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冬と血飛沫のガールミーツガール  作者: ササキアンヨ
3/4

3、裸

「ハァハァ……ハァハァ……ハァハァ……」


 冷たい夜風が男の肌を撫ぜてゆく。


 舗装されたアスファルトの上を裸足で歩き、灰色のコートのみを身に纏った男……禽持縦蔵(きんもちじゅうぞう)はいわゆる変質者である。


 夜道をひとりで歩く女に自身の全裸を見せつけて悦に浸るタイプだ。だが、彼が真に楽しみとしているのは全裸を女に見せることではない。


 それは爆発的に強化された身体能力で以てこの刈園(かりその)区を縦横無尽に駆け回ることであった。


 きっかけは大したものではない。馴染みにしている銭湯へ行き、湯船を洗っている中年女性に全裸を見られた。

 その瞬間、禽持がこれまで経験したことのない熱が全身を走ったのだ。ぐらりと倒れそうになったところを踏ん張ると、銭湯の床のタイルは砕け、自身の足跡型の穴が出来た。


 また、粉砕された鋭いタイルのカケラが辺りに散らばっているというのに彼の肉体に一切の傷は無かった。


 どういう形にせよ、設備を破壊したのは事実。馴染みの銭湯を出禁にされた禽持であったが、そんな些細なことはどうでも良かった。


 あの熱をもう一度感じたい。まるでスーパーマンにでもなったような万能感に浸りたい。そうして思う存分暴れたい。

 執着者(パラノイア)が名実ともに犯罪者になる、その典型的なパターンをなぞるかのように彼の思考は支配されていった。


 アルコールがもたらす酩酊感、ニコチンが肺に染み入る依存性、異性と繋がるときの興奮、薬物が擬似的に与える高揚感、そのどれもを凌駕するのが異能であり、それを本能的に求めるようになってしまうのが偏執者であるのだ。


 そして禽持は幾度も実験を繰り返すことになった。

 男に全裸を見せても熱は得られなかった。対象が女であっても靴を履いた状態では熱は得られなかった。コートを手に持っていると自身のスピードがもたらした摩擦で燃えてしまう。女に全裸を見せると騒がれる。


 そんな努力の甲斐あって、彼はいまのスタイルを確立させた。コート以外は何も身につけずに歩き、標的を見つけたら電灯のある地点まで尾行して全裸を見せる。そしてコートは上に投げ飛ばし電灯に引っ掛け、そのまま来た道を全速力で走る。充分に熱を堪能したあと、少しの余力を残しつつコートを取りに戻る。


 強化された肉体を持っていても寒さだけはどうにもならないのが困りごとではあったものの、彼の日々は順調だった。


 この辺りでは“韋駄天台風”と呼ばれ、周知されるようになってしまったため、そろそろ河岸を変えるべきだろうかと冷静に考えられるくらいには余裕があった。


「ハァハァ……ハァハァ……ハァハァ……」


 息切れしているわけではない。異能の熱に浮かされているのだ。プロの偏執者として訓練を受けている別班の人間であってもその熱は抑えきれない。

 異能のトリガーを30回以上も引き続けた禽持であっても、所詮は素人だ。そうやって息が乱れてしまうのも仕方がないと言えた。


 刈園の端で今日もひと仕事終え、禽持はコートを取りに戻る。だが、コートが見当たらない。いつも通り電灯に引っ掛けておいたはずだと不審に思い、そして電灯の下に少女が立っているのを目にする。


 メガネが似合う少女は……いや、美少女はこちらを見てふわりと微笑む。インクをたっぷり流し込んだような闇色の長髪は腰にまで届き、白いダッフルコートの下からすらりとした体躯が覗く。

 彼女の白魚のような手がメガネを外す。それにより美麗な印象を与えていた目元がまた変化する。


 彼女の白魚のような手が禽持を誘うかのように腕が踊り、そこでようやく彼は美少女のいる場所を空間として見ることが出来た。その足元に自身のコートがあるのが分かる。


 明らかに怪しい場面だ。コートなど捨てて一目散に逃走することも出来た。暗がりにいる自身の姿を彼女は何故か捉えているのも不審な点だ。まるでここに来ると分かっていたような。


 しかし、禽持は躊躇った。目を疑うばかりの美少女が変質者を目撃して、こんなにも優しい表情を浮かべることがあるだろうか?あなたを受け入れましょうと言わんばかりに手を広げてみせるだろうか?こんな機会が再度訪れるだろうか?


