秋月楓の弟子達
「ここって、冷房無いけどこの季節なのに涼しいのね。結界のお陰ですごく良く眠れたわ。ただ明け方に、海洋の神が・・・哲也君・・・じゃない男の子にメッセージを届け・・・あの子、神様と会話していた。誰かしら。」
朝食の支度が整ったと伝えられ、私服の白いキャミソースに着替えた徳武美恵子が刈谷を見付けて言った。
半袖のワイシャツ、カーキ色のスラックス姿の刈谷が徳武と共に鴨居を潜って和室に入る。。
「おはようございます。早朝の出来事なんですか?神様との会話は徳武さんもしていたじゃないですか。あの時は自分にも神様の声聞こえましたよ。会話自体には特別な力がいると言う事でしょうか?」
八田や曽野川も集まり、用意された座布団にそれぞれ座る。
「本来、神の言葉は人間には理解出来ないのよ。神自体が理解させる為に発しないとね。神事なんかで警蹕ってあるでしょ。『おお~お~』みたいな感じの腹に響いてくるような声が聞こえるだけっていう事が多いわね。早朝に見たのは近くの浜辺で、背の高い高校生くらいの男の子と海洋の巨神・・・鯨の様な白い大きな塊が会話していた光景よ。確実に受け答えをしていたわ。彼とだけ話がしたかったみたいで何を話していたのかまでは分からなかった。最初は哲也君かと思ったけど、彼はまだ総本家にいるしね。」
徳武の話を興味深く聞いていた刈谷は微笑むと応える。
「神崎翔君だと思いますよ。哲也君の従弟です。本来、神崎総本家の統領を継ぐ筈だった神崎隆一さんのお子さんです。恐らく今後、楓さんの直弟子になる人間ですよ。」
刈谷の言葉に唖然となった徳武が返す。
「最近の楓さんって、弟子を増やしているの?私を含めて勝手に弟子名乗っている術者は数えられない位いても、実際に指導しているのは一人の女の子だって聞いた事あるけど。」
徳武の応えに少し驚いた刈谷が言う。
「流石の徳武美恵子も、秋月楓の事は見通せないんですね。自分は史隆さんから十日前の事件について聞いた程度なので詳しくは今日会ってから聞こうと思っていました。翔君だけでなく、お姉さんの雫さんも弟子入りする事になっているそうですよ。翔君には昨日会って来ましたけど、哲也君よりも少し背が高く、真面目で凛々しい顔付の好青年でしたよ。」
「前にも言ったわよね。楓さんのやる事、現在の状況は全く見えないわ。神様レベル・・・しかもかなり上位の神様の現『生き神様』とでも言っておきましょうか。人間には理解不能な一応『人』ね。あの人が人類の敵に回ったら本物の百鬼夜行率いるくらい簡単にやるわよ。間違いなく私達は滅ぶわ・・・そうか~またまたイケメン男子なのね。高校生か~可愛いんだろうな~神崎の血筋っていい男のオンパレードね~会うのが楽しみだわ。あ、美幸ちゃんも来るのよね。あの子も綺麗になったでしょうね。もう二十歳か。ちょっと前は可愛いお嬢さんって感じだったけどね~それに十日前の件って、丹沢山系で起こった事件でしょ。隕石衝突で人が死んだって言うけど、あそこは以前から結界が張られていて、山中の出来事は外からは分からない様になっているの。私にも見えなかったわ。まして、楓さんが陣頭指揮していたらしいじゃない。絶対に見る事は叶わない状況よ。ただ、神崎総本家に小田原の九鬼、あのアホの龍崎琴乃が集結して戦争始める為に集まっていたのは何となく分かった。ま、バトル系は無理だからお呼びが掛からなかったんでしょうけどね。戦争ごっこは脳筋の琴乃で丁度いいわ。」
障子が開き巫女二人が食膳を持って入って来た。
櫃に入った玄米をそれぞれの膳に添え、湯気の立つ味噌汁を並べ終わると、八田の前に来て笑顔で言う。
「お替りありますからお申し付け下さい。」
八田は微笑んで頭を下げた。
