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1、聖堂から辺境へ

「ミミ、あなたは辺境エオスポロス領に行くことになりました」

 シスターの一人からそう告げられたとき、ミミはすぐにはその内容を理解できなかった。


 その時ミミは、聖堂の高いドーム天井の色つきガラスを通して差してくる光をぼんやりと眺めていた。いつ建てられたのかも知らない古い聖堂の内部は、静かで時間が止まったようだ。降り注ぐ柔らかい光の下にいると、穏やかな時間が永遠に続くような気がする。

 寝起きに話しかけられた時のように、シスターの声は音として聞こえていても意味のある言葉としては頭に入ってこなかった。 

 ぼーっとしている時に話しかけられても、頭を切り替えるのには少し時間がかかるのだ。


 やがて、目が覚めて意識がはっきりしてきた時のように、徐々にシスターの言葉が意味をなしてきた。

 エオスポロス領。たしか、魔物の跋扈(ばっこ)する森林地帯と接する場所にある領地。この聖堂があるハルピュイアからは山を越えた場所だが、人が通る道は遠回りして繋がっているので、馬車で二日ほどかかるという。本で読んだことある。

 でもそこになんで私が? 聖堂から歩いていける以上の距離に出かけたことのない私がなんの用で?


 よく分からないという表情のミミに、シスターは言った。

「あなたは聖女としてエオスポロス領に行くのですよ」

「聖女として? 私は聖女じゃない」

 そうだ。私は聖女ではない。聖女は、アリアだ。私はただのシスター見習いだ。聖堂には、一人の聖女とたくさんのシスターたち、そして私のような年少のシスター見習いたちがいる。

「はい、その通りです。あなたは聖女じゃない。でも顔はアリアに似ていますから」

「ええ、それはそうですが……」

 確かに、ミミの顔は聖女アリアの顔と似ている。聖女の服装に身を包めば、アリアと見分けがつかないと言われていた。

 時々、彼女の体調が悪い時など、代わりに聖女としての役割をこなすことがあった。でもそれは短い時間の、簡単な仕事の時だけだ。

 辺境に行くってそんな簡単なことなのだろうか。すぐに戻って来られるといいけれど。


「とにかく、あなたには聖女としてエオスポロス領に行ってもらいます。辺境伯の婚約者としてです」

「え、婚約者?」

「そうです」

 何を言っているのだろう。

 聖女と顔が似ているだけで、婚約者? 

 式典でにこにこしているだけならなんとかなるけど、似ているだけで何の力もない私が偽の聖女だとバレずに生活できるとは思えない。何かの間違いだろう。

 だが話を聞いてみると、本当に私が辺境に行って、辺境伯と結婚するのだという。

 そんな無茶な。


 詳細を聞くと、全体像が段々わかってきた。

 まず、エオスポロス辺境伯であるリュクス家と聖堂との間に結ばれた古い契約が発端だという。

 リュクス家は、代々、国を魔物の脅威から守ってきた家系である。その功績が認められ、現在は広大なエオスポロス領を与えられて辺境伯となっている。

 契約は、リュクス家からの求めがあれば、聖女とリュクス家の当主が結婚する、という内容だという。

 それは聖女がリュクス家が魔物と戦うための戦力を得たいというのと同時に、家系に聖女の血を取り入れたいという考えの下、結ばれたらしい。

 それは数世代に一度、百年に一度くらいに行われてきたらしい。それでちょうど今がそのタイミングだという。

 でも聖女は行かないと言っているので、代わりにミミに行ってほしいというのだ。


 そんな大事な話なら、余計に聖女本人が行かなくてはならないだろう。私が行っても戦力にならないし、血を取り入れたとしても逆に弱くなりそうだ。

 シスターにそれを言っても、もう決まったことなのだからと取り合ってくれない。


「ミミ、行ってくれるでしょ?」

 その時、聖女アリアがやってきた。

「えっと。私が行っても大丈夫なのかな? 私、魔物と戦うなんて戦力にならないし」

「ああ、そのことなら気にしなくていいわよ。だってエオスポロス伯、もう十分強いし。聖女の力なんて必要ないの。ただ国の決まりだから言ってきてるだけよ。実際誰でもいいの」

