表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

医師のプライド

青嵐学院大学附属病院北棟8階 小児医科入院病棟 午前11時45分


「取り敢えずこれで皆落ち着いたかな~次は心療内科?」


ネイビーのパフ袖ブラウスに白いチュールタイプのロングスカートを履き、ピンクのウェッジソールのサンダルで腰まで伸びた黒く輝く髪の毛をなびかせながら各部屋を渡り、入院中の総勢三十人はいる子供達のベッドを流れるように移動して、全ての入院患者を診て来た美少女、秋月楓(あきつきかえで)が言った。



診療を開始したばかりの東洋医心研究所で診察を始めた楓に連絡が入ったのは朝9時20分の事だった。横浜市役所市民生活安全科の課長である深山から『子供達が苦しんでいる。』と言われ、所長の皆川太一郎に後をまかせ着替えていると深山の部下で新人の浅井が迎えに来た。

「所長~それじゃ後の事お願いね。予定通り午後からは出張するからね。」

「はい。こっちは大丈夫ですからお気を付けていってらっしゃい。」

所長の皆川太一郎は笑顔で応える。

備品倉庫に入り、往診用の鞄に必要と思われる医療用具を詰め、『持ち出し品名簿』に記入してから施術室に戻るとスタッフに声を掛け職員用玄関に向かう。

職員用玄関は建物の日影になる北側とはいえ既に30℃を越え、外で待っていた浅井を見ると「中に入っていればよかったのに」とだけ言って用意された車に向かう。

後部座席に勧められ、冷房の効いた車内に入るとスマホを取り出した。

「あ、實明(さねあき)君。ごめんね~リスケお願いしたいんだけど、もしかして明日でも大丈夫?」

ルームミラー越しに楓の表情を見て、浅井はシフトレバーをドライブに入れる。振り返って、話し中の楓に軽く挨拶するとフットブレーキを解除してゆっくりと発進する。

夏の高気圧に覆われ、どこまでも突き抜けるような青空の下、修理から帰って来た浅井の赤いスズキスイフトは快調に進んで行く。

青嵐学院大学附属病院までほぼ一本道、大きく育ったプラタナスの坂道をゆっくりと下って行った。



「はい。『特殊症例』以外の子まで治して頂きありがとうございます。お陰様で来週には皆退院出来ます。相変わらずの事ですが、楓さんが治療しちゃうと私達の存在意義って無くなっちゃうんですよね。骨折ってそんな簡単に治るものなんですか?一人当たり三分程度の勢いで入院が必要だった子達が明日には退院出来るようになりましたなんて、保護者の方達から『誤診』って思われちゃいますね。まあ、うちのスタッフも慣れましたから医療報告書はしっかり作文しますし、子供達にはいつも元気で過ごして欲しいですからね。心療内科と精神科には田辺副医院長が指揮をして楓さんを待っています。この子達もそうなんですが、HSC・・・感覚過敏や自閉スペクトラム症に近い子に今回の症状が顕著に現れている気がするんです。因果関係は分かりませんが心療内科の患者様達も同様と聞きました。今は精神科も含めて興奮状態の患者様が何人かいるらしく、止むを得ず拘束しているみたいです。抗不安薬の効き目が薄く、暴れ出す方もいますのでよろしくお願いします。」

