3、聖女の結婚式
そしてようやく結婚式の日がきた。
ミミは、レース生地に細かい模様が美しい純白のドレスを着ていた。
それはミミによく似合っていた。
当然だ。
もともと、それは聖女アリアのために作製された衣装なのだ。そして、ミミの顔は聖女アリアにそっくりなのである。
「聖女様、お似合いですよ」
そんな風にいわれても、自分が褒められているように感じない。
ミミは結婚式の間ほとんど話さず、話かけられてもにこにこと笑顔を浮かべるだけだった。
招待客の中には本物の聖女アリアと実際に会ったことのある人間も少なくない。だからなるべく話さないようにしろ、というのが聖堂側からの指示だった。
そんな風にしていても、緊張して初々しい花嫁に見られたようで変に思われることはなかった。逆に「とても可憐ですね」なんて言われる始末だった。
テオはそんなミミに何かを言うでもなく、寡黙で、いつも通りの人を寄せ付けない無愛想な表情でいた。
結婚式の参加者はそんなテオを恐れているようで、彼に近寄る人はあまりいないし、ミミはそんな人と結婚するということで同情の目を向けられた。
「離れた場所に一人で心細いでしょう」
などと声をかけられたが、そこには明らかに、あの伯爵のもとに嫁ぐなんて可哀想にという含みが感じられた。
同情されたいのは、偽聖女として皆を騙さなければいけない境遇の方だと言いたかったけれど、もちろん今それを口に出すことはできない。
ミミにとって、その結婚式はまるで他人のもののようで、自分が花嫁役をやっているだけの部外者のように感じた。
実際、それはその通りなのかもしれない。だって、ここにいる人は皆、私を聖女アリアだと思い、アリアとして扱っている。そして私自身もアリアとして振る舞っている。
ミミは盛大に飾り付けられた舞台の上、人々が祝福するの真ん中にいながら、まるっきり独りぼっちのような気がした。こんなによく晴れて明るい空の下なのに、自分だけ一人暗い日陰に立っているような、そんな心細い気分だった。
でもそうなることは、もともと分かっていたことだ。だから、気持ちが挫けるという程ではない。ため息をつきながら、それはそうですよね、と言うような感じだ。
ただミミが気になったのは、テオが自分をどう思っているかだった。
テオはミミの姿を一度じっと見たが、それだけで何も言わなかった。もちろん、初めて顔を合わせた時に「結婚は形だけのものだ」と言ったけど、今日の私には一言くらい何か言ってもいいじゃないか。
ミミはそう思ってから、いや、これは私の結婚式じゃないのだから、そんなことを考えるなんて意味のないことだ、と思った。逆になんでそんなことが気になったのか自分でも不思議だった。
それでもとにかく結婚式は無事に終わり、ミミは安堵した。
これで辺境伯家も簡単にはミミを追い出すことはできない。彼女が聖堂から与えられた仕事はひとまず終わったことになる。
結婚式が終わってからはというと、ミミの日常にあまり変わりはなかった。
テオも今まで通り彼女に関わることはなく、仕事ばかりしていた。
ミミは料理の腕を上げ、最近はお菓子作りに手を出していた。
でもそれをテオに食べさせることはなかった。
甘いものが好きかわからないし。
彼女は、手伝ってくれる侍女と、一緒に食べるだけで満足していた。
ミミは、最近、お菓子作りを通して、一人の同年代の侍女と仲良くなっていた。
彼女はエリーという名前だ。
エリーはミミに積極的に話しかけてくれる。
ミミは心を開いて話すのが得意じゃなくて、誰とも一定以上距離が縮まらなかったが、エリーはそれでも気にせず話しかけてくるので、ミミも彼女とは打ち解けて話せるようになってきている。
「早く上手に作れるようになって、テオ様に食べさせてあげたいですね」
「テオ様って甘いもの好きなのかな」
「さあ、どうでしょう。召し上がっているところは見たことありませんけど」
「それならやめておいた方が」
「いえ、奥様の作ったものならなんでもきっと嬉しいはずです!」
「そんなことないでしょ」
ミミが普段暮らしている自室に比べて、キッチンは物で溢れていて狭苦しくて、更に明かりをつけないと薄暗かった。
でも、そこでエリーと二人で他愛もないことを話していると、ミミはくつろいだ気分になって居心地が良い。
「聖女様、ここでの生活には慣れましたか?」
「うん、まあ。それなりに」
「それならよかったです。聖堂はとても暖かくて、行ったことある人からは天国みたいな場所って聞きますから。ここは寒いし」
「天国ねえ」
気候だけならそうなのかもしれない。
「それにずっと向こうで暮らしていたんですよね。仲の良い友達とかと離れ離れになって寂しくないかなって」
「仲の良い友達かあ。あんまりそういうのなかったかも」
「え、そうですか。聖堂って大変なところなんですね」
彼女みたいに人懐っこい人には想像できないかもしれないが、ミミにとってはそう簡単に友達はできない。いや、私が悪いのだ。ぼーとしていてあまり人と喋らなかったから。
エリーみたいに積極的に仲良くしてくれる人がいないと、一人でいてしまう。
「でも不思議ですねえ。聖女様みたいな方だったらみんな友達になりたいと思うだろうに」
「そんなことないよ」
エリーは本気で言っているのだろうか? 彼女が話かけてくれなかったら、私なんて無口で、退屈な人間だ。
