2-7 シェフボンボ
夕方になり、リザミィたちはケットリーアへ向かった。
店前に着くと扉にはクローズの看板が掛けてあった。昨日いた受付のケット・シーたちはいない。リザミィは無視して扉を開ける。
「待ってたよ」
入口近くの椅子に座っていたアリマは、にっこりと笑って出迎えてくれた。
そのままリザミィたちは店の奥の厨房に案内された。
魔王城の共有キッチンとは格段に違う。横長の調理台が並んでおり、広くて使いやすそうだった。リザミィが使ったこともない道具も並んでいた。
店は休みのはずだが、コック帽を被ったケット・シーが数名うろうろしていた。料理の仕込みをしているのかもしれない。
「それじゃあさっそく、自慢の料理の腕を見せてもらうとしよう」
「ええ」
リザミィが頷くと、恐縮した様子のボンボがで一歩前に出た。
「よ、よろしくお願いします」
前置きもなく現れたボンボにアリマは目を丸くしている。
「おや? リザミィ嬢ちゃんが作るんじゃないのかい?」
「諸事情があってね。今回は彼にお願いすることにしたわ」
料理下手なことは是が非でも隠しておきたい。
アリマは魔王の料理番をしていた。ということは、もしかしたら今後も魔王と直接関わることがあるかもしれない。ひょんなことからリザミィは料理が下手だということがポロッと魔王にバレる危険性がある。絶対に隠しておかないと。
ボンボは深々とお辞儀をした。
「ボ、ボンボ=ガルダです。アリマさんの御本はいつも料理の参考にしています」
「まぁ嬉しいね。……じゃあ早速お手並み拝見といこうか、ボンボ坊や」
ボンボはレストランに入ってからずっとおどおどしていたが、エプロンをつけた途端顔つきが変わった。周囲にぴりっとした空気が流れる。
アリマもボンボの変貌に驚いたようだった。
ボンボは迷いなく包丁を動かしている。その上鍋を沸かしたり、魚の下処理をしたりと色んな作業を同時に行っている。目にも止まらぬ速さだ。リザミィにはとても真似出来ない。もしかしてリミッターのようなものを外したんじゃないだろうか。
そして完成したのは、味噌汁と卵焼き、サワラの塩焼きというシンプルなメニューだった。シンプルではあるが、ものすごく美味しそうだ。リザミィは思わず唾を飲んだ。
「どうぞ……」
「へぇ……。なるほどねぇ」
アリマの目の前に美味しそうな料理が並ぶ。彼女は顎を手で触りながら、感心したような声を上げた。
ケットリーアは洋食を出すレストランだ。てっきりボンボはオムライスのような洋食メニューで勝負をするのかと思っていたが、違ったようだ。
「ボンボ坊やは、どうしてこのメニューを選んだんだい?」
箸を取る前にアリマはボンボに尋ねた。ボンボは大きな指をもじもじさせている。
「あ……えっと、アリマさんは、普段から洋食を多く食べていらっしゃるかなと思いまして、せっかくなら和食を楽しんでいただきたいと思って今回のメニューにしました。あと、昔雑誌でお魚が好きだと読んだことがあったので、今が旬のサワラを焼きました。お口に合うかわかりませんが……」
ボンボは自分の腕を見せつけることよりも、アリマに喜んでもらえることを第一に考えて料理を作ったようだ。ボンボらしい。
「なるほど。いただきます」
アリマはボンボの料理を食べ始めた。
リザミィは祈るように両手を組んだ。ライジャーもアリマの動きをじっとうかがっている。
ボンボはアリマのすぐ隣で体を縮めていた。
ボンボの料理なら大丈夫。リザミィは確信があったが、アリマが料理を口に運んでいるのを見ていると緊張が走る。
全ての料理を食べ終わるまで、アリマは一言も発しなかった。
「……ごちそうさま」
箸を置いたアリマは呟いた。表情からは、彼女が何を考えているのか読み取れない。
「あ、あの。いかが、でしたか……」
ボンボは弱々しい声でアリマに尋ねる。
しばらく沈黙が続く。もったいぶらずに早く何か言って欲しい。ライジャーも苛立っている様子だった。
そしてアリマは、ボンボに向かってにっこり微笑んだ。
