1-3 魔界の危機
「い、いやいやいやっ! ベイディオロ、いくらなんでも冗談が過ぎるわ! いきなり何言ってるの!」
リザミィは咄嗟に声を荒げた。
「冗談だったら、よかったのだがな」
ベイディオロは、悲痛な表情を浮かべている。
「……どういうことか、ちゃんと説明しろよ」
意外にも冷静な様子のライジャーが、口を開いた。
「近頃地震が多いのは、お前たちも良く知っているだろう。魔界の研究者たちが調べたところによると、どうやら魔界に満ちているダークマナが減少しているため、魔界の地核に変化が起こっているようなのだ。この魔界終末時計は、ダークマナ減少による魔界の地殻変動がどれくらい起こっているのか、わかりやすく可視化したものだ。実際の時刻とは関係ないが、針が12時を指した時、魔界の大地は割れ、崖は崩れ、海は干上がり、分裂して、最後には消滅してしまう」
ミーティングルームがしん、と静まり返った。
リザミィの額に嫌な汗が滲む。隣のボンボに至っては、顔色が真っ青になっていた。
世界の終わりを告げられるなんて、リザミィは初めての経験だ。まぁ、誰だってそうか。こんなこと日常生活で経験することなんてまずありえない。あまりにも唐突過ぎてどう反応したらいいのか困ってしまう。リザミィは唇を固く結んでいた。
重苦しい沈黙を破ったのはライジャーだ。
「あとどんぐらいで、その魔界終末時計とやらが12時になるんだ」
「早くて60日。遅くても90日くらいだ」
リザミィは絶句する。
魔王様があと60日で死んでしまう。
リザミィにとっては自身が死ぬことよりも一大事だった。そんな現実、いきなり受け入れられるわけがない。
長い息を吐いたライジャーが、ベイディオロに質問を続ける。思った以上に根性があるトカゲだ。
「ダークマナって、オレら魔族が魔法や呪術を使ったりする時に消費してる、目に見えないエネルギーみてぇなもんだろ。そいつが減ってる原因ってのはなんなんだ。単なる魔法の使い過ぎか?」
ライジャーの疑問に、ベイディオロは俯いた。とても言い難そうだ。そんなにヤバい原因なのか。
僅かに時間を空けてから、ベイディオロは口を開いた。
「魔王様がご機嫌斜めなのだ」
……話が嚙み合っていないように思えるのは、リザミィだけだろうか。ライジャーの質問の答えになっていないような。
リザミィは僅かに眉を寄せた。見れば、ライジャーも訝しげな顔をしている。
「ま、まあ……そりゃあ、魔界が消えるっつーんなら、魔王の機嫌も悪くなるだろ。そんなことはいいから、原因を話せって。オレは回りくどいのは嫌いなんだ」
「だから、魔王様がご機嫌斜めなのだ」
「いやだからッ」
その瞬間、リザミィの脳裏にピンと、あることが浮かんだ。
リザミィは唇を湿らせてから、恐る恐る発言する。
「もしかして、「魔王様がご機嫌が斜め」なせいで、ダークマナが減少してるんじゃ」
「はぁ? そんなことありえねーだろ。確かに魔王はすげぇ力とか持ってっけど、いくらなんでもご機嫌一つでダークマナを減少させるような力は」
ベイディオロが頷いた。
「あるのだ。それが」
「お、おお? マ、マジかよ……」
リザミィの勘が的中した。これも日々魔王のことを考えていたおかげかもしれない。ちょっと嬉しい。
ライジャーは思わぬ事実に呆気に取られているようだ。ベイディオロは、黒板に図を描きながら説明を進める。
「そもそも魔王様は、魔界に満ちていたダークマナを全てご自身に取り込み、今の魔界を制しておられる。ワシらが魔法を使うことが出来るのは、魔王様のお陰でもあるのだ。魔王様がワシらにお力を分け与えてくださっているということだからな。……ところが、魔王様に怒りや不安の気持ちが募ると、ご自身に取り込んだダークマナが減少してしまう。逆に喜びや楽しい気持ちが高まると、ダークマナが増える。これまでは魔王様の感情の均衡が上手くとれていたのだが、近頃は減少方向に傾き過ぎている。どれも最近の研究で分かったことだ」
リザミィは感心する。凄い研究員がいるものだ。ぜひともその魔王研究に携わってみたい。
「ちなみに、魔王様はこのことをご存じない。知ってしまえば、心身に影響が起こる可能性が高いからな。魔界の寿命を縮めることにもなりかねん」
「素敵ね……」
リザミィからうっとりと漏れ出た言葉に、ライジャーとボンボが目を合わせた。
