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16話 イザベル、夫婦扱いされて挙動不審になる

 










 他の乗客たちが移動していなくなると、ひとまず静かになった。

「パパ、おりる~」

 アステフィリアがクラレンスに向かって言うが、動こうとしない。

「ねー、パパ~!」

 アステフィリアが何度か呼ぶが、周りの声が聞こえていないようだ。

 イザベルはため息交じりに、クラレンスを呼ぶ。

「クラレンス!」

「……なんだ」

「アステフィリアを下ろしてあげて」

 ようやく振り向いたクラレンスは、イザベルの言うままアステフィリアを地面に下ろす。

 自由になったアステフィリアは、イザベルのスカートをつかんで、笑顔を見せる。

「ママ、ルラキのとこ行くー!」

「えっ! 危ないからだめよ」

「ルラキ、あぶなくないもん!」

「他の人たちもいるし、もし踏まれでもしたらどうするの」

 大人でも、あの太い足に踏まれたら致命傷を負ってもおかしくない。

「象主がそんなヘマするわけねぇ」

 割って入ってきたのは親方だ。

 言葉遣いは荒いが、先ほどより口調が柔らかい。

 凶悪な顔はそのままだが、親しみやすい雰囲気に変わっている。

「おやかたー」

 アステフィリアが覚えたての言葉で親方を呼んだ。

 さっきまで涙目だったのに、今はニコニコしながら見あげている。

「おい嬢ちゃん。ルラキのそばから離れんなよ」

「はーい!」

「え!」

 イザベルが驚いている間に、アステフィリアはタタっと走っていく。

 追いかけようとしたが、親方に止められた。

「心配すんな。象主は賢い」

「でも、」

「ルラキは嬢ちゃんを気に入ってるみてぇだ。遊ばせてやれ」

 親方がそう言うなら、厩舎に迷惑をかけるわけではなさそうだ。

 イザベルは安心してうなずいた。

「それより、こいつらの後始末だ」

 親方は、不機嫌に伯爵たちを顎でしゃくる。

 イザベルも、再び不快な気持ちになった。

 関わりたくなかったが、クラレンスの魔法で拘束されているので、このまま知らんぷりするわけにはいかない。

「そんで、奥さんよ」

「えっ!?」

 急に慣れない呼称で呼ばれて、思わず飛び上がりそうになった。

 心臓がドッドっと早鐘を打ち始める。

 親方が訝し気にイザベルを見た。

「あ? あんた、奥さんだろ?」

「は、はいっ……えと、そ、そうですっ!」

 挙動不審になったが、しかたない。

 動揺しているイザベルをみて、親方が変なことを尋ねてきた。

「嬢ちゃんはいくつだ?」

「え……三歳ですけど」

「ガキができてから結婚したのか?」

「ッ!???」

「いつまでも恋人気分ってか? いいねぇ、若い奴は」

「えぇっ? いや、そのっ!」

 結婚してないんです!

 とは言えないし、何て答えればいいのか分からず、イザベルはわたわたと手を振った。

 うまい言い訳が思いつかず、明らかに挙動不審だ。

 下手なことを言って、親子じゃないとばれたらまずい。

 だが、あまりにも衝撃的な単語に動揺がおさまらず、顔に両手をあてると、信じられないくらい頬が熱かった。


 は、恥ずかしいぃぃ!


