2-2 炯眼の青龍
魔王城を出たボンボは、昼食を食べるため城下町アボロスへやって来た。
春期も三分の一が過ぎようとしている。朝晩はまだ肌寒さが残るが、昼間はぽかぽかと気持ちのいい暖かさだった。
ボンボは街の中心部にある、巨大な魔王像が建つ噴水の前で考え込んでいた。
今日の昼食は何にしよう。
アボロスの北側エリアには屋台や飲食店が沢山立ち並んでいる。いきつけの和食屋がいいかな。けれどこの間見つけた西側にある喫茶店も捨てがたい。
ううむ、と顎に手を当てて悩んでいると、東側のアーケードの向こうからいい匂いが漂ってきた。ボンボの食欲が刺激される。
ボンボはアボロスに住みながらも、これまで東側には一度も行ったことがなかった。
両親から「あそこは物騒で野蛮だ。盗人に金も服もひったくられるぞ」とこっぴどく聞かされていたので、なるべく近付かないようにしていた。
けれど東側常連であるライジャーの話を聞くところによると、あそこには夜の街が広がっているらしい。今は昼だし、明るいうちなら行ってみても大丈夫なのではないか。
警戒心よりも食欲の方が上回った。
ボンボはかぐわしい食べ物の香りに誘われて、東側に足を踏み入れた。
アーケードをくぐった先は静けさに包まれていた。歩いている魔物は少ない。
人口密度は北側の方が明らかに多い。夜になるともっと増えるのだろうか。所々にゴミが散乱していたりするが、両親に聞いていたような危険な気配は今のところない。
匂いの出所は、路地の角っこにある小さな中華料理屋だった。窓から店内を覗くと布で窓掛けがされていた。中は見えない。もしかしたらまだ準備中なのかも。
ボンボが店の前で躊躇していると、男のキョンシーが店の扉の隙間からほんの少しだけ顔を出した。そしてキョンシーはちょいちょい、とボンボを手招きする。
キョンシーという種族は確か日光が苦手だったような。だからわざと窓掛けをしていたのだ。
店はちゃんと開店していた。もっとわかりやすくした方が客も立ち入りやすくなるのではないかと思ったが、初めて来た客があれこれ言うものではない。
キョンシーの話を聞けば、どうやらテイクアウトもしているらしい。店内で食べるものアリだったが、せっかく外に出たんだし暗い店内で食べるのはもったいない気がした。
食べ歩きをしながら東側を見て回ることに決め、ボンボは肉まんを六個買った。
東側の大通りにはやけに派手な装飾がされた看板のお店が沢山あった。残念ながらどこも今は営業していない様子だった。
スナックバビロンという店の前を通り過ぎようとした時、入口の隣にあった階段の方から食欲をくすぐる匂いがしてきた。階段は店の地下に続いているようだ。
匂いと共に、魔物が騒ぐ声も聞こえてくる。歓声のようにも聞こえた。もしかしたらここに凄く美味しいものがあるのかも。ボンボの期待が膨らむ。
階段を下りた先の扉が運よく僅かに開いていた。匂いと声の元はここだ。
ボンボは階段を下り、扉の隙間から中を覗いてみた。
スナックバビロンの地下は想像していたよりも広かった。15坪くらいの大きさだ。奥には紫色に淡く光るバーカウンターがある。煙草の煙のような白いもやもやが薄暗い室内に漂っていた。
室内には十数名の魔物がいた。彼らは二名から四名のグループで四角い机を囲んでいる。机の上にカードやコインが置いてあるのが見えたので、きっと彼らはゲームをして遊んでいるのだろう。
手前にあった一席に観客が集まっていた。ガヤガヤとした声の中から、一際目立った大声が飛び出してきた。
「──ぁああっ! クッソォー!」
「ハハァッ! またオレの勝ちだぜ! いい加減諦めなぁッ!」
あれ、この声。
後者のいばったような男の声は、聞き馴染みがある。
ボンボはそっと扉を開けて室内に入った。観客が囲んでいる机を隙間から覗き込む。
若い男のリザードマンが、唇の端を上げながら椅子にふんぞり返っていた。柄の悪い男だ。
見間違えるわけがない。どこからどう見ても、ボンボの同僚であるライジャーだった。
ライジャーの向かい側の席には、頭を抱え込んでいるケット・シーの男が座っていた。
ケット・シーは頭の毛を掻きむしると、背中の毛を逆立て、顔を歪めてライジャーに向かって叫んだ。特徴的な彼のかぎ尻尾が、ぼわっと膨らんでいる。まるで威嚇する猫だ。
