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雲龍寺の秘宝

天高く、陽光降り注ぐ草原を出て再び獣道に入る。

背後に闇が覆うのを感じて麗香と寛美が振り返ると数秒前には確かに在った草原は無く、クヌギやカエデの高木が茂る原生林が視界を塞いでいた。

二人の動きに美鈴達も振り返える。

雫と忍は目を合わせると雫が口を開いた。

「これがね、『幽世(かくりよ)』って楓さん達が言っている世界だと思うな。さっきのは、せいちゃんの幽世。そこに権現様が来たんで、隙間を空けて導いた・・・のかな?私達も安全に入れるように開閉してくれてたんだと思う。しゃもじのとは違って、外界と遮断する訳じゃないみたいね。」

雫の言葉に、美鈴の肩の上で聞いていたしゃもじがキュインと鳴く。

麗香達が首を傾げたので言葉を続けた。

「ああ、ハイハイ。しゃもじにも同じような事は出来るらしいよ。」

雫の言葉に麗香が続く。

「幽世の説明は分かったけど、しゃもじと肩に乗っている子の会話は?」

足を止めて皆が雫に視線を送る。

「あ~あれはね、しゃもじが一方的に威張ったのをこの子が承諾しただけよ。」

「古史古伝にある『憑き物』としての管狐(くだぎつね)とか飯綱(いづな)と、純粋な『神』としてのしゃもじが格の違いを示したって事?」

麗香が更に問う。

「この話をし出すと楽しくなって来ちゃうから端的に言うけど、どちらも出自は自然発生した精霊みたい。しゃもじは単独の『神』に分類されていて、この子は権現様に従属している『神使(しんし)』。稲荷神とお狐様みたいな関係性だから、自分の方が上だって威張ったのね。ま、丹沢の山奥で悠々自適に過ごしてから楓さんに取り入って森澤家で暴利を貪っているしゃもじと、四百年間務めを果たして来たこの子とじゃ比べるのもどうかと思うけどね。ただ、この子もしゃもじの実力を認めた上で返事しているから(わだかま)りみたいな物は無い感じよ。」

美鈴は話を聞きながら左肩のしゃもじに視線を移すと、何事も無いように澄ましたしゃもじがいた。小さく溜息をつくと雫に問いかける。

「その子みたいに大木を切り裂いたりすることも出来たりするの?」

美鈴の問いに忍を一瞥(いちべつ)してから雫が応える。

「私も忍ちゃんも直接は見ていないんだけど、あの時にいた琴乃さんを覚えている?彼女が物怪(もののけ)の攻撃を受けて瀕死の状態だった時に楓さんに頼まれて体内の瘴気・・・毒を浄化して救ったんだって。神様と呼ばれる精霊にはそれぞれ特異な能力があるようね。実際に楓さんからは信頼されているみたいだし。」

それまで静かに話を聞いていた寛美が麗香に微笑みかけた。

察した麗香が口を開く。

「さあ、戻りましょう。風丘さん達も心配していると思うしね。」


雫達が戻ると道の駅の入口は封鎖され、職員の誘導で一般車両と観光バスが順次出て行くところだった。

倒木の処理のためにクレーン車が入り、バスの進行路を整理していた。

警察官が作業員と声を掛け合いゆっくりと安全区域を確保し、風丘の運転でバスは安全路へ移動し始める。

規制された駐車場内では警察官と消防隊員がビジターセンターの職員と共に安全確認と打倒された大木の現場検証を行っていた。

森の遊歩道から出て来た雫達に気付いた浅井が風丘に声を掛けると、バスはゆっくりと近付いて行く。


バスが近付いて来たのに気付き、忍が手を挙げて歩道際まで進むと、皆で立ち止まった。

忍はそのまま左手を肩まで掲げ、小さく呟くと霞がかった光がその手に吸い込まれて行く。

「見えた?」

雫の問いに美鈴が頷くと、しゃもじは肩を降りてそのまま左側のポケットに入り込んでしまった。


現場検証と原因究明の為に静岡県庁から森林保全課の職員も合流し、本格的調査が始まった道の駅は店を閉めて駐車場は閉鎖された。

観光客の車両は全て記録され、乗員と車両の確認が出来た順に出口へ誘導されて行く。

雫達のバスも記録されたが、風丘の報告で神奈川県警から指示が出た為、管轄の警官から別の進路へ誘導され出口に進むと右折して国道の坂道を登る。

まだ続く登り路の下田街道を進むが、天城峠を越えたところからは急勾配の坂道を下る。

沿道には名所ともなっている「河津七滝(かわづななだる)」の看板があり、何件かの商店には名物の「わさび丼」の表示も見え、それぞれ店先には野点傘の下、赤い敷物の白木座椅子に座りお茶を啜って席が空くのを待っている観光客の姿があった。