「あら、神社の食事だから精進料理かと思っていたのにお刺身が出るのね。美味しそう。」
徳武が声を張ると刈谷が笑いながら応える。
「お寺と違って神社の神事には鯛の尾頭付きや海産物もお供えするじゃないですか。」
曽野川が笑い出して話に混ざる。
「下田は漁港も近くにありますから新鮮な魚が手に入るのでしょうな。」
曽野川の言葉に刈谷が応える。
「それがね、前に下田市内の寿司屋に入って、大将に『美味しい所をお願いしますよ。』って言ったら『馬鹿野郎!旨い魚は皆築地行っちまってるんだよ。』って叱られちゃったんです。その代わり傷みやすい良物は手に入るからって地魚を出して頂きましたけどね。あの時は竹麦魚と鰯が美味しかったかな。あと甲烏賊。」
「ふ~ん。私は竹麦魚って食べた事無いな。あとさ、この時期は真鯒も美味しいのよね。」
徳武が言うのを聞いて巫女が微笑んで応える。
「こちらが竹麦魚です。その横にあるのが真鯒と鮃になりますよ。あとはメジナの煮付けをご用意出来ました。こちらは鰯のつみれ汁になっています。今朝、漁協の方が届けに来て下さいました。竹麦魚とメジナは冬が旬と言われますが良い物が手に入ったとかで地元漁師さんのお勧めです。あと、トマトと胡瓜はここで採れたものです。お浸しのオクラはお隣の御主人が昨日届けに来てくれました。山葵も天城の物を頂きました。手元のおろし板をお使いください。」
徳武は巫女に笑顔で頷くと、手を合わせて「頂きます」と言い箸を持つ。
「ここの巫女さんって能力者なの?お刺身の話し出た時に『そう来ると思いました』って顔して献立の説明し始めたんだけど、私よりも上手なのかな。」
食事を終え、下田署に向かう為に駐車場へ歩きながら徳武が呟く。
「あれ?徳武さん、ここの宮司さんと会った事無かったんでしたっけ。宮司の荻生勇人さんはかつて楓さんの所で修行していた術者の方ですよ。楓さんの直弟子です。元々神職の家柄で、楓さんからの勧めもあってご結婚と同時に術者を辞めて神職の資格を取る為に学び直して、静岡県の神社庁で階位を授かってから、この宗像神社に派遣されて五十年近くになるようです。宿坊の担当をしてくれている巫女さんはお孫さんの八重子さんです。社務所を増設中の高峰山宗像神社には八重子さんのお父さんの荻生勝也さんが宮司をするそうですよ。昨日、鈴木さんに聞いたんですが年末オープンに向けてホテルも準備中だそうです。」
「ふ~ん。」と返事をしてそのまま刈谷の車まで歩くと、勝手に助手席を開けて座り込む。
刈谷はエンジンスイッチを押すとバックギアに入れ、反転すると出口へ進んだ。
「失礼します。」
下田署の四階、北側の一番奥にある会議室のドアを村上素子が開けた。
八帖程の会議室にいる面々を見て興奮しながら言葉を掛ける。
「美恵子さん!いらっしゃったんですか。刈谷さんと相談してお呼びしようか考えていたんです。良かった~哲也君も来るんですよね・・・はい、今回の件無事に解決致しました。」
言いながら窓辺に立っていた徳武に抱き着く。
「そう簡単に解決出来そうもありませんよ。どうやらかなりの相手みたいです。神奈川からの報告によると、今回の相手は人間ではない事が示されています。青嵐大の水橋教授から詳細については電子機器への入力を禁止されているとかで、かなりぼかした暗号で送られています。三年前の様には行きません。特殊事例中の特殊事例になりそうですよ。過去に在った類似事例を纏めた大学生達と神奈川の特事担当官が東伊豆に向っています。彼等から直接報告されるのを待ちます。こちらも現在の状況を整理して彼等の到着に合わせて情報共有する予定です。取り越し苦労で犯人若しくは原因が科学的に解明出来れば良いんですが、我々は特殊事例としての側面で問題解決の為に着手します。」