 その戸惑いと共に体に迸る熱を感じながらも彼は初めて己のスタイルを否定した。異能を発動するためではなく、理性が発した欲望のままに彼女の元へ駆け寄る。


 そして、美少女に傅くかのように全裸の男が膝を曲げるという醜悪な光景が電灯によって照らされることになった。


 だが、最も驚いていたのは禽持であった。彼の足に巻き付く黒い蛇のような何か。そのせいで足を曲げてしまったのだ。泥の沼にハマったが如く、爆発的に向上した身体能力で以てもがいても拘束は外れなかった。


「そんなものじゃないでしょう? “韋駄天台風”さん。さっき、あなたが裸を見せつけた金髪の女の子はかわいかったでしょう? いま、あなたが裸を晒している私は美しいでしょう? もっと足掻きなさいな。そーれ♡そーれ♡そーれ♡」


「うっ、ぐぐぐ……!」


 蛇のような何かは足から腰へ腰から胸へ胸から腕へ腕から頭へとその侵蝕範囲を伸ばしてゆく。どれだけ力を入れようともその力は受け流されていった。


「ふむふむ。あくまで強化されるのは身体能力……力の概念には効果が無い……メモメモ」


 どれだけ鈍い者でも理解出来る。この美少女が自身を攻撃しているのだと。けれど、蛇のような何かに締め付けられても禽持にはまだ余裕があった。


 何せ、全く痛くない。向上する身体能力に耐えられるように肉体も頑丈になるのが禽持の異能だ。拷問されるような事態に陥ったとしても自身にダメージは無い……そうたかを括っていた。


「そーれ♡」


「っ!? ぐえっ!!」


 彼女の手によって灰色のコートを被せられた瞬間、異能が強制的に解除されてしまうまでは。

 全身の骨が折れて肉を裂いてゆく激烈な痛み。禽持はこれまでの人生であげたことのない絶叫を発した。そして、すべての空気を吐き出して喉が枯れたあと、ゆっくりと意識を手放した。






 あたしはその絶叫を聞いて、十字路の死角から顔を出す。電灯の下に立っているラビさんの蠱惑的な表情にドキリとしながらも、彼女の近くへ歩いた。


 足元にはこの辺りを騒がせていた“韋駄天台風”が倒れている。もし全裸なら見るに耐えない光景であっただろうが、灰色のコートが覆い隠していたため、問題なかった。


「死んじゃったんですか?」


「いいえ。大きな声を出させるつもりだったから強く締めたけど、内臓に刺さる位置にある骨は折れていないはずだし、生きてるわよ」


 そう言ってラビさんはメガネをかけて周囲をぐるりと見渡した。付近の住宅街は不思議なほどに静まり返っている。

 冬になりつつあるこの寒さで全裸になるとは“韋駄天台風”は気合いの入った変質者だったということが分かる。


 お母さんから熱心に変質者の情報を聞き出したラビさんに着いてこいと言われ、ふたりっきりで深夜のお散歩!と興奮していたのは最初だけ。まさか見知らぬ変質者の裸を見るハメになるとは思わなかった。


「生かしたってことはこの人をスカウトするつもりだったり? でも、変質者ですよ?」


「露出くらいで騒いでいたら、偏執者をスカウトするのは無理よ。女の子に裸を見せることより、自身の異能を発動することに重きを置いているタイプかもしれないし」


『別班に風評被害をもたらすのは辞めろ。たいていのメンバーは犯罪行為に手を染めなかった強い意志の持ち主だ』


「……それはどうかしらね? で、この“韋駄天台風”の身柄だけど、あなたが抑えてちょうだい」


『いつも通り賊敷(ぞくじき)を呼ぶのでは駄目なのか?』


「ええ。……理由は今は言えないけど」


『了解。面倒だが、バディの言うことは聞かなくちゃな』


「あれ、02(ゼロツー)の異能で瞬間移動させたりは出来ないんですか? 日本刀やらカツラやらは遠隔から飛ばしてましたよね?」


『オレの【鯨因(リヴァイアサン)】は50キログラム以上の質量を持ったものは動かせない。あと、発動には半径500メートル圏内にオレがいる必要がある。もし、この“韋駄天台風”が49キログラムだったとしても、一気にチヨダまで運ぶのは不可能。だから、ちまちま異能で運ぶより車両なんかで運搬した方が効率的なんだ』


