1-9 本当の気持ち
「ブラッディローズの香りには、治癒効果があるの」
リザミィの言葉に、ボンボは小さく頷いた。
「あ、聞いたことがあるかも。今、流通してる傷薬が出来る前は、みんなよく使ってたって。随分前の話みたいだけど」
「そうなのよ。いつの間にかプロポーズの定番になっちゃったのよね」
「その治癒効果と何か関係があるの?」
リザミィはパイプ椅子に腰掛けた。
「今日、魔王様に挨拶しに行ったでしょ」
「うん」
「魔王様から質問を受けた時、私たち指をさされたと思うんだけど。……魔王様、指さした人差し指に怪我をしていたのよ。とても小さかったけど」
魔王に呼び止められて指をさされた時、一瞬だけだったが魔王の指先がぴくっと動いた。その瞬間をリザミィは見逃さなかった。目を凝らすと魔王の指先に切り傷があった。きっと魔王は指の痛みで反射的に微動したのだろう。
ボンボが目を丸くする。
「えっ、怪我!? そんなの、ボク怖すぎて何も覚えてないよ」
「私は覚えてるわよ。素敵な爪先から指の節まで……」
「そ、それで?」
ボンボが話の先を促した。なによ、もう少し魔王様の素敵な指について語りたかったのに。リザミィは足を組んだ。
「でね、私は思ったわけ。あの偉大な魔王様が、指先に怪我なんかするなんて異常事態だって」
「確かに……」
「これは私の推測でしかないんだけど、周りを飛んでたペットのコウモリに指を噛まれたとか。もしくは、うっかり紙で指を切っちゃったとかね。何にしても、指先よ? そんなところを怪我するなんて、うっかりでしかあり得ないじゃない。だから堂々と面と向かって傷薬なんか渡したら、偉大な魔王様はきっと恥をかいてしまうに違いないわ。少なくとも、ベイディオロや私たち三人は怪我の存在を知ってしまうわけだし」
だけど、放っておくことなんて出来ない。当たり前だ。好きな相手が怪我をしているのだから、何か力になってあげたいと思うのが当然だろう。
「それで、ブラッディローズの出番ってわけよ。こっそり渡せば、誰にもバレることなく魔王様の怪我を治癒できる。あと、私の愛も伝えられる」
ボンボに向かってニィっと笑いかけると、彼も柔らかい笑みを向けてくれた。
「リザミィさんは、魔王様のことが心から大好きなんだね」
「何言ってんの、当り前でしょ。結婚するんだから」
リザミィがきっぱり言うと、そうだった、とボンボはおかしそうに目尻を下げた。
ボンボに本当の気持ちを吐き出したことによって、リザミィの胸が不思議と軽くなるのを感じた。
「でもそういうことなら、ボクたちにも言ってくれればよかったのに」
「出来るだけ最小限に抑えたかったの! 魔王様のメンツに関わるしね。本当は誰にも言うつもりなかったのよ」
するとボンボは、少し寂しそうに目を伏せた。
「ボクたち、いきなり新しい組織に異動になっちゃったけど……。ボクはこれからも二人と一緒に仕事が出来たらいいなって思ってるんだ。その、仲間……っていうか。こんなボクなんかが二人の仲間だなんて、おこがましいかもしれないけれど」
仲間。その単語にリザミィは口元を緩めた。
「そうね。まだ仲間にはほど遠いわね」
「リザミィさん、ハッキリ言うね……」
リザミィは落ち込んだ様子のボンボに付け加える。
「勘違いしないで。これはボンボだけのせいじゃないわ。私と、ライジャーもそう」
リザミィはパイプ椅子から勢いよく立ち上がった。そして腰に手を当てる。
「だって、私たち今日初めて会ったばかりじゃない。これからお互いのこととかを知っていって、ちょっとずつ仲間になっていくのよ。きっと」
リザミィはこれまでずっと前衛部隊で仕事をしてきた。部隊の中で仲間という存在を意識したことは一度もない。ただの同僚としか思わなかった。日常的な軽いコミュニケーションはあれど、あとは誰にも頼らず自分の仕事を黙々とこなすだけだった。