聖堂にはエリーみたいな子はいなかった。
「いえいえ。きっとそうですって。私なんて、羨ましがれているんですよ? エリーだけ聖女様と仲良くなってずるいって」
「本当? 全然気づかなかったな」
「本当ですよ!」
彼女がこういう時に浮かべる、太陽みたいに眩しい笑顔を見ていると、ミミはいつも心が温かくなり元気づけられる。
ミミは、なんだか急にエリーのことを抱きしめたくなった。もちろん本当にそうはしなかったが、エリーや彼女と過ごす時間が大切で手放したくなくなってきたのだ。
「ねえ、エリー。もしよかったら、私のことは聖女じゃなくて、ミミって呼んでくれない?」
「へ? いいんですか? わかりました、ミミ様。ふふ、嬉しいなあ」
「私、エリーとこうしてお菓子を作っている時が幸せ」
「嬉しいことをおっしゃいますね。私も幸せですよ」
「ねえ、エリーは私がいなくなったら寂しい?」
「いきなりなんでしょう。それはもちろん寂しいです。あたり前じゃないですか」
「よかった。私もあなたとはずっと一緒にいたいな。実はね、私がここに来た時、みんなには見せないようにしていたんだけれど、一人になると不安でしょうがなかったの。それがエリーと一緒にお菓子を作るようになってから、気づけばそういう不安な気持ちは段々感じないようになったなって、今思って。だから、私あなたにはとっても感謝しているって伝えたくなった」
「ミミ様、なんて嬉しいことをおっしゃるのでしょう。エリーはそんなことを言われたら……」
そう言ってエリーは後ろを向いて、しばらく黙ってしまった。
ややあって、彼女はミミの方を振り向いた。
「すみません。さあ、ミミ様。張り切って作りましょう。今日も美味しいこと間違いなし!」
そういって弾けんばかりの笑顔をエリーは浮かべたが、その目の周りは、かすかに赤いような気がした。
「うん、そうだね。作ろう!」
ミミはしかしその時、突然ひやりとした気持ちに襲われた。
もしこの屋敷の人に、私が偽聖女であることを知られてしまったらどうなるのだろう、そんな考えが不意によぎったのだ。
この時間も永遠に失われてしまうのだろうか。
エリーも私のことを軽蔑するだろうか。彼女は、私が聖女だから仲良くしてくれているのかもしれない。
彼女はそういう人間じゃないとは思うけど、でも人の内面なんてわからないじゃないか。
エリーはいつも私によくしてくれている。
そんな彼女には本当のことを言うべきなのでという考えも湧いてきた。
でも、それを言う勇気は持てない。
だって、今のこの日々この時間は、聖堂にいた時のどの時間よりずっと、私にとって失いたくないものになってきている。せめてもう少しだけ、待って欲しい。だから……
「ごめん」
ミミはそれを口に出してしまった。
「ミミ様、どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
しかしエリーは心配そうな表情でミミを見つめた。
「ねえ、ミミ様。私に何か言えない秘密を持ってらっしゃるのでしょう」
ミミはそれを聞いて、どきっとした。
彼女は感づいているのだ。これだけよく一緒にいて話をしていれば、流石にわかるか。
ミミは、ぎゅっと手に握っていると思っていた大切なものが、指の間からどんどんこぼれていってしまうような気がした。
「うん、あの……」
「あ、待って。別におっしゃらなくていいですよ。私がお伝えしたいのは、ミミ様にどんな事情や秘密があったとしても、私のミミ様への気持ちは変わらないということです」
ミミは、先ほどエリーの内面を疑ったことを後悔した。
「エリー、あなた、なんでそんなに優しいの……」
そこまで言ってくれる彼女にもう隠しておくわけにはいかないと思った。
というか、彼女には隠したままでいたくない。
どう受け取られてもいい、結果としてミミの処遇がどうなるにしろ、それよりもっと大切なことがある。自分をこんなに信頼しれくれたエリーに、ふさわしい態度を取り、行動することだ。
「あのね、あなたにだけは話しておきたいことがあるの。実は……」
その時、キッチンの扉が開いて、侍女が顔を覗かせた。
「聖女様。テオ様がお呼びです」
ミミはあまりのタイミングに苦笑いしてしまった。
「わかりました。今行きます」
ミミは侍女にそう返事をすると、ミミの方を向いて、
「エリー、行かなきゃ。ごめん、話が途中で」と言った。
「はい、ミミ様。よかったら、あとでまた聞かせてくださいね」
「うん、またあとでね」
ミミは、その「あと」が「さよなら」の時にならなければいいなと思った。
彼女がテオに呼び出される用件なんて、「聖女」と何か関係があること以外考えられない。それ以外にテオが自分に関心を持つことなんてないのだ。ミミはそう考えた。
そして、ああ、いよいよ、もう私は逃げることはできないのだなと思った。
ミミは、これからどうなったとしても、今のこの景色は忘れないようにしようと思った。
彼女は一度振り向き、今まで楽しい時間を過ごしてきた目の前のキッチンと、そこに立つミミを急いで目に焼き付けた。そうして見ると、いつもの薄暗い小部屋が、輝しく愛おしいものに見えてきた。
しかし、いつまでもそうしてはいられなかった。
彼女はくるりと背を向けて、テオのもとへと向かったのだった。