リザミィの中で膨れ上がってしまった気持ちが溢れ出す。
「なんて、なんて素敵な魔王様っ! ご自分のダークマナを私たちに分けてくださっていたなんて! ああ……やっぱり最高のお方! 一生愛します!」
「なぁコイツ頭イカれてんのか?」
「覚えておけ、これがリザミィだ」
ライジャーとベイディオロが何か言っているが、そんなのリザミィには関係ない。
「ああ、でも、魔王様のご機嫌が良くないなんてそれこそ一大事だわ! 魔王様にはいつも幸せハッピーでいて欲しいもの。すぐにご機嫌になってもらわないと!」
ベイディオロは小さく頷いた後、三人を見渡した。
「その通りだ。まさにそれこそが、お前たちに課せられた仕事だ」
リザミィはベイディオロに言われた組織の名前を思い出す。
魔王感情管理組織。
ライジャーが慌てた様子で身を乗り出した。
「ま、まさかとは思うが、オレらに魔王のご機嫌取りをさせるってわけじゃねーだろうな」
「理解が早くて助かるぞ」
「──ふざけるなッ! そもそもオレは戦って金を得るために軍に入ったんだぞ!? 誰が好き好んで魔王を楽しませるためだけに働くかよ。しかも給料は歩合制になるんだろ!? 仕事の出来なんてどうやって判断するんだよ」
「魔界終末時計の針が巻き戻ったら、魔王様のご機嫌が良くなったと判断する。仕事の出来の判断材料になるだろう」
ベイディオロはライジャーを睨んだ。
「……だがな、勘違いしてもらっちゃ困る。お前たちの仕事は、ただの魔王様のご機嫌取りじゃない。仕事の出来が悪ければ、給料どころの話じゃなくなる可能性だってあるんだからな」
「魔王様を怒らせたら、その瞬間、魔界が終わる……」
しばらく口を閉ざしていたボンボが、ぶるぶると震えながら呟いた。
「ああそうだ。お前たち三人に、魔界の命運がかかっていることを忘れるな。そしてお前たちがやらなければ、他にこの仕事をやる者はいない。つまり60日後に魔界が消滅するということも覚えておけ」
「クソ、ほとんど脅しじゃねーか」
ベイディオロの話を聞きながら、リザミィはずっとあることが気になって気になって仕方がなかった。
正直、リザミィにとっては魔界の消滅危機よりも大事なことだ。
魔王のご機嫌を取る。
それってつまり。つまり──アレなのではないか。
ボンボみたいに、リザミィの体もぶるぶる震え始める。
「ね、ねえ。もしかして、私……魔王様にお会い出来たりしちゃうのかしら」
「当り前だ。KEMOに配属となったお前たちには、毎日魔王様のことを考えてもらう。魔王様を喜ばせるのが仕事だからな。直接会うこともあるだろう」
「うひぁああああぁぁぁーーー!」
「うるせーなッ!? いきなり叫ぶなクソ女!」
叫ばない方がおかしいだろう。こんなの平常心なんかじゃいられない。
だって、あの憧れの、愛しの魔王様に! ついに直接お会い出来てしまうのだからッ!
「説明が長くなったが、これから魔王様へ挨拶に行ってもらう。お前たちがKEMOに配属となったことは、他の者にはもちろん、魔王様にも伝えていない。今のところ知っているのは上級大将たちだけだ。絶対に口外はするな。言えば即刻死刑だからな。お前たちは、表向きは魔王様の世話係として働いてもらう」
──え、これからって、これから? 今すぐってこと?
リザミィは慌てて両手でバツを作った。
「ま、まま、ままま、待って待って待って! わ、わわわ、私、準備が! ふ、服だって、ちゃんとしたのじゃないし」
リザミィの顔が青ざめる。必死に懇願するが、ベイディオロはリザミィの願いをすっぱり切り捨てた。
「ダメだ。ここから引きずってでも連れて行く。もうお前に待たされるのはこりごりだからな」
逃げようとするリザミィの服を、ベイディオロがクチバシで挟んだ。そのままリザミィはミーティングルームの外へ連れて行かれてしまう。
異動を通達され落ち込んだ上、魔王の命の危機を知って絶望していたところに、なにこの突然の急展開。
この時をずっと待ち望んでいたはずなのに、どうしてこんなタイミングなの!
「だめだめだめだめ! だって! こ、心の準備がまだぁっ! 魔王様にお会いするなら、ボーナスで買った勝負服じゃないと! メイクだって、ガチのやつじゃなきゃ! いやっ! こんなの! いやよおおおおぉぉぉーーーっ!」
リザミィの悲痛な叫びが、魔王城の廊下に響き渡った。