6、辺境伯家での日々
ミミは本物の聖女として、後ろめたいことはもう何一つなく辺境伯家で暮らすことができるようになった。
彼女とテオとの会話は少しずつ増えた。
彼女から話しかけると、意外とテオは会話をしてくれることがわかった。相変わらず、愛想はあまりよくないが、尋ねたことにはぽつぽつ答えてくれる。
次第に、テオからもたまにミミに話しかけてくるようになった。
ある日、テオが「聞いて欲しいことがあるのだが」と言って、真剣な表情で話を切り出してきたのだった。
「私が前に言ったことで、一つだけ撤回したいことがあるんだが」
「なんでしょう」
「私は前に結婚は形だけだと言ったが」
「最初に会った時です。しかも、その第一声でした」
「そうだったか」
テオは少し気まずそうに頭を掻いてから、話を続けた。
「それなんだが、もしよかったら形だけじゃなくて、本物の夫婦になれないだろうか。都合の良い話だとは思っているが」
「いいですよ」
「本当か? 最初は本当に形だけでいいと思っていたんだ。私はかなり評判が悪い男みたいだから、契約なんかで俺と結婚するのは可哀想だと思ってな」
「そんなことを考えて、ああ言ったのですか?」
「ああ」
ミミは首を振った。
「それはあまりにも一方的すぎます。私がどう思うかなんて、わからないのに」
「そうだな。それはすまなかった。今考えればそうだと思う」
ミミはそれを聞いてほほ笑んだ。
「まあ、それはいいんです。私も責めることはできません。私もあなたを騙そうとしていた訳ですし。まあ、お互い最初の頃のことはなかったことにしましょう」
「うん、そうだな」
「じゃあ、結婚式はやり直しですね」
「やり直し?」
「ええ、だってあれ、私は自分の結婚式だと思っていません。私は聖女アリアの振りをすることしか考えていなかったし、来ていた方たちもそうだった」
「なるほど。ミミがそうしたいならそうすることにしよう」
テオの方から話しかけてきて、自分の方に大きく歩み寄ってくれた。ミミはそれが嬉しかった。
ミミにはこのところ、一つ気になっていることがあったが、聞くタイミングを見つけられずにいた。だが、今ならそれを聞ける気がした。
「テオ様。私からも、一つ聞きたいことがあるのですがいいでしょうか」
「ああ、なんだ?」
「あの、私が、実際には違ったのですが、もし私が、偽の聖女だったらどうしていました?」
エリーは、テオも気にしないだろうと言っていたが、やはり本人に直接聞きたかった。
「どうだろうな。それは考えたこともなかったから難しいな。うーん。でも、どうもしていなかったと思う」
「本当ですか?」
「ああ。私は他人に期待しない人間なのだ。だからミミが偽の聖女だって聞いても、失望はしない。国境の結界については別の方法を考えるまでだ。そもそもそれがなくてもなんとかなっていたしな」
「でも、もし私が偽聖女だったら、私がテオ様の妻である必要はなくなるでしょう?」
「必要?」
テオはよくわからないというような顔をした。
「私は初めに言っただろう。君はこの屋敷に居てくれるだけでいいって」
「それはそうですけど」
「まあ、君が出て行きたいっていうなら止めなかっただろうがな」
ミミは結局、私が勝手に怖がっていただけなんだな、と思った。
彼女は安心すると、急にテオに対してわがままなことを言いたい気分になった。
「それは残念です」
「え? 何が?」
ミミが珍しくそういうことを言ったからか、テオは動揺した様子を見せた。
「何がって、私の夫なら『出ていくなと言っただろう』って言って欲しかったです」
「あ、ああ、そうか……」
テオはなんと言って良いかわからない、戸惑った顔でそう言った。
「ええ、そうです」
これは私のわがままかもしれない。でも夫婦ならそれくらい言ってもいいのではないだろうか。
「う、うーん。えーと」