「…………異能って思ったより夢が無いですね。“韋駄天台風”にしたって、身体能力を強化するだけなんでしょ? 戦うときに裸にならなくちゃいけないっていうのも微妙です」


「いいえ。それは違うわ」


 とラビさんは強く否定した。


「身体能力強化こそ最強なのよ。人間の反射神経を超える思考力、相手の五感を超えるスピード、どんなに分厚いガードをも貫通するパワー、途切れることのないスタミナ、それらを運用することの出来る強靭な肉体……。“韋駄天台風”の異能には無限の可能性があるわ」


 彼女の言葉には熱が籠っているように思われた。漆黒のロングヘアが夜空に同化するように流麗にたなびく。

 電灯の下でなければ、すぐにでも消え失せてしまいそうな儚さを感じる“美”だ。


「それに“韋駄天台風”のトリガーは裸になることじゃなさそう。そうだったなら、自分の家で好きなだけ異能を使えばいいだけだし。おそらくは裸を誰かに見せることだと思う」


 あたしはラビさんが熱っぽく語る姿に少し苛立っている。けれど、その感情は恥じるべきだという考えが過ぎり、自分の体を掻き抱くように押さえた。


『……オレから補足しておこう。かつて別班(べっぱん)には殺人を犯すたびに身体能力が強化されるという異能(フィリア)を持つ者がいた。まさに絵に描いたような最強さだったが、そいつが真に優れているところはトリガーの条件が状態の継続ではなかったことだ』


「どういうことです?」


『ひとりでも人を殺せば二度と殺人を犯す前には戻れない。そいつは死ぬまでずっと殺人者のままだ。つまり、そいつには他の偏執者にあるはずの異能の強制解除条件が存在しなかったんだ。そして、殺せば殺すほど異能は強化されていった。

 “韋駄天台風”は服を着れば異能は使えなくなる。そこは普通の偏執者と同じだ。だが、自身の裸を見た者が多いほど強くなるという特殊な条件を満たすトリガーを持っている可能性がある……とラビは思ったわけだな』


「さすが02。私と長く組んでるだけはあるわね。さらに言えば“韋駄天台風”の犯行は理性が吹き飛んでしまうことが多い一般的な偏執者と違って巧妙だったし、鍛えれば伸びるわ」


『そう思うなら加減してやれ』


「つい、ね。そろそろ02もここに到着する頃でしょう。ここは冷えるし、私たちは紋藤さんの家に退散するわ。行きましょ」


 ラビさんは自然にあたしの手を引く。


 ここまで露骨にされると分かってしまう。コードネームで呼ばれていることから薄々分かってはいたが、あたしはまだ02の顔を見せられるほど信用されていないのだ。


 条件があるとは言え、空間移動能力は別班でも貴重なのだろう。あたしはラビさんの協力者に過ぎない。今回の件にしたって、あたしが出来たのは“韋駄天台風”を待ち構えるための囮。これからも、こんなふうな扱いで終わってしまうのだろうか。……もっと役に立ちたいのに。


「ねぇ、紋藤さん」


「何ですか?」


「体、冷えちゃったでしょう? そこにスーパー銭湯があるし、一緒に行かない!?」


「行きます!!!!」


 人生で一番大きい声が出たかもしれない。あたしに汚らわしい裸を見せつけた上にラビさんに期待されている“韋駄天台風”に憎しみを覚えていたが、すぐさま感謝に変わった。ありがとう、あなたのおかげで女神の如き恋人と一緒にお風呂に入れる。


 ちゃっかり財布を持っていた彼女に奢られる形でスーパー銭湯を満喫することになった。キモく見えない程度に彼女の綺麗な裸身をチラ見しつつ温かい湯を楽しむ。時間がそれなりに遅いせいか、女風呂には誰もいなかった。


