1-2 KEMO
「──おっっっそいッ! 一体何を考えているんだお前はッ!? いつもいつもいつも! これだから遅刻魔はッ!」
リザミィがミーティングルームの前に着くと、扉の前でベイディオロが超ご立腹だった。
唾を飛ばしながら激昂している。あーあーそんなに怒ったら頭の羽が抜けちゃう。
「だから、準備してたんだってば」
「なんの準備がいるんだッ!? ロッカールームからミーティングルームに移動するだけだぞ!? 一階から二階に行くだけだろう!?」
距離としては確かにそうだ。移動には三分もかからないだろう。
けれど、リザミィには血糊を拭ったり、化粧直しをしたり髪の毛を整えたりと、ミーティングルームに向かう準備が必要だったのだ。
だってここは魔王城なのだから。廊下でばったり魔王に会っても恥ずかしくないように、身だしなみに気をつけるのは当然のことではないか。愛するお方のことを意識しているだけなのに、遅刻魔と呼ばれてしまうのはリザミィは心外だった。
「戦い終わりだったんだから、色々あるでしょ。いちいち聞くなんてレディに失礼ね」
「失礼もクソもあるかッ! 呼び出してからどれだけ経ってるかわかってるのか!? 一時間! 一時間だぞッ!? 探しても見つからないし! あれほど早く来いと言ったのに、一時間も待たせるとはどういう神経だッ!」
ベイディオロが叫ぶと、彼の怒りが大地にまで届いてしまったのか、ぐらっと地面が横に揺れた。
軽い地震だ。揺れはすぐに治まった。
大きなため息をついたベイディオロは、顎でリザミィを指示した。
「……まあいい。早く入れ。やつらも待ちくたびれている」
やつら?
疑問を浮かべながらも、リザミィはミーティングルームの扉を開けた。
こぢんまりとしたミーティングルームの中には、二名の先客がいた。二人ともパイプ椅子に座っている。
一人はリザミィの顔を見るや否や、不機嫌そうに大きな舌打ちをした。なにコイツ。鱗だらけの脚を組み、椅子にふんぞり返っている。態度がデカいリザードマンの男だ。
もう一人はひたすらもぐもぐと口を動かしている。両手にはソーセージの食べかけのようなものが握り締められていた。それにしても太い。ぽっちゃりどころではない、かなりふとましい。まぁ、ハッキリ言ってしまえば、超デブなオークの男だった。
「早く座れ」
ベイディオロに促されて、リザミィは空いている椅子に座った。リザードマンの向かい側、デブオークの隣の席だ。にしてもこのオーク、椅子からはみ出すぎ。ちょっと狭い。
スペースを得ようと椅子をガタガタ動かしていると「なぁ」と、低い声がした。
「オマエ、遅れてきやがったのに謝りもなしかよ。オレらがどんだけ待たされたと思ってんだ」
唐突にリザードマンがリザミィへ不満をぶつけて来た。彼は正面からこちらを睨んでくる。
初対面にも関わらずかなり口が悪い男だ。
リザミィは自分の指爪を眺めながら、動じることなく答える。
「別に。準備があったから遅れただけだし」
「はぁ? 準備だと? オマエ、ふざけてんのか?」
リザードマンの言い方に、リザミィはピクッと眉を動かした。
常に良い女を意識しているリザミィは、普段こんなことで怒ったりしないが、相手の態度がいちいち癇に障る。
「ふざけてないわ。私にとっては当たり前で重要なことなの」
リザードマンを睨み返してやると、彼は思い切り顔をしかめた。
「なんだこいつ、生意気でクソ失礼な女だな」
「そのセリフ、そっくりそのまま返すわ。生意気クソトカゲ」
リザードマンはガンッ、と拳で机を叩いて身を乗り出した。今にもこっちに噛み付いてきそうな勢いだ。
「──なんだと、この」
「やめないか」
ベイディオロがぞっとするほど冷たい口調で言った。ミーティングルームが一瞬にして静寂に包まれる。
リザードマンは舌打ちをして口を閉ざした。リザミィの隣に座っていたオークは、きゅううっと身を縮めていた。おかげでリザミィはスペースの確保に無事成功した。
「……さて、今日集まってもらったのは他でもない」
黒板の前に立ったベイディオロは、リザミィ、リザードマン、オークに視線を送った。
「魔王軍前衛第四部隊、リザミィ。前衛第三部隊、ライジャー・タム。前衛第一部隊、ボンボ=ガルダ。お前たち三人に──今日付けで異動を命じる」
「ぃ、えっ」
リザミィは間抜けな声を漏らしてしまった。
異動って、どういうこと。いきなりすぎて意味がわからない。
リザミィは確かに遅刻が多かったが、ちゃんと人間共は倒していた。自慢じゃないけれど、戦闘員としてそれなりの成果は上げていたはずだ。
「いくらなんでも急すぎんだろ!? 前衛から中衛に異動とかか?」
「いいや、違う」
ライジャーと呼ばれたリザードマンの質問を、ベイディオロはばっさり否定した。