その時、近くにいた侍女が口を挟んだのだった。
「ご主人様は、本当は『出ていくな』って言ったに決まっていますよ。でも嫌われるかもしれないからってびびっているだけです」
「本当ですか?」
「いや、それは……」
侍女は畳みかけた。
「いいですか? 奥様のいないところで、ご主人様はどれだけ気にしているか。いつもミミ様のことを私どもにお聞きになるのですよ」
「え、そうなんですか」
「やめろ。そんなことを知られたら、ミミに気持ち悪いって思われるだろう」
「だめです。夜にミミ様が聖歌をお歌いになる時なんか、いつも仕事の手を止めて、じっと聴いていらっしゃいました。最近はミミ様が歌を歌われなくなったので、寂しがっていましたよ。それに結婚式の後なんか、しばらくミミ様のドレス姿がどれだけ美しかったかという話ばかりで……」
「ああ、災難だ。私は仕事に戻る」
そう言ってテオは部屋を出ていこうと歩き出した。
「あらあら」と侍女は面白そうにその後ろ姿を見ている。
ミミはその侍女に「ありがとう」とお礼を言った。
それから、テオの後ろ姿に向けて、ミミにしては大きな声で話しかけた。
「テオ。あとでお菓子を持っていきますね。最近、趣味で作っていて」
「ああ、ありがとう。それは楽しみだな。ではな」
テオは振り向かずにそう言うと、そのまま歩いていってしまった。
「絶対、嬉しそうな顔をしていらっしゃいますよ、今。にやけていると思います」
と侍女が言う。
「ふふ。そうかなあ」
「あら、ミミ様もとても嬉しそうな顔をされて。本当にお似合いですね」
「え、そう? それは恥ずかしいな」
ミミはテオの素直な気持ちを知れたようで嬉しかった。
今まではいまいち掴めない人だと思っていたけれど、思ったより親しみやすい人なのかもしれない。
ミミがキッチンに行くと、エリーがいつも通り菓子作りの作業を行っていた。
「あれ、ミミ様。何か良い事があったんですか?」
「エリーには隠し事はできないね。そうなの。でもその話より、これからお菓子ができたら、テオのところに持っていきたいんだけど」
「なるほど。それは良い事ですね。これは気合いが入ります。とびっきりのを作ってもっていきましょう!」
お菓子がで出来上がると、エリーは、
「これなんてどうでしょう。うまく出来ています」
「ええ、そうね。でもこっちも捨てがたいかな」
そんなこんなでミミがテオにお菓子を持っていく準備が出来たのだった。
「いつもありがとうね。エリー」
「こちらこそ。ミミ様が嬉しそうだと私も嬉しいです」
「私はここに来て、こんな良い思いをしていいんだろうかって不安になるくらいだよ」
エリーは頭を横に振った。
「ミミ様はご自身のことを低く考えすぎです。ミミ様、あなたは自分の光で周りを明るく照らしているんですよ」
そう言って、エリーは手を大きく広げて見せた。
「それが跳ね返って来ているだけです。私がどれだけミミ様に癒されているか。それを何時間も話してあげたいです。ああでも、今はそのお菓子を持っていってあげてください。テオ様、きっと今ごろ待ちきれなくなっているかも」
「あ、そうだった。うん、ありがとう。行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃい」
ミミはエリーに見送られると、彼女は執務室に向かって、廊下を歩いていった。
キッチンから、執務室まではそれなりの距離がある。
その廊下を歩いていると、ミミはその向こうが不思議と明るくなっているような気がした。
すると、歌が自然と彼女の口をついて出てきたのだった。
彼女が歌い出すと、あたりが輝き出したような気がした。
ミミが歌を歌いながら歩いていると、彼女以外に人のいない昼下がりの廊下、窓も少なく薄暗いはずのその廊下にどこからか光が差してきて、眩しいほどに明るくなったのだった。