ボンボに仲間という言葉を使われて、リザミィは照れ臭くなった。それと同時に嬉しかった。こんな気持ちいつぶりだろう。
今はまだ、たまたま同じ仕事をすることになった同僚でしかないけれど、ボンボに感化されたせいかもっと仲良くなれたらいいな、とまで思い始めてしまっている。リザミィは一人きりでも全然大丈夫な性格ではあるが、他人と関わるのが特段嫌いというわけじゃない。職場環境が和気あいあいとしていることに越したことはない。
「まぁでも……問題はライジャーよね。私のせいとは言え、かなり怒ってたから関係の修復は難しいかも」
「ああ、それは多分、大丈夫だと思うよ」
ボンボはやけにハッキリ言い切った。
「どうして?」
リザミィが尋ねると、ボンボが倉庫の入口に視線を移した。つられてリザミィも倉庫の入口を見る。
ああ、そういうこと。リザミィは苦笑した。
隠れているつもりなのだろうが、尻尾の先が見えてしまっている。
リザミィはわざとらしく大声で話し始めた。
「まぁでも、クソトカゲはいない方が静かでいいかもねー。今頃アボロスの東側で楽しんでるだろうし。二人だけで魔界を救いましょうボンボ! 給料もあいつの分はこっそり分けちゃいましょ」
「おいそりゃねぇだろクソ女ッ!」
予想通り飛び出てきたライジャーに向かって、リザミィはニヤリと笑いかけた。
「盗み聞きもどうかと思うけどねぇ」
「ち、違う! オレはたまたま通りがかっただけで」
ライジャーは明らかに狼狽している。ボンボがようやくチョコバーを齧り始めながら、のんびりした口調で言った。
「先に倉庫前に来てたのはライジャーくんだったんだよ。入りにくそうにしてたから、ボクが先に入ったんだ。なんだかんだでライジャーくんも、リザミィさんのことを気にしてたみたい」
「はぁ!? バカ言うなッ! 誰がッ! に、荷物! そう! オレは荷物を取りにきたんだっつーの!」
「あら? 通りがかっただけなんじゃなかった?」
「ぐ……」
ボンボが口をもぐもぐしながら、リザミィにそっと目配せした。わかってるわよ。
リザミィは腕を組んでライジャーをじっと見つめた。
「あんた、話聞いてたんでしょ」
「……まあな」
「ボクはリザミィさんと一緒にクシュナ高山に行くよ。足手まといにしかならないかもしれないけれど……。怪我してる魔王様の助けになりたいなって」
ライジャーは何も答えず尻尾を揺らしている。
「あんたはどうする? 別にここで他の仕事案を考えてくれててもいいけど。無理についてくる必要はないし」
少しの沈黙の後、ライジャーはリザミィから視線を外しながら答えた。
「……まぁ、魔王の怪我を治せるんなら、確実にご機嫌にはなるだろうしな。効率的に魔界を救うことに繋がるわけだ。だったら──」
「そ、じゃあお留守番お願いね」
「なんでだよッ!? めちゃくちゃ行く流れだっただろ今!」
キレのいいツッコミが入る。
「行ってくれるのね?」
リザミィが顔を覗き込むと、ライジャーは口籠ってしまった。いけない。少々いじりすぎたかもしれない。
「別に……オマエらのためじゃねーからな。ここで一人で待ってたらサボってるみてぇだろ。減給されたら最悪だからな」
「ライジャーくんはツンデレなんだね」
「うるせぇブタ野郎ッ! 全然デレてねぇだろうが!?」
「ツンは認めるんだ」
ボンボが穏やかな表情で笑う。それを横目で見たライジャーは不機嫌そうに小さく舌打ちした。
仲間──と呼ぶにはまだ早いけれど、一人だけじゃないんだと思うと気分も引き締まってくる。
リザミィは長い銀髪を後ろに一つに結んで、気合を入れた。
「よし、じゃあ行きましょう! KEMOの初仕事よ! 全ては愛しの魔王様のために!」
「おー!」
「変な掛け声作るんじゃねぇッ! オマエらと一緒にすんな!」
こうして、リザミィたちは魔王にブラッディローズを贈るため、クシュナ高山へと向かった。