途中の道の駅で食べた「わさびソフトクリーム」に使われていたこの地の山葵(わさび)天城(あまぎ)の天然水により最上質とされ「静岡水わさび伝統栽培」として世界農業遺産にも認定されている。

高い木々に囲まれ観光客も目にしなくなった頃、高低差45メートルもある七滝高架橋(ななだるこうかきょう)通称河津七滝(かわづななだる)ループ橋を通って河津川を横目に海へ向かう。


早春には川の両岸に植えられた八百本を超える河津桜と菜の花が川面に浮かび、染井吉野桜よりも濃い桃色の花弁と菜の花の黄色と生き生きとした若葉の緑が春の澄んだ青空に鮮やかに映え、陽が沈んだ後もライトアップで照らされた別の世界が幕を開け、まだ冷える春の夜空にも美しく幻想的な風景は時を異に訪れた人達の胸を打った事だろう。


真夏の今では、遠くに聞こえる波の音と、静かに流れる川音を背景に下草と共に濃い緑色の葉を茂らせた桜の並木が、春とはまた別の顔を見せていた。

のどかな街並みを抜け、川に架かる小さな橋を渡り河津町役場のある突き当りを左折し小高い山を目差す。

濃緑色に彩られた山の中腹には一箇所だけ(ひら)けた空間があり、遠目には黒い山門と日本瓦の急な勾配屋根に白い壁の建物だけが見えた。

木々に囲まれた細道を登り、林を抜けると目の前に開けた空間が広がる。

白線の無い駐車場は乗用車を十台程は停められる広さがあり、道路と同様にアスファルトで舗装されていた。

ゆっくりと旋回して山門入口の三段ある石段前にバスを横付けして停車する。

「あなたは、ここで神具を守っていてね。」

雫が呼びかけると飯綱(いづな)は小さく返事をした。

少し見上げると、石垣に挟まれた石段の上には更に高さ2メートル程ある石造りの階段があり、その上には黒御影石の石柱に挟まれた木製の黒い山門の木戸が開いている。

山門の上に掲げられた寺号額には『祥諒山(しょうりょうざん) (うん)龍寺(りゅうじ)』の文字が黒い板に白い筆文字で書かれてあり、門の両側は低い竹垣が境内を囲み、竹垣から覗く様に百日紅(さるすべり)の紅い花が咲いていた。


十一段の石段を登ると山門の前には白い御影石が敷き詰められた平場があり、内側には日本瓦の本堂に向って真っ直ぐ幅2メートル程の参道にも同様の御影石が敷き詰められ、沿道に敷かれた白い玉石が陽に照らされて目に眩しい境内が浮かぶ。

駐車場から見えた百日紅は四本あり、輝く白い路面に鮮やかな色彩を与える。

右には石畳に四本の黒い柱と本堂と同じ銀黒の日本瓦で葺かれた鐘楼(しょうろう)がコントラストを引き立てていた。

白い参道の両側には、既に花が終わった皐月(さつき)躑躅(つつじ)と背の低い阿亀笹(おかめささ)が等間隔で植わっていて白い世界に緑の縁取りを演出している。


決して広くはない境内だが、まるで雲の上に浮かぶ天界に降り立った錯覚を覚え始めた頃、黒い柱に白い漆喰(しっくい)壁の本堂を背にして僧侶が一人立っていた事に気付いた。

紫色の法衣に茶色の袈裟を肩から掛けた長身の歳老いた僧侶は数珠を持ち微笑んでいる。

雫を先頭に進んで行くと老僧侶は口を開いた。

「神崎雫様ですね。楓様から連絡を受けましてお待ちしておりました。準備は出来ています。どうぞお上がり下さい。」

老僧侶に促され靴を脱ぎ、木段を上がると本堂の外陣には紫金欄(しきんらん)の座面で黒檀の枠造りの背もたれの無い椅子が人数分用意され、黒い法衣の歳若い僧侶が座るよう手を(かざ)した。

