1-15 現実はそう甘くない
足の速いライジャーが駆け下りるリザミィを追い越した。そのまま彼はゴブリンに追い付く。
ライジャーはゴブリンの前に立ちはだかり、通せんぼした。凄い形相でゴブリンを睨みつけている。
「──ヒッ!?」
目の前に突如現れたリザードマンに、ゴブリンはめちゃくちゃ怯えている様子だった。
「てめぇこの野郎ッ! 今すぐその花をこっちに渡せッ! 全部だッ!」
端から見れば、どこからどう見てもライジャーが悪者だ。もはや凶悪な強盗犯にしか見えない。しかしこちらもなりふり構っている場合ではないのだ。
息を切らせたリザミィはライジャーの横に立ち、ゴブリンに向かって手を伸ばした。
「いいから、こっちに渡しなさい! 早くッ!」
「な、なんだよぉいきなり!? これはオラが採った花だぞ!」
わけがわからない、と言った風に動揺を見せるゴブリンは、来た道を引き返そうと思ったのか後ろを向いた。
しかし、遅れて追い付いたボンボが大きな体でその行く手を阻む。
「ご、ごめんね。魔界を救うためなんだ」
「わけわかんないよぉ!? お前たち誰なんだよぉ!?」
ゴブリンが涙目で叫んでいる。
リザミィは自信満々に答えてみせた。
「魔王様の妻になる者よ!」
「意味不明だよぉっ!?」
「おいッ! その言い方だと、オレとボンボもオマエと同類になっちまうだろ!」
「いちいちうるさいわね! 今はそれどころじゃないでしょ!」
たじろぐゴブリンは目を動かして逃げ道を探っている。大人しくこっちに渡してはくれないようだ。
強行手段に出るのもアリだろう。三対一だし、ゴブリン一匹ヤれないことはない。
だがリザミィとしては出来る限り穏便に済ませたい。たとえ魔王様のためとはいえ、その魔王様へ悪評が流れたりすると元も子もない。強行手段はあくまで最後に取っておく。
リザミィはなるべく穏やかな口調でゴブリンに尋ねた。
「ねぇゴブリンさん、そのお花、何に使うの?」
「お、お、お前たちに何の関係があるんだよぉ!? オラが花をどうしようと勝手だろぉ!」
「私たちもそのお花が必要なの。渡してくれないかしら?」
「嫌だっ!」
断固拒否。……これはもうヤるしかない。
リザミィが両太ももに装備していたダガーを鞘から引き抜こうとしたところで、ライジャーが苛立った声を上げた。
「こっちは魔界の運命がかかってんだ! それより重大なことなんかねぇだろ!」
「あるっ!」
ゴブリンはきっぱりと大声で言い放った。ゴブリンの瞳からは強い意志を感じた。
「オラはこれで、リンコちゃんにプロポーズするんだっ!」
リザミィの手がぴたっと止まった。
「プ、プロポーズだと?」
ライジャーが拍子抜けした声で聞き返した。
「そうだ! このたっくさんの花で、もう一回プロポーズをやり直すんだぁ!」
もしかしてこのゴブリン。リザミィには思い当たる節があった。
「ねぇ、町のお花屋さんでブラッディローズを買い占めたゴブリンって、この子なんじゃない?」
リザミィの言葉に、ゴブリンは僅かに肩を揺らした。ビンゴだ。
ライジャーが噴き出した。そのまま腹を抱えてケラケラと笑い始める。
「なんだオマエ! もう一回プロポーズってことは、すでに振られてんじゃねーか!」
「うるさいうるさいうるさぁーい!」
ゴブリンは地団太を踏んだ。
「本数が足りなかっただけなんだぁ! ブラッディローズは444本ないと駄目だってリンコちゃんに言われて、だからオラはここまで採りに来たんだ! ……そんな常識も知らないあなたとはお別れね、とも言われたけど」
ライジャーはゴブリンを指さして大笑いしている。
「ホラ振られてんじゃんッ! だったら何度やっても同じだろ!」
「うるさいトカゲ野郎!」
「なんだとッ!? クソゴブリン、やんのか? あぁ?」
「ライジャー待って」
リザミィは、今にもゴブリンに殴りかからんとしているライジャーを手で制した。
このゴブリンのせいでリザミィたちはここまで来る羽目になってしまった。だが、足りなかった花を自力で採り来たゴブリンの情熱は素直に賞賛すべきだ。地割れだらけな上に怪鳥ヂョータも飛び回っていた中で、ゴブリン一人でここまで来たのは凄い。
リザミィはゴブリンと同じ目の高さになるようにしゃがむ。
「ねぇゴブリンさん。あなた、そのリンコちゃんのことが心から大好きだったのね」
「う、うん……」
