01話 パパじゃない
プルス領からケトナ火山までは、馬で駆けても十日はかかる。
だが、アステフィリアを馬には乗せられないので、他の手段で向かうことにした。
まずは、馬車だ。
クラレンスの家がある魔の森から町へ下りると、馬車乗り場に向かい、四人乗りの箱型の馬車を選んだ。
天井のない馬車や相乗りを選んだ方が運賃は安いが、アステフィリアがおとなしく座っていられるとは思えなかったからだ。
イザベルが進行方向の座席に、クラレンスとアステフィリアはイザベルの真正面に座っている。
クラレンスの服装はいつもと同じシャツにズボンで、イザベルが買ってきた土色のローブを着ている。
魔導士用のローブには、必ず星を元にした守りの魔法陣が描かれている。
まだ見習いの魔導士であっても、その紋章は必ず描かれるので、誰が見てもひと目で魔導士だと分かるのだ。
正確に言えばクラレンスはまだ学生なので、見習い魔導士ですらないのだが、そう装った方が都合がいい。
もしクラレンスがいきなり魔法を使っても、周りに怪しまれる心配がないからだ。
ちなみに、イザベルは自分のローブは用意したものの、着るつもりはなかった。
水魔法しか使えないのだから、魔法の出番があるとも思えない。
そんなわけで、イザベルは単なる旅人の服装におさまった。
旅の荷物は、ベルトのついた四角い鞄が一つだけで、空いた座席においてある。
見た目は小さいが、クラレンスのマジックバッグだ。
容量の大きいマジックバッグは高価なアイテムなので、クラレンスが持っていてくれて助かった。
おかげで持ち歩く荷物が最小限で済む。
歩く時はクラレンスが背負ってくれるので、イザベルは自分用の腰に提げた小さい鞄だけで足りた。
それから、アステフィリアがぬいぐるみのリトスを落とさないように、斜めかけのポシェットを用意した。
ポシェットから顔だけのぞかせているリトスは、アステフィリアの膝の上に乗っている。
そしてアステフィリアは、仏頂面のクラレンスの膝の上に座って、ご機嫌な様子だ。
窓から外の景色を見ながら、クラレンスに話しかける。
「パパ! あれなに~?」
「……」
「ねー、パパ!」
「僕はパパじゃない」
クラレンスが、そっけなく答える。
「えー! パパだもん!」
「パパじゃない」
「リアのパパなの!」
アステフィリアが頬をふくらませて、クラレンスを見あげる。
「パパ!」
「違う」
クラレンスはかたくなに拒否するが、どうみても時間の無駄だ。
「もう。いい加減に諦めなさいよ」
見かねたイザベルが口をはさむと、クラレンスが恨めしそうな顔をする。
「僕は父親じゃないんだぞ」
苛立ちと戸惑いを含んだ声に、イザベルは微笑みかえす。
「分かってるわよ」
「なんでイザベルは平気なんだ」
「アステフィリアにとったら、私たちは親代わりだもの」
まあ、イザベルとしても、せめて『お姉ちゃん』と呼んでほしいとは思った。
試しにアステフィリアに提案してみたけど、『ママはおねーちゃんじゃないよ?』と言われたので、いさぎよく諦めたのだ。
「ママは、ママなの!」
アステフィリアがにっこりとイザベルを見る。
「そうね。アステフィリア」
「パパは、パパなの!」
「……僕に親代わりなんて無理だろ」
クラレンスがぼそりとつぶやく。
子どもが苦手なのは分かる。
でも、クラレンスには、この体験を大事にしてほしい。
イザベルは励ますように、クラレンスを見つめた。
「誰だって、最初は初めてなのよ」
「……」
「呼び方から、慣れていくしかないわ」
イザベルの言葉に、クラレンスは眉根をよせる。
しばらくアステフィリアを見下ろしていたが、
「周りから親だと思われるのが嫌だ」
そう言って、不愉快そうに顔をしかめた。
「え? そこ気になるの?」
クラレンスの言葉は意外だった。
ふだんから魔の森に引きこもり、周りにどう思われようと気にしていない態度なのに。
「こいつが何かやらかしたら、責任を取らないといけないだろ」
「もう! こいつじゃないでしょ?」
「チビ」
「リア、ちびじゃないもん!」
アステフィリアが怒るが、クラレンスは返事をしない。
黙っているクラレンスに、イザベルは続ける。
「まったく……アステフィリアは小さいんだから、私たちが守らないといけないのよ」
「その義務と、呼び方については関係ない」
「え、そう?」
同じような気がするけど。
「僕が興味あるのは、精霊のことだけだ」
クラレンスはそう言って、アステフィリアを見た。
「精霊の声が聞こえるなら、試したいことはいくらでもある」
クラレンスが三人での旅に強く反対しなかったのは、彼にとってもまたとない機会だったからだろう。
念のために、イザベルはくぎを刺しておく。
「言っておくけど、アステフィリアに無茶な真似はしないでね」
「分かってる」
即答したクラレンスに、本当に分かってるのかと言いたくなる。
しかしイザベルは黙っていた。
ここはクラレンスを信じるしかない。
「それなら、呼び方くらい、アステフィリアの好きにさせればいいじゃない」
イザベルが言うと、クラレンスは眉間に深くしわを刻んだ。
しばらく考えこんでいたが、小さくため息をつく。
「……分かった。諦めよう」
顔をしかめたまま、うなずいた。
そのやりとりを見ていたアステフィリアが、パッと笑顔になる。
「パパ!」
「なんだ」
クラレンスの返事が嬉しいのか、アステフィリアはニコニコと笑う。
「ねーパパ、あれなにー?」
「鹿だ」
「パパ、あっちは~?」
「鳥だ」
「じゃあパパ、あれは~?」
「豹だ」
律儀に答えているところをみると、本当に観念したらしい。
アステフィリアは『パパ』と呼んでもクラレンスがちゃんと返事をするので、はしゃいでいた。
その様子を眺めながら、イザベルは不思議な気持ちになる。
クラレンスは、決して子どもに好かれるような性格ではない。
アステフィリアに対しても、最初からそっけない態度だった。
それなのに、アステフィリアは始めからクラレンスに懐いていた。
今だって、嬉しそうにクラレンスに話しかけている。
もしかして、実の親に似てたりするのかしら?