二列にそれぞれ四席あり、前列には雫と忍、麗香と寛美が座る。

内陣では、外で声を掛けて来た老僧侶が須弥壇に向い香を焚き、金箔の光背を背にした阿弥陀如来坐像の前にある前机に置かれた黒漆の小箱と巻物に手を伸ばした。

改めて小箱と巻物を正方形の修法檀に置き礼盤に座すと、柄香炉の煙で小箱を燻し読経が始まる。

雫はそのお経に違和感を覚え無意識のうちに寛美を見た。

雫の視線に気付いた寛美は微笑むと小さく首を振る。

寛美(ロミ)にも覚えがない・・・』

父親が亡くなり、(いわ)れの無い虐めを受けて心を閉ざした頃、母の実家である西丹沢の黎明寺で過ごした。住職だった祖父が熱心に世話をしてくれて仏教や日本の神々の物語を聞くうちに心が解放されて、少しずつ人との会話にも抵抗が無くなり、他人に心を許す事が出来るようになって行った。

その時に様々なお経も教えて貰ったが、今聞いているお経はそのどれにも当たらない。

先入観から唱えている経文は仏教のものと思っていたが、言葉自体が現代の日本語のそれでもなく、サンスクリット語のマントラ、真言の類でもない。

今まで習得したどの言語にも当てはまらず、未知の言語に聞こえ、言語の種類を寛美に(うかが)うために視線を送ったのだが、聞き覚えが無いという反応だった。

言葉に聞き覚えは無いが読み上げる文言の抑揚や音調はお経のそれに近い。

しかし、その言語の正体が掴めなかった。

言葉を追って行くうちに僧侶の読経が止まり、小箱に対して印を結ぶと新たな教本を台に乗せ次の読経が始まった。

音に慣れたのか言葉の区切りが分かって来る。息を呑むと再び寛美に目が行った。

今度は楽しそうに微笑むと頷いて来る。

『古代語・・・文法は日本語に沿っているのに名詞や形容詞が全く異なるのと動詞、助動詞にも変化がある。半濁音も発音自体は上代日本語に該当するのに各品詞の単語そのものが違っている。方言のレベルなどでは無い。仏教が伝来される前の呪文・・・神代(かみよ)の言語なのかも・・・』

内容までは掴めないものの、ある程度の納得をしたので改めて寛美を見る。

普段通りに姿勢を正して座っているが、好奇心に駆られ、須弥壇を楽し気に見詰める姿があった。

隣に座って一緒に僧侶を見ていた忍が姿勢を変えたのに気付き自分も須弥壇に目を戻す。

御本尊である阿弥陀如来坐像の金色の光背が仄かに輝き、内陣全体がぼんやりとした光に包まれた。

声こそ上げていないが、皆が同じ光景を見ている事を理解する。

僧侶の読経が高まり、真言の様な言葉を連呼すると小箱に向って再び印を結ぶ。

その刹那、堂内には静寂と元の明るさが戻った。

僧侶が柄香炉を須弥壇に向って燻し、最後に鈴を一度だけ鳴らした。


「作法、経典に関しては先代の住職から受け継ぎましたが、本日初めて他の人の前で読ませて頂きました。皆様同様に感銘を受け、改めて神仏のありがたみを感じる事が出来ました。この機会を与えて頂きました事深く感謝致します。」


鈴を鳴らした姿勢のまま、須弥壇の阿弥陀如来坐像を拝し感慨深げに呟くと、礼盤から身体を起こし数珠を左手に持ち直してから、雫達に向き直すと老僧侶は静かに語り出す。

「ご挨拶が遅れました。当山の住職をしております春野(はるの)と申します。代々受け継いでまいりました寺宝の小箱ですが、本日を持ちまして雫様へお譲り致します。」

言うともう一度振り返り、修法檀に置かれた小箱を手にすると御本尊の阿弥陀如来坐像に掲げてから雫に向う。


「寺宝って、そんな大切な物を私達に渡してしまってよろしいのでしょうか?」

雫が返すのを春野住職は左手を掲げて制すると笑顔で応える。

「この寺宝は文化財などでもありません。代々の住職のみが然るべきお相手が現れた時に、適切にお渡し出来るよう作法と経典を秘伝として習います。これは当山のみの極秘伝承で『お山』にも秘匿事項なのです。本日、楓様から神崎雫様へお渡しするよう御沙汰が出ました。こう言っては何ですが、肩の荷が下りる思いであるのも正直な気持ちです。ですが、私が存命の内にお渡しする方が現れたのは光栄の極みでもあります。」

話しながら内陣を降り、雫達が座っている外陣へ小箱を持ちながら歩み寄る。

「伝承では、奈良時代の神亀(しんき)六年、西暦で言うと729年に都から当山へ運ばれて隠されたとされています。それ以来代々の住職が保管して来ました。手箱の形で上蓋が乗っているだけなのですが不思議と蓋が開きません。」

