1-10 クシュナ高山で大ピンチ
クシュナ高山は、標高約2400mの山だ。ここの山頂付近にブラッディローズが生息している。
魔王城から北へ歩き、四時間ほどでクシュナ高山の麓に着く。夜に魔王城を出たリザミィたちは、途中野営をして仮眠を取った。
麓に着いた頃には朝日が眩しく輝いていた。
このまま何事もなければ、夕方には沢山のブラッディローズを腕に抱えてクシュナ高山を出発し、夜には魔王へ届けることが出来る。リザミィの中では当初そんな予定だった。決して花屋のハーピィが言っていた話を忘れていたわけではない。
クシュナ高山へ行きにくい問題が地割れ程度であるなら、魔王軍で日々鍛えられたリザミィであれば余裕で乗り越えられると思っていたのだ。
そして実際、思っていた通りだった。岩ででこぼこしている地面には、所々地震で出来たであろう大きな亀裂があったが、リザミィやライジャーは難なく飛び越えることが出来た。肥満体系のボンボは少々苦戦したが、リザミィとライジャーの力を借りつつなんとか割れ目を越えることが出来た。鼻歌が歌えてしまうほど超順調だった。
ところが、リザミィは自分の考えが甘すぎたことを思い知らされる。
「いやあああぁぁー!? なんであの鳥、さっきから私たちを追いかけてくんのよ!?」
麓から山頂に向けて登りだし、一時間くらいが経過した頃だろうか。
上空から体長5mはある巨大な鳥が、リザミィたち目掛けて急降下してきたのだ。巨大鳥は黄色いギョロッとした目をしていて、クチバシが鋭い。脚だって太くて筋肉質だ。もしあの脚で押さえつけられてクチバシで啄まれたら、そりゃもうひとたまりもないだろう。
身を低くしたり、岩を壁にしたりしながらなんとか攻撃を避けてはいるが、巨大鳥は上昇と下降を繰り返している。リザミィたちのことを全然諦めてくれない。
「怪鳥ヂョータは、肉食の生き物だからなッ! オレらを餌だと思ってるんだろうぜ!」
岩影に隠れ、息を上げたライジャーがこんな状況にも関わらず教えてくれた。
それを聞いたリザミィはライジャーの隣で愕然としていた。
聞いていた話と違う。こんな獰猛な怪物がいるなんて初耳だ。ハーピィは地割れで危険だ、としか言ってなかったのに!
「なんでそんなにお腹空かせてんのよ! ボンボみたいな鳥ね!?」
「あれじゃねーか。地割れのせいで餌の動物が逃げたとか。空腹で我慢ならねぇ時に、たまたまオレらを見つけちまったんだろ」
「いやよおぉー! ダークエルフより、絶対リザードマンの方が美味しいってば! トカゲっぽいし!」
「オマッ、それ言うならブタっぽいボンボだろッ!? 脂も乗ってて美味いだろ絶対!」
そこでリザミィは、とんでもないことに気付いてしまった。
「ちょっと待って! さっきからボンボの声が聞こえないんだけど、ちゃんといる!?」
ライジャーが慌てて辺りを見回した。
「──いねぇッ!? おい、ボンボがいねぇぞ!? いつの間にかアイツに食われちまったか!?」
リザミィは姿勢を低くしながら別の岩陰に移動した。ライジャーもついてくる。
位置を変えて周囲を見渡しても、やっぱりボンボの姿は見えない。
やばい。本当に食べられちゃったのかも。
「ギィィィィッ!」
怪鳥ヂョータのつんざくような鳴き声が上から聞こえてくる。
見上げると、リザミィたちの上空をぐるぐる旋回していた。これでは岩陰に隠れていても、すぐに見つけられてしまう。ヂョータはリザミィかライジャーのどっちかに狙いを定めているに違いない。
「ライジャー、あんた槍持ってるでしょ!? なんかこう、槍投げみたいな感じでビュッとあいつを仕留めてよ!」
「無茶言うな! 槍は一本しかねぇーんだぞ! 刺さったまま飛ばれたら終わりじゃねーか!」
ライジャーはリザミィを指さして叫んだ。
「つーか、それを言うならオマエも弓持ってんだろ!? 背中につけてんのは飾りか!?」
「弓苦手なのよ! ダガー使って近距離ばっかで戦ってたから! 接近戦は自信あるんだけどッ!」
「なんで長距離担当がいねぇーんだよ!」
「みんな元前衛部隊だからでしょッ!?」
リザミィが大声でツッコむと、遠くで小さな声聞こえたような気がした。耳がいいリザミィでないと聞き逃してしまうレベルの声量だ。リザミィは耳を澄ます。
「リザミィさぁーん。ライジャーくぅん。ボ、ボクはぁ、大丈夫だからぁ、先にぃー」
声がした方向を見る。後ろの方にあった岩陰にボンボの姿が確認出来た。彼は途切れ途切れに叫んでいる。
だが、リザミィたちとは30mくらい距離が離れていた。ボンボはもっと痩せるべきだ。言ってはなんだが歩くのも走るのも遅い。こんな状況では危険しかない。
けど何はともあれ、生きていてよかった。
ボンボの無事を確認し、ホッと胸を撫で下ろしていたのもつかの間、ヂョータがターゲットを変更したのか、ボンボ目掛けて急降下し始めた。
「ああぁぁー! ボンボォー! 逃げて逃げてぇー!」
リザミィが身振り手振りでなんとかボンボに危険を知らせる。が、ボンボは呑気に手を振り返している。全然伝わってない!