「そうなの?」

「そうよ」

「ちなみに、なんでアリアが行かないの?」

「なんでって。行ったら行ったで魔物と戦わされるわよ。そんな危険なことしたくないわ。あの辺境伯、いい評判聞かないし」

「へえ」

 だったとして、それを全部私に押し付けようとするのか。しかも申し訳なさそうな顔一つしない、この聖女は相当良い性格してるなと、ミミは思った。

「それに、私ここから出ていきたくないの。わかるでしょ」

「まあ」

 聖堂は居心地がいい。

 そもそも聖堂のあるハルピュイアの土地自体が、風の女神の加護を受けているとかで、常春の住みやすい気候である。その上に聖堂はディオーネ教の重要拠点に指定されていて、多額の寄付金が配分されており、施設が充実している。

 仕事もお勤めと呼ばれる、お祈りや多少の畑仕事があるが、それ以外には自由な時間がたっぷりある。

 

 でもここにずっといたいのは私も同じだ。

 正確にはここにいたい、というか、ここを出ていくのが怖い。ここでの生活しか知らないから。

 アリアはまだ良い方だ。彼女は聖女の仕事で王都に行くこともそれなりにある。だからやっぱり辺境に行くのなら彼女の方がいいと思うのだけれど。

 しかし王都を知っているからこそだろう。

 王都暮らしの貴族と結婚したいって話をしている子がよくいる。アリアもそうなのだろう。


 なかなかはっきりと態度を示さないミミを見て、アリアはいらいらしはじめた。

「ねえ、あなたみたいな特にこれといった強みのない子が、なんでここにいられるかわかる?」

 ミミは首を振った。

「私に顔が似ているからよ」

「そんな」

「だって私が病気だったりした時に、あなたがいたら仕事に穴が空かなくて済むでしょ。私がいろんな理由で休みたい時にも代わりをしてもらえて、便利だし」

「便利って」

「だからわかるでしょ。私の代わりにエオスポロスに行ってくれないなら、あなたがここにいる意味はないってこと」 


 要するに、彼女はエオスポロス領に私が行かないのだとしたら、ミミはここに残ることはできない。ここを追い出すぞ、と言っているのだ。

 冷静に考えれば、ここにいる者たちの大半はみんなミミと同じように、これといった強みがない少女たちだった。でもアリアにこう言われると、まるで自分一人だけが価値のない人間のように思えてくるのだ。アリアにはそうやって、人の気持ちを支配する力がある。

 ミミは自分には、聖堂を追い出されて、一人で生きていく力があるとは思えなかった。毎日お祈りしているだけの少女が、いきなり外の世界に放り出されてどうしろというのだろう。

 そう思うと彼女に残された選択肢は一つしかなかった。


「わかった。行く」

「本当? 良かった」

 アリアは、やっぱり友達ね、わかってくれて嬉しいというような表情をした。

「大丈夫よ。結婚式さえ終わってしまえば、バレても問題ないわ。結婚後なら、逆に向こうが隠そうとするはずよ、あなたが偽物の聖女だってこと。結婚式は一ヶ月後だそうよ。それまでの辛抱」