リザミィが慈愛を込めた目で見つめると、すん、と鼻を鳴らしたゴブリンが俯いた。
「お、おいおい、オマエ! なにクソゴブリンなんかに同情してんだ! せっかくここまで来たんだぞ!?」
「リ、リザミィさん、ボクたちの魔界が……!」
ライジャーとボンボの声には耳を傾けず、リザミィはゴブリンににっこりと笑いかけた。
健気なゴブリンさんを心から賛美する。小さな体を張ってまで、プロポーズを成功させたかったのだろう。わかるわその気持ち。
──だけど。
リザミィは笑顔のまま、ゴブリンが抱える花束を両手でがっしり掴んだ。ビクッとゴブリンの体が跳ねる。
そしてリザミィは、悪魔のような微笑みでゴブリンに言い放った。
「でもね、現実はそう甘くないのよッ!」
「ヒ」
ゴブリンは短い悲鳴を上げた。
「振られて落ち込むんじゃなくて、ここまでブラッディローズを採りに来た根性は認めてあげるわ。──でも、あなたは花の本数と同じように、彼女に対する愛が足りなかったのよ。一生に一度のプロポーズ。もっと念入りに準備すべきだったわね! いい? あんたは結局、敗者なのよ! あんたと違って、私はッ! 絶対にッ! 勝者になるッ! いいから早くこっちに渡せクソゴブ野郎ッ! 魔王様待たせてんだこっちはあぁぁッ!」
こうなれば強行手段の一歩手前だ。ちんたらしている場合ではない。このゴブリンは話し合っても花を渡してくれないと判断した。
リザミィは鬼の形相でブラッディローズを奪い取ろうとするが、ゴブリンも必死に抵抗する。こいつ、全然手を放してくれない。
「い、いやだああああーーーー! オラは結婚するんだぁぁーーーーー!」
「私が結婚すんのよッ! 渡せえぇぇぇぇーッ!」
「完全に女捨ててるだろ、アレ……。悪魔みてぇだぞ」
「魔王様にお似合いかもね……」
すると、ゴブリンがリザミィの足を踏みつけた。痛みでリザミィの手が緩んだ隙に、ゴブリンはブラッディローズを抱えて全速力で斜面を駆け下りてゆく。
「は、速ッ!? なにあのスピード!? まずいわ! このままだと逃がしちゃう!」
「オレでもアレに追い付くのは無理だぞ……」
「ああ……もう、あんなに小さく……」
小柄なゴブリンは岩を安々と避けて走っている。リザミィが追いかけても絶対間に合わない。
何か、何かいい方法は。諦めるわけにはいかない。リザミィはきょろきょろ周囲を見渡す。
リザミィのすぐ近くで、ボンボが斜面から身を乗り出してゴブリンを見送っていた。
ボンボの隣にいたライジャーは、そんな彼を見ると体の動きを止めた。何か思いついたのだろうか。
ライジャーは無言のまま、リザミィにだけ視線を送った。
とても悪い目つきをしている。
……ははーん。なるほどねぇ。
その視線の意味に、リザミィはピンときてしまった。頭脳明晰なライジャーが考えることは恐ろしい。
あのライジャーと意思疎通出来たのは気持ち悪いけど、今回ばかりは褒めてあげてもいいかもね。
リザミィはライジャーに向かって頷いた。
「よしボンボ! そのままクソゴブリンを見てろ!」
「ボンボそのままよ! そのまま!」
斜面の下を覗き込んだままのボンボが、何事かと慌て始める。
「ん? え、なにが? どうしたの?」
「いいから、動くんじゃねぇぞ! 大丈夫だ心配ない! 下だけ見てろ!」
「え、待ってなに? 大丈夫ってなに? ボク、なにか──」
ボンボがこちらを振り向きかける。
リザミィとライジャーは急いでボンボの背後に回り、
「せーのっ」
彼の尻を同時に蹴った。
「──まっ!? ちょ、え、ええぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇーーーーーー!?」
体勢を崩したボンボはゴロゴロと猛スピードで斜面を転がり落ちる。まるで岩石だ。
ボンボの断末魔にも似た叫びが、どんどん小さくなってゆく。
「どう?」
「角度は完璧だったと思うんだけどな」
手でひさしを作ったリザミィは、ボンボの転がる先を見守った。
すると予想通り、ゴブリンが高速の岩石ボンボに撥ねられた。ゴブリンは倒れたまま動かない。見事作戦に成功した。
「っしゃぁ! ストライクーッ!」
ライジャーがガッツポーズを作っている。
「……ボンボ死んでないわよね?」
「オークは頑丈だから大丈夫だろ、多分」
リザミィとライジャーは、倒れたゴブリンの側でピクリともしていないボンボの元へ急いだ。