「あぁもう、クッソ、仕方ねぇなぁ!」
ライジャーが岩から身を乗り出したかと思うと、片目を閉じて何かぶつぶつ言い始めた。
なにこいつ、実は魔法とか使えたりするの?
ライジャーの独り言は、時間にしてほんの一瞬だった。ライジャーは声を張り上げた。
「ゼック・ィーべ!」
「はぁ? なんて!?」
もしかしてリザミィが知らない呪文か何かだったのだろうか。それなら聞き返してしまったリザミィが少々恥ずかしいが、ライジャーは明らかにリザミィに向かって発言していた。
「だから、ゼック・ィーべッ! そこからゼック・ィーべの角度で、弓を打て!」
角度!? 角度のことを言っていたのか。だがリザミィはそんな単位聞いたことない。初耳だ。イラつきながら言われてもこっちは知らないんですけど!
「もー! わけわかんないんだけどっ!?」
リザミィはとにかく矢を放とうと、背負っていたコンポジットボウを構えた。そしてギリリと引き絞る。
ボンボに向かうヂョータ目掛けて二、三本連続で矢を射るが、掠りもしなかった。
「駄目だわ!」
「クソ女、もっとしっかり──」
すると突然、大地を大きく揺らす地震が起きた。
リザミィは岩にしがみついて体を支えた。
揺れは5秒ほどで治まった。ように思えたが、今度は小刻みに地面が揺れ始めている。
この揺れはいつも感じている地震とは違う。揺れとともに、ゴガガ、と鈍い音も聞こえる。
嫌な予感がして正面を見ると、前方からこっちに向かって、地面がバキバキと左右に割れていた。リザミィはなんだか板チョコみたい、なんて呑気なことを思ってしまった。
地割れだ。割れ目が1m先にまで迫ったところで、リザミィはようやく危機感を抱いた。
「──ちょ、ちょっと、待って待って待って! これやばいかも!?」
「かも、じゃねえ! メチャクチャやべぇッ!」
割れ目がどれくらいの深さか検討がつかない。落ちたらきっと、ひとたまりもない。
リザミィは地割れに巻き込まれないよう、安全な場所に飛び移った。
はずだった。
着地した先の石が崩れ、リザミィの体勢がぐらりと崩れる。──あ、やばい落ちる。
反射的に手を伸ばして掴んだのは、近くにあったライジャーの尻尾だった。
「はぁッ!? オマエ、なに掴んで──」
「──いやああぁぁぁッ!?」
リザミィとライジャーは、真っ逆さまに割れ目へと落ちてゆく。
思っていたよりも地面が近い。ならせめて、受け身を。
リザミィは受け身の体勢に入ったが間に合わず、ガンッ、と背中を岩に打ち付けてしまった。リザミィは小さな呻き声を漏らした。
仰向けになったまま痛みを我慢しながら目を開けると、岩壁と岩壁の間から、真っ青な青空が見えた。
「あいたた……」
リザミィはゆっくり起き上がる。どうやら骨までは折れてはいないようだ。背中に鈍い痛みはあるが、動けないほどではない。
リザミィが落ちた隙間は、両手を広げたくらいの横幅だった。割れ目の終わりは、ここからは確認出来ない。地上までの高さはおおよそ5mだろうか。ヂョータが入り込める大きさではないので、ある意味安全ではある。
「ライジャー、いる?」
薄暗くてよく周りが見えない。呼びかけながら、リザミィは自分の手の中にある感触に気が付いた。そういえばさっきからずっと何かを握り締めたままだ。
掴んだままのソレを目の前に持ち上げてみると、ぶらん、とぶら下がった。
鱗に覆われたソレはぴくぴくと動いている。
どこからどう見ても、リザードマンの尻尾だった。リザミィは恐怖のあまり尻尾を放り投げた。
「ぎゃああああああああーーーーッ!? ライジャーがバラバラにいいぃぃーーーーッ!?」
「勝手に殺すなッ!」
リザミィが絶叫していると、すぐ後ろから声が聞こえた。振り向くと、不機嫌顔のリザードマンがいた。
「ぎゃあああぁぁ! ライジャーのオバケェェーーーッ!」
「いちいちうるせぇなぁもうッ!」