雫に近付き箱を手渡す。雫も立ち上がって両手で受け取った。

小箱の大きさは平面が縦15センチメートル横30センチメートルの長方形で高さが10センチメートル程の手箱で鍵穴もなく上蓋が被っているだけの物だった。

黒漆に沈金細工の松が入り、螺鈿(らでん)細工で羽根を広げる孔雀の様な鳥の姿が描かれている。

春野住職が言う奈良時代の物とは思えない程、漆も沈金細工も螺鈿の絵も光沢があり傷も見えない。

「年代物には見えませんね。蓋が開かないという事は、中身はご存じでは無いのでしょうか?漆が固まっているのかしら・・・」

言いながら上蓋に右手を掛けると抵抗もなく開いてしまう。

「えっ!」

声を上げながら中を覗くと大きな鳥の、尾羽らしきものが整然と詰まっていた。

麗香達も立ち上がって雫を囲む。

雫が寛美に箱を渡すと住職に尋ねる。

「神亀六年というと『長屋王の変』と重なりますが、当時の都と言うと平城京から運ばれて来た事に成りますよね。奈良時代前期の節目とされる年に、内密にここに届けられたのは何か理由がありますか?あと、あのお経ですけど『古代語』の類でしょうか?内容までは理解出来なかったんですけど音調や抑揚には仏教のお経の感じでした。でも、何処か他の宗教も交じっている様にも聞こえて・・・」

雫の問いを微笑ましく聞いていた住職は内陣に戻ると、読み上げていた経典を持ってくる。

「寺宝は手箱と経典が一対として伝承されて来ました。手箱をお渡ししますのでこの経典も差し上げます。意味が分からなければ成りませんから、経文の内容は先代から口伝として習いましたが、これに関してはお教え兼ねます。楓様の話ではあらゆる言語を解読出来る才媛がいらっしゃるとの事。公にしない事だけをお守りいただけましたら幸いです。当山もこれで歴代の重責から解放されます。歴史のご質問に対しては分かり兼ねます。その年に持ち込まれたとされていますので・・・ただ『天武天皇』とはなにがしかの縁があるとは伝えられています。」

住職の言葉に雫だけでなく寛美と麗香も反応した。

三人で顔を合わせると雫が応える。

「神亀の出来事に朱鳥(あかみとり)の天武天皇との係わりがあるのですか?女性天皇を挟みますけど五代前の天皇との繋がりって、五十七年前に当たる壬申の乱とも係わるのでしょうか?」

春野住職は明るい笑顔で手にしていた経典を雫に渡しながら話し出す。

「元号を語っただけで歴代の天皇を、しかも古代に該当する歴史をいとも簡単に応えられるとは流石に楓様が推される方達ですな。歴史に埋もれてしまった出来事を私の推測でお話しする事は出来ませんが、この経典で厚い方が上巻です。上巻の序章に当たる部分に来歴が書かれています。来歴は万葉仮名で書かれていますから皆様であれば容易に解読出来そうですね。経文で先程読んだ言葉もこの万葉仮名で書かれています。音読みの当て字ですからこの文面から意味は判別出来ません。経典は万葉仮名の部分と原文が途中で貼り合わせて出来ています。原文の文字は漢字ではなく象形文字の様な図柄の羅列ですから私にも読む事は出来ません。ですが、皆様には読み解くことが出来るのでしょう。私も口伝の内容との差異があるのであれば伺いたいものですが、昨日の事態との関係もある様ですので、今は先を急ぐ事も存じております。今後、解読出来ましても先程も申した通り、公言されないようお願い致します。」

手渡された経典は表紙が朱色の折本が二冊と、朱合漆(しゅあいうるし)で塗られた飴色の木軸に、紫色の下地に金で描かれた羽搏(はばた)く孔雀の表紙で、光沢のある黄金色の紐で括られた巻子本(かんすほん)一巻だった。巻子本の方が真新しく見える。

「読み上げた教本は当山に運ばれてから当時の住職が伝承者から習い、万葉仮名で書き留めた折本の写本になります。この写本は七代目で私の先々代住職が書き写したものになります。巻物が原本で、当山に運ばれた時のままとなります。」

話を聞きながら寛美が持つ手箱と合わせる。

手箱と巻物の鳥の模様は同じであった。

「大切に保管されていたんですね。手箱と巻物はまるで最近の(こしら)えにさえ見えます。鳥の模様が一致していますから仰る通り一対の宝物という事が分かります。折本の方は七代目とはいえ、何度も修復した痕が見えます。平均的に考えても百八十五年に一度は書き写して更新して来た訳ですよね。こちらは年代物の貫禄があります。先程仰っていた昨日の事態と言うのは、異常な数の事故や錯乱した患者が発生した件ですか?神奈川でも朝から大変だったんです。伊豆半島東沿岸部から千葉県の南房総周辺迄の広範囲で同じ事態があったとか。その後、伊豆には突然嵐が起こって昼過ぎの三時頃には落ち着き始めたと聞いています。」