「お前たちは今後、戦闘部隊からは外れることとなる」
「はっ、はあぁーー!? わけわかんねぇーし!?」
「ねぇ、ベイディオロ、何かの間違いじゃ」
リザミィは苦笑しながら尋ねる。しかしベイディオロは真面目な表情を浮かべるだけだった。
あ、これは……マジのやつだ。リザミィは下唇を噛んだ。
リザミィが魔王軍に入隊して前衛部隊に配属されてから、これまで一度も異動なんてしたことはない。
あまりにも突然すぎる。魔王軍で戦闘部隊から外されるということは、ほぼ確実に降格を意味する。
このまま降格し続けて魔王軍から追い出されでもしたら、リザミィが魔王に会うチャンスはなくなってしまう。
それはつまり──結婚の夢が絶たれるということだ。
リザミィが肩を落として呆然としていると、ライジャーが椅子から立ち上がった。
「オレは絶対に嫌だからなッ! わけわかんねぇ異動なんて認めねぇぞ!? 誰が勝手に決めやがったんだ!」
「ワシを含む、上級大将たちだ。七名で決めた」
予想外の大物が出てきたからか、ライジャーの勢いがみるみる消失してゆく。
魔王軍の上級大将は、魔王に近い戦力を持つ実力者揃いだ。そんな者たちに決められた異動であれば、覆すことなど不可能だ。
沈黙するリザミィとライジャーの代わりに、オークのボンボが小さく手を上げた。
「あ、あの、それで……ボクたちは、どこに……異動になるんですか」
体系に似合わない弱々しい声だった。
ボンボの問いにベイディオロは答える。
「魔王感情管理組織。King's Emotion Management Organization。通称、KEMOだ」
は、なにそれ。略称が絶妙にダサい。
初めて聞く名前にリザミィは眉を寄せた。
ベイディオロは疑問を投げかける隙も与えてくれず、そのまま説明を始めてしまった。
「KEMOとは、今回魔王軍に新しく設立された組織だ。メンバーはワシと、お前たち三人。主に動いてもらうのはお前たちだ。ワシは組織のリーダーを務める」
新組織ということは、リザミィはまだ降格と決まったわけじゃなさそうだ。ちょっとだけ希望が持てる。
「給料はどうなるんだよ。今より減給だったら、オレは軍を辞めるぜ」
「それはお前らの仕事の出来によって変わる。働き方によっては今よりも高くもなるだろうし、低くもなるだろうな」
「歩合制ってことか」
ライジャーは考え込むように顎に手を当てた。
ベイディオロの説明に口を挟んだライジャーは、仕事内容よりも金銭面が気になるらしい。
いやいやそんなことよりも。
リザミィにとって大事なのは、金よりもどんな仕事をするかだ。もっと言えば、魔王とお近づきになれるのかどうか。組織名に「魔王」とついているからには、魔王に関係することだと推測出来るが。
「で、私たちは何をすればいいのよ。魔王様のお力にはなれるんでしょうね」
リザミィの質問に、ベイディオロが少しだけ表情を緩めたような気がした。
「なれる。お力になりまくりだ。……だが、仕事内容を詳しく説明する前に、先にお前たちに言っておかなければならないことがある」
するとベイディオロは、ぱちん、と指を鳴らした。鋭いかぎ爪があるのに器用だ。そんなことを考えていると、リザミィたちの前に紫色の煙が現れた。ベイディオロはその中に手を突っ込む。
ベイディオロが煙の中から取り出したのは、時計だった。紫色の煙は静かに消えてゆく。
文字盤にはⅠからⅫの数字が描かれており、短い針と長い針がある。大きさは会議室の壁掛け時計くらいで、卓上に置くには若干大きめだが、それ以外は一般的な時計だ。
時刻は11時45分を指していた。
おかしい。今は夕刻のはずだ。遅れすぎじゃないか。もしくは進みすぎだ。
ベイディオロはリザミィたちの前に時計を置いた。
「今から言うことは、絶対に外部に漏らすな。魔王軍……いや、魔界全体の最重要機密事項だ。もし外部に漏らせば、即刻死刑確定となるので覚えておくように」
この老グリフォン、真顔でさらっととんでもないことを言う。ボンボが小さく息を呑んだ。
そしてベイディオロは、深刻な表情でリザミィたちに告げた。
「これは、魔界終末時計だ」
「どぅーむずでい、くろっく?」
聞き慣れない言葉にリザミィは首をひねる。
ベイディオロは、指先で魔界終末時計に触れた。
「この時計が12時を指した時、魔界は──消滅する」
「しょっ」
「は」
「えっ」
リザミィとライジャー、ボンボはほぼ同時に短い声を上げた。
わけがわからない。
魔界が消えてなくなる? それって、みんな死ぬってこと?
リザミィの両手が震える。
そんなことあり得るはずがない。というか、絶対にあってはならない。
だってそれってつまり、魔王様も死ぬってことじゃないの。