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2、辺境伯

 辺境伯の屋敷に向かう馬車の中で、彼の人柄について同乗した(臨時雇いの)侍女に尋ねたのだった。

 ミミの質問に対して侍女が見せた表情だけでも、辺境伯が良く思われていないことはよくわかった。

 彼女によると、辺境伯は気性が荒く、暴力的な男らしい。魔物を狩ることに喜びを見出し、戦いから帰ると服は血塗れ。短気で、怒ると身内にも手を出すとか。

「ああ、恐ろしい。聖女様もどうかお気をつけ下さいね」

 彼女は心配そうに言ったのだった。


 でも辺境伯に実際に対面してみると、印象は全く違った。

 辺境伯は無口で、感情を表に出さない冷静な人物だった。荒々しい気性とか、短気とかとはほど遠い人物に見えた。

 だが笑顔を浮かべず、無愛想で、評判とは別の意味で怖い印象を感じた。


 辺境伯の目つきは鋭く、眼前のものを射貫(いぬ)くようだった。

 その視線を身に受けると、ミミはなんだか恥ずかしくなって(うつむ)いてしまった。

 自分の内側を(のぞ)かれているように感じたのだ。自分が何の力もない平凡な子どもであること、偽聖女であることをもう見抜かれてしまっているのではないかと不安になった。


 辺境伯は聖女として私を呼んだのだから、力を見せろとか言われるかもしれない。そうしたらどう誤魔化そうか。

 そんなことを考えていたミミに対して、辺境伯が最初に口にしたのは、意外な言葉だった。


「結婚についてだが、形だけだ。家の契約で決まっているからするだけ。私はあなたに興味はない。ここで暮らしてくれさえすればいい。あとは好きにしてくれ」

 辺境伯はにこりともせず、真面目な表情でそう言ったのだった。


 ずいぶん突き放したような物言いだ。

 もしミミが本物の聖女だったら、そっちが呼んでおいてそんな言い方ないでしょう、と言いたくなっただろう。

 しかし、ミミが文句を言うことはできない。こちらだって、偽聖女。相手を騙している。今のミミには幸せな結婚生活を期待する考えなんて全然なかった。とにかく結婚式までなんとかぼろを出さないように。今のミミの頭にあるのはそれだけだった。

「わかりました。辺境伯様」

「私のことはテオと呼んでくれ。一応、妻ということになるのだからな」

「はい、わかりました。テオ様」

「ええと。そちらの名前は……」

「ミミです」

 ミミがそれを口にする時には緊張した。公式には聖女の名前は出ていないはずだ。だから本当の聖女の名前がアリアであることは聖堂の人間以外は知らないはず。だけど、万が一ということはある。

「そうか。ミミか」

 テオが彼女の名前に特別、表情を変えなかったのでミミはほっとした。

「じゃあこれで」

 それでテオとの会話は終わってしまった。

 ミミが執務室から出ようとして振り向くと、テオはもう机の上に視線を落とし仕事に没頭していた。


 それ以降、テオが話しかけてくることはほとんどなかった。すれ違ったら挨拶するぐらいで、本当に放っておかれた。

 テオは私に興味はないと言った。それはどういう意味だろう。

 それは私の人間という側面には興味がなくて、聖女の力にだけ関心があるということだろうか。いずれ必要になった時に、聖女の力を貸せと言われるかもしれない。

 あるいは、アリアが言ったように、聖女の力すら必要としていないのかもしれない。

 だとしたら私は、何のためにここにいるのだろう?


 ミミは辺境伯邸に来てから、何かをするように言われることはなかった。食事は決まった時間に用意されるし、身の回りのお世話も辺境伯家の使用人たちがしてくれた。なんら不自由することなく暮らすことができたのだった。

 でも逆にやることがないので、自室でぼんやりしていると一日が何ごともなく過ぎてしまうのだった。

 なので、何かやることはないだろうかと考えた末に、彼女は掃除や料理、洗濯を始めることにした。

 屋敷の人たちはそれを、ミミが結婚生活を考えて始めたことだと好意的に解釈してくれたが、実際は違った。

 彼女は、万が一ここを追い出されたときに、一人で生きていく力があった方がいいと思ったのだ。本当にそれで生きていけるのかはわからないが、聖堂という特殊な環境で育ったミミが、生きていくために必要なものとして一生懸命考えた結果思いついたのが家事だったのだ。


 といっても、家事のやり方をミミは知らなかった。

 だから屋敷で働く召使いたちに教えを乞うことにした。

「流石、聖女様ですね。立派な心がけでございます。ご主人様の奥方様となればそのようなことをわざわざやる必要はないのに、私どもと同じ苦労を分かち合おうとしてくださるのですね」

 ミミはそうやって心の綺麗な人間のように尊敬の目で見られたが、それは気まずかった。

 いや違うんです。

 ミミが家事をやりはじめたのは、万が一、この屋敷を追い出された時に生きていくための力を身につけるためなんです。自分のためでしかない。

 でも結婚式前にそんなことを考えているなんて、もちろん言えるわけはなく、立派だと褒められても笑って誤魔化すしかできなかった。

 