下田署に着くと、神奈川の特事監理官である佐々木京子から刈谷にメールが入った。
刈谷が分析、調査を依頼した内容が整理され、昨日報告を受けた青嵐大病院内の会議内容も注意書きと共に添付されていた。
「神奈川では十日前にも物怪による大事件があったんです。今回も同様か、それ以上の事件になりそうであると報告を受けています。既に、秋月先生がご指導されているようです。」
何時になく緊張している刈谷の発言に少し考えてから村上は応える。
「あの、こっちには哲也君と美恵子さんがいて、神奈川からの助っ人も集合する。それを秋月楓先生が監修するって言う事でいいんですよね。これって、最強チームじゃないですか。そんな、大げさな。神様相手にする訳でも無ければ問題なさそうですけど。」
村上以外の全員が顔を合わせ、徳武が話し出す。
「素子ちゃん。今回の相手、多分神様。所謂『邪神』よ。神奈川・・・青嵐学院大の大学生が過去の類似症例とその終息についての資料を探し出してこっちに向っているんだけど、楓さんが指示して箱根に回って海沿いを走らずに天城峠を南下するルートで動いている様なの。当の楓さんが何を考えて、何処にいるのかは私にも分からないけど、今回は生霊や物怪程度じゃ済まなそうなの。現在の被害を霊障と考えるには規模が大き過ぎる。その代わり、対抗勢力になる神様もいらっしゃるみたい。皆が集結する須佐ノ原海岸に神託を受けた術者、神崎翔君が待っている。哲也君達もそこに来るわ。私達もこれからそこに行くわよ。」
ふざけていない徳武の言い様に一抹の不安が過ぎるが村上は口を開く。
「その邪神って何の為にこんな事をするんでしょうか。最初は何かの感染症か集団ヒステリーと思って県の衛生局に類似症例を検索して貰ったんですけど答えが出なかったんで刈谷さんに相談したんです。多くの患者さんは『何かが這いずり回って海から来る』とか『海中に引き摺り込まれる』とか言っていたと聞いています。あとは『くがにぬすをとめ』とかを共通に言い続けているそうです・・・『陸地の主を探し求めよ。』っていう事だと解釈出来るんですけど、集団ヒステリーにしては範囲が広く、場所もまばら過ぎると県立葵総合病院の心療内科の先生が仰っていました。静岡市では起きなかった伊豆東海岸、しかも東伊豆周辺に限定される嵐が納まると患者さんの容態は落ち着いて来たと聞いています。刈谷さんはご存じだと思いますけど、この伊豆半島を中心に、一週間前から起こっている全身の血液が失われた状態の不審死が現在までに六名、今日の午前中には急に狂ったように建物から身を投げた人、何かに追われるように建物や木に登って落下して亡くなられた人、突然道路に飛び出して事故死した人が報告されているだけで十六名もいます。しかも年齢、性別に偏りはなく職業にも共通点はありません。交通事故は特殊事例から外したとしても一日・・・時間にして七時間の間に起きた死亡者数としたら異常です。大島は東京都管轄ですが、同様の患者がここ下田や東伊豆、伊東市の病院にも運ばれ、やはり異常死の方も確認されているようです。悪意のある神様の仕業という事ですか?」
村上の問い掛けに徳武が応える。
「欲望の塊でもある人間が起こす生霊とは違って、神のする事、物怪のやる事に理由は無いのよ。物怪は自身がやりたいからやる。神の行いはその神の行いとして全てが正しいの。人間の尺度で物事を判断する事には何の意味もないわ・・・って楓さんから教わっている。ただ、本来は一柱の神が人に対して行う事に他の神は干渉しない。ところが、今回は一柱の神と思われる存在が起こす、人にとっては災厄になる事を阻もうとする別の神の存在があるの。因果は分からないし考えても答えは出ないけど、人にとって救いとなるであろう神の側につくしか選択肢はないわ。もしかしたら『神』対『神』の戦いに巻き込まれるのかもしれない。まあ、今現在私に見えている範囲の推測だけどね。恐らく神奈川の人達も同様の情報を持っていると思うの、それを擦り合わせて刈谷君の言う、特殊事例としての捜査をする事になるわよ・・・ね。」