落ち着いて目の前を見ると、ちゃんと生きたライジャーだった。お化けじゃなかった。
「え、ならこれは?」
リザミィは地面に落ちた尻尾を見下ろす。尻尾はまだ微かに動いている。ライジャーは呆れたように肩を竦めた。
「オマエ知らねぇのか? リザードマンの尻尾は、危険を感じると千切れるんだぜ」
「え、まんまトカゲじゃん……」
「尻尾で相手の気を逸らして、その隙に逃げるんだっつーの。戦略だ、戦略」
「じゃあ、ライジャーの尻尾は今……」
ライジャーの背後に回り込むと、根本から尻尾がなくなっていた。大変だ。
「それって、しばらくしたらまた生えてくるの?」
トカゲは新しい尻尾が生えてくるまで数十日かかると聞いたことがある。だとしたら悪いことをしてしまった。
「あ? しばらくっつーか……」
すると、尻尾の根本からずりゅりゅ、と一瞬で新しい尻尾が生えてきた。あっという間に元通りだ。
ちょっと気持ち悪かった。
「へ、へぇ……。便利なのね」
「まぁ一日に何回も再生したら、さすがのオレも体力持ってかれるけどな。そんなことより、早くここから出ねぇと」
リザミィは岩壁を見上げた。ごつごつとした岩が所々飛び出ているので、それを足場にしてよじ登れないことはない。
「そう言えばボンボは?」
「もう食われちまったんじゃねーか」
ライジャーはさらっと言った。
その可能性は大いにある。ヂョータに啄まれるボンボを想像してゾッとしていると、リザミィの後ろの方から声が聞こえてきた。
「ライジャーくぅーん、リザミィさぁーん」
どったどったと巨体を揺らすボンボが、息を切らせてこちらへやって来るではないか。
ボンボもリザミィたちと同じく、割れ目に落ちたらしい。
「あぁ、よかった。無事だったのね」
リザミィはボンボに手を振る。ボンボはそんなリザミィに向かってニコッと笑みを作った。
──かと思えば、笑顔のまま地面に突っ伏してしまった。ピクリともしない。
「全然無事じゃねぇぞッ!?」
もしかして力尽きてしまったのだろうか。リザミィとライジャーは慌ててボンボに駆け寄る。
「おいしっかりしろ!」
「どっか怪我してるんじゃない!? だったら早く止血しないと!」
割れ目に落ちた時に怪我をした可能性も十分考えられる。
ライジャーがボンボをゆっくり仰向けにした。顔色が青白い。見るからにやばそうだ。
「……お」
ボンボは唇を震わせながら呟いた。必死に何か言おうとしている。もしかするとボンボの最後のメッセージかもしれない。リザミィは耳を澄ました。
「……お、なか」
「腹か? 腹怪我してんのか?」
「でも出血はなさそうよ」
「もしかして内臓をやられてんのか」
かなり衰弱している様子のボンボは、続けて口を開いた。
「……すい、た……おなか……」
お腹空いた?
リザミィとライジャーは互いに目を合わせた。
「んだよそれッ!」
「びっくりさせないでよ、もーッ!」
リザミィは怒っているのに変な笑いが出てしまった。ライジャーもホッとしたのか、苦笑しながら地面に座り込んでいる。
ボンボはぷるぷる震えながら手を伸ばしてきた。
「はやく、たべもの……」
「食いモン持ってこなかったのか?」
「……ぜんぶ、たべた……」
「ボンボ、本当に食いしん坊よねぇ。……あっ、そうだ丁度いいものがあるわ。これ食べる?」
リザミィはライジャーの千切れた尻尾を掴み、ボンボに見せた。
ボンボは今にも泣きだしそうな、しわくちゃな表情になった。めっちゃ嫌みたい。
「おいコラ、オレの尻尾で遊ぶなッ!」
ライジャーのツッコミを無視して、リザミィは眉を下げた。
「そうよねー。こんなトカゲの尻尾なんか嫌よねぇ。不味そうだもんねぇ」
「絶妙に腹立つのはなんでなんだ……」
先は急ぐものの、空腹で野垂れ死にそうなボンボを置いていくことは出来ない。
幸いここは安全地帯だ。ボンボが回復出来る時間も考慮し、リザミィたちは少しだけ休憩をすることにした。