 家事を教わってやり始めると、ミミは案外飲み込みが早くて、すぐにできるようになった。

 中でも料理が彼女には合っていて、日々上達していくのが楽しく、さらに熱心にやるようになった。

 やがて夕食に並ぶ料理の中に、ミミが作った品が混ざるようになった。

 しかし、テオたちがそれを知ることはなかった。

 ミミが自分が作ったものであることは秘密にしたいとお願いしたからだ。

「流石、自らの努力をひけらかさないなんて。謙虚なお方でございますね」

 なんて召使いは、ミミのことを持ちあげる。


 でもミミはそんなつもりはなかった。

 夕食のテーブルに並ぶ料理は立派な品ばかりで、自分の作った料理がその中に混ざるのが恥ずかしかったのだ。

 なんだかこのお屋敷に紛れ込んだ偽物である私みたいだななんて自虐的な考えがいつも浮かんだ。


 ミミは、テオたちが自分の作った料理に手を伸ばすのを、いつもひやひやしながら見ていた。残したりしないだろうか、とか気になって食事の時間に緊張で変な汗をかくのだった。

 テオがミミの作った料理に手を伸ばすと、彼女はこっそりとそちらに目をやった。彼らしくというか、テオは美味しいともまずいとも言わず、表情も変えずに料理を口に運ぶ。彼が何度もミミの料理を口にすると、不味いわけではないんだと安心した。テオが、他のどの料理よりミミの作った料理を口にしたときなど、子供っぽいとは思いながらもミミは内心嬉しくて、やった、私のが一番美味しいんだと、ひそかに喜んだ。

 そんな風に一喜一憂して、食事の時間、変に疲れるので、私の料理を出すのはやめたいとミミは思うのだが、調理担当の召使いたちが、もったいないと言って出すのをやめてくれない。

 厨房で味見をしてもらうと、みんな「美味しい、美味しい」と言ってくれるけれど、聖女である私に気を遣ってくれているのだと思う。まあそれでもやる気がでるので有り難いけれど。


 ミミがやってきてから二週間ほど、そんな感じで、案外屋敷での生活に馴染んでいた。

 とはいえ、夜になって自室に一人でいると、毎夜不安な気持ちになるのだった。


 今のところ、テオには完全に放っておかれるているので、このままなら結婚式まで聖女であることを疑われることはないだろう。

 そこまでしのげば、私はここを追い出されることはないだろう。

 でも、そうなったとして、その後は?


 この家で暮らしていくとなって、私に居場所はあるのだろうか。

 聖女なら魔物との戦いで貢献できるし、いる意味はあるだろう。

 でも私は何の力もない偽聖女なのだ。

 それがバレたらどうなるだろう。テオは偽聖女と結婚させられた辺境伯として、皆から同情されるだろう。それに対して、私は彼を騙した悪者として、悪口を言われるに違いない。

 何もできないのに、なんで辺境伯の奥様面をしているの? よく平気でいられるな。恥知らず。

 そう思われても当然のことをしているんだ、私は。

 そんな目線に私はずっと耐えなきゃいけないの?

 そういうことを考えるとミミはどんどん落ち込むのだった。


 この辺境伯邸のある地域は、聖堂のあったハルピュイアと違って寒くて、夜になると体が冷えた。

 それに屋敷内は、広々として明るかった聖堂と違って、昼でも薄暗かった。壁紙や家具、カーペットなども暗い色調のものが多くて、余計に暗く感じた。

 そういった聖堂との環境の違いもあって、ミミは気分が沈みがちだった。

 それでも昼間は聖女らしく振る舞ったり、屋敷の者と家事をしたりで気を張っていて、いろいろな心配は忘れていられたけど、夜になると現実が押し寄せてきて不安になるのだった。


 考えはじめると、膨らむ不安でどうしようもなくなる。そんな時ミミは、窓を開け、外の空気をゆっくり吸った。そして、聖歌を口ずさむのだった。

 幸い、聖女が聖歌を歌うのは当然のことで、変に思う人はいなかった。


 彼女が屋敷の窓の外に向かって、歌を歌っていると、不安だった気持ちが和らいでいく。

 ミミの部屋からは、少し離れたところにテオの執務室の窓が見えた。

 彼女が見るといつも明かりがついている。テオが夜遅くまで仕事をしているのだ。


 今日もお疲れ様。無理をしないでね。

 歌を歌っているとそんな気持ちが湧いてくる。普段はそんなことは考えないのに。歌を歌っている時の私は、いつもの自分とは別人みたいだ。

 それからミミの意識は、敷地の外に広がる暗い森の中へと入っていく。

 夜の森の木々、その木陰、小動物たちがじっとミミの歌に耳を傾けている。ミミには、それが想像ではなく、本当に起こっていることのように思えた。歌を歌っている間は不思議な経験をする。

 歌い終わったころには、落ち着いた気持ちになっている。

 そうして彼女はベッドに横になるのだった。


 ミミは、結婚式までの日々をそのようにして過ごしたのだった。

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