小児医科の課長を務める深山裕子が笑顔で頭を下げる。

他の小児医科担当の医師、看護師も同時にお礼を述べると、完治して元気になった子供達がそれぞれの病室で楽しそうにする声が廊下を通して木霊してきた。

高熱を出していた女の子がベッドから降り、楓の前まで歩いて来て顔を上げる。

「お姉さん。すごく苦しかったけどとっても楽になりました。ありがとうございます。」

楓は女の子の目線までしゃがむと左手で手を取り、右手で優しく頭を撫で笑顔で応える。

「どういたしまして。あとは先生に言われる通りにして検査頑張ってね。もう大丈夫だよ~」

女の子は「うん」と言って手を振りながら自分のベッドに戻って行った。

楓は微笑みながら手を振り返し、女の子を見送ると裕子に言う。

「それじゃ~行こうか。裕子さん。急変する子が出たらすぐ呼んでね~」

談笑しながらナースステーションまで来ると、入院中の子供達の親に説明をしている白衣姿で恰幅の良い頭の禿げた老人が楓を見付ける。

話しを切り上げて、親達に挨拶すると満面の笑みを湛えて出迎えた。

「楓さ~ん。朝からありがとうございます~お疲れですよね。お茶にしますか。」

呼ばれた美少女、秋月楓(あきつきかえで)は両手を腰に当て、首を傾げ渋い表情をして口を開く。

「あのね~遠山君。遊びに来たんじゃないのよ。田辺君が待っているんでしょ。次行くわよ。緊急事態なんでしょ?」

「まあそうなんですが、楓さんが来てくれましたからね~もう解決したようなもんですよ。」

遠山に変わって親族に病状を説明して、病室に戻れる旨を伝えた裕子が近付いて来た。

「遠山医院長。嬉しいのは非常に良く分かりますけど田辺先生達が待っています。何なら先生が楓さんをご案内されればよろしいんじゃないでしょうか。」

裕子の発言に楓はうんざりした顔をするも、遠山医院長は少年のような笑顔で目を輝かせ口を開く。

「そ~ですね!私がご案内致します。では、楓さん。張り切って東棟に向いましょう~」

両手を上げて背伸びをすると自分の腹をパンパンと叩き廊下に出て行く。

「・・・まあいいわ。浅井君行くよ。それじゃ裕子さんまたね~」

遠山を先頭に、浅井と楓が歩きだした。

通り過ぎる職員達は皆、端に避け頭を下げる。

その職員一人一人に遠山が労いの言葉を掛けながら上機嫌で東棟への通路に入って行った。



東棟2階 心療内科入院病棟内医局 12時22分


副医院長の田辺は心療内科課長の伊原から状況の確認と投与した薬の副作用についての症例をチェックしていた。

「やはり今までの治療法には問題ありませんね。まあ、伊原先生が管理していますから疑ってはいませんが・・・やはり特殊症例ですね。伊原先生と深山先生からの報告を加味するとHSP、HSC、自閉スペクトラム症の方に興奮する方の傾向が強いみたいですね。その後は急速に倦怠感が現れている・・・何故かは置いておくとして、共通に感覚過敏の方には特に多い事という訳ですね。分かりました。楓さんが小児医科を診てからこちらに来てくれる筈ですからもう少し現状維持で頑張りましょう。そろそろ深山先生からも新しい報告が来ると思いますから。」

田辺副医院長は伊原を労い応援で内科から来ている主任看護師を呼んだ。

「神崎主任。夜勤からの連勤ですよね。そろそろ休んでください。午後番の方が来ると思いますから大丈夫ですよ。応援して下さりありがとうございました。」

主任の神崎は田辺に会釈し、話しかける。

「副医院長。お気遣いありがとうございます。もう直ぐ楓さんが来るんですよね。御挨拶出来るまではいさせて下さい。私の事でしたらまだまだ大丈夫です。状況が改善されるまでお手伝いさせてください。」


医局の外、エレベーターホールが賑やかになった。白衣を着た小太りの老人が周囲にいる医療関係者に明るく労いながらナースステーション隣の医局に歩いて来る。

IDカードを使ってドアを開けると田辺を見付けて声を掛けた。

「田辺先生。お疲れ様です。あ、伊原先生も緊急出勤で朝から大変でしたね。皆さんありがとうございます。楓さんが参りましたから皆さんは休憩して貰っても大丈夫ですよ~小児医科は全員治療済みです。こちらも全員完治で来週からは、お待ち頂いている患者様の受け入れ準備をしましょう。」

「あのさ・・・ここは大学病院っていう大規模医療センターでしょ?しかも国内最高峰の一つって言われているさ。私は鍼灸師よ。まあ、皆診るけど・・・何ていうかなあ、医師としてのプライドっていうものは無いの?」

