1-12 きっかけ
リザミィにとってこの世で一番大切な存在である魔王。
好きな理由を問われると、頭の中には理由がいっぱい溢れて来る。大きな角だったり、ごつごつした腕だったり。見た目はもちろんのこと、中身だって素敵だ。定例会ではいつも、魔王軍の魔物たちを労うメッセージをくれる。本人は不在でベイディオロがメッセージを読み上げるだけだけど。魔王は多忙だから仕方ない。だが忙しくても部下への気遣いは忘れない、とても優しいお方だ。
「魔王様の好きなところは沢山あるけれど……強いて言えば「強さ」かしら」
拍子抜けした様子のライジャーが、ボンボに向かって言った。
「なんか……思ったより、普通だな」
「だね」
わかってない。あんたたちはなんにもわかっていないわねぇ。
「何よ。強さって言葉にしたら簡単だけど、そんじょそこらの魔物が持ってるような、単純な強さじゃないからね!」
「きっかけは何だったの?」
ボンボに訊かれて、リザミィの脳裏に幼き日の記憶が鮮明に浮かび上がった。
あれから何十年も経った今でも、昨日のことのように思い出せる。
リザミィは柔らかく微笑む。
「……ファーブの里って知ってる?」
ライジャーが小さく首を傾げる。
「それって、クシュナ高山を越えて、その先の森を抜けたところにある、ダークエルフの里だよな。……でもあそこは」
「そう、里は壊滅していて今は誰も住んでいないわ。地図上でも、ファーブ里跡って書かれてる。──里のエルフたちは、人間どもに殺されたからね」
ボンボが息を呑んだ。
「も、もしかして、リザミィさんの故郷って」
「そうよ。私はファーブの里の生き残り。残念ながら今のところ、私以外のダークエルフに会えたことはないわ」
リザミィは笑顔を作った。強がっているわけではない。辛い悲しみは、遠い遠い昔に置いてきた。
「両親も友達も殺されて、ああ、もうダメだーって諦めかけた時、幼い私の目の前に魔王様が颯爽と現れた。魔王様の腕の一振りで、瞬く間に人間どもは塵になったわ。魔王様は私のことを助けてくれたのよ。──凄く、かっこよかった。魔王様は私の救世主なの。お礼を伝える暇もなく魔王様は去ってしまったけれど、私はあの日のことを一生……いいえ、死んでも忘れない。そして私は、魔王様に救われたこの命を、魔王様のために捧げたいと思うようになった。愛するお方に、いつか恩返しをしてみせるの」
辛い記憶なんていらない。あの日の出来事の中で覚えておくのは、たった一つだけでいい。
魔王様に助けられた日。あの日からリザミィの人生は大きく変わったのだ。
「結婚が恩返しに繋がるとは限らねぇけどな」
しかめっ面のライジャーが口を挟んだ。
「どうして? 自分のことを心から愛してくれる人と結婚出来たら、幸せじゃない? 私はそう。魔王様だってそうに決まってるわ!」
ライジャーは不快そうに顔を歪ませた。
「……オマエのその、ガッチガチな固定概念が怖ぇよ。サイコパスか?」
「女遊びに現を抜かしてるトカゲには言われたくないわね。あんたは本当の愛を知らないのよ」
「──なんだとこの」
機嫌を悪くしたライジャーが、リザミィに飛び掛かってきそうになった。
すんでのところでボンボが間に入る。
「で、でも、リザミィさんかっこいいや。真っ直ぐで、好きな人のためには一生懸命になれる、素敵なレディだね」
「なーに? 今更気付いたの?」
リザミィは、ふふんと胸を張った。
「あんたたちも、本気で誰かを好きになったらこの気持ちがわかるわよ。いい? 恋愛パワーは無限大よ」
ライジャーは呆れたように盛大なため息をついた。ボンボは微笑んでいた。
「うん、覚えておくよ」
そう言い終えたボンボは、ライジャーとリザミィを交互に見つめた。それから恥ずかしげに俯く。
「実はボクね、KEMOに異動になる前から二人のことを知ってたんだ」
リザミィは口を手に当てた。
「え、ストーカー……? やっぱりボンボ、私のこと……」
リザミィの冗談にボンボは慌てて首を振った。
「じゃなくてっ! その、二人ともそれなりに有名だったから」
「そうだったの!? 知らなかった!」
もしかしたら魔王様の耳にも入っていたかもしれない。日々の美容を怠っていなくてよかった。
「なんとなく想像はつくけどな」
「あんたが有名な理由もなんとなく想像つくわよ」
言い返すとライジャーに睨まれた。こっちも負けじと睨み返してやった。
「リザミィさんとライジャーくんと一緒に仕事が出来て、ボクは本当に嬉しいんだ」
ボンボは優しい。オークには全く似つかわしくないけれど、その優しさをこれからも大切にして欲しい。
「ふふ、ありがと。そう言ってもらえて私も嬉しいわ」
和やかなムードになっていた中、ライジャーがボンボを見ながら不服そうな表情をしている。気に障ることでもあったのだろうか。
「そういやずっと気になってたんだけどよ。オマエ、オレのことを「くん」付けで呼びやがるけど、年下だよな?」
全く、小さいことを気にする男だ。年齢なんてどうでもいいだろうに。
偉そうに言うライジャーに向かって、ボンボは目を丸くした。
「えっ? ボク、ライジャーくんより年上だけど」
「嘘だろッ!?」
「ボクは今28歳。ライジャーくんは23歳でしょ」
「5歳も違うのかッ!? つーか、なんでオレの歳知ってんだ!?」
驚くライジャーのなんと滑稽なことか。リザミィは唇の端を上げた。
「まぁ、年齢なんて種族によって寿命も大きく違うんだから、気にすることないでしょ」
リザミィはひらひらと片手を振った。その場に沈黙が流れる。
……誰も何も言ってこない。どうしたというのか。
ボンボとライジャーは無言でじっとリザミィを見つめていた。何よその目は。
ライジャーの年齢を知っていたボンボは、恐らくリザミィの歳も知っているのだろう。多分ボンボは気を遣ってくれている。
ライジャーがこわごわといった様子で尋ねてきた。
「……訊くのが怖ぇんだけど、オマエ一体いくつなんだ? ファーブの里が壊滅したのって、確かオレが生まれる随分前だぞ」
「ラ、ライジャーくん」
ボンボが慌てて止めに入る。訊いちゃいけないデリケートな部分だと思っているのだろう。
こっちとしては別に気にするほどのことではない。リザミィはさらっと答えてみせた。
「今年の秋で111歳だけど?」
「めっちゃババアじゃねぇかッ!?」
「ライジャーくん、シッ!」
そういう反応をされるだろうなと予想はついていた。ババアという表現にはカチンときたが、リザミィは怒鳴ったりはせず、寛容な気持ちでニタリと笑ってみせた。
「言っとくけど、ダークエルフの寿命は平均300歳だから。私はまだ食べごろピチピチなヤングよ」
「急に言葉尻が年寄り臭ぇッ!」
「年寄りで結構! ちなみにあんたが生まれた時、私は87歳だったからね! 経験の差を思い知りなさい! 本来なら敬語を使うべきところよ!」
「100歳越えてそのイカれた頭はどうかと思うし、敬えるところが一つもねぇわッ!」
「ははは……」
ボンボはリザミィとライジャーを眺めて小さく苦笑していた。