「一ヶ月……私自信ないな」

「あなたならできるわよ。コツはね、びくびくしないこと。見抜けない方が悪いって堂々としていればいいの」

 アリアはまるで経験があるかのように言う。実際、そういう類いのことに慣れているのだろう。


「あ、いいものを見せてあげる。あれを見れば安心するはず。こっちに来て」

 アリアはミミを、聖堂の中でも奥まった場所にある小部屋に連れていった。

 そこは倉庫だった。

「これ見て」

 隅に置かれた武骨な箱をアリアが開けると、中に聖女が儀式で使う三つの聖具があった。

「聖女の三聖具?」

「そう。でもこれは偽物。精巧に作られたレプリカよ。そっくりでしょ」

「ええ」

「これを持っていれば、まず疑う人はいないわ。でも……」


 そう言ってアリアはそのうちの一つ、光の杖を手に取った。

「ほら。本当のやつなら光るはずよ」

 確かに聖女がいつも儀式でもっている杖は、先端についた宝玉からふわっと白い光が放たれる。でもこの杖は、火の消えた松明のように暗いままだ。

 ミミが、そのレプリカの聖具に触れようとすると、

「待って。だめよ、レプリカとはいえ高価なものなのだから。そういう機会になったら、ね」

 聖女はレプリカとはいえ、それをできるだけ自分以外の人間には触らせたくないようだった。まるでミミが触ると価値が下がるというような。


 倉庫を出ると、じゃあ、よろしく、と言ってアリアはどこかに行き、ミミは一人になった。

 ミミは高いドーム天井の礼拝堂に戻ると、上を見上げた。

 この、大きな天井から差し込む光に満ちた礼拝堂の空間が好きだった。

 広々としたその空間に一人でいると、ミミはくつろいだ気分になってきて、自然と聖歌が口をついて出てきたのだった。

 聖歌を歌うと、気持ちが涼しくなっていく。

 ミミは、聖歌が礼拝堂の高い天井に向かってゆっくり昇っていって、天井から差す柔らかな光と溶け合っていくような気がした。

 ミミは歌うのが好きだった。何の取り柄もない自分だが、歌だけは上手だと褒められたことがある。それ以来、聖歌を歌うお勤めが好きだった。

 ミミが歌っていると、胸を何かが込み上げてきて、一粒の涙がすうっと頬を伝った。

 私は悲しいのだろうか、と考えてみたが、ミミはわからなかった。

 ミミは物心ついてからずっとここで暮らしてきた。その時間すべてが一気に押し寄せてくるようだった。そして、ここを去ったらもうここに戻ることはない、そんな予感もした。すると見慣れた目の前の光景が急にあたり前のものじゃなくなってきて、言葉に出来ない特別な感情が溢れてきたのだった。



 ミミはエオスポロス領に向かう馬車に揺られていた。

 馬車の列は何両も続き、どれも華やかに飾り付けられていて、道中に居合わせた人には、一目で聖女一行だとわかった。

 でもその華やかさは表向きのもので、どれもこれも寄せ集め、仮のものに過ぎない。

 たくさんの侍女、従者たちも結婚式までの契約だ。それが終わったら、またそれぞれの故郷に帰ってしまう。

 

 馬車の中で、窓の外を眺めながらミミは不安な気持ちで一杯だった。

 私は聖女アリアと違って、見抜けない方が悪いと言って堂々としていられるような図太さはどうしても持てそうにない。

 向こうの人たちは、私を聖女だと思って迎えてくれるのだろう。なのに、騙すのは申し訳ない。

 私はそんなことはしたくないのに。

 でもやらなくてはいけない。


 もし、到着してすぐ、正直に私は偽物の聖女です、と告白したらどうなるだろう。間違いなく、すぐさま聖堂に送り返されるだろう。

 でも、アリアは私を聖堂からも追い出すだろう。シスターたちはアリアの言いなりだ。

 そしたら私はどうやって生きていけばいいだろう。

 誰も頼りにする人もいない世界で、何の力もない私みたいな子どもが一人で生きていくなんて無理だ。

 だから、なんとしてもエオスポロス辺境伯のところで生きていくしかないのだ。


 ミミはため息をついた。

 せめて、辺境伯様が嫌な人だったらいいな。

 そうしたら、騙す罪悪感も少しは減るだろうから。

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