呆れた楓が遠山に言う。

「はは、楓さん相手にですか?ありませんよ~自分にとって最も守るべき大切な心得はお預かりしている患者様の一日も早いご回復と、安心して社会復帰出来るようバックアップする事ですから。皆様が日常に帰って頂く為には、現代医学の定義に(こだわ)る意味なんて無いって楓さんの治療を見て学んで来ました。私が持つ医師としてのプライドとすれば、固定概念やつまらない自己顕示欲に捕らわれずあらゆる手を尽くして頼って来て頂いた方々に対して最善を尽くす事です。科学者の端くれとして、その結果お救いする事が出来た要因を(まと)めて、類似の治療時に指針の一つでも残すことが出来れば十分なんですよ。働いて頂いている医師、看護師の方々や事務を行っているスタッフそれぞれがどう思っているかは分かりませんし、私の考えを押し付ける気はありませんが、国が勝手に決めている法律だの資格制度なんていうのは、その為の一つの目安でしかないんです。勿論、法治国家の一員ですからルールには従いますし、それぞれのスタッフが一所懸命努力する事は大前提の話しですが、うちのスタッフに限って心配する事は全くありません。むしろ自己犠牲し過ぎて身体を壊さないよう管理するのに注意するほどですから。ねえ、田辺先生。」

「はい。医院長の仰る通りです。楓さんお久し振りです。水江・・・深山先生はいかがでしたか?先日もご一緒して大冒険して来たらしいですね。」

田辺が楓に話しかける。

「うん。そこにいる弥生さんと家族総出の大冒険したのよ。忍ちゃんも翔君もすっかりたくましく成長したわ。田辺君が指示してくれたから裕子さんと弥生さんのお陰で助かった命もあったしね~」

「それは良かったです。深山先生は自慢の教え子ですから、楓さんに評価して頂けるのは何より嬉しい事です。今後ともよろしくお願いしますね。」

言うと田辺は伊原と共に医院長の遠山に現状の報告をする。

巳葺山の事件の時に自分が率先して現場に行こうとしたのを田辺に止められた遠山は何か言いたげだったが、データーと症例の報告書を見ると、『名医』と呼ばれる顔に変わり、三人で医局を出ると患者のいる病室へ向かった。


置き去りにされた楓は中央のテーブルに行き椅子に座って浅井と弥生を呼んだ。

「楓さん。先日は本当にお世話になりました。当日もバタバタと帰ってしまったのできちんとご挨拶も出来なくて申し訳ありません。」

弥生が楓に言い、浅井にも頭を下げた。

「そんなに気を使わなくてもいいのよ。大変だったけど最後の方は楽しかったしね~大神祭も楽しみ。翔君も雫ちゃんも、似合ってたでしょ?隆一君にも見せてあげたかったな。」

「ええ、親馬鹿になりますけど二人共凄く似合っていました。先日のお墓参りで雫がしおらしく報告していましたからきっと伝わったと思います。あの子達にとっても心の(わだかま)りが解けたみたいで今まで以上にスッキリした顔になっています・・・翔はあんまり変わらないんですけどね。楓さん本当にありがとうございました。」

弥生が応え、楓と微笑み合う。

医局内の喫茶コーナーから戻って来た浅井がコーヒーを入れて二人の前に置いた。

「楓さん。課長から連絡あったんですけど、市役所のデーターの中には特に見当たらないみたいです。青嵐大にも応援頼んでいますから連絡待ちです。課長も午後には大学に向かうって言っていました。」

楓の対面側に座った浅井が市民生活安全課のデーターについて報告した。

「う~ん。確か大正の頃だった気がするのよね~温かくなり始めた・・・春の頃。確か二、三週間くらいで治まった筈よ・・・あの時、私何してたんだっけかな・・・因みにさあ、今の症例が原因の事故とか事件は報告ないの?」

