレンの顔を上目遣いに見上げてきた。
「失礼だけどあなたおいくつ? もう三十歳に近いんじゃないの?」
「失礼ながらレディ、ご依頼に関係ない個人的な質問に関してはお答えできかねます」
当年二十六歳のエレンはふつふつと湧き上がる怒りを必死にこらえて職業的な笑顔を取り繕った。
「それから、わたくしはエレン・ディグビー! でございます。タメシス警視庁に任命された諮問魔術師です」
「あらそう」と、貴婦人は勧められる前に客間で一番上等の深緑のつづれ織りを張った肘掛椅子に腰かけながら応えた。「じゃ、ミス・ディグビー、早速お仕事を頼みたいのだけれど――」
と、そのとき、貴婦人の後ろに静かな背後霊みたいに従っている硬そうな芯入りの立て衿の紺のドレスをまとった黒髪の貴婦人付添女性が、銀縁の眼鏡をクイっとあげて口を挟んできた。
「レディ・アメリア、それはいけません。具体的な依頼を持ち出す前に、まずはこの若い娘が本当に充分な力を備えているか、試しに何かやらせてみませんと」
「ああそうね、そうだった。ミス・ベアトリス、あなたの言う通りだわ」と、四十半ばに見えるレディ・アメリアは厳しい家庭教師に叱られた若い令嬢みたいに狼狽え、
「ミス・ディグビー、試しに何かやってみなさい」
と、実に抽象的な命令を下された。
どうもあんまり賢い貴婦人ではないようだ。
しかし、最上級の社会階層に属していることだけは間違いない。
何しろこのお方はレディ・アメリア・キャルスメインーーこのアルビオン&カレドニア連合王国でも指折りに富裕なコーダー伯爵家の夫人なのだ。
かなり裕福な地主の娘でアッパーミドルに属するエレンだって社会の上位5%くらいには入るだろうが、爵位貴族とは根本的なレベルが違う。
何があろうとご機嫌を損ねるわけにはいかない依頼人である。
エレンはしばらく考えてから、掌を広げておなじみの契約魔を呼んだ。
「サラ、ちょっと出てきて頂戴」
囁くなり、指が長く肉の薄い優美な掌から淡い金色の微光が立ち上り、輝かしい赤い小さなドラゴンのような生き物が出現した。
生き物がブルブルっと体を震わせて微光の粒子を振りまくなり、二本の脚と一対の皮翼を備えた小さな体が眩いほど赤い輝きを放ち始めた。
「まああ――……」
レディ・アメリアが白い絹手袋をはめた手で口元を抑える。「まあまあまあまあ可愛らしい。こんな小さなドラゴンがこの世にいるものなのね!」
「お言葉ながらご婦人よ、儂は火蜥蜴じゃ」と、小さな生き物自身が渋い男声で応える。
途端、レディ・アメリアは十三歳の小娘みたいにキャーっと歓声をあげた。
「あらあ、この子喋るのね! なんてまあ可愛らしい! ミス・ディグビー、この生き物は何を食べるの? 世話をするのはどんな召使を雇えばいいの?」
レディ・アメリアは火蜥蜴を飼育する気満々のようだった。
「残念ながらレディ、火蜥蜴は厳密にはこの世の生き物とは言えません。私は彼と対等な契約を結んだパートナーであって飼い主ではないのです」
エレンは説明しながら火蜥蜴をいつもの定位置である右の肩に乗せてから、アメリアではなく後ろの貴婦人付添女性を見上げて訊ねた。
「ミス・ベアトリス、魔術師としてのわたくしの技量にまだ不安がおありですか?」
「いえ、充分です」と、黒髪の付添女性は銀縁眼鏡越しにまじまじと火蜥蜴を注視しながら応えた。