1-16 諦め
大の字で気絶しているボンボの隣で、ゴブリンが目を回していた。
ボンボは息をしているようだったので放っておく。問題はブラッディローズだ。
リザミィは今のうちにブラッディローズを奪ってしまおうと、ゴブリンを見下ろした。
ところが、濃紅色の花はどこにも見当たらない。おかしい。ゴブリンが抱えていたはずなのに。
「ちょっと待って、ブラッディローズはどこ?」
辺りを見回すが落ちてもいない。
まさか……。嫌な予感がよぎる。
リザミィはボンボの体を転がそうと押してみた。重くて全然動かない。もー、どんだけ太ってるのよ!
見かねたライジャーが仕方ねぇな、と手を貸してくれた。
ごろん、とボンボはうつ伏せになった。リザミィは目の前の光景に絶叫した。
「あああぁぁーーーーーっ!?」
なんてことだ。大量のブラッディローズはボンボの下でぺったんこになっていた。
花の形を維持しているものは見る限り一本もない。こんな状態の花では、到底魔王へプレゼントなど出来ない。
「やっと、手に入ると思ったのに……」
もう駄目だ。リザミィのブラッディローズプレゼント作戦は、目の前の花弁の如く儚く散っていった。
膝をついて肩を落とすリザミィの隣で、ライジャーが呟いた。
「ちょっとやりすぎたか」
ライジャーが珍しく反省しているようだ。案外いいところもあるのかもしれない。
しかし、反省したところでブラッディローズが戻って来るわけではない。
「ううーん」
ボンボが呻き声を上げた。さっきのリザミィの叫び声が発端となったのか、ボンボが目を覚ましたようだ。
むくりと巨体を起き上がらせたボンボは、ゆっくり首を傾げた。
「あれ……? ボク、なんでこんなところに? 確か山の上の方にいたはずだけど……一体何が起きて……?」
ライジャーがボンボの肩にそっと手を置く。
「事故だ、事故。オマエは脚を滑らせて上から落ちたんだ。誰にも止められなかったんだ。すまんな」
「そうなの? んー、でもなんだか、お尻の辺りが特に痛い気がするんだけど……」
「打ちどころが悪かったんじゃないか? いいじゃねぇか、無事だったんだから。体がデカくてよかったな」
「えへへ、ボク、体の頑丈さだけは自慢なんだ」
ボンボが泥だらけの顔を綻ばせた。なんて純粋な子。ちょっとだけ罪悪感。
自分の周りを見たボンボは大きく目を見開いた。
「って、ちょっと待って!? ブラッディローズがぺったんこになってるよ!?」
「それも事故だ。むしろそっちの方が大事故だ」
「そうなの……?」
状況を理解出来ていないだろうボンボは、おっとり顔でまばたきをした。
「残念だけど、もうブラッディローズは手に入らないわ。帰りながら別の案を考えましょう」
こうなってしまっては仕方ない。正直なところ、今すぐスイーツを爆食いして気を紛らわせたいくらいには落ち込んでいたが、リザミィにはそんな暇などなかった。早く魔王様を喜ばせる別の案を考えないと。
リザミィは立ち上がって土埃を払った。気絶したままのゴブリンは……まぁ、一人で来たんだし、一人で帰れるだろう。このまま放っておこう。
ボンボも立ち上がる。
その時、ぽと、と彼の付近で物が落ちる音がした。
「──あぁッ!?」
大声を上げたのはライジャーだった。
ライジャーはボンボの足元から慌てて何かを拾い上げる。ライジャーの手の中で、濃紅の花弁がしっかり花開いていた。
ちゃんと綺麗な形が残っている。完璧だ。
「ブ、ブラッディローズッ! でかしたわ、ライジャー!」
リザミィは両手を上げて大喜びした。
「一本だけ生き残ってたんだな!」
「ボクの服の中に紛れてたのかも! よかったぁ!」
ボンボとライジャーにも笑顔が咲く。
一本しかないのは残念だが、治癒効果を得るには十分だ。リザミィは何度もジャンプして喜びを表現した。
「KEMOの初仕事はこれで完璧ね! 魔王様もお喜びになるわぁ!」
早いとこ帰りましょう、と言いかけたところで、笑顔だったボンボとライジャーの表情が一気に険しくなった。どうしたのだろう。
二人はリザミィを凝視したまま顔を引きつらせている。
いや、リザミィを見ているというよりも、その後ろの方を見ているような……?
「リリリ、リ、リザミィさん後ろぉ!」
「しゃがめぇ! 早くッ!」
大慌てなボンボとライジャーの言葉に、リザミィは何事かと後ろを振り向く。
すると、怪鳥ヂョータのどデカい顔面がリザミィの目の前にあった。その右目には矢が刺さっている。
「いっ!?」
叫ぶ暇もなく、リザミィの体はヂョータの巨大な片足に掴まれた。右肩にヂョータの鋭い爪が食い込む。痛みで目を閉じている間に、リザミィは地上から浮かび上がっていた。
「ギイィィッ! ギャアァァ!」
黒板を引っ搔いたような不快な鳴き声に鼓膜が震える。これはまずい。非常にやばい。
いつの間にかボンボとライジャーの姿が米粒くらい小さくなっている。ヂョータはかなりの速さで上昇していた。
ヂョータに連れ去られたリザミィは、肩の痛みと焦りでダラダラと冷や汗をかいていた。
ヂョータは矢を放ったリザミィのことを覚えていたのだろう。さぞかし恨んでいるに違いない。多分ヂョータはこのままリザミィを巣に連れて帰って、ゆっくり食事にありつこうとしている。
抵抗しようにも肩の出血が酷い。それに逃げようとしたところでここは上空だ。落ちたら確実に死ぬ。
……詰んだわね。これは。
リザミィは流れゆく景色を見ながら、潔く諦めようとしていた。長く生きてきたせいなのか、気持ちの切り替えは結構早い方だと自覚している。悪あがきはみっともない。
ブラッディローズはライジャーが持っていたし、きっとしっかり魔王へ届けてくれるだろう。ライジャーは口は悪いが、仕事はきっちりこなしてくれそうだ。ボンボは……リザミィのことを友達と言ってくれていたし、殉職したリザミィのことを思い出してしばらく泣いてしまうかもしれない。そこはちょっと悪いな、と思ってしまう。
だけど二人が私の代わりに魔王様を喜ばせてくれる。
魔王様。ブラッディローズを渡したらどんな顔をしてくれるのだろう。仮面をしてるから表情はわからないけれど……。一体どんな言葉をくれるのだろう。本当に喜んでくれるのかしら。その場面が見れないのがとても、とても残念だ。
私は、少しでも愛しの魔王様のお力になれただろうか。
リザミィは静かに目を閉じた。