「県警の佐々木監理官にも問い合わせたのですが、明確な原因としての事故報告は今のところは無いみたいです。ただ、他の医療現場でも同様の症例の報告は出始めました。」

楓の問いに浅井が応え、そのやり取りで気に掛かっている事を弥生が言う。

「あの、それでなんですけど、うちの雫と連絡が取れないんです。あの子も感受性が鋭いので大丈夫なのか心配なんです。」

「ああ、それは大丈夫よ。今頃は忍ちゃんが様子見に行っているから。ここの子達と同じ症状出てるかもしれないしね。その場合は対処法も教えるよう言ってあるから自分で何とかなるわ。せいちゃんも見守っているから心配ないよ。翔君は・・・今何処行っているんだっけ?」

「伊豆です。神崎本家の別荘に明日から子供達で泊まりに行くんで、先行して聡史君と掃除に行っています・・・この前の二人ですけど今回は海の観光地ですから大丈夫かなと・・・」

弥生は言いながら槍穂岳も観光地ではあった事を思い出す。

「うん。大丈夫よ。前回と明らかに違うのは翔君には問題が起こっても自分で解決出来る力が備わっている事ね。社会的責任に関しては、あの子達は意外としっかりしてるから心配いらないでしょ?むしろ、中途半端にちょっかい出して撃退されちゃう相手に同情しちゃうかな~浅井君はそっちの方が見たいんでしょ?」

タブレットを凝視している浅井に目を向ける。(わず)か十日前とは比べようも無いほど業務に対し熱心になっている。

「はい。誰も死なない保証があるなら是非見たいですけど、課長や佐々木さんから最低限の知識得てから参入します。楓さん、少しいいですか・・・県内の事故件数が異常に上がっています。9時以降2時間で横浜市内9件、神奈川県全体では26件に上ります。木曜日の午前としては通常の3~4倍の件数の様です。特に南西部、二宮から小田原市で異常な数になっています。他には海保の報告で小型船舶による事故が多発しています。これも伊豆半島東海岸から相模湾で多い。海保はパンクしているみたいで接岸可能な事故は県警に応援要請出したみたいです。現在、死者の報告はありませんが今後どうなるか・・・これも同じ原因が影響しているんでしょうか?」

「それを深山君に調べて貰っているのよね~」

楓は弥生に目線を移し雫に連絡してみるように促してテーブルのコーヒーに手を出す。

一口飲みカップを両手で包むと天井を見上げる。

何を見るでもなく目を瞑り暫く動かなかった。

弥生は部屋を出てから雫と話し、暫くしてから医局に戻って来た。

「連絡取れました。やはり具合が悪くなっていたようですが、忍さんに助けて貰えたようです。あと、裕子先生とも話せました。本当に今回の症例と関係ない子達まで全員治療されたんですね。小児医科は今、元気になり過ぎた子達で賑わっているそうです。ありがとうございました。」

弥生の言葉に楓は笑顔で返し言う。

「弥生さん。ここの患者さんで今回の症例対象者はどんな事話しているのか聞いてる?」

「はい。先生に聞いて頂くのが正しい報告になるんですけど、皆さん何故かほぼ同一の夢というか幻覚や幻聴を体験しているみたいなんです。海の底から何かが浮き上がって来る、『ヤツ』が来ると言っています。それ以外には何か呪文の様な・・・古い言葉なのか、訛った言葉で同じ事を呟いています。」

弥生の話を聞いて楓は前屈みに座り、両手を肘掛けに付けて再び天井を見上げて足をブラブラして考え込む。

「浅井君。ここの対処終わったら私も大学行くよ。深山君も来るんでしょ。集合場所決めといてね。」


ドアが開き田辺が顔を出す。

「楓さん。準備出来ました。お願いします。同じ症状の方を病室毎にまとめました。二十二人になります。」

二人に目を配り楓が立ち上がる。両手を上にあげて大きく伸びをした。

「さ~て、全部片付けるよ~」

弥生と浅井も立ち上がり病室へ向かう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