「文句なしで、美味しかった」
「やったぁ!」
リザミィは誰よりも先に喜び、ガッツポーズを作った。
ボンボは長い長い息を吐いた。力が抜けて今にもその場に倒れてしまいそうだ。
「正直なところを言うと、腕はプロとまではいかない。だけどアタシの好みを考えてくれたことが何よりも高評価だった。料理人はいつでも、食べてくれる相手のことを考えて料理を作るべきだ。アタシが一番大事にしていることだよ」
アリマはリザミィを見て目を細めた。
「アンタたちなら、魔王様へ愛のこもった料理を作ってくれそうだね」
「当然でしょ!」
「なんでオマエが胸張ってんだよ、作ったのはボンボだろ!」
アリマは苦笑しながら、二枚の紙を取り出した。リザミィは机の上に広げられたそれらを眺める。紙には絵と文字が書かれていた。
アリマがその内の一枚を指さした。
「これは、魔王様が好きなメニューのレシピだ」
「……このメニューって」
リザミィは目を見張る。リザミィの反応に、アリマは口元を緩めた。
レシピの紙には、誰もがよく知る料理の絵が描かれていた。
「そう、魔王様はカレーライスがお好きでね」
「案外庶民的な好みしてんだな」
魔王様を庶民呼ばわり!? リザミィはライジャーをつねりたくなったがぐっと堪えた。
ライジャーの言葉にアリマは小さく笑った。
「魔王様にとって、大切な思い出の料理なのかもしれないね。カレーライスを夕食に出した日はおかわりもしていたよ」
想像したらきゅんとしてしまった。カレーライスをおかわりする魔王様。かわいすぎる。
そしてアリマはもう一枚の紙を指した。
「カレーライスのレシピは持って行ってくれて構わない。だが、こっちの一枚は渡すことは出来ない。企業秘密ってやつさ。とある週のメニュー表だ。ここで参考程度に見ていってくれ」
「凄い……。魔王様の情報が丸裸だわ……」
リザミィはメニュー表をうっとりと見た。
朝はヨーグルトとサンドイッチ。昼はシーザーサラダ。とってもヘルシーだ。朝と昼は毎日固定のようだ。
夕食は毎日違っている。週の初めから順に、ローストビーフとマッシュポテト、玉ねぎのソテー、ステーキとオニオンスープ、牛丼、とんかつとポテトサラダ、ジャーマンポテトとコンソメスープ、生姜焼き。馴染みのあるメニューが目立つ。
聞いたこともないようなお洒落な料理ばかりかと思っていたのに。
「そうそう、魔王様の料理で気を付けて欲しいのは……」
アリマが言いかけたところで、ぐらりと店が大きく揺れた。リザミィは机を持って体を支えた。奥で食器が割れる音がした。
地震が治まるとアリマはため息をついた。店員がアリマを呼ぶ声が聞こえる。
「全く、休みなのに全然休ませてくれないねぇ。最近地震ばっかりで嫌になっちまうよ。すまないがアタシは行かなきゃならない。このレシピの通りに作ればなんの問題もないよ。……ボンボ坊や、今夜はありがとう」
アリマは最後に満面の笑みをリザミィたちに向けてくれた。
「魔王様、喜んでくれるといいね」
そしてアリマは小走りで厨房の奥へと入って行った。
彼女の気配がなくなると、ボンボが安心しきったように大きな息を吐き出した。
「……よかったぁ」
「やったなぁボンボ! お手柄だぜ!」
ライジャーはカレーライスのレシピを手に持ち、上に掲げながら高らかに笑った。
「ちょっとちょっと、丁寧に扱ってよね! 大事なレシピなんだから!」
破れたりしたら大変だ。
リザミィはライジャーからレシピを奪い取ると、すぐにサイドパックに仕舞った。
ライジャーは面白くなさそうに顔をしかめた。めんどくさいので無視する。
「これで魔王様に手料理を振舞うことが出来るわね」
「オマエじゃなく、ボンボの手料理だけどな」
「いいのよ! 私の本領発揮は結婚してからだから!」
「はいはい」
ライジャーは呆れたように肩を竦めた。
店の外に出ると外はすっかり暗くなっていた。リザミィはライジャーとボンボを振り返った。
「今日はここで解散でいいかしら」