 真っ赤になってるだろう顔を隠したいけど、そのすべもない。

 一人であわあわしていると、親方が声をかけてくる。

「ところで、こいつは、いつまで持つんだ?」

「あ! あの魔法の効果ですか!?」

 話題が変わったので、かぶせるように尋ねる。

「お、おう」

 急に勢いよく返事をしたからか、親方は少し驚いていた。

 イザベルはこれ以上『夫婦』について聞かれないよう、急いでクラレンスに確認した。

「ねえ、クラレンス。あれはどれくらで消えるの?」

 イザベルが話しかけると、クラレンスは象主から視線を離して振り返る。

「どれ?」

「さっき、魔法を二つ使ったでしょ?」

消音(サイレント)は一日で消える」

 となると、もう一つは、クラレンスが解除するまでか、誰かがもっと強い解除魔法を唱えないと消えないということだ。

 イザベルは親方に説明する。

「あの蔓は、クラレンスか、他の上級魔導士が解除するしかないそうです」

 クラレンスの魔法を解除するのは、中級魔導士でも難しい。

 いつもは上級魔導士である教師が対処してくれるので、イザベルも親方に答えたのだが。

「上級魔導士じゃないとできねぇのか?」

「はい」

「見たところ、若造は見習いのローブを着てるが」

「あっ!」

 そうだった!

 イザベルは口に手をあてて、どうしようか迷う。

 クラレンスが見習いのローブを着ているのは、学生ではまだ正式な魔導士になれないからだ。

「え、えっと……その……」

 ダラダラと汗が流れる。

 何と説明しようか頭を悩ませていると、親方がため息をついた。

「まあいい。ルラキの客に、詮索はしねぇ」

「え?」

 親方を見ると、ニカッと笑う。

 顔が凶悪なので恐ろしかったが、鋭い眼差しは、背後の伯爵たちに向いた。

「あいつらは、警備隊に突き出す」

「え? 警備隊に引き渡すんですか?」

 イザベルは驚いた。

 あんな最低な態度を取っていても、いちおうは伯爵だ。

 引き渡したところで、権力を振りかざしてすぐ解放されるのは目に見えている。

「大丈夫なんですか?」

 あの伯爵のことだから、逆上して親方に報復するかもしれない。

 イザベルたちの味方をしてくれたのに、ひどい目にあったりしないか心配になる。

「あのブタがわめいたところで、オレには痛くも痒くもねぇぜ」

 親方は伯爵を見ながら、鼻で笑った。

「バカ貴族なら、何しても構わねぇって言われてっからな」

「そ、そうなんですか……」

 自信満々に答える親方に、それ以上は何も聞かなかった。

 さっき街の子どもたちが話していたことが本当なら、親方は国王とも面識があるはずだ。

 たんなる厩舎主だと考えるのは、思慮に欠けるだろう。

「あの客が行ったら、あんたらの番だ」

 すでに三組の乗客は、象主の背中に乗せてあるコーチに乗りこんでいた。

 象主の首あたりには、御者もいる。

 三頭の象主は、ルラキと同じように、穏やかなひとみで、気品があった。

 先頭にいた象主が、広場の真ん中まで歩いてきたかと思うと、たたんでいた翼を広げる。

「うおぉぉ~!」

「すげー!」

「カッコいいぜ!」

 街の子どもたちが歓声を上げる。

 イザベルも思わず目を見張った。

「すごいわっ!」

 身長が四メートルもある象主が、翼を広げる姿は、まさに圧巻だった。

「プォォォン」

 象主が高い鳴き声を発すると、足元に巨大な魔法陣が現れる。

 青く光ったかと思うと、象主はゆっくり翼を動かして、体を浮かせる。

 そして、ためらいなく足を動かして、上空に向かって歩いていく。

 まるで、足もとに階段があって、それをのぼるように。

「優雅ね」

 象主の動きは、動物にはない気品があった。

 しばらくすると、徐々に速度を上げて、翼をはためかせながら空の彼方へ駆けていった。

 その様子を眺めながら、以前は王侯貴族にしか許されていなかったという事実に納得する。

 数の少なさも理由の一つだろうが、象主は、それに相応しい人だけが乗るべきだ。

「あんなに素敵なのに、私たちが乗ってもいいのかしら」

 思わずつぶやく。

 すると、

「あんたらなら、象主も喜んで乗せるさ」

 近くにいた親方が、当たり前のように答える。

 イザベルは微笑んで、親方に礼を言った。





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