昨日の会議で報告を受けた内容を伝える。

「当山には影響ありませんが、河津の街では倦怠感や不安を訴えて怯える人が多数、しかも同時に現れて病院は大変だったようです。それがあって、今朝の楓様からのご連絡です。関連があって、緊急事態と察します。」

住職は穏やかな表情のまま淡々と答えた。


祈祷が終わった後、本堂から出ていた若い僧侶が庫裡(くり)との戸を開け、本堂へ戻って来た。

住職が気付き声を掛ける。

()(くう)、連絡がありましたか?」

「はい。この後は目的地の須佐之原へ向かって大丈夫と仰っておりました。あの・・・『行けば分かるからさ。』との事です。」

利空と呼ばれた若い僧侶の言葉に雫達は一瞬顔を合わせると笑い合う。

「何って言うかな、楓さんってまめね。あらかじめ忍ちゃんに伝えておけばルートを決められたのに、先回りしてそれぞれの神社やお寺に連絡するんだから・・・神具を譲渡する為の御祈祷が必要なので一件一件に知らせているのかな。それにしても、私達がどう動いているのか把握しているのは理解したわ。」

麗香がしみじみと呟く。

「楓さんの連絡が来る事が分かっていたんですか?前の神社の人達は私達が次に移動する直前に連絡を受けてから慌てて伝えてくれたんですけど、ご住職様が御祈祷を終えると静かに出て行かれましたよね。」

寛美から渡された手箱を持ちながら忍が若い僧侶に向って話しかけた。

住職は若い僧侶を横に手招くと応える。

「ああ、ご紹介が遅れました。これは孫の利空です。高校二年生でして、まだ修行前の者です。身贔屓(みびいき)な言い方になってしまいますが強い『法力』がありまして、以前から楓様にも認められているのです。私やこれの親にも感じない事を察知する事が出来るようです。今回も何かを感じ取ったのでしょう。」

背の高い住職よりも長身。183センチメートルはある若い僧侶は合掌をして挨拶をする。

「お暑い所お疲れ様です。春野利空(はるのりくう)と申します。本日は夏休みですのでお務めのお手伝いをさせて頂いています。伊那美濱高校二年です。」

今時珍しい短髪坊主頭の好青年に雫達は好感を得た。

「翔と同い年か、哲っちゃんと同じくらいの背丈だよね。」

雫が言うと寛美と忍が頷き、美鈴が同意した。


雫達の手にある寺宝を見た利空は須弥壇に走ると、紫色の布を抱えて戻って来る。

「巻物と手箱は代々この風呂敷で保管して来たようです。じいちゃ、住職から作法を教わる前に皆様にお渡し出来て少し安心しました。」

麗香が受け取り、広げて驚嘆した。

「これも古さを感じない真新しい布に見えますね・・・この柄は・・・」

風呂敷は紫色の大きな布であったが、裏面は橙色(だいだいいろ)の下地に判読不明な象形文字と『曼荼羅』の様な模様が刺繍されていた。

雫と寛美に掲げて見せる。

「綺麗な刺繍・・・曼荼羅に見えますが中央に大日如来ではない、翼を広げた鳥?鳳凰ですかね。巻物や手箱とも繫がる・・・抽象的な絵柄ですから三昧耶(さんまや)曼荼羅の型式になる訳ですけど・・・この絵柄は大乗仏教のものではないと思います。それにこの文字はサンスクリット語でも梵字でもない。曼荼羅の形をしているのは仏教の影響を受けているという事なのかな・・・」

雫は言うと手にしていた巻物を広げる。

「同じ文字・・・」

呟いて寛美にも見えるよう風呂敷と並べて見せる。

「うん。楽しい旅になりそう。神代文字の系統に似ているから多分読み取れると思うよ。折本にある万葉仮名のお陰で発音のヒントも得られるし。公表出来ないのは勿体ないけど・・・資料館の地下行きになりそうね。戻ったら桜井先生に私のコレクションブース作って貰おう。」

眼を輝かせる寛美に一同は息を呑んだ。

一呼吸置いてから麗香が口を開く。

「ご住職様、利空君。ありがとうございました。古代からの秘宝、確かにお受け取りさせて頂きます。楓さんに誓って大切にいたします。」


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