「もう一回だ! 負けたままで帰れるかっ!」
「おいおい、もうやめときなって」
ガーゴイルの男がケット・シーの肩に手を置いた。ガーゴイルは苦笑いを浮かべている。
「悪いことは言わねぇ。今日は運が悪い。なんせ、「炯眼の青龍」が相手じゃなぁ」
「けいがんのせいりゅう?」
ボンボは思わず小声で口に出してしまった。それを耳にしたらしい隣にいたトロルが、同じく小声でボンボに解説してくれた。親切なトロルだ。
「この店じゃ有名なんだよ。今ケット・シーの向かいに座ってるのが「炯眼の青龍」だ。若いリザードマンの男なんだが、運も頭も良すぎるのなんのって。勝負に全部勝ちやがる。おれはよくここに通ってるが、あいつが負けたところは見たことないね。あのケット・シーみたいな新参者は、よくああやってあいつにボロボロにやられてるのさ」
「へぇ」
ボンボは感嘆のため息を漏らした。
そんなかっこいい二つ名があるなんて、ライジャーくんは凄い。頭脳明晰な才能をこうしてゲームにも発揮させていたとは。
ライジャーは得意げな顔をしてケット・シーを見下ろしている。
ボンボがライジャーの姿を呆然と眺めていると、ぴた、と彼と目が合ってしまった。
そこにいるのがボンボだとわかったらしいライジャーは、大きく目を見開いた。
あ、どうしよう。挨拶をしておくべきだろうか。けれど、もしスルーされたらちょっと悲しい。
ボンボが迷っている間に、ライジャーは低い声を上げた。
「……悪いが今日はここまでだ。また今度相手してやる」
ケット・シーは絶望的な表情を浮かべた。
「ま、待てよ! 俺はまだやれるぞ!」
ケット・シーの言葉を無視してライジャーは席を立ち上がる。彼は机の上に置いてあった沢山のお金を革袋に入れると、早足でボンボの元へやってきた。あのお金、どうしたんだろう。
ライジャーはボンボの横を通り過ぎようとする。無視されるのかと思いきや、ライジャーはすれ違い様にボソッと呟いた。
「出るぞ」
「あっ、う、うん」
ボンボはライジャーの後ろをついて歩き、スナックバビロンの地下を出た。
外の明るさに目を細める。
ライジャーは無言のままスナックバビロンから離れた路地裏まで歩くと、勢いよくボンボを振り返った。
「──なんでオマエがこんなとこにいるんだよッ!?」
「いい匂いがしたから……」
「確かにあそこのケバブはなかなか美味い。ってそうじゃなくてッ! ここはアボロスの東側だぞ!? オマエ来たことないって言ってただろ!?」
「うん。でもライジャーくんこの間、ここは夜の街って言ってたから、昼間なら行っても大丈夫かなって」
「……そういうことじゃねーんだが」
頭を掻いたライジャーは辺りをきょろきょろ見回した。そして小声でボンボに尋ねる。
「ババアも来てんのか」
ババアとはリザミィのことだ。ライジャーがリザミィをババア呼びして彼女を激怒させたのは、つい昨日のことだ。
その呼び方はやめといた方がいいのに。だが、忠告してもライジャーは耳に入れないだろう。ボンボはあえて何も言わず肉まんを齧った。
「来てないよ。でもリザミィさん、本部に来ないライジャーくんのこと怒ってたよ」
ライジャーはあからさまに顔をしかめる。
「ババアにオレを呼んで来いって頼まれたのか?」
「ううん。ボクがここに来たのは本当にたまたま。お昼ご飯を食べようと思って」
「んで、それが昼飯か?」
ライジャーは顎でボンボの手元の肉まんを指した。六個あったはずの肉まんは、あっという間に一個になっていた。
「これはおやつだよ」
「はあ」
ライジャーは気のない返事をした。
ボンボの胃袋はまだ三分の一も満たされていない。肉まんはおやつ感覚だ。
ボンボが最後の肉まんを齧っていると、ライジャーは大袈裟に肩を竦めた。
「わざわざこんなところ来なくても、北側に行きゃあもっといい店があるだろ」
「美味しそうな匂いを辿ったんだ。そしたらライジャーくんがいてびっくりだよ」
ライジャーはため息をついた。
「ま、オレも昼飯はまだだしな。どっか行くか」
ライジャーの思わぬ提案にボンボは嬉しくなった。
友達と一緒にご飯を食べに行くなんて、恥ずかしながら今まで経験したことがない。これもKEMOに配属になったお陰だ。リザミィが言っていたように、新たな一歩を踏み出せている気がする。
ボンボは軽い足取りでライジャーの後をついて行った。