話しを聞きながらパソコンを見ていた刈谷が応える。
「元々、私達の部署は通常捜査とは別の視点から捜査を行う事を目的に設置されました。普通に生活されている人達には理解出来ない側面を見て行きますし、捜査自体が無意味になる事もしばしばあります。まあ、その方が社会的には良いんですけどね。言葉は悪いんですけど、村上さんも実体験を重ねて来ると普通の事件じゃ物足りなくなっていますよね。今回はその最上級事件かも知れませんよ。場合により生死に係るかもしれませんから、徳武さんの判断を重視して行動しましょう・・・それでですね、昨日のうちに自分が依頼しておいた本件捜査本部の設営許可が下りました。代縺湾海中観測所の海上テラスの一室を使用出来ます。今回は海中に何かがありそうですし、変死した死亡者は皆代縺湾に滞在経験のある人達であるのは確認済みです。観測所は台数の制限はありますが湾内の漁港から自動車で行ける浮桟橋を渡って、湾中央近くに突き出た建物で海上、海中の変化が目視しやすいと思います。海上レーダーやソナーもありますからより鮮明な調査が可能な筈です。一応、気象庁の職員も昨日の嵐に付いて同行調査をする旨が付け加えられていますが、神奈川からの報告によれば嵐自体が特殊事例に該当するので気象庁の人達にはご苦労を掛けるだけの事案になってしまいそうですけどね。それから国防省に依頼していた護衛艦として、多用途支援艦に小型音響測定器を搭載した特別護衛艦の『安房』と、これは大物ですよ。潜水艦の『わたつみ』が協力してくれる事になりました。自衛官総勢百名を超える大部隊です。伊豆東海岸、相模灘の巡回と海中探索に全面協力をしてくれるそうです。内閣官房からも昨日の原因究明を指示されているのであっさり要望が通っちゃいました。基本は『安房』との連携になるそうですが、今回は海中に問題がありそうなので潜水艦が援護してくれるそうです。『わたつみ』の基準排水量は3000t。乗員70名、女性乗員も乗っている最新艦です。潜航深度は極秘とされていますが1000mを越える水深がある相模トラフを考慮しての配置ですからねえ、兵器も18式魚雷発射管6門にハプーンミサイルまで搭載しています。『安房』は基準排水量こそ980t、乗員40名ですが、特殊装置として小型の音響測定器が搭載されています。数々の災害時に派遣されて来た歴戦の勇者と言ったところでしょうか。国防省からは代縺湾外で停泊、観測所にも自衛官を協力的派遣すると通達がありました。これで心配していた漁協とのいざこざは回避出来そうです。何か、これ見るだけでもワクワクしますね。」
話しながら語気が強まる刈谷に村上が尋ねる。
「刈谷さんって、もしかしてミリタリーオタクですか?本題とかなり離れたところにテンション行っていません?」
刈谷は咳ばらいをして目線を下げると。
「あ、はい。すみませんでした。まあ・・・自分の要望が上層部に全て通った経験も無かったものですから。自分は捜査本部設営の為の人員要請を署長に依頼して来ます。皆さんはここでゆっくりしていてください。あ、飲み物は廊下左側にフリーの喫茶コーナーがありますからご自由に。」
刈谷は言うと足早に扉を開け、三階の署長室に走って行った。
刈谷の後ろ姿を見送ると会議室に残された全員で顔を合わせ大笑いした。