ボンボはさっきから上の空だ。そんな彼を見てリザミィは微笑んだ。
「アリマさんに褒められたのがよっぽど嬉しかったのね」
「……あ、ご、ごめん。ボク、未だに信じられなくて」
「プロが認めたんだぞ? もっと胸張っていけよ。明日の料理もオマエが作れば完璧だ。余裕で魔界の危機を回避出来るな」
ボンボは真面目な顔で頷いた。
「う、うん。ボク、頑張るよ。ライジャーくんとリザミィさんのためにも」
「そこは魔王様のため、でしょ」
間違えてはいけない。リザミィたちは魔王のために働いているのだから。
リザミィの言葉に、ボンボはそうだね、と目尻を下げた。
「ボクはアイス食べて帰るよ。冷たいもので頭をシャキッとさせないと」
「んじゃあ、オレはちょっくら東側に寄って帰るかな」
ライジャーはすれ違いざまに、リザミィのサイドパックを軽く叩いた。
「レシピ忘れてくるんじゃねーぞ。あと遅刻も禁止な」
「それはこっちのセリフ。あんたも明日はちゃんと朝から来るのよ」
「わかってるっつーの」
ボンボとライジャーはリザミィから離れてゆく。
明日のために今日は早く寝ないと。魔王様に会うんだし、泥パックで肌も整えとかないといけない。そうだネイルも塗り直したいかも。
リザミィが家に帰ろうと歩き出したところで、ふと、視線のようなものを感じた。リザミィはケットリーアの横にある路地裏を見た。
暗くて見にくいが特に変わった様子はない。だけど今、誰かに見られていたような。
違和感は残っていたが、リザミィはそのまま歩き始めた。
春の夜独特の涼しい風を感じる。今夜は少しだけ肌寒い。
リザミィは今回の仕事も上手くいきそうでホッとしていた。
魔王に自分の手料理を食べてもらえないのは非常に残念ではある。
けれど、ボンボの料理を食べて喜ぶ魔王を早く見てみたい。アリマが言っていたように、美味しさのあまりおかわりまでしてしまうかも。
リザミィの頬が勝手に緩む。明日が楽しみだ。
他人が美味しいと思ってくれる料理を作るということは、簡単ではないのだなと今回のことで勉強になった。
今度ボンボに料理を教えてもらおう。まずはボンボとライジャーが美味しいと言ってくれるような料理を作れるようになりたい。
何事も焦らず一歩ずつ。愛は一日にしてならず。
暗がりに差し掛かったところで、リザミィはぴたっと立ち止まった。
「……で、さっきから私の後をつけてるのは誰なのかしら」
リザミィは太もものダガーの鞘に手を掛けた。
後ろを振り向くと、背後にあった木箱の影から耳の先がはみ出していた。
あれはケット・シーだ。店を出てからずっとリザミィを尾行していたらしい。
なあんだ。警戒して損した。リザミィは鞘から手を外した。
「野蛮なことはしないから、顔を見せてもらえないかしら」
リザミィは木箱に近付いた。木箱から見える耳がちょこちょこ動いていて、めちゃくちゃかわいい。
リザミィが木箱の裏を覗こうとした時、にゃあっ! という鳴き声と共に、ケット・シーが一体飛び出してきた。リザミィはそのまま押し倒される。尻餅をついた拍子に咄嗟に目を閉じてしまった。
相手がケット・シーということで完全に油断しきっていた。
「いったぁ……」
瞼を開けると、特徴的なかぎ尻尾が闇夜に消えてゆくところだった。
「なんだったの、あいつ」
埃を払いながら立ち上がったリザミィはすぐ違和感に気が付いた。腰に手を当てる。
ない。
──サイドパックが、ない。
リザミィの血の気がサァっと引いていく。
あの中にはついさっきアリマから貰ったレシピが入っている。
レシピがないと魔王が好きな料理を作れない。ここまで来たのに作戦が失敗に終わってしまう。
ケットリーアに戻ってもう一度アリマにレシピを貰うことも頭によぎったが、サイドパックにはレシピ以外にも魔王ブロマイドが入っている。手に入れるのに苦労した宝物の一枚だ。
なんとしてでも捕まえなくては。
「あんの、泥棒猫ぉーーーッ!」
リザミィはケット・シーを追いかけて、夜のアボロスを駆けた。