怪物退治
青竜宮にその知らせがもたらされたのは、突然のことだった。
「カレヴィア様とバーバリュース様におでましを頂きたく・・・」
「なんじゃ」
「怪物どもが出ましてございます」
カレヴィアがむ、と唸るのに、カシルは気がついていた。
「怪物・・・?」
「そうじゃ。天上界は階層で言うと地上の上の層に位置しておる。地上の層との境に出る、怪物どもが天上界に時折現われる。そ奴らを退治するのは有翼族の務めじゃ」
「天上界にもそんなものが出るのか」
カシルはうんざりしたように呟いた。
「さ、行くぞ」
「オレが行って何になる」
「そなたは儂の対たる戦使族じゃ。そなたがおらぬと、儂は本来の力を発揮できぬ」
「そうなのか」
「そうじゃ」
カレヴィアは使いにやってきた竜族の若者に、
「竜族と対になっている戦使族で出られる者は総勢何名じゃ」
「は、五十と少しかと」
「五十か。まあ足りるであろう」
出て行こうとするカレヴィアに、カシルは聞いた。
「どうすればいいのだ」
戦い方がわからない---------戦士としての戦い方ならわかる。しかし戦使としての戦い方など、よくわからぬ。なにをどうすればいいのか、見当もつかない。
「来ればわかる」
「・・・」
すると、アスティが心話で話しかけてきた。
<大丈夫です。行けばわかります>
そういうものなのか、と思い、黙ってついていった。
連れて行かれたのは、青竜宮から何里も離れたところにある宇宙の片隅であった。
「ここが境目と呼ばれる階層のひずみじゃ。あの割れ目の向こうから怪物どもは来る」
彼が目を馳せると、確かに、紺碧の宇宙のある一点に、何か裂け目のようなものがあった。それは白く霞み、わなないているようにも思われる。と、裂け目がぶるぶると震えるのがわかった。
「来るぞ」
カレヴィアは既にそこに集まっていた竜族の者に囁く。カシルは彼の眷属に目をやった。
長く王のいなかった者たちである。本来の力を発揮できなかった間、彼らは一体どう戦っていたのだろうか。彼が思う間もなかった。
ガアアアアッ!
裂け目から、大きな口を開けて怪物が現われた。びっしりと生えた歯は、見上げるほどの長さであった。
「頼んだぞ」
カレヴィアはカシルに言うや、身を翻して竜に変化した。
細い手足は鉤爪を持つ足に成り変わり、見上げてもまだ足りぬほどの大きさになったかと思うと、それは海のような青さの鱗に覆われる。彼女の変化を見て、他の竜族も続々と転身していく。
と---------
竜になったカレヴィアを見て、カシルが動いた。それは、まったくもって何気ない日常の一動作の内のひとつにも見えるほどさりげなかった。考えるより前に、身体が動く。
彼は大きく広げられたカレヴィアの透明な翼の辺りまで飛んでいくと、そこへひざまづくように屈んだ。
フッ
彼の身体が、黒い霧に変わった。
それは、カレヴィアの大きな大きな竜身を覆いつくすと、パッという音と共に弾けるようにたわんだ。
カレヴィアが大きく吠えて怪物どもに襲い掛かった。するどい牙を持つその口から、炎が吐き出される。他の竜と戦使族たちも続々とそれに続く。
火を吐く竜、風で空間を裂く竜、水流で敵を飲み込む竜、大地の力で粉々にする竜、その竜族の誰もが、黒い霧のようなものをその身に纏っている。
竜族はカレヴィアがいないと竜に転身できないが、戦使族がいないと竜に変化しても戦いにおいて本領を発揮することは出来ない。カレヴィアとて、バーバリュースがいなければ炎を吐くことすらままならぬのだ。
戦いはあっという間に終わった。
気がつくと彼は、元の通りの姿で人の身体となったカレヴィアの横に立っていた。
「数が少なかったかの。まあ戦使族と組めると戦いが短くて助かる」
カレヴィアは不敵に笑った。
その傷だらけの姿は、地上にいた頃を彷彿とさせた。
青竜宮に帰って、カシルはアスティに衣を脱がせ傷の手当てにあたった。小さな傷は無数にあったが、大きなものは一つ、左の肩を貫くように出来ていた。
膏薬を塗り包帯を巻いていると、
「カレヴィア、怪物どもが出たって聞いたぞ」
とザドキエルがいつものように入ってきた。彼は彼女が裸なのを見て慌てて回れ右をして、
「わっ」
と目を覆った。
「なんじゃザドキエルか」
「すまん。まさか傷の手当てをしているとは思わなかった」
「儂は見られても構わぬのじゃ」
「だめだ」
カシルは包帯を巻きながら冷たく言った。
「これがこう申しておる。もそっと向こうを向いておれ」
カレヴィアは笑いながらザドキエルにそう言った。ザドキエルは後ろを向きながら、
「今回の戦闘は短かったって聞いたぞ」
「戦使族と組めたからの。儂がいることで竜に転身できることもあってそう難儀ではなかったわえ」
「天上界にもあんなものが出るんだな」
カシルは包帯を巻き終わっていいぞ、とザドキエルに言った。天使はこちらを向き直りながら言った。
「ああ。普段は平和だが時折あいつらが出てくる。それを退治するのが竜族と戦使族の長年の務めさ」
「これでは地上にいた頃と変わらんな」
「地上にいた頃は毎日のように蛮族が襲ってきていた。天上界では月に数度じゃ。思うていたよりは忙しいかもしれんが、地上にいた頃よりは安穏と暮らせるはずじゃ」
「オレたちが来る前は竜族と戦使族はどうしていたんだ」
「人の姿で戦っていた。王がいなかったからの」
それで負傷し、死んでいく者たちが後を絶たなかったという。
「それももう終わりじゃ」
カレヴィアは頼もしそうに笑った。
「たまにこういうことがないと、退屈で死んでしまうであろう」
「そうかもな」
なんでもないことのように、彼は言った。ザドキエルが帰っていってカレヴィアはアスティに戻り、彼女は香茶を淹れた。
「どこででも戦わなくてはならんのか」
カシルはため息交じりで香茶を飲む。
「お嫌ですか」
「たまにならよかろう。いい運動になるしな」
しかし、と彼は続けた。
「お前に生傷が絶えないのは困りものだ」
「仕方がありません。竜に転身して戦う以上は、傷を受けるのは竜族の方と決まっております」
ですが、彼女は言葉を挟んだ。
「あのように霧となって竜を補佐する戦使族にも、相当な負担が行くようです」
「確かに体中が痛い」
「はい。竜に転身することは竜人にとってはなんでもないことですが、戦使族にとって身体を変化させるというのはとても大きなことなのです」
「ふむ」
彼は腕を組んだ。
「これはまた鍛え直さなくてはいかんな」
アスティは微笑んだ。
「お手伝いします」
カシルは次の戦いに思いを馳せた。天上界とは退屈なところだとばかり思っていたが、この程度の刺激ならば、彼は大歓迎であった。