「ママー!」
「なあに?」
「へへ~」
呼ばれて返事をすると、アステフィリアが嬉しそうに笑う。
右腕でポシェットごとリトスを抱いて、左手でクラレンスのローブをしっかり握りしめ、ニコニコと笑顔だ。
魔導士見習いのローブを着た銀髪の青年に、天使のように愛らしい金髪の女の子。
ひとみの色が同じ緑だし、二人とも美形なので、親子といっても不思議ではない。
ただ、イザベルもクラレンスもまだ学生だ。
三歳の娘がいるという設定は、不自然な気がする。
「ねえクラレンス。私たち、親子に見えるかしら?」
「大丈夫だろ。チビがこんだけ懐いてるんだ」
「チビじゃないもん!」
すかさず、アステフィリアが文句を言う。
「……」
クラレンスは、いま気づいたという顔で、イザベルを見た。
「そういえば、チビの名前は?」
真顔でたずねてきた。
「え!?」
「なんて名前だ?」
「いま、それ聞くの!?」
イザベルは怒るよりも、脱力してしまった。
今までずっとイザベルがアステフィリアの名前を呼んできたのに、まったく記憶に残っていないのだ。
親代わりを観念したせいか、この場でようやく覚える気になったらしい。
イザベルは呆れ顔で答える。
「もう……名前は、アステフィリアよ」
「パパは、リアってよぶの!」
アステフィリアが胸をそらして答える。
どうやら『リア』と呼んでほしいらしい。
するとクラレンスは、
「リア、か」
初めて聞いた、という顔をする。
本当に、まったく覚えてなかったのね……。
クラレンスの優れた記憶力に、人の名前は含まれない。
そのことは十分に分かっていたつもりだが、ため息が出るのは仕方ないだろう。
「それで、さっきの話だけど。私たちはまだ十七だし、親にしては若すぎない?」
「貴族は早く結婚するんじゃないのか?」
「今はそうでもないわよ。学校に通う人も多いんだから」
学生のうちに婚約して、卒業後に結婚というのが主流で、在学中の結婚は昔に比べて減っている。
二十歳を過ぎてからの結婚も遅いうちには入らない。
「多少若くても、気にする奴はいないだろ」
「でも、怪しまれて、身元を探られたりすると困るわ」
万が一、イザベルが貴族令嬢だとばれたら、父の耳に入ってしまうかもしれない。
それだけは絶対に避けたい事態だ。
「イザベルは心配しすぎだ」
クラレンスが呆れた顔で言う。
「本当に、大丈夫よね?」
「ああ」
クラレンスがうなずくのをみて、やっと安心する。
「ママ、どうしたの?」
アステフィリアが、クラレンスの膝からおりて、イザベルの顔をのぞき込む。
「え? 何でもないのよ」
イザベルは隣に座らせると、アステフィリアの頭をなでた。
「心配してくれてありがとう」
「えへへ」
アステフィリアがニコニコと笑う。
赤いワンピースを着た金髪の美少女は、笑顔までも愛らしい。
ただでさえ可愛いのに、この国で希少なエルフとなれば、よからぬことを考える悪党も出てくるはずだ。
「ねえクラレンス」
「なんだ」
「アステフィリアの耳って、途中で戻ったりしないわよね?」
今のアステフィリアは、クラレンスの魔法で、本来の耳の姿を隠している。
「効果はどれくらい持つなの?」
「しばらくは問題ない」
「しばらくって? 一週間くらい?」
「まさか。半年は大丈夫だ」
「はっ、半年……?」
予想外の台詞に、言葉を失う。
半年は、しばらくじゃないでしょ!?
相変わらず、桁違いの魔力だ。
「ね、アステフィリア。耳の調子はどう?」
「みみ~?」
「そう。痛かったり、なにか違和感とかない?」
「んー?」
アステフィリアが自分の耳を触りながら、首を横にふる。
「みみ、へーき!」
「それならいいけど」
「べつに形を変えたわけじゃない。見た目が『人間の耳』に見えるように錯覚させる魔法だ」
「そうなのね」
アステフィリア自身が何も感じていないなら、心配することはない。
ただ、耳がとがっていてもいなくても、アステフィリアの可愛さは変わらないのだ。
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