 ラビさんは着痩せするタイプなんだ……ラビさんはお風呂でもメガネを外さないタイプなんだ……とあたしの中でのラビさん像が再開発されてゆく。


 サウナにて。さすがにここではメガネを外した美少女(火傷しちゃうもんね)と並びながらじっとりした心地の良い熱さに身を委ねる。


「ごめんね、紋藤さん」


 唐突にラビさんに謝られた。


「“韋駄天台風”の異能を褒めるとき、あなたが不快そうな顔をしたけど、止められなかった」


「い、いえ。あたしが詳しくないだけですから。……でも、あのときのラビさん、何かいつもと違うような気がして」


「ふふ、さすが私の恋人ね? ……かつて別班にいた最強の偏執者。人を殺すたびに強くなる彼の名前は半村キラ。私の兄なの」


「え?」


「もう兄さんはいない。別班が指揮した海外との偏執者の取り合いのときに命を落としたから。理論上は無敵だった彼をどうやって死に至らしめたのかすら、私には辿り着けていない。だからかしら、似たような異能を見ると、つい熱くなってしまうの」


「そうだったんですか……」


 ラビさんは薄く微笑み、足をバタバタと動かす。汗が浮かぶ美肌は熱で紅くなっている。失った家族のことを語るラビさんの姿は妖艶さや神聖さも無く、単なるひとりの少女のように映った。すべてを剥がした飾らない生の美しさだ。


 あぁ、間違いなくあたしはこの人に恋しているんだ。ラビさんのことがたまらなく愛おしくなり、抱きしめたい衝動に襲われるが必死に堪える。こんな話を聞かされたのに性的に反応するのは良くない。


「ふふ……紋藤さんはかわいいわね」


「え!」


「ねぇ、私のために何でもしてくれるって言ってたわよね? その言葉に偽りは無い?」


「もちろんです」


 ラビさんの顔に艶やかさが戻った。悲しみで打ち固められたさっきの表情と違ってどこかイキイキしているように見える。

 けれど、たぶんさっきの姿の方がラビさんのありのままだったのだろう。こちらは彼女なりに武装なのだ。


「それなら、明日一緒にチヨダへ行きましょう。紋藤さんにはやってほしいことがあるの」


 すっとラビさんが立ち上がる。なんとなく空振りしたような気がして情けなくなった。すると、ラビさんはこちらを見て意味ありげに笑う。


「初めてはこんなところじゃ嫌よ?」


 あたしはその言葉を聞いて一生ぶんの「好き」を連呼したい気分になった。

 水風呂、外気浴、着替えを経てコーヒー牛乳を飲む。


 あたしの家に帰ってきたあとはラビさんがどこで寝るか問題も立ち上がったのだが、それは割愛して……。


 土曜日。東京都千代田区霞が関二丁目1番1号。ラビさんに連れられて警視庁の前にあたしは来ていた。特に犯罪行為はしていなくても、何となく後ろめたい気持ちになる。


 けれど、ラビさんが勤めている公安部特務捜査課別班は公には知られていない部署のはず。警視庁の建物に同居しているとは思えなかった。


 ラビさんが「しーっ」と口に指を当て、あたしと手を繋いだ。そして警視庁の入り口の横にある壁をすり抜けていく。あたしも引っ張られるままに動くと追従出来た。目の前には地下へ向かう階段。


「これから用事があるのはデスクじゃないの」


 階段を降りるとそこにあったのは道場だった。木製の床の上に畳が広がり、正面に般若の面を被り袴を着た男性(だと思われる)が正座していた。

 体操服を持たされた時点で予想していたが、やはりラビさんがあたしにやってほしいことは。


「おはようございます、半村さん。時間通りですね。そちらの方も着替えてらっしゃい」


「おはようございます、桜牙(さくらが)さん。今日は頼みに応えていただきありがとうございます」


「いえいえ。これが僕の仕事ですから」


 丁寧な口調で男性は言うが、般若の面を被り、威厳のあるオーラはまさに鬼のようだ。


「彼は桜牙総士(そうし)。別班専属の教官よ。もう想像はついていると思うけど、紋藤さんにやってほしいのはズバリ体を鍛えること。偏執者と正面切って戦う必要は無いけど、もし襲撃されるようなことがあれば咄嗟に動けるくらいにはなってもらうわ。……どう? やれる?」


「もちろんです!」


 恋人の裸を見た。ラビさんが期待してくれたことを応えずに何をするというのか。あたしはやる気に満ち溢れ、今なら空も飛べる気がした。



今日の敵


禽持縦蔵(35)


異能

隠された無花果シークレット・シャイネス

身体能力の大幅な増幅。裸を見た異性が多いほど強くなる。


トリガー

異性に裸を見せると使用可能。服を着ると強制解除。

また、時間経過で少しずつ異能は弱